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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第16回

トライバリズムの快楽(後編)

2019.05.20更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
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日本のローカリズム

 日本のローカリズムが好きだ。

 おいしい郷土料理、個性的な祭り、美しい風景、心地よい方言の響き……ああ、日本に生まれてきてほんとうに良かった。だって、こんなに豊かな文化が育まれてきたのだから。

 県民のライバル意識が楽しい。

「秘密のケンミンSHOW」をはじめとするバラエティ番組で、タレントが自身の出身県を自慢し、他県をディスる。

「佐賀には何もない」と福岡県民。「京都は表裏の差が激しい」と大阪府民。「富山なんて田舎は相手にしてない」と石川県民。「東京、神奈川の次はどちらか」という千葉=埼玉論争。つねにドングリの背比べに明け暮れる群馬=栃木=茨城の<北関東三兄弟>……ちなみに私は山梨出身なので、「富士山はどちらのものか」という山梨=静岡論争が喫緊の課題である。

 こんな風にいがみ合いながらも、相手の県においしいグルメがあれば絶賛し、美しい観光スポットがあれば称賛の声をあげる。

「なに言ってるかわからない」と方言をいじりながら、その言葉の響きになぜか魅力を感じ、さまざまな方言が各地に息づいていることに安心する。

 他県民と対立しながら、自県の魅力を再確認し、同時に他県の良さをも発見してゆく。

 日本社会は画一的であり、同調圧力が高いと批判されるが、日本各地で発達してきたローカリズムはじつに多様であり、それが日本の魅力を形づくっている。

 さて、こんな日本のローカリズムを「部族主義=トライバリズム」と呼ぶことは可能だろうか?

 おいおい、私たちをあんな輩といっしょにしないでくれ、そんな声が聞こえてきそうである。でも、明治初頭まで、私たちの祖先はたがいに敵対し、反目しあっていたのではなかったか。

 戦国時代は文字通り殺しあい、江戸時代は藩という小宇宙に閉じこめられ、幕末には攘夷派、開国派に分かれて戦い、明治になってもしばらくは新中央政府と地方との小競り合いがつづいた。帝国主義時代のヨーロッパ人の目に、この状況はトライバリズムと映ったのではないだろうか。

 それから時を経て、今ではみなが平等な日本人。

 各県はさまざまなランキングで格付けされるが、それに本気で腹を立てる人はおらず、むしろランクを上げようとまじめに努力する。

 県の対立はB級グルメとゆるキャラへの支持率で決着がつけられる。

 もはや刀も鉄砲も必要ない。

 じつに遊び心にあふれたトライバリズムである。

トライバリズムとは?

 ヒトは、分けて、群れて、安心する動物である。

「分ける」、つまり、何らかの基準にしたがってさまざまな社会的カテゴリーを形成する。

「群れる」、つまり、カテゴリーごとに集まり、そこで何らかの社会組織を構築しながら集団として生きる。

「安心する」、つまり、集団内で形成された文化を共有しながら、アイデンティティをともにする仲間と共生し、安定した気持ちを保つ。

 このプロセスをホモ・サピエンスの「人間性」に内包されたメカニズムだと考えれば、アフリカのトライバリズムと日本のローカリズムをおなじ土俵に乗せることができるのではないだろうか。

 アフリカで誕生したホモ・サピエンスが世界に広がっていった数万年前、何を基準に集団をつくっただろう。そこで使えたのは、やはり血縁と地縁だったのではないだろうか。

 おなじ親から生まれた子供たち、その子孫たち、というタテの血のつながり。

 そこに結婚により、異なる集団間のヨコのつながりがつくられる。

 このタテとヨコのつながりの織りなす血縁関係によって形成された集団は、基本的にはおなじ場所に住む地縁集団でもあっただろう。

 世代を経るごとにこの集団は拡大し、支族、氏族に分かれ、やがて互いの顔を直接知っているわけではないが、祖先がおなじであるとか、どこかで祖先どうしが結婚したとかいう伝承を共有する集団が一定地域に居住し、おなじ言語をしゃべり、おなじ文化を共有する「われわれ集団」になっていることだろう。

 帝国主義時代のヨーロッパ人は、おそらくアフリカなどでこのような状態の集団を見て「部族」と呼んだのだろう。それが有色人種に対する偏見によりデフォルメされ、「部族=野蛮」というステレオタイプが誕生したのではないだろうか。

 このように、部族という語は人間集団の、ある時期の、ある一定の状態を、ある種の偏見を含みながら指し示すために使用された、不幸な用語であったといえる。

 だが、この場合の「ある時期の、ある一定の状態」の人間集団の在り方とは、「分けて、群れて、安心する」という人間性メカニズムのひとつの表現形態なのではないだろうか。私たちはそれが実体化された集団である「トライブ」に目を奪われがちであるが、重要なのはそれをつくりだす根本原理「トライバリズム」なのではないだろうか。

 このトライバリズムは、そのときの環境や条件により、さまざまな形態をとりうる。

 大は白人、黒人、黄色人という人種、あるいはアフリカ、ヨーロッパ、アジアという地域、キリスト教、イスラム教、仏教といった宗教。

 中は血縁と地縁に基づく部族あるいは民族、近代国家の原理を信奉する国民。

 小は部族あるいは民族のなかの支族や氏族、国家のなかの県、市、街。

 極小は学校、クラス、友人グループまで。

遊びと争いのあいだ


「分けて、群れて、安心する」の次にくるのは何だろう。

「敵対する」であろうか。あるいは「仲良くする」であろうか。

 私がコートジボワールのアビジャンでストリート文化の調査をしていた時に流行った歌の歌詞に、次のようなものがあった。

「ウォベ族はゲレ族を人食いだと言い、

 ゲレ族はウォベ族こそ人食いだと言う。

 さて、どちらが本当の人食いなのだろう。

 ベテ族はグロ族を喧嘩っぱやいと言い、

 グロ族はベテ族の方が喧嘩っぱやいと言う。

 さて、どちらが本当の喧嘩好きなのだろう。

 ああ、トライバリズムは良くないよ!」

 1960年の独立から一党独裁体制をつづけてきたコートジボワールは、ベルリンの壁崩壊後の自由化の波のなかで、1989年に複数政党制に移行。その際、政党が民族(部族、民族の用語の問題は前回指摘したとおりだが、ここでは民族を使っておく)と結びつき、政治がトライバリズムに陥ってしまうのではないかという危惧が広がった。

 この曲はそんな世相を反映し、トライバリズムへの警鐘を鳴らしたものである。注目すべきは、各民族のステレオタイプを利用しながらその対立点を示し、「お笑い」の次元でそれを笑い飛ばしていることである。

 コートジボワールには約60の民族が居住し、それぞれが独自の文化を保持している。

 ウォベとゲレは隣接する兄弟のような民族で、どちらもその昔カニバリズムの習慣があったと揶揄されていた(その真偽は、私は知らない)。そこでたがいに、「あいつらこそが人食いだ」「おれじゃねえよ~」と非難しあっているわけである。

 ベテとグロも隣接しているが、どちらも「乱暴者」のイメージが強い。たとえば、ベテのおもな就職先は、サッカーチームと警察・軍隊だ、という冗談が、半分本気で語られたりする(ちなみに、有名なドログバ選手はベテである)。そこでたがいに、「あいつらこそ乱暴者だ」と言いあっている。

 当時のコートジボワールの内政は比較的安定していて、ちょうど日本の「県民あるある」のように、民族ネタでおたがいをからかったり皮肉ったりしても、冗談のレベルでやりすごすことができた。

 ところがじっさいに複数政党制が走りだし、さまざまな矛盾を抱えながら、政治経済的に得をする者と損をする者が変化してゆくなかで、とうとう2002年から国を南北に二分しての内戦がはじまり、紆余曲折を経て、2011年になってやっと平和が訪れた。

 コートジボワールは経済的にも発展しており、もっとも政治的に安定していると思われていた国である。先の曲がヒットした1992年には、まだ「民族あるある」でたがいをからかう余裕があった。それが10年後には武力衝突である。

 まさか、あのコートジボワールで内戦が起きるなんて。私には信じられなかった。

 すべてを単純に民族対立に還元できるものではないが、それがトライバリズム原理の末路であることは確かであった。

「分けて、群れて、安心する」の次には、「仲良くする」と「敵対する」のどちらもあり得るのだということを思い知らされた。

 ちなみに、先の曲の続きにこんな歌詞がある。

「日本人は中国人の目が小さいと言い、

 中国人は日本人の目こそ小さいと言う。

 さて、どちらの目の方が小さいんだろう」

 おおきなお世話である!

 だが、私たちは敵対するのではなく、仲良くする方を選択したいものである。

理念か、生活か


「世界市民主義」、別名「コスモポリタニズム」という言葉がある。

 人類全体をひとつの世界の市民とみなすという考え方だ。

 だが、こんなことがほんとうに可能なのだろうか?

 口先だけでなく、心の底から世界市民であると自覚している人が、存在するのだろうか?
 彼/彼女の目には、じっさいに存在する肌の色の違いも、言葉の違いも、文化の違いも、まったく透明に映るのだろうか?

 あるいは、それはたんなる努力目標なのだろうか?

 誰が「仲間」かという問題に関して、人間には「時間的奥行き」「空間的広がり」について、「心」で受け容れられるキャパシティがある程度決まっているような気がする。

 時間を20万年さかのぼれば、人類はアフリカで誕生したばかりなのだから、みなが同胞である。だが、それは知識のレベルの話で、心のレベルでそんな長い時間をトレースできる人はいないだろう。日本人の場合は、せいぜい縄文時代のはじまった1万2000年ほど前が限界なのではないだろうか。それをもっとさかのぼれば、おそらく中国や韓国の人々と結びつくのであろうが、日中関係、日韓関係がいかにこじれているかは周知の事実である。

 自分の故郷の空間的スケールは、どのくらいまで広げることができるだろうか?

 日本人が日本を故郷と感じることは問題ないだろう。

 では、東アジアはどうか?はたしてあなたの心は、中国、朝鮮半島、台湾を含めた空間に愛着をもつことができるだろうか。

 次はアジア全体、その次はユーラシア大陸、さらにはアフリカ、アメリカ、オーストラリア、世界中の島々まで、あなたの心はつながりを感じることができるだろうか。

 やはり、どこか適当なスケールで「われわれ集団」が形成され、内向きのアイデンティティが醸造されていくように人類はできているのではないだろうか。世界がグローバル化に邁進したその先で、あちらこちらに保守主義の勢力が台頭してきたのは、こうした人類の性向に関係があるのかもしれない。

 それでも、平和を実現するためには世界市民=コスモポリタンにならなければならないと言われるかもしれない。でも、それは理念である。理念は世界観をつくるかもしれないが、「生活」をつくることはできない。

 私は多様性を「生きる」術を理解したい。

 理念については、ジョン・レノンが「イマジン」で美しく歌いあげてくれた、あの3コーラスだけでじゅうぶんである。

トライバリズムを乗りこえる


 多様性とトライバリズムは表裏一体である。

 現在、この世界を彩る文化的多様性の前提には、それを創りだしてきたさまざまなトライブの存在がある。

 それらは大なり小なり閉じた世界であり、であるからこそ他と異なるユニークな文化を創ることができた。

 人類の多様性については声高に賞賛するのに、トライバリズムについてはゴミ箱に捨てて蓋をするなどという態度は、結果としてなにも生みだしはしない。

 多様性をほんとうに光り輝かせるには、トライバリズムという壁を越えなければならない。それには、まずはこの壁の存在を認識し、その性質について吟味する必要がある。

 私はこの壁を乗りこえて、アフリカの踊る少女と結婚し、気がついたら「部族化」している自分を発見した。

 相手に深くコミットすればするほど、そこに内包されるトライバリズムにからめとられてゆくという「共生の矛盾」を前に、立ちすくまざるをえなかった。

 かといって、すべてを俯瞰する距離に立っていては、相手の心に触れることはできず、きれい事しか言えなくなってしまう。

 ではどうしたらいいのか。

 正直言って、よくわからない。

 ただ、世界中で、私のように相手の懐に飛びこんでもがき苦しむ人々の紡ぎだす想念が、やがて多様性を光とし、そこで営まれる生を喜びとする時代を切り拓いてくれるのではないか、そんな希望を持ちながら、今日を生きるのみである。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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