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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第24回

痴漢(3)

2018.12.25更新

読了時間

現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。
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 少し前、小説の打ち合わせのために喫茶店で仕事相手を待っていたら、
「ここに来るとき、電車の『女性専用車両』に間違えて乗ってしまいまして、周囲の女性たちから、睨まれてしまいましたよ。あわてて隣の車両に移りました」
 やって来た編集者が頭を掻いた。
 私はそのセリフになんとなく違和感を覚えたのだが、すぐには上手く言語化できず、
「それは大変でしたね」
 適当な同情をするだけで、すぐに仕事の話を進めた。

 仕事を終えてひとりになったあと、私は「女性専用車両」について思いを巡らせた。
「女性専用車両」は、朝夕のラッシュ時などに電車の1車両を女性専用にするシステムで、日本においては私が大人になってから本格的な導入が行われた。そのため、私自身はその恩恵をしっかりとは受けていない。「高校生や大学生の頃にあったら、助かったのかもしれないな」と想像する。どの程度の効果なのか、その数字を算出するのは難しいことなのかもしれないが、なんとなくの予想で、「痴漢犯罪者の多数が男性という属性だし、その属性の人を排除するということで、犯罪抑止に効果がありそう」と思える。
 昔は、鉄道会社が「痴漢もお客様です」(!)と言ってまったく犯罪抑止を行わなかったり、「警察の管轄なので」と我関せずだったり、痴漢という犯罪について「いたずら」というそぐわない言葉を使ったり、「迷惑行為は止めましょう」というかなり軽い表現で注意したり、少し時代が進んで痴漢の認識が社会に浸透したあとでも、「痴漢は犯罪です」という当たり前のことを言うだけだったり、現代の感覚ではぎょっとするような社会だったみたいなので、「女性専用車両」を鉄道会社が導入し、本気で痴漢撲滅に力を入れ始めた現代は、昔に比べると大きく前に進んでいる、と捉えていいのだと思う。
 ただ、考え方としては決してベストではないだろう。
 もちろん、他のアイデアを私は持っていないし、このシステムに対して「効果がありそう」と感じているので、「女性専用車両」をなくした方がいいなんて思ってはいない。このシステムは続けた方がいいと思う。
 ただ、痴漢の問題は、犯罪者の問題であり、男性の問題ではない。痴漢は多いが、それでも、男性の人口よりもずっと少ない。男性をひとりひとり見れば、痴漢犯罪者や痴漢を肯定する人よりも、痴漢という犯罪を憎んでいる男性の方が世の中にはずっと多いだろう。
 ある犯罪を、ある属性の人が行うことが多いからといって、その属性を憎んではいけない、という基本はあるような気がする。
 もちろん、性被害に遭った人が、「男性」というもの全般に対してどうしても恐怖心を抱いてしまう、といった感情の流れは理解できる。
 しかし、冷静になれる立場の人が、属性によって「犯罪者になる可能性がある」という視線を向けるのを肯定する社会ルールを作ることは、本来はしてはならないのではないか。
 今、女性問題については議論される機会が少しずつ増えて来たが、男性問題について語られることはまだ少ない。男性が強者で女性が弱者、というイメージが強く、男性が苦しみや悩みを告白することを良しとしない空気がある。
 ウィキペディアで「女性専用車両」の項目を調べると、「女性専用車両は指定した車両において女性以外の乗車を、男性の任意協力のもとに遠慮願うもの」とある。
 何が言いたいかというと、「間違えて『女性専用車両』に乗ってしまった人を、睨んではいけないんじゃないかな?」ということだ。
 冒頭に書いた知り合いの編集者のセリフだけでなく、男性が間違えて「女性専用車両」に乗った結果、「白い目で見られた」「じろじろ見られた」、ときには、「激しく怒られた」という話を、これまで何度も耳にしてきた。
 だが、本来は、「男性だから」という理由で、犯罪と結びつけて視線を向けることは、決して良いことではない。犯罪抑止として、ベターだから「女性専用車両」を作るが、ベストな考え方に沿って作られたシステムではない。だから、「恐縮だけれども、他に方法が思いつかないんです。犯罪抑止にご協力お願いします。申し訳ないけれども、遠慮してください」という態度で接する方がいいのではないか。
 世間には「女性専用車両」に反対する少数派の人もいるらしいが、それでも、多くの男性は「女性専用車両」を理解している。
 白い目で見られても、仕方がない、自分が間違えたのだから自分に非がある、女性に申し訳ない、とほとんどの男性が小さくなる。だが、間違えただけの人が、悪いわけがない。

 ……と書いてきたが、今回のような文章を私が綴ると、女性読者からも男性読者からも嫌われることが多い。
 性別についての文章を発表していると、男性読者が「女性から怒られたい」という欲求を持っているのを感じることがよくある。「男性は駄目だ」「女性は素晴らしい」「女性は頑張っているので、男性に応援してもらいたい」「女性を理解し、男性に変わってもらいたい」といった叱咤激励の文章を男性読者から求められている感じがある。おそらく、男性対女性という簡単な構図を描き、それが逆になるように頑張っていく、というストーリーだと、わかりやすいからだろう。「男性はこれまでのことを反省し、女性の社会進出を応援してください」「男性は考えを改め、女性が性被害に遭わない社会を作ってください」と男性は言われたがっている。
 しかし、社会はもっと複雑だ。そういったシンプルなフレーズにおさまるものではない。いろいろな男性がいて、いろいろな女性がいる。そして、男性の苦しみをできるだけ理解していくことを仕事にしたい女性もいる。それが「上から目線」に感じられて嫌われるのかもしれない。
「女性の社会進出を応援してください」「女性が性被害に遭わない社会を作ってください」という仕事は、私ではない作家や、専門家たちが、しっかりと行っている。
 私は、それとは少し違う、微妙なところに、自分のやるべき仕事があるような気がしているのだ。
 私は、男性を怒りたくない。
 たとえば、私は「ブス」についてこの連載で書き続けてきたが、男性を憎んでいない。男性女性を問わず、「ブス」と言って罵倒してくる人のみを憎んでいる。
 多くの男性読者が、こういったエッセイの中で、「男性は容姿差別を止めて、ブスな女性にも平等に接してください」という単純なことを訴えてもらいたがる。しかし、私は、男性に対して言いたいことなんてないのだ。男性に好かれたくて文章を書いているのではない。
 小説や漫画などで、ブスな登場人物が男性恐怖症だったり、男性と話した経験が少なかったりする設定をよく見かけるが、現実ではそうでもない。昔はそういうこともあったかもしれないが、現代では、友だち関係や仕事関係で性別や年齢や国籍に関わらずつき合いがあるものだ。私の周りには、ブスだからといった理由で私を嫌わない人がたくさんいる。むしろ、一緒に「ブス」について考えようとしてくれる男性の方が多いと思う。
 それで、痴漢犯罪について考える場合も、「男性は敵だ」という態度で臨むのではなくて、「男性の方も痴漢犯罪について一緒に考えましょう」という風に関わった方が上手くいくような気がするのだ。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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