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多様性を「生きる」。違いを「楽しむ」。アフリカ人と結婚した文化人類学者が、いま考えること。 鈴木裕之

第20回

宗教について

2019.07.16更新

読了時間

文化人類学者であり、国士館大学教授の鈴木裕之先生による新連載が始まります。20年間にわたりアフリカ人の妻と日本で暮らす鈴木先生の日常は、私たちにとって異文化そのものです。しかしこの連載は、いわゆる「国際結婚エッセイ」ではありません。生活を通してナマの異文化を体現してきた血の通った言葉で、現代の「多様性」について読み解いていきます。
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神を信じる人々

 
 日本では、もう神は死んでしまったのだろうか?

 アフリカでは神は生きている。

 アラブでも、インドでも、東南アジアでも、南米でも。

 あれは高校の教室で、友だちと大学案内の冊子を見ていたときのこと。

 某有名私立大学のページに「神学部」と記載されているのが目に留まった。

 私たちは顔を見あわせると、どちらからともなく声高らかに笑いはじめた。

「いまどき、神を信じる奴なんかいるのかよ」

 日本の了見の狭い学校教育において、神に割りあてられた場は存在しない。

 私たちはそこで神を追放した世界観を身につけ、いまだに神を信じる人々を「遅れている」「非合理的である」と思うようになる。

 ところが実際に世界に出てみると、そこには神を信じる人々が溢れている。

「これも世界の多様性」と、あくまでも彼らとのあいだに確固たる壁を築きながら、ときに距離を置き、ときにヒューマンな友好関係を築こうとする。

 だがある日、その壁のどこかがひび割れ、そこからなにかが侵入してくることがある。

 それは、心のどこかでは知っているような気がするが、具体的な言葉にはならない何ものかのようだ。

 懐かしいようでいてあたらしく、優しいようでいて危険な感じがする。

 それは、これまで自分が受けてきた教育のなかでは言葉が与えられなかったもの。

 だが、人類はその長い歴史のなかで、さまざまなかたちでそれらに言葉を与えつづけてきた。それが「宗教」だ。

 そのような言葉が自分の生のなかに立ち現れたとき、世界はそれまでとは別の相貌を見せるようになる。

疎外される神


 それにしても、この世にはたくさんの宗教があり、なぜだかたがいに対立している。

 それぞれが独自の教義を持ち、一貫した思想を発展させ、それを経典や祈祷などの言語として、儀礼や祈りの際の身体動作として、衣装や化粧などの装飾として、食から家族のあり方にまでいたる慣習として、表現している。

 人々はおおくの場合、その「内側」に生を受け、その世界観をあたりまえのものとして内面化し、自分たちの宗教こそ正しく、他は間違っていると考えるようになる。

 宗教の持つ「内に向けた求心力と、外に対する排斥力」という性格ゆえに、世界では宗教にもとづく対立が絶えることがない。

 いったい、なにが起きているというのか?

 いったい、人間はなにをしているというのか?

 そんな風に思っていた私は、先日、ある事に気がついた。

 数年前に私は、自分の国際結婚を題材にした『恋する文化人類学者:結婚を通して異文化を理解する』という文化人類学の入門書を出版した。自分で言うのもなんだが、それなりに好評で、新聞・雑誌の書評、ラジオ番組での紹介など、メディアでもすこし採りあげていただいた。

 それ以外にも、予期せぬことであったが、いくつかの大学の入試問題、予備校の模試問題にも使っていただいた。

 そこで私は、大学側から送られてきた問題に挑戦してみた。

 すると驚いたことに、いくつかの問題が解けないのである。

 そのパターンは、本文の一文に傍線が引かれ、「筆者はなぜそのように述べているのか、もっとも適切なものを選べ」といったもので、選択肢が5つ挙げられている(最近の入試は、五択がおおいようである)。

 私には「ひとつ」が選べない。程度の違いはあるが、それぞれが私の心に適っているような気がするのだ。

 いったい、なにを根拠に、この中からたったひとつを選べというのか。

 問題に欠陥があるのか、あるいは私の頭脳に欠陥があるのか。

 そこで私は、ある重大なことに気がついた。

 設問で問題となっているのは、「私」でも「スズキ」でもなく、「筆者」なのだ。回答の際に参照すべきは、この生きたスズキの心ではなく、限られた文字に表現された情報だけなのだ。そうすることにより、考慮すべき変数が限定され、選択肢の中からもっともその文字情報の内容に近いものを選びだすことができる。

 なにをあたりまえのことを言っているのか、などとバカにしないでいただきたい。

 この本は私の生きた体験を私なりに取捨選択し、意味づけをおこない、整合的につなぎ合わせてつくりあげたものである。であるから、それは私の内側から生まれ、私自身を表現したものであるといえる。

 だがそれは限られた文字で表現されるがゆえに、限られた情報しか伝えることができない。それは私の一部であり、他の表現も可能であったが、たまたまその時のインスピレーションでそのような文章になったに過ぎないのだが、読む人にとってはそれが確定したテキストであり、そこから読みとれる情報が私のすべてとなる。こうして生きた私自身は、自分の書いた文章から疎外されることとなる。

 もしかしたら、宗教とはこのようなものではないのだろうか。

 神は時と場合にあわせて、その場に最適と思われるメッセージを人類に与えてきた。

 それらは言語化され、慣習化され、まとまったテキストとして伝承され、いわゆる宗教となった。

 各宗教共同体では、そのテキストのみを通して神を認識し、世界観をつくりあげる。

 宗教は人の心を根強く支配するので、テキストの違いが教義のみならず、文化の違い、感情の違いとなり、異なる宗教への違和感や憎しみを生む。

 だがじつは、そのすべてが神の心に適っており、神は天上から人間の諍いを見てため息をついておられる。

 こうして人間の認識能力の限界が、心根の狭量さが、「生きた神」を諸宗教から疎外してゆく。

 こんなふうに考えることはできないだろうか。

神の見えざる手

 

 おいおい、ちょっと待ってくれよ。それでは、まるで神が実在するかのような言いぐさではないか。そんな声が聞こえてきそうだ。

 そう、すべての議論に先行して考えるべきことがある。

 はたして、神は実在するのか?

 だがこれは証明不可能であり、そもそも証明されるべき事柄でもない。

 神は人を超越した存在であると措定されているのだから、私たちの通常の認識能力のレベルでその存在も不在も云々することはできない。自然科学の法則やさまざまな論理を駆使しても、神はその彼岸にいるとされるのだから、議論の道具立て自体がすでに不十分である。

 できるのは、ただ、世界中の人々が神をめぐって宗教として発達させてきた体系や文化を、人類の営みの諸相として分析し、理解することだけである。哲学も、論理学も、宗教学も、宗教人類学も、宗教社会学も、神の存在そのものに触れることはできない。

 神を信じるか信じないかというのは、すぐれて個人的な事柄なのである。

 神の存在がデフォルト状態になっている社会において、人は成長過程でその価値観を内面化してゆくであろうから、当然ながら神を信じる個人となる確率は高くなる。

 いっぽう、日本のように神の不在がデフォルト状態である社会では、ほとんどが神を信じない個人となる。だが、その心は完全には唯物的レベルにはとどまらず、神社で賽銭を投げて願をかけ、墓参りをして手を合わせ、ホラー映画を見て恐れおののく。

 この世には目に見えないなにかがあり、近代合理主義にもとづく教育を受けてきても、その「なにか」が入り込む余地が自分の心には残っている。そんな風に感じている人は意外とおおいのではないだろうか。

 私は結婚を機にイスラム教に改宗したが、それはたんに結婚の条件をクリアするための便宜的な行為ではなかった。

 イスラム教においては、結婚に関して次のような制限が設けられている。

 イスラム教の男性は、啓典の民、つまりイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の女性と結婚することができる。

 イスラム教の女性は、唯一、イスラム教の男性とのみ結婚することができる。

 私の妻の一族は先祖代々イスラム教徒なので、結婚の申し込みに際して、まずは私がイスラム教徒になることが必要であった。

 イスラム教とは神を信じる宗教である。それも、「カミさまホトケさま」でもなく、「八百万の神々」でもなく、「唯一絶対の神」、アラビア語の「アッラー」、英語の「ゴッド」である。これほど日本人の神観念から遠いものはない。

 はたしてあの時、私は神を信じていたのだろうか?

 1996年7月末、結婚話を進めるに際してこの問題にぶち当たった私は、確信をもって「神を信じます」と明言することはできていなかったかもしれない。

 だが、1989年から足かけ7年、アビジャンでのフィールドワークとニャマの家族との付きあいを通して、神を信じる人々と共に生きてきた。彼らと共鳴し共感を覚えるうちに、私のなかで確実になにかが変わっていった。そして確信をもってこう言えるようになっていた。

「彼らと共に、生きてゆきたい」

 そのためにイスラム教徒になることが必要なのであれば、喜んで改宗しよう。そう思えるようになっていた。

 葬式と法事の時しか仏教を意識しない無神論者から、唯一絶対神への信仰を生の根本とするイスラム教徒へのハイ・ジャンプ。

 私はそのとき、たしかに神の見えざる手を感じていた。

自由な探求


 ここだけの話だが、私は「生臭イスラム教徒」である。

 べつに神を信じないとか、イスラム教の戒律をないがしろにするとかいうのではない。

 祈りもし、豚肉も食べず、ラマダンではきっちり30日間断食する。

 ただ、探求がやめられないのだ。

 イスラム教は一神教の完成形とされ、先行のユダヤ教、キリスト教より優れ、ましてや唯一神を信じない異邦人などは論外であると考える。

 それはそれでいいとしよう。

 私もイスラム教徒としてその世界観に縛られるものである。

 だが、私は日本人として、長いあいだ別の価値観のなかで育ち、文化人類学を生業としている者である。いきおい、イスラム教の内側で生まれ育った人々とはモノの見方を異にする部分が出てくる。

 私にとって、イスラム教徒として正しく生き、イスラム教をより深く探求する作業は、他の宗教を生きる人々と触れあい、その世界観を理解する作業を妨げるものではない。このふたつは両立すると考えている。

 そう、私は生臭イスラム教徒というより、「リベラル・イスラム教徒」なのだ。

 一体全体、現代の世界において、ひとつの宗教が他を駆逐して全世界を覆いつくすことなど、可能だろうか?

 イスラム原理主義者たちは、聖戦によってイスラムが覇権を獲得すると、本気で信じているのだろうか。

 キリスト教的世界観をバックボーンに持つ欧米の保守主義者たちは、国際政治において自分たちがヘゲモニーを握っているからといって、露骨なパワー外交と武力による脅しによって、イスラム世界を完全に封じ込められると思っているのだろうか。

 仏陀の教えをもとに、各地の文化と混交しながら変幻自在に発達してきた感のある仏教や、多数の個性ある神々を崇拝するヒンズー教の信者の眼には、一神教は頑なで狭量な宗教として映ることだろう。

 いっぽう、一神教の信者の眼には、多神教はバグがおおいように見えるであろうが、多神教信者にとっては、このバグに見える部分こそがその宗教の豊かさにほかならないのだ。

 これほど豊かな信仰が世界に息づいている。

 これほどさまざまな神々が世界中で崇拝されている。

 たがいに潰しあってどうなるというのか。

 きっとこれらは、神から与えられたテキスト。

 それぞれが神の心に適った「なにか」を表現している。

 唯一、神から「知恵」を与えられた人間がそれを探究しないで、どうするというのか。

探求の果てに


 自分がどこに属するかということと、宗教を通して相互理解の道を探究することとは、別のレベルの問題であると思う。

 イスラム教徒なのか、仏教徒なのか、無神論者なのか……それはあなたが、いつ、どこで生まれたか、どんな環境で育ったか、誰と出会ったか、といった、非常に制限された条件に依存している。

 悠久の時間の流れと、世界の、いや宇宙の広さに比べたら、そんなものは単なる偶然にすぎない。自分がなぜその立ち位置にいるかということは、その場が他より優れているからではなく、たまたまそういう巡りあわせであったと、クールに受けとめるべきだ。ただ、それを私のように、「神の見えざる手」によるものだとして悦に入るくらいのことは許されるだろう。

 知恵ある人は、そうした制限条項から自分の精神を飛翔させ、神の道を自由に探究することができるにちがいない。

 そうして、自身の認識の幅を広げ、世界に対するより高度な視座を獲得した暁には、宗教とは神によって書かれた有限のテキストであり、すべては神の心に適った表現である、という私のアイデアが、良い線を行っていたのか、あるいは単なる勘違いだったのか、確かめることができるかもしれない。

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著者

鈴木 裕之

慶應義塾大学出身。国士舘大学教授。文化人類学者。専門はアフリカ音楽。著書に『ストリートの歌―現代アフリカの若者文化』(世界思想社/2000年/渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセイ賞受賞)、『恋する文化人類学者』(世界思想社/2015年)ほか多数。1989年~1994年まで4年間、コートジボワールの大都市アビジャンでフィールドワークを実施。その際にひとりのアフリカ人女性と知り合う。約7年間の恋人期間を経て1996年に現地にて結婚。彼女が有名な歌手になっていたことで結婚式は注目され、現地の複数の新聞・雑誌でとりあげられた。2015年、この結婚の顛末を題材にした文化人類学の入門書『恋する文化人類学者』を出版。朝日新聞、週刊新潮、ダ・ヴィンチなどの書評、TBSラジオ、文化放送などのラジオ番組でとりあげられ、大学入試問題にも採用された。

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