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よみものどっとこむ

第2回

ケアに必要なのは感情と優しさ~ユマニチュードの哲学の基礎

2016.08.10更新

読了時間

■攻撃的な認知症患者を見たことがない


 私は攻撃的な認知症の人をひとりたりとも見たことがありません。もちろん噛まれたり、ひっかかれたことはあります。けれども、それは私が過ちを犯したからであって、認知症の人が意地悪で攻撃的だからではありません。


 馬にいきなり後ろから近づけば蹴られます。馬が意地悪なのではありません。私のことを肉食動物だと思って、怖がって自分を守ろうとしただけです。後ろから近づかなければいいのです。認知症の人に対しても同じです。ちゃんと正面から挨拶して、「私は危険な人物ではありません」と示してからケアに入ります。ケアをしている人が何者かわからないままならば、高齢者にとっての私は「縛りつけたり、拷問する人だ」と思われてもおかしくありません。


 私たちは虐待について考え続け、ロゼットは1995年にリモージュ大学で施設での虐待、とりわけケアする人が繰り返す暴力についての研究を行いました。論文のタイトルは「ケアをする人の沈黙」です。1年間、研修生に質問を投げかけ、証言を集めた結果、私たちが関わった施設の70パーセントで虐待があるという結果が明らかになりました。


 そうしてデータを踏まえたロゼットの論文は指導教授から賞賛されました。しかしながら論文審査の評価は最低点でした。審査員の中に医療関係者がおり、「施設での虐待などありえない」と頑なに主張したからです。虐待はケアの業界では触れられたくないテーマでありタブーだったのです。


■ケアに必要なのは感情と優しさ~ユマニチュードの哲学の基礎


 私たちはケアに関わる人たちに、「感情と優しさが必要だ」と言い続けてきました。そのたびに「おかしなことを言っている」と受け取られてきました。それもそのはずです。ユマニチュードが登場するまでに、ケアに「感情と優しさが必要だ」とは誰も言わなかったからです。


 むしろケアの世界では、個人的な感情や優しさは介護の邪魔になるという考え方をしていました。なぜなら、よいケアは感情を伴っては行えない。だから自分の感情は仕事の場の外に置いておくべきだと考えられていたからです。


 私はこれまで研修の場で多くの看護師と仕事をしてきました。その経験を通じてはっきり言えるのは、よいケアを行っている人は、感情とともに仕事をしているということです。「自分の感情を仕事場に持ち込んではいけない」とするケアの文化の下では、そのことを隠さざるを得ないのです。


 ところが、ケアの現場を観察して導いた私たちの考えを裏付けするような理論が現れました。脳神経学者のアントニオ・ダマシオは著書『デカルトの誤り』において、このように述べています。


「デカルトは〝人間は精神と肉体でできている〟と定義した。しかし、それは誤りだ。精神と肉体は生物学的にわけられない。精神は体内で生まれ、感情も私の中に宿っている」。


さらに、デカルトが「感情よりも理性だ」と述べたことも批判しています。感情は自分の体であり、私たちの感性から生じるのです。私はこの考えによって力を得て、「感情と優しさ」がケアにとって力であり大切だと堂々と言えるようになりました。ダマシオはさらにこう続けます。「感情とは、ただの心理的なものではなく、体そのものと密接に結びついたものだ」。つまり足や手をはじめとした体が感情を生み出す根源なのです。ですからケアする人に感情を忘れろというのは、外科医に「自分の手に麻酔をかけて手術してください」と言うのと同じことです。


■適切な距離感はない。ただ近づくだけ


 ケアの現場においては「適切な距離感が必要だ」といわれています。これは間違いです。私は「適切な距離感」ではなく、近づくことを提唱しています。なぜなら近づくことしかできないからです。「距離感が大事だ」というとき、私たちは、感情はネガティブなものだという考えに立っています。あなたが感情を持ってケアをすれば、患者である高齢者が病気になって死んだとき、あなたは傷つき、仕事の効率は下がるからです。だから感情を込めて相手に近づくのは危険だというわけです。


 しかし、これは大いなる誤解です。私たちは感情を家に置いて、仕事に出かけることなどできません。感情が体から生まれるので、美しい人を見ると胸が高鳴ります。担当していた患者が死ぬとつらく感じます。それはごく当たり前のことです。もし感情を殺せというなら、見るとつらくなるから目を閉じるしかありません。それでも感情を持つことそのものを人はやめられませんから、私たちはそれを表現しないようにします。担当していた人が亡くなっても「距離感があるから大丈夫」と自分に言い聞かせるのです。そうして感情を出さずに自分の中に閉じ込めていれば、その感情はいずれ爆発します。


■人は愛を必要としている


 正しい距離感をとっているか、を気にする前に考えるべきことは、いずれ亡くなるであろうこの高齢者はいま何を必要としているか? です。彼や彼女が求めているのは優しくされることであり、いたわりであり、つまりは愛です。


 

 高齢者はほとんどの時間をケアのプロに囲まれています。しかしプロは「ケアに愛はいらない。距離感を保ちなさい」と教えられ、その通りに行っています。それは高齢者にとってはひどくつらいことです。愛を必要としているのに与えてもらえないからです。


 どうして私たちは親密になってはいけないと考えているのでしょうか? 日本で、看護師とともに認知症の女性にケアを行いました。彼女は自分で食事が摂れなかったので、鼻から経管栄養のチューブを入れています。口に潰瘍があり薬を塗る必要があったのですが、すべてのケアを拒否し、どの看護師が近づいても殴ったり蹴ったりするために、何もできずにいました。


 ユマニチュードの技術を用いた具体的なケアについては後述します。ただ、ここで紹介したいのは、そのような非常に対応が難しい患者に対し、ユマニチュードの研修を受けた看護師が口のケアに成功した際、「あなたのことが大好きですよ」「また会いに来ますね」と言っていたことです。従来のケアの現場では考えられないことです。


 寝たきりであらゆるケアを拒絶し、絶叫していただけの患者はその日を境にして、看護師に心を開き、会話をするようになり、自分で食事を摂るようになりました。立てないと思われていましたが、ちゃんと立てました。しかも退院する日は自分で髪を整え、お化粧までしたのです。そういう様子を見ていた周囲の看護師は思わず涙ぐみ、拍手をしました。


 これは「あなたのことが大好きよ」と言う権利を与えられた看護師が関わることで起きた変化です。この変化を生んだのは医師でも薬でもありません。毎日のケアをしていた看護師がもたらしました。これがケアの力なのです。


 大切なのは、この看護師が行ったケアはユマニチュードの技術に基づくものであり、つまり、技術を身につければ、誰でも行える再現性があるということです。こうした親密な光景を目にするとショックを受ける人がいます。そして私に尋ねます。


「〝あなたのことが大好き〟といった特別な感情によって個人的な関係を結んでいいのですか?」


 ユマニチュードの方法は相手のプライバシーに踏み入り過ぎていると見えるのです。私はこう答えます。


「医療施設のような公共の場においては、親密さを排除することが正しいとされています。だからこそ病人は愛を得られないまま死に、看護師は徒労感を抱えて辞めていきます」


 個人的で親密な関係がいけないと思うのは単なる習慣に過ぎないのです。そして人が本当に求めているのは、距離感のある関係ではありません。先ほど紹介した高齢者は、従来のやり方では、寝たきりですべてのケアを拒絶する患者でした。それが再び自らの足で立ち、人間として生きはじめ、ケアの時間を看護師と穏やかに過ごすようになりました。看護師の見せる感情に不快感を覚えてなどいません。むしろ「ありがとう」と応えています。


 現場において感情を伴ったケアを行っては馴れ馴れし過ぎる。それでは相手を尊重することにならない。それが常識だと考えられています。本当にそうでしょうか? たとえば、あなたは他人の前で裸になって横たわり、陰部に触れさせることを許すでしょうか? おそらく拒絶するでしょう。けれども患者になると、あなたはそれを受け入れなくてはいけなくなります。ケアを必要とする立場になると、あなたは他人の手に身を委ねるようになるわけです。ただし、そのやり方にはふたつあります。


 ひとつは、「もの」としてあなたを扱います。非人間化への道です。もうひとつのケアはその反対で、あなたを大切な個人として感情を込めて扱います。誰かの手助けが必要な状況に置かれてしまうと、自律できない存在としてみなされ、その人に行われることへの許可をとる必要がないと思われがちです。だから、普段なら本人の許可を得ずにいきなり陰部を触ることは非常識であり暴力的だと考えていても、ケアの場では、それを当然のこととして行います。その一方、優しく患者の手をとることは「やってはいけない」と言われています。


 けれども考えてみてください。ケアの名の下に裸にしたりすることに比べたら、優しい言葉をかける、いたわりをもって触れることは、あなたを大切な個人として友人として扱っている証であり、何より非暴力的なやり方とは言えませんか。


 ケアは親密でないとできません。ユマニチュードはケアを通じて相手に「あなたは私の友人だよ」と語り続けるのです。そして、最も大切なことは「親密さを用いたケアを私は仕事として行っている」と常に認識しておくことです。あくまでプロの職務として、質のいいケアを行い、相手を尊重し、人間として接しているのです。


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著者

イヴ・ジネスト/ ロゼット・マレスコッティ/本田美和子

【イヴ・ジネスト】ジネスト‐マレスコッティ研究所長。トゥールーズ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【ロゼット・マレスコッティ】ジネスト‐マレスコッティ研究所副所長。SASユマニチュード代表。リモージュ大学卒業。体育学の教師で、1979年にフランス国民教育・高等教育・研究省から病院職員教育担当者として派遣され、病院職員の腰痛対策に取り組んだことを契機に、看護・介護の分野に関わることとなった。【本田美和子(ほんだ・みわこ)】国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職。

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