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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第18回

「がんばってください」は必要ない

2018.01.25更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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最初にお断りしておきますが、今回はちょっとばかりネガティブな話になってしまうかもしれません。でも、この連載の「必要ない」というコンセプトからすると、このテーマは避けられないものでもあるのです。

「がんばってください」

よく、挨拶みたいな気軽さで、この言葉を口にする人がいますよね。書きたいのは、そのことについて。

というのも……あえて本音を書きますが、この言葉をかけられると、僕はその相手に対して「ああ、そういう人か……」という、失望感に近いような思いを少なからず抱いてしまうのです。

いいえ、もちろん、そこに悪意がないことはわかっています。それどころか、多くの場合、好意の裏返しなのだろうなとも思います。

でも表現として、どうしても引っかかってしまう。それは、僕の過去の体験が大きく影響しているからなのですが。

僕は小学4年生になったばかりのころ、自転車事故で頭を打ちつけ、生死をさまよったことがあります。20日間も意識不明だったらしいので、ほとんど死んだも同然だったわけです(三途の川は見なかったよ)。

医者が「99%、命の保証はできません」と口にするような状態から、3ヶ月の入院を経て奇跡的に復活できたのですから、実際のところ運がよかったとしか言いようがありませんわな。

わかってはいるのですが、しかしそれでも現実的に、以後は精神的に楽ではありませんでした。後遺症のおかげで歩き方がおかしくなってしまったりもしたんですが(それはいまも続いています)、そんなことより“世間の目”がね。

ぶっちゃけ、そんな派手な事故をする子どもなんてめったにいませんから、いきなり「地域における時の人」になってしまったようなものだったのです。

同級生やその親はもちろんのこと、こっちが知らなくてもあっちが知っているというような状態で、近所の人たちも、みんな「ああ、あの子だ」という目で見るわけですよ。

正直、「自分ではなくて、友だちの誰かが同じことになったら、自分もそういう目で見るだろうし、仕方がないな」と思ってはいました。が、それでもやっぱり10歳の子どもにはキツかったわけで。

僕がもとに戻ったことを、なんとかアピールしたかったのでしょう。退院後、母は僕をいろんなところへ連れて行き、「このとおり、元気になりました」と頭を下げるのでした。

もちろん僕もそれにならいましたし、作り笑顔で対応しました。でも、なんだか見世物になったみたいで、とても嫌な気分でした。

でね、そういうとき、相手はこちらに対して、ほぼ間違いなくこう言うわけですよ。

「がんばってください」って。

言われなくてもがんばりますわ。だって、がんばる以外に道はないんですから。

さて、話は飛んでその7年後。高校2年生の秋のことです。

このくらい時間が経つと、怪我の話題も前ほど出なくなり、ようやく落ち着いてきました。ところがそんな矢先、またしてもトラブル発生。祖母の火の不始末で、数年前に建ったばかりだった家が燃えてしまったのです。

ばーちゃん、出かける前にたばこを吸ったってのはまだ許そう。でも、その吸い殻を紙にくるんでくずかごに捨てたって……そりゃー火事にもなりまんがな。いかにもやらかしてくれた感じです。

そういえば関係ないけど、その直後にはいろんな噂が立ってなかなか笑えました。

「息子さんのたばこが原因らしい」と、なぜか僕のせいにされたりもしましたよ。実は中学3年からたばこを吸っていたので、デマとはいえ微妙な気分だったなぁ。

でも、いちばんウケたのは、「あの家ではお嫁さんがごはんをつくらないから、おばあさんが仕方なく二階の自室で天ぷらを揚げていたら、間違って鍋をひっくり返してしまった」ってやつでした。

その豊かな想像力は、どこから生まれるのだ?

いずれにしても、そんなことがあったもので、我が家はまた近隣の話題の的になってしまったわけです。で、多くの人から、また、あの言葉をかけられることになりました。

「がんばってください」

たしかに、ありがたいとは感じるのです。声をかけてくださったことには、素直に感謝しなければいけないのだろうとも思います。ただ、普通の人が体験しなくて済むような大きな事件を2度も体験した立場からすると、どうしても引っかかってしまうのです。

繰り返しになりますが、「言われなくてもがんばるよ」って。

怪我のときにも火事のときにも、絶対的に逃げ道はありませんでした。起こってしまったことを、もとに戻すことはできないからです。だから、がんばるしかないのです。他に手段はひとつもないのです。

だからこそ、無神経に(すみません、あのときにはそうとしか感じることができませんでした)「がんばってください」と言われ、なんとも複雑な気持ちになってしまったのです。

たしかに、「がんばってください」はとても便利な言葉です。話をまとめたいときなどに重宝しますし、そういう意味では「すいません」と同じくらいカジュアルな挨拶言葉になっているのかもしれません。

しかし、それが相手を深く傷つけることもあるということに、少しでもいいから気づいてくれたらなぁ、という思いは否めないのです。だから僕は、どれだけ大変な目に遭った人が目の前にいたとしても、この言葉だけは使わないように努力しています。

そして代わりに、「お互いにがんばろうね」とか、「がんばろう」とか、そういう言葉をえらんでいます。

誰だって、なにかに対して常にがんばっているものです。それは、「あいつのがんばりのほうが上だ」というように比較できるようなものでは決してなく、がんばっていることに優劣はつけられません。

つまり、相手ががんばっているなら、同じようにこちらもがんばっている。だから、その気持ちを共有しましょうという意味で、「がんばろう」という言葉を選んでいるわけです。

たいして変わらないと思うかもしれませんが、どこか上から目線な感じがする「がんばってください」とは、ニュアンスがだいぶ違うと思いますぜ。

もちろん、異論もあるでしょう。僕だって自分の考え方を書いているだけで、人に同じことを強制しようとは思っていません。ただ、そういうことがあったから、意地でも「がんばってください」とは言いたくないし、聞きたくもないのです。

今回は、ちょっと重たくなっちゃいましたね。失礼しました。でも、大切なことだと思うので、あえて書いてみました。

「この考えに賛同しろ」ということではなく、考えるきっかけにしてもらえればなと思って。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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