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よみものどっとこむ

第10回

幸せなのにどこか満たされない主婦たちが体験するひと晩のアドベンチャー

2016.11.22更新

読了時間

【この連載は…】脚本家、映画監督、スクリプトドクター(脚本のお医者さん)、心理カウンセラー等、多方面で活躍する著者初の映画コラム! 日本における数ある〈劇場未公開映画〉のなかから「これ、なんで劇場公開しなかったんですか?」と思ってしまうほど見応えのある良作を取り上げ紹介。お店ですぐにレンタルできる作品を、洋画中心にセレクトしていきます。


 今回ご紹介する作品は『大人の女子会・ナイトアウト』というアメリカ映画です。


 タイトルとパッケージデザイン(着飾った三人の中年女性が闊歩する姿)を目にすると、『セックス・アンド・ザ・シティ』のような「男性客お断り」的なセクシーコメディといった印象を抱くひとが多いかも知れませんが、まったくそんな映画ではありません。

 たしかにコメディはコメディなのですが、子供から大人まで楽しめる(忙しい専業主婦の方ならなお楽しめる)抜群に良くできたアドベンチャーコメディです。

 一部では「女性版ハングオーバー」とか「主婦版ブライズメイズ」と紹介されることが多いようですが、両作よりもはるかに穏やかなテイストなので、「主婦版ベビーシッター・アドベンチャー」といった方が表現としては適当かもしれません。

 では、早速ですが、あらすじをご紹介します。


 舞台はアラバマ州の州都モンゴメリー。

 主人公アリソンは、愛する夫ショーンと可愛い三人の子供たちに囲まれて暮らす専業主婦です。

 家庭は愛に溢れ、幸せいっぱいのアリソン。とはいえ子供たちは三人ともまだ幼く、とても手が掛かります。にも関わらず頼りの夫・ショーンは出張が多く家を留守にしがちです。

 日々家事と育児に追われるアリソンには休む暇もありません。そんな彼女にとって唯一の息抜きは「ブログを書く」こと。

 しかし、新しい体験を積む時間が持てないアリソンは、次第に書くことがなくなっていくのを感じています。

 そのせいか最近の記事は日常への不満や愚痴ばかり……。

 ストレス解消のために始めたブログの更新が、むしろストレスになってしまうというのは実に皮肉な話です。

 そんな自分に自己嫌悪を抱いてしまうアリソン。良き妻、良き母であろうと笑顔を絶やさず、明るく振る舞いながら懸命に暮らしています。


 とはいえ、やはり無理をしている分、彼女はひと知れず限界に近づいていきます。

 例えば、かつてのアリソンは大の読書好きでしたが、子育てに追われ、もう何年も本を読む暇すらありません。

 近所の読書会に参加し、参加者の話を聴くことで「自分も本を読んだような気分」を味わうくらいしか楽しみがないのです。

 読書会を主催しているのは、アリソンの一回り以上年上の友人・ソンドラ。

 牧師の妻でもあるソンドラは常に笑顔を絶やさず夫を支え、教会の仕事をこなしています。忙しい子育ての時期も無事に乗り越え、今やひとり娘は立派なティーンエイジャーになりました。ソンドラは、まさに完璧な良妻賢母といった感じです。

 共に読書会に参加しているのはアリソンの小学校時代の同級生・イジーです。幼い頃からイジーは明るく社交的で、今も昔も奥手のアリソンにとっては憧れの存在です。

 しかも、イジーはアリソンの子供も預けている児童保育所の職員で、自身の子供だけでなく、二十人を超える子供たちを相手に懸命に働いています。


 そんなふたりの頑張りに敬意を表しつつ、どこかでコンプレックスを抱いてもいるアリソン。どんなに彼女たちの真似をしようとしても、年の近い幼子を三人も抱えた生活に手一杯で余裕などないのです。


 もっとちゃんとやらなきゃ。

 家のことも、子供のことも、夫の仕事のサポートも、もっともっとちゃんとやらなきゃ、もっともっともっと……。

 根っから真面目なアリソンは益々自分を追い込んでいきます。


 ある夜、出張を終えたショーンが帰宅すると、家の中は真っ暗で灯りひとつ点いていません。しかも、玄関から廊下、キッチンから居間に至るまで物が散乱しています。

 まるで泥棒にでも入られたかのようです。

 やがて、ショーンはクローゼットの片隅で、独りノートパソコンの明かりをぼーっと見つめているアリソンを発見します。

 訊けば、ソンドラに紹介された「ワシの親鳥が雛を育てるライブ動画」を見始めたら、どういう訳か目が離せなくなったとのこと。

 様子のおかしいアリソンにショーンは小さな花束を手渡します。母の日のプレゼントに、と買ってきたのです。笑顔で礼を言いつつも、アリソンは奇妙なことを口にします。

 「母の日なんて二度と来なければいい」

 「?」

 「私、立派な母親になんかなれない。なにやってもダメ。なのにおめでとうなんて言わないで……」

 「そんなことない。立派な母親だよ」

 そう優しく言うショーンでしたが、アリソンにとっては何の救いにもなりません。彼女自身が自分を許せなかったからです。

 アリソンは明らかに限界を超えていました。早急に息抜きが必要です。


 ある日、アリソンはイジーとソンドラと共に「ある計画」を立てます。

 夫も子供も抜きで、大人の会話と豪華なディナーを楽しむ「夜遊び」をしようというのです。


 アリソンの申し出にショーンは快諾。三人の子供の面倒を見ながらの留守番を引き受けてくれることになりました。

 ようやく手にした自由な時間。何としても楽しまなければ! アリソンの胸は弾みます。


 夜遊び計画の当日、目いっぱいお洒落をし、喜び勇んで出かけたアリソンたちでしたが、思わぬトラブルに見舞われます。

 事前にきちんと予約を取ったにも関わらず、高級レストランを追い出されてしまったのです。これではせっかくの夜遊び計画が台無しです。

 さらには留守番を頼んだショーンたちにも次々とトラブルが発生。

 挙げ句の果てに、ショーンの妹であるブリジットの子供(赤ん坊)が行方不明になり、大騒動に発展。アリソンたちは夜遊びを返上し、必死に赤ん坊の捜索を開始します。

 たったひと晩、自由な時間を過ごしたかっただけなのに……。

 果たしてアリソンたちは、赤ん坊を無事救出し、素敵な夜を過ごすことができるのでしょうか?


 この映画、とにかく展開がスピーディで飽きさせません。

 細かく張られた伏線が、思いがけないタイミングと意外な方法で回収され、そのことがまた新たな伏線を生み……まるで「わらしべ長者」のように次から次へと転がるように展開していきます。

 さきほど『ベビーシッター・アドベンチャー』のタイトルを挙げましたが、他にもマーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』や、日本の矢口史靖監督、サブ監督の初期作品等がお好きな方ならきっと楽しめるはずです。


 さらに、この映画の魅力はそういった「展開の早さ」だけではありません。ストーリーとは別の部分で、いくつもの魅力がちりばめられています。

 まずなんと言っても特徴的なのは、育児ノイローゼ気味のママさんブロガーである主人公・アリソンのキャラクター描写でしょう。

 その点で一役買っているのがモノローグです。


 モノローグは登場人物の「心の声」を表現する作劇手法です。

 ナレーションと混同されることが多いですが、両者は根本的に質が違います。

 例えば、何らかの物語で、主人公が笑っている場面があったとします。

 そこに主人公の声が被さり、「あの時の私は、本当は悲しかったのです」となったら、それはナレーションです。

 あるいは誰か別のひとの声で「その時、主人公は、本当は悲しかったのです」となった場合、これもやはりナレーションです。

 ちなみに、こういった「画面に映っているひととは別のひとの声」で語られるナレーションのことを「神の声」と呼びます。

 典型的な「神の声」のナレーションは、朝ドラや大河ドラマ等でよく耳にする手法です。


 一方で、主人公が笑っている場面に、主人公の声で「本当は泣きたいけど、笑うしかないじゃない……」というような台詞が被さった場合は、ナレーションではなく、モノローグになります。

 簡単に言うと、ナレーションは(話者が誰であるかに関わらず)映像に映し出された場面よりも未来の時制から語られるものを指し、モノローグは本人の声で現在進行形の内心を語るものを指します。


 「その時のぼくは『これ劇』の原稿を締め切り間際になって必死に書いていたのだ」とか「三宅は『これ劇』の原稿を必死に書いていたのであった」というのはナレーション。

 「ああもう! 締め切り間際なのにまだ書き上がらないよ。早く書かなきゃ……」だとモノローグ。

 両者の違い、お分かりいただけましたでしょうか?


 さて、冗談はさておき。

 本作でのモノローグは、アリソンがブログに書き込む文言を主体に、彼女の「内心の想い」を表現するものとして使われます。

 そのことが作劇上とても大きな効果を生んでいます。

 端的に言うと、女性エッセイのような表現を可能にしているのです。

 具体的な場面を観てみましょう。

 この映画の冒頭部はこんな感じで始まります(いつものように日本語吹き替え版からシナリオを再録してみます)。




○ 黒味の画面に


 主人公・アリソンのモノローグが被さる。


 アリソンのM「……さて、ブログの時間。(自らに言い聞かせるように)私は、ママブロガー。私は、ママブロガー……。今日も世界中のママたちに知恵を発信しよう。よぉし、行くぞぉ」


 画面は一転し、


○ アリソンの家・内(深夜)


 暗がりの中、ベッドに寝そべり、パソコンでブログをチェックしているアリソン。やがてキーボードを打ち始める。


 アリソンのM「読者3人か……。昨日は4人だったのに。(自嘲気味に)これって最高。でもダメ、読者が待ってる。朝の5時。みんなの子どもたちはどこ? ウチのはベッド。私も寝てたい。だって今日は「母の日」だもん。だけど起きなきゃ。なんでか分かる?」


○ 同・居間(早朝)


 時間経過。まだ日も昇らない早朝。必死に掃除をするアリソンの姿。


 アリソンのM「私は掃除マニア。どこもかしこも綺麗じゃないとおかしくなる。いっそのこと拘束衣を付けられて監禁されたい。土足厳禁の綺麗な部屋にね」


 家の中は子だくさんの家庭特有の汚れ方。

 おもちゃが散乱し、壁には悪戯書きの痕があり、床には食べこぼしや飲みこぼしが散見される。

 鬼の形相で掃除に邁進するアリソンの姿、その点描。

 テーブルの雑巾がけ、床掃除、窓ふき……等々。


 アリソンのM「家が汚くなるのを感じ取ることができる。カーペットに神経が張り巡らされてるのかも。そのせいで悪いことが起きる」


 アリソン、食器棚を開ける。

 扉の内側に張られた「KEEP CALM MOMMY ON(冷静にママを続けろ)」の文字。


○ 同・寝室(朝)


 時間経過。

 ベッド上でパソコンに向かい、ブログを書き続けるアリソン。


 アリソンのM「まずは注意散漫になる。注意散漫……」


 アリソン、ふと何かを思い立ち、顔を上げる。


 アリソンのM「あれ? そういえば、ほらこれこれこれ!」

 ×    ×    × 

 ふいにカットインされる洗剤ボトルのイメージ。


 アリソンのM「置きっぱなしの洗剤を子どもが飲んだら中毒事故管理局に連絡しなきゃって考えてる!」

 ×    ×    × 

 ベッド上のアリソン。


 アリソンのM「何度も連絡したから今度こそ子どもたちを連れてかれちゃう!」


 不安に襲われていくアリソン。その表情。


○ 同・玄関先(アリソンの妄想/朝)


 FBI風のダークスーツ姿の男がふたり、玄関ドアを開け入ってくる。


 男 「もう何回目ですか? 子どもたちを連れて行きます」


○ 同・寝室(妄想明け/朝)


 ハッと我に返り、キーボードを打ち続けるアリソン。


 アリソンのM「全部分かってる。私ってやっぱりヘン? 注意散漫の後、ストレスを感じ、そして爆発する」


 〜中略〜


 アリソンのM「私って主婦版のハルクみたい。主人公はハルクになりたくないけど、変身しちゃう。私もそんな気分。子どもは大好きだし、夫も愛してる。そうそう! それにイケてるミニバンもある! 最高の人生を生きてるはずなのに。なんで、こんな気分なんだろう……」



 アリソンのモノローグは、そのままブログの文言として書き込まれていきます。

 心の声を吐き出すようにキーボードを打ち続け、それらの言霊が音声となり、観客の耳にも届くというのが作劇上の仕掛けです。

 この仕掛けがあるおかげで、本作は過度に深刻にならずに済んでいます。その結果、コメディとしての「ほど良い非現実感」をも作り出すことに成功しています。

 そもそもアリソンが置かれている状況や心境は、描き方によっては相当深刻なイメージにもなりかねません。リアリティを重視するタイプの作品なら良いですが、『大人の女子会・ナイトアウト』の世界観には合いません。


 ちなみに、脚本学校などではナレーション、モノローグ、回想シーンの三つを禁止するところがあります。

 主人公が何を考えているのか、どういった状況下にいるのか、過去に何がおきたのかなどが簡単に説明できてしまうため、安易な手法だとされているからです。

 たしかにこの定義は間違っていません。

 新人や脚本家志望者、つまりまだ脚本を書き慣れていないひとは、なるべく前述の3つの手法を使わずに物語を進める技術を身につける必要があります。


 一方で、必ずしも全面的に否定されるべき手法とは言えない部分もあります。

 特にモノローグは「女性的な感性で物語を展開させようとする」場合、的確に使うことさえできれば、大きな効果が得られます。

 とりわけ本音と建て前の違いや、顔で笑って心で泣いて、というような二重心理を描く際には、かなり効果的です。

 女性が主人公のアメリカ製のドラマでは頻繁にモノローグが登場しますし、日本でも記憶に新しいところでは、沢尻エリカさんが主演したコメディドラマ『ファーストクラス』で印象的なモノローグの使われ方をしていました。


 他にもこの映画には魅力的な特徴があります。

 登場人物の、特に夫婦関係の描き方がとにかく丁寧で、リアルなのです。

 例えば前半部に登場する、ある場面。

 めずらしく仕事が休みで家にいるショーン。子供たちもおとなしく穏やかな時間が流れています。

 そんなとき、アリソンがふと呟きます。


 アリソン「私が夢見てたのは、これ」

 ショーン「?」

 アリソン「(遠い目になり)……ママになりたかった。ステキな人と出会って、結婚できたし(と微笑う)」

 ショーン「(微笑み返し)……」

 アリソン「可愛い子供を産んで育ててる。全部叶った。なのに……なんでかなぁ? 夢にまで見た生活を送ってるはずなのに、」

 ショーン「?」

 アリソン「幸せじゃない」

 ショーン「(予想はしていたが)……」

 アリソン「どうしちゃったんだろう」

 ショーン「(ため息)分からない」

 アリソン「私、酷いよね」

 ショーン「いや、そんなことはないさ」

 アリソン「疲れちゃった」

 ショーン「……」

 アリソン「ごめん」

 ショーン「謝らなくていい。ごめんとか言うな」

 アリソン「……」

 ショーン「(悪気もなく)アリソン、自分の時間を持たなくちゃダメだよ」

 アリソン「(その発言に、フッと違和感がよぎる)……」

 ショーン「好きなことしたりさ、それができるのは自分しかいないんだからさ、」

 アリソン「(苛立ち)ショーン、」

 ショーン「(聴いていない)まぁ、そういうことって後まわしにしがちだけど、」

 アリソン「(語気を荒げ)ショーン、私」

 ショーン「(驚き)え、なに?」

 アリソン「(ため息をつき)私、お説教なんか聞きたくない」

 ショーン「なんでこれがお説教なんだよ? キミと会話してるだけだろ?」

 アリソン「そんなこと言われても今は何もできないし、」

 ショーン「それに、君の話もちゃんと聴いてる」

 アリソン「(うんざりと)分かってる分かってる聴いてくれてる!」


 ふたりの様子から、こういったやりとりはこれまでにも何度か繰り返されてきたことが分かります。

 アリソンからすれば、ただ黙って想いを聴いて欲しいだけなのに、ショーンはその想いを図ることができず、さらに悪気もなく「問題を解説し、論理的な解決策を提示して」しまう。

 国籍や人種に関係なく、このように女性の気持ちが分からない男性は存在します。

 もちろん、だからといってショーンは決して悪い男ではないのです。

 実際、ショーンの「共感力に欠けた〈男の子的で〉無邪気な感性」が中盤以降の物語を大きく動かしていきます。

 いずれにせよ、こういった場面で描かれるアリソンの「女性ならではの」そして、「専業主婦ならではの悩みや苦しみ」は、同じような環境にいる女性の多くが共感できるものなのではないでしょうか。


 この複雑かつ繊細な脚本を書いたのは、アンドレア・ナスフェルというアメリカ人の女性脚本家です。

 主にコメディやヒューマンドラマを得意とする彼女は、1999年、牧場に暮らす家族を描いた小品『Flying Changes』でデビューし、その後もコンスタントに作品を発表してきました。

 2016年現在までに、本国での劇場公開作品が7本、テレビムービーとオリジナルビデオ作品がそれぞれ1本ずつ、と計9本の長編で脚本を担当しています。

 本国ではそれなりに評価され、脚本家としての地位も確立しているナスフェルですが、ほぼすべての作品が日本では劇場未公開はおろか、ソフトリリースもされていません。

 今回の『大人の女子会・ナイトアウト』が本邦初上陸ということになります。


 ナスフェル脚本の大きな特徴は、前述のような女性ならではの心情表現はもちろん、登場人物の心理が細やかに、かつ明確に変化する瞬間を「台詞を交えて捉える」うまさにあります。

 例えば、夜遊び計画を実行したものの、高級レストランを追い出されてしまったアリソンたちが、なりゆきでボウリング場に行くことになるのですが、そこでゲームの合間にソンドラと交わされる会話は絶妙です。



○ ボウリング場・内(夜)


 見事ストライクを獲ったソンドラが座席に戻ってくる。

 入れ替わりにレーンに向かうイジー。

 アリソンと対峙するソンドラ。


 ソンドラ「良い思いつきだったわね、結構楽しい」

 アリソン「……ねえ、レストランであんな態度を見せてしまってごめんなさい」

 ソンドラ「?」

 アリソン「あのときは大爆発しちゃって……なんだか最近どんどん自分を抑えられなくなってきてる」

 ソンドラ「平気よ。爆発することは誰にだってある」

 アリソン「爆発は今週5回目なの」

 ソンドラ「みんなだって同じ」

 アリソン「ホントに?」

 ソンドラ「ええ」

 アリソン「でも、あなたが爆発するとこなんて想像できない」

 ソンドラ「(フッと表情が曇り)……ブログは順調なの?」

 アリソン「ああ、ブログね まぁまぁ……そうね、」

 ソンドラ「?」

 アリソン「(言いづらそうに)あんまり、順調じゃない」

 ソンドラ「どうして?」

 アリソン「なんか……価値ある事が書けなくて」

 ソンドラ「そんな……」

 アリソン「パソコンに向かうんだけど、気づくとワシの動画を見てるの。あの動画のことを私に言ったせい(と微笑う)」

 ソンドラ「(微笑み返し)夫もバカにしてくる」

 アリソン「見始めると目が離せなくなるの」

 ソンドラ「そうでしょ!」

 アリソン「中毒性があるみたい。なんでだろうソンドラ。ただ、あのワシ、子どもに……尽くしてる。なんていうか、平和に満ちてて、幸せそうで……(不安げに)あなたは?」


 今のアリソンはすっかり自信を失っている。そのことが手に取るように分かるソンドラ。落ち着いた口調で話し始める。


 ソンドラ「いい? アリソン。良い場所に車を駐車したって幸せになれない」

 アリソン「(小さく笑い)……」

 ソンドラ「それに、神さまは私たちの問題を消してはくれないわ」

 アリソン「(聴いている)……」

 ソンドラ「自分で意味や目的や歓びを探すことこそが人生よ。忙しい毎日の中でね。忘れちゃダメよ。神さまは良いときも悪いときもそばにいてくださる。私は信仰に支えられてる。でもいつも幸せかって? そんなのおとぎ話」

 アリソン「(勇気づけられ)……」


 イジーがボールを投げ終えたようだ。


 アリソン「……順番」

 ソンドラ「ええ」


 レーンに向かうアリソン。その背中に、


 ソンドラ「……アリソン」

 アリソン「なに?」

 ソンドラ「今日は誘ってくれてありがとう」

 アリソン「?」

 ソンドラ「実は……教会に来るひとがこういう遊びに誘ってくれたのは、5年ぶりのことなの」

 アリソン「(微笑って)当然よ」


 そんなやりとりが交わされていたことを知らずにイジーが来る。


 イジー「さぁ、投げて」

 アリソン「私ね、投げちゃうよ!」


 アリソンと入れ替わるように席に着き、ソンドラと対峙するイジー。


 イジー「(深刻な面持ちになり)聞かせて欲しいの、アドバイス」

 ソンドラ「(パッと笑顔になり)もちろん」

 イジー「友だちの話なんだけど、旦那さんが頼りなくて子育てに奮闘してるらしいの。でも彼女相手に強く言えなくて……」




 これはとても繊細で良いシーンです。

 日ごろから完璧な良妻賢母に見えるソンドラは、誰からも頼られていて、まるでカウンセラーのようにすぐに相談に乗ってくれます。

 しかし、そんなソンドラにも当然悩みはあり、ひと知れず孤独を感じたり、無力感に苛まれることだってあるはずです。

 アリソンはソンドラの言葉に勇気づけられましたが、「夜遊び計画」に誘ってもらったことで、実はソンドラも救われていた。短いやりとりの中で、アリソンとソンドラの距離が近づく様を、ナスフェルは少ない台詞と的確なやりとりで品良くサラリと描いて見せます。


 この「ふたりの近づき方」が「劇的すぎない」ところに、彼女のセンスの良さを感じます。

 おかしな言い方かも知れませんが、先のシーンは、ふたりの距離が7センチに縮まるのではなく、7センチ分だけ縮まった。そんなシーンです。

 人物同士の距離感が7センチに縮まる場面というのは、分かりやすく派手なので見栄えがするものですが、案外簡単に描けるものです。

 むしろこういった「7センチ分だけ縮まる場面」の方が表現も繊細になりますし、観るひとによっては読み解きづらい感情の変化にもなりかねません。


 さらにナスフェルは「距離が縮まったところ」でシーンを終わらせず、アリソンに対して正直に想いを話すことで「他人にはあまり見せてこなかった弱さ」を開示したソンドラが、そのことで自分らしさを取り戻す様を、さらにそんなやりとりが交わされたとは知らないイジーが相談してきたときには、再び「いつも通りの頼りがいのあるソンドラ」に戻ってアドバイスを心がけてゆく姿を見せてシーンを終えています。


 この映画は本来、「アドベンチャーコメディ」です。

 大枠としての企画の趣旨を尊重し、スピーディーでドタバタした展開を構築しながらも、登場人物の繊細な想いや細やかな感情の変化を見逃すことなく描いていく。

 手練れのナスフェルによる絶妙なバランス感覚が光っています。


 ところで先のシーン。

 ソンドラの台詞のなかに「神」や「信仰」という表現が出てきたことに少し戸惑われた方がいるかも知れません。

 実はこれらの表現は、本作のもうひとつの特徴でもあります。


 物語の舞台になっているアラバマ州はキリスト教徒の多い、いわゆる「バイブル・ベルト」と呼ばれる地域の中央部に属しています。

 バイブル・ベルトはアメリカの中西部から南東部にかけた複数の州にまたがる地域のことを差すのですが、プロテスタント、キリスト教根本主義、南部バプテスト連盟、福音派などが熱心に信仰されており、いわば地域文化のひとつとなっています。

 特にアラバマ州の場合、州民の約58%が定期的に教会に通っており、米国内でも最大級に信仰の厚い州だと言われてきました。

 そういった背景もあり、本作『大人の女子会・ナイトアウト』にもキリスト教にまつわる台詞が頻繁に登場します。


 もしかしたら、多少身構えてしまう方がいるかもしれませんが、ご安心ください。

 特別な知識がないと観ていて分からなくなるような作りにはなっていませんし、物語を展開させる上で「過度に宗教的なエピソード」も出てきません。

 これはわざわざエピソードとして描くまでもないほど州民の心得の基本である、という解釈がアメリカ国民の間で共有されているためかもしれませんし、国内外の幅広い市場を意識して制作されるハリウッド映画ならではの「ゆとり」なのかも知れません。


 最後に、もうひとつ。

 本作をご覧になる際は「日本語吹き替え版」での鑑賞をお薦めします。

 前述したようにモノローグが頻繁に出てきますし、そもそも台詞が多いからというのもありますが、理由はそれだけではありません。

 主人公アリソンとその夫ショーンの声をアテているのが、日高のり子さんと三ツ矢雄二さんなのです。


 アラフォー世代以上の方はピンと来たかも知れませんね。

 このお二人は80年代に大ヒットしたあだち充さん原作のアニメ『タッチ』で、主人公の浅倉南と上杉達也を演じた声優さんです。

 もしも南ちゃんと達っちゃんが結婚して子宝に恵まれたら、案外こんな夫婦になっていたりして……という愉しみ方もできてしまう、日本語吹き替え版の制作スタッフによる粋な遊び心が感じられます。

 実際、お二人の「声の芝居合戦」はかなりノリノリで聴いているだけで楽しくなります。


 『大人の女子会・ナイトアウト』は上映時間も90分台と短く、気軽に楽しんで観ることができる良質な娯楽映画です。

 どなたにも推薦できますが、とりわけ日ごろ忙しく過ごされている専業主婦の方にはお薦めです。

 タイトルやパッケージが醸し出すイメージで「私とは関係のない映画かも……」と思われるかもしれませんが、むしろ「あなたのための映画」かもしれません。

 お時間おありの際に、是非レンタルビデオ店で手に取ってみてください。


 では、次回またお会いしましょう。



■『大人の女子会・ナイトアウト』

■原題 MOMS’ NIGHT OUT

■製作年 2014年

■製作国 アメリカ

■上映時間 99分

■監督 アンドリュー・アーウィン

ジョン・アーウィン

■製作総指揮 パトリシア・ヒートン

マイケル・スコット

■脚本 ジョン・アーウィン

アンドレア・ガイアートソン・ナスフェル

■撮影 クリストファー・S・キムリン

■編集 ジョナサン・オリーブ

ジョナサン・オリーブ

■キャスト サラ・ドリュー

ショーン・アスティン

マーティン・フリーマン

パトリシア・ヒートン

トレイス・アドキンス

デヴィッド・ハント

アンドレア・ローガン・ホワイト

アビー・コッブ

アハリー・シャム・Jr ほか


『大人の女子会・ナイトアウト』のDVDを見る!



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著者

三宅 隆太

1972年生まれ。若松プロダクション助監督を経て、フリーの撮影・照明スタッフとなり、映画、テレビドラマ等の現場に多数参加。 その後、ミュージックビデオの監督を経由し、脚本家・監督に。 日本では数少ないスクリプトドクター(脚本のお医者さん)として、ハリウッド作品を含む国内外の映画やテレビドラマの脚本開発やリライトにも多く参加している。 主な作品は、映画『劇場霊』『クロユリ団地』『七つまでは神のうち』など。テレビドラマ『劇場霊からの招待状』『クロユリ団地~序章』『世にも奇妙な物語』『時々迷々』『古代少女ドグちゃん』『女子大生会計士の事件簿』『恋する日曜日』ほか多数。著書に『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(ともに新書館)などがある。

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