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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第31回

ことなかれ主義は必要ない

2018.05.30更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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前回は女性専用車両のことについて考え、その流れで話が「ことなかれ主義」に及びました。

女性専用車両にわざと乗ってトラブルを起こすような男性が現れることには、いろいろな原因があるはず。しかし、いちばん問題なのは、「女性専用」と言いながら「男性でもご乗車できます」と表記してしまうことにあるのではないか?

「専用」とは「そういう人だけが使用すること」なので、つまりは女性だけが使用できるという意味になるはず。なのに男性でも使用できるのだとしたら、そこには矛盾が生じるのではないか?

つまるところ、そんな中途半端なことをする鉄道会社の姿勢にこそ問題があるのではないか、ということです。

当然ながら会社側の思いの根底にあるのは、「余計な波風を立てたくない」ということなのでしょう。

「男性は乗れません」と断言してしまうと、差別だなんだと叫び出す人たちが現れるかもしれない。だから、そうならないように「女性専用だけど、男性も乗れますよ」ということにしておこうという発想。

でも、これはちょっと意味がわかりません。

事実、“厳禁”ではないことが、わざと女性専用車両に乗ってくる人たちを生み出してしまったわけです。波風を立てないようにしようと思ったら、逆に波風が立ってしまったのです。

だから鉄道会社は絶対に、こういう中途半端なことをやめるべきだと個人的には思っているのですが、しかし考えてみると、これはまさに日本人的な「ことなかれ主義」以外のなにものでもありませんね。

「見て見ぬふり」とか「気づかなかったふりをして様子見をする」とか、早い話がそういう考え方であるわけです。そして同じようなことは、女性専用車両の問題だけではなく、この社会のいたるところに確認できます。

たとえば企業。あえてリスクを背負わず、現状を維持したいという理由から、改革をしようという社員をかわす会社は少なくないと思います。

僕自身、「君にはどんどん変革してほしいんだよ」と言われたので入社後に張り切っていろんなことを変えたところ、「なにをがんばってんだよ、現状維持でいいんだよ」と叱られ、なんだかとっても納得できなかった経験があるのでよくわかります。

また、学校でのいじめ問題などもそうですよね。いじめられている子がいるのに「いじめはなかった」と主張する学校がよくマスコミに出ますが、あれなどまさに、「ことなかれ主義」そのもの。

そしてマスコミも。これについては書きはじめたらきりがありませんが、たとえば政権批判が「すべきではないもの」のようになっている部分は少なからずあり、それは「政権に目をつけられたらめんどくさいことになる」という「ことなかれ主義」です。

もちろん政治も同じです。これについては違った考え方を持つ人もいるでしょうが、安倍政権のアメリカ追従姿勢も、僕の目からは「アメリカの機嫌を損なわなければなんとかなるだろう」という「ことなかれ主義」に見えます。

ちなみに、「ことなかれ主義」の話題が出ると「自分は平和主義だから」と主張する人がたまにいますが、これは絶対に的外れだと感じます。なぜって、「ことなかれ主義」と平和主義はイコールではないから。「ことなかれ主義」は「逃げ」ですが、平和主義には責任感が必要とされるものだからです。

だいいち「平和」といいますが、「ことなかれ主義」は平和どころか、ものごとを混乱させてしまう可能性があります。そうすることで、トラブルをより大きくしてしまうことも往々にしてありうるわけです。

「ことなかれ主義」によって物事がよい方向に進むのであれば、それは大いにすべきことでしょう、もしそうなのだとしたら、僕だって「さぁ、みんなで『ことなかれ主義』になろう!」と叫ぶかもしれません。でも実際に叫ばないのは、それでなにかがよい方向に進むはずがないからです。

では、人はなぜ「ことなかれ主義」を選択しようとするのでしょうか? このことについては、「自信のなさ」が大きく影響しているように思います。自分の考え方や、その問題に対する処理能力に自信が持てないからこそ、「なかったこと」にしてしまおうという発想。

しかもそれは多くの場合、無意識のうちに選択されるように思います。

その問題と自分自身との間に距離があればあるほど、気持ちは楽になるでしょう。それだけ「自分には関係ないこと」という気持ちに持って行きやすいということです。

あるいは、「トラブルを起こしたくない」とか、「傷つけられたくない」と感じることもあるかもしれません。それが「自分には関係ない」という「ことなかれ主義」につながっていくわけです。

でもトラブルに関して考えれば、必然的に「ことなかれ主義」にならざるを得ない風潮があるのも事実です。なにしろいまの時代は、なにをするにしても「炎上」しないようにする必要があるからです。

「勝手に炎上させておけばいいじゃん」という考え方もあるでしょうが、炎上の破壊力には無視できないものがあるだけに、それを避けようという気持ちが働くのは、至極当然だということ。

ただし、「だから、『ことなかれ主義』を選ぶ」となると、また話が違ってくるのではないかという気がするんですよね。もちろん、「自分の身を守りたい」という気持ちを持つのはあたり前のことです。

でもそれが「炎上を避けるために波を立てず、『ことなかれ主義』を通そう」という選択につながるのだとしたら、どんどん本質から外れていくような気がするからです。

そういう意味において、最近の出来事でとても印象的だったことがあります。2018年5月22日、日本記者クラブで行われた日本大学アメリカンフットボール部の選手、宮川泰介くんの記者会見。

いまさら説明するまでもなく、監督やコーチの指示を受け、関西学院大学のクオーターバックにタックルして負傷させたことに対する謝罪会見です。

まだ20歳の青年が数百人におよぶ取材陣を前に謝罪すること自体、かなりの勇気が必要だっただろうと思います。逃げに徹する内田監督とは対照的だったこともあり、多くの人が彼の潔さに胸を打たれたわけです。

あのときの彼のことば、態度、その前提となる「姿勢」は、「ことなかれ主義」とは正反対のものだったと思います。もしかしたら、政治的に収束させる手段もあったのかもしれないけれども、彼はそれを選択しなかった。

監督やコーチのせいにするのではなく、自分の非を認め、真摯に問題と向き合った。だからこそ多くの共感を呼んだわけですが、それは図らずも、「見て見ぬふりではなにも解決しない」という本質を浮き立たせたのではないかと思うのです。

20歳のころの僕は、いろんなことを勘違いしていました。そのため、火を見つけたら、わざわざそこに油を注ぎに行くようなところがありました。それは「問題とは向き合わなくてはいけないんだ」という自分なりの(間違った)正義感、つまりは「若気の至り」だったわけですが、それにしたってあまりに幼稚だったと思っています。

しかし宮川くんは、そういう手段を選ばなかった。そして最後まで冷静さを失わなかった。あれは、なかなかできることではありません。そしてあの態度にこそ、「本当に、『ことなかれ主義』でいいのか?」という問題に対する答えがあるのではないかと感じるのです。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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