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よみものどっとこむ

第9回

イラク戦争を背景に、アメリカ人女性従軍レポーターの成長を描く「コメディ」?

2016.11.08更新

読了時間

【この連載は…】脚本家、映画監督、スクリプトドクター(脚本のお医者さん)、心理カウンセラー等、多方面で活躍する著者初の映画コラム! 日本における数ある〈劇場未公開映画〉のなかから「これ、なんで劇場公開しなかったんですか?」と思ってしまうほど見応えのある良作を取り上げ紹介。お店ですぐにレンタルできる作品を、洋画中心にセレクトしていきます。


 「日本ではアメリカのコメディ映画は当たらない」というのは、昔からよく取り上げられる話題です。

 原因はコメディというジャンルが、ホラーやアクション、ラブストーリーなどに比べて言語や文化の違いなどが如実に表れてしまうためだと言われています。

 つまり、笑いのツボが伝わりづらい。


 実際、本国では大ヒットしたにも関わらず、日本では興行的に惨敗した作品は多々あります。その結果、アメリカ製のコメディ映画の多くは劇場未公開になり、ソフト化という形で紹介されることになりました。

 もちろん観られるだけマシだとも思います。問題はそれらの作品のほとんどが、ひと知れずビデオ屋の棚に埋もれてしまう傾向にあることです。


 この流れは今に始まったことではありません。

 1980年代後半から90年代にかけて起こったビデオバブル時代のレンタルショップには、日の目を見られなかったアメリカ製のコメディ映画が山のように存在していました。


 ダニー・デヴィートが監督・主演した『鬼ママを殺せ』やバート・ランカスターとカーク・ダグラスがダブル主演した『タフガイ』などは、全米1位になりながらもビデオスルーという形でのみ日本に紹介された作品として有名です。

 ほかにも本国ではスマッシュヒットを記録したカール・ライナー監督の『サマースクール』やウーピー・ゴールドバーグが主演した『バーグラー/危機一髪』、ジョン・キャンディが主演した『迷探偵ハリーにまかせろ?!』等々……不遇な扱いを受けた作品は数え上げたらキリがありません。

 しかし、同時にそれは「コメディ映画の棚には、実はびっくりするほどの良作や、見所のある未公開作品が多く眠っている」ということでもあります。


 今回取り上げる『アメリカン・レポーター』もそんな1本です。

 2015年3月7日に全米で公開された本作は、初週の興行収入で第4位を記録し(ちなみに1位は同日公開の『ズートピア』でした)、その後も3週にわたって興収ベストテン入りしました。最終的に大ヒットとまではいきませんでしたが、いわゆるスマッシュヒットを記録した作品です。

 ヒットしただけでなく内容的にも良質な作品なので、この機に是非紹介させてください。

 まずはあらすじです。


 物語は2003年、ワシントンのテレビ局で幕を開けます。

 主人公のキム・ベイカーは報道局に所属する42歳の女性プロデューサー。

 端から見れば成功者のキムですが、実際にはプロデューサーとは名ばかりで、日々ニュース番組の原稿書きに終始しています。


 仕事が終わればスポーツジムへと出向き、ひとり寂しくエアロバイクを漕ぐのがキムの日課です。満たされない日々に苛立ちを覚えつつも、彼女は人生を変えるための選択も行動も起こせずにいます。

 もちろん誰のせいでもありません。キム自身が「人生を変えられるとは信じていない」からです。


 そんな矢先、思わぬ出来事が起こります。

 ときの大統領ジョージ・ブッシュの指揮の下、イラク戦争が勃発。メディア各社はアフガンからの現地レポートが必要になり、キムが務めるテレビ局からもレポーターを派遣することになったのです。

 子供がおらず当面結婚の予定もないキムは、迷った末に選択し、行動を起こします。

 戦場レポーターになるべくアフガニスタン行きを決意したのです。

 しかし、それはキムにとって長く険しい茨の道の始まりでした……。


 主人公キムを演じるのはコメディエンヌとして日本でも人気の高いティナ・フェイです。

 90年代後半、伝説のお笑い番組『サタデーナイト・ライブ』で出演者兼脚本家としてキャリアをスタートさせた彼女は、2000年代に入ると、保護者指導教員として知られるロザリンド・ワイズマンが執筆した「いじめ本」の名著『女の子って、どうして傷つけあうの? ―娘を守るために親ができること』に感銘を受け、直接ワイズマンと交渉。

 映画化権を取得したのち自ら脚本を執筆、リンジー・ローハン主演で映画化にこぎつけ、2004年に大ヒットさせました(映画化タイトルは『ミーン・ガールズ』)。その後も演者だけでなく、作り手としても積極的に映像制作に携わり続けています。

 今作でも脚本こそ執筆してはいませんが、プロデューサーとして企画の立ち上げから全行程に参加しています(つまり、事実上脚本開発のプロセスにもすべて立ち会っている、ということです)。


 実際に脚本を担当したのはロバート・カーロック。

 彼は、ティナ・フェイが『サタデーナイト・ライブ』時代の経験を元に企画を立て、脚本を執筆し、制作総指揮を兼ね、尚かつ主演もした人気テレビドラマ『30ROCK/サーティ・ロック』シリーズで共に制作総指揮を担当した人物です。

 その後制作されたNetflixのオリジナルドラマ『アンブレイカブル・キミー・シュミット』でも、フェイと共に企画の立案と制作総指揮を兼任しています。言ってみればティナ・フェイの右腕にあたる存在といった感じでしょうか。


 そして、監督はグレン・フィカーラとジョン・レクアの二人体制。

 彼らは脚本家としてのデビュー作『キャッツ&ドッグス』以降、監督作の場合も常にコンビで活躍しており、基本的にはコメディを得意とする作り手です。


 ちなみに本作『アメリカン・レポーター』には原作が存在します。

 2011年に刊行された「The Taliban Shuffle: Strange Days in Afghanistan and Pakistan」というエッセイで、アフガニスタン紛争時に現地をルポした国際ジャーナリストのキム・ベイカーが記した回想録です(ティナ・フェイが演じているキムは実在の人物なのです)。

 同書は未訳のため、ぼくは読んでいませんが、戦場報道の舞台裏をコミカルに描いた内容で、とりたてて深刻な読み物ではないそうです。


 こういった座組からしても『アメリカン・レポーター』は「いかにもコメディ映画」という印象を受けます。実際、日本版のDVDパッケージにも「コメディ」という文字がはっきりと記されています。

 ところが、いざ観てみると「コメディ」というよりは、むしろ「ユーモラスな人間ドラマ」といった印象を持ちました。普遍的な人間の心情に重きが置かれているため、日本の観客でも充分に楽しめる作品に仕上がっています。


 さて、カブールの地に降り立ったキムは、現地の男性コーディネーター・ファヒムに導かれ、先発していた従軍ジャーナリストらと合流します。

 遙かに年下の美人女性ジャーナリスト・ターニャは、キムとは正反対の積極的な性格の持ち主です。かの地で美貌をもてあましている彼女は男漁りに余念がありません。

 ターニャを演じているのは、『スーサイド・スクワッド』などで知られるマーゴット・ロビーです。今作でも若さ溢れる快活な演技で観る者を魅了します。

 口の悪いイギリス人ジャーナリスト・イアンは、イギリスの映画監督、エドガー・ライトの作品などに多く出演する、マーティ・フリーマンが演じています。

 第一印象は最悪だったイアンが、やがて魅力的な人物へと変わっていく過程は、作劇の巧さもさることながら、演者であるフリーマンの力量が大きいと言えるでしょう。


 やがてキムはレポーターとして米軍の海兵隊に従軍し、同行取材を開始します。隊長のホラネック大佐は寡黙で厳しい人物で、初心者のキムにも一切容赦しません。

 大佐を演じるのは名優として名高いビリー・ボブ・ソーントンです。

 他にもひと癖もふた癖もあるメンバーが揃っており、都会育ちのキムは困惑しながら彼らと接していきます。


 取材開始からほどなくして、キムは戦地ならではの洗礼を受けます。同行していた海兵隊の車列がタリバンの攻撃を受け、激しい銃撃戦に巻き込まれるのです。

 自らの想定の甘さを痛感したキムは、恐怖心と戦いながら、都会では発揮できなかった潜在能力に目覚めていきます。


 『アメリカン・レポーター』は、「依存の世界(=プロデューサーという安定した地位)」に身を置き、それ故に「服従の代償を支払う日々(=ニュースの原稿書きという仕事はあるものの、生き甲斐を感じられない生活)」を過ごしていたヒロインが、ありのままの自分を求めて「秘密の世界(=アフガニスタンという異国での生活)」を構築する物語です。

 そういう意味では、承認欲求に重きを置いた典型的な『女性神話』の工程を辿る物語と言えるでしょう。

 ところが面白いことに、具体的な物語の構成自体は、むしろ典型的な『男性神話』の流れを踏襲しています。

 異世界で出会った「旅の仲間」と共に非日常の体験を繰り返すうち、日常世界で育まれてしまったコンプレックスである「恐怖心」を克服してゆく、その過程にこそ重きを置かれています。つまりは「通過儀礼」の物語になっているのです。


 カブールに到着したばかりのキムはまだ逃げ腰で、平凡かつ安全な元の世界に戻りたがっていました。

 しかし、物語が進むにつれ彼女は自信を身につけ、顔つきも精悍になっていきます。

 この辺り、コメディエンヌとしてのいつものティム・フェイとはひと味違った芝居を見せており、実に魅力的です。


 ところで、男性神話を辿る物語の場合、ジャンルを問わず、中間部で必ずといって良いほど描かれる場面があります。

 いわゆる「たき火を囲むシーン」です。


 冒険の旅に出た主人公が、道中体験する苦難の数々。それらの体験を経て、主人公は「旅の仲間」と打ち解けていきます。

 そんな彼らと主人公が、たき火を囲みながら食事をしたり、酒を飲み交わしたりすることで互いに「自己開示」をする場面、それが「たき火を囲むシーン」です。


 本来の神話では、実際にたき火を囲む場面として描写されることが多いのですが、現代劇として再構築される場合は、同工異曲の何らかのアクションに置き換えられます。

 スピルバーグの『JAWS』に於ける、沖合の漁船内で交わされる登場人物たちの「傷自慢」のくだりなどは典型的な「たき火を囲むシーン」の応用と言えるでしょう。


 『アメリカン・レポーター』でも、魅力的な「たき火を囲むシーン」が出てきます。

 現地コーディネーターのファヒムが結婚することになり、彼の結婚式に参列したキムとターニャ、現地で友人になった女性シャキーラの三人が酒を飲み交わす場面です。

 このくだりでのキムの台詞がとても魅力的かつ重要なので、日本語吹き替え版から採録してみます。



○結婚式場・内(夜)


 ファヒムをはじめ、親族たち、参列者たちが歌い、踊っている。

 そんななか会場の隅の席で酒を飲み交わしているキム、ターニャ、シャキーラ。

 三人ともすでにかなり酔っ払っている様子。


 シャキーラ「……もう眉毛が繋がってこめかみまであるような男はイヤ!」

 キム・ターニャ「(思わず笑う)」

 シャキーラ「とにかく、みんな事情があってここにいる。あなたはなんで?」

 キ ム「(フッと真顔になり)……」

 ターニャ「そうよ。どんな理由?」

 キ ム「(誤魔化すように)特に理由はない」

 ターニャ「もう……シャキーラは繋がり眉の男はイヤだって話までしたのに」

 キ ム「いいでしょ? たまたま来たのよ」

 シャキーラ「教えて」

 キ ム「……」

 ターニャ・シャキーラ「(キムの応えを待っている)……」

 キ ム「(仕方なく)……ニューヨークでは仕事の帰りにジムに寄って、エクササイズバイクを漕いでた。同じ自転車を毎日ね」

 ターニャ・シャキーラ「……?」

 キ ム「だけどある日、自転車の前のカーペットにギザギザがあるのに気づいたの。それで、そこが〈元々自転車があった場所〉だって分かった」

 ターニャ「(聴いている)……」

 キ ム「せっせと物凄い距離を漕いだのに後ろに下がってた。そう。文字通り後ろに進んでたの」

 ターニャ「……」

 キ ム「それで、何もかもイヤになって辞めたくなった。全部。くだらないニュースの原稿を書く仕事も。それからちょっぴり鬱気味の恋人と結婚すべきかどうか悩むことにもね。というわけ」

 ターニャ「……」

 キ ム「……もう、あのカーペットを見ていられなかった」

 ターニャ「(共感の眼差しで見つめ)……」

 キ ム「(微笑みで応え)……」

 シャキーラ「(ふいに)でも、それっていかにも白人のアメリカ人女性にありがちな話じゃない?」

 キ ム「(思わず苦笑)」

 ターニャ「ちょっとやめてよ」

 シャキーラ「事実でしょ?」

 ターニャ「(キムに)もう吹っ切って! あなたはもう立派な海外特派員だし、カブールで9.5点の女なんだから。それにシングルだしね。だから、もうジムに通ってたあなたは消えた。生まれ変わったのよ」

 キ ム「(そんなターニャの気持ちが嬉しくて)」


 小さく頷き、微笑むキム。



 このくだりは「たき火を囲むシーン」としての機能を果たしているだけでなく、『アメリカン・レポーター』の「映画としてのスタンス」が明確になるとても重要な場面です。


 この映画の目的はイラク戦争そのものを描くことではなく、あくまでもひとりの女性の心の成長を描くことである。

 そんな作り手の意思表示が伝わってきます。

 しかし、この意見にはやや違和感を覚えるひともいるでしょう。


 率直に言って『アメリカン・レポーター』は、「女性主人公の成長物語」をシンプルに描くには、あまりにも難しいモチーフを選んでいると言えます。


 物語の背景は、2001年にニューヨークで発生した同時多発テロの後、ブッシュ大統領の指示の下、米軍がイラクへと侵攻し、その後対タリバン戦として拡大化していったアフガン紛争です。

 その後、新たに大統領となったバラク・オバマが2011年の8月31日に米軍を完全撤収させ、事実上の「イラク戦争終結」を宣言はしましたが、米軍が侵攻したことによる現地への影響は大きく、事実上未だ進行形の戦争と言えます。


 そのような、極めてセンシティブな題材をモチーフにしているにも関わらず、本作はイラク戦争を積極的に描くでもなく、中東に暮らす他民族との関係性や齟齬に「深く」焦点を合わせるでもなく、あくまでも「ひとりの従軍レポーターの成長過程」にのみ重きを置いて描こうとします。


 もちろんそれ自体、別に悪いことではありません。

 しかし、その独特なアプローチこそが「映画としての本作のありよう」を一段難しいものにしているのは事実です。


 たしかに、ときにユーモラスに、ときにシリアスに描かれるヒロイン・キムの動向は共感性も高く、1本の娯楽映画として考えれば非常に良くできていますし、見応えもあります。

 一方で物語の設定上、キムの一挙手一投足をイラク戦争や地元住民の価値観と分離して描くわけにもいきません。かといって、それらの関係性を掘り下げようとすると、過度に深刻な展開になりかねない。しかし、それは避けたい。

 作り手がそのように考えるのは当然です。企画の主目的がそこにはないからです。

 だからといって、実際の出来事を扱う以上、リアリズムをまったく無視して展開させるわけにもいきません。あまりにも不誠実すぎるからです。


 この映画を観ている最中、過去に接したイラク戦争関連のニュース映像や一連の報道の記憶が生々しく蘇ってしまい、フィクションとしての世界観に浸りきれなくなるのを感じました(もちろん、そう望んでいたわけではないのですが)。

 これは決してぼくだけのことではないはずです。とりわけアメリカ人の観客にとっては、より身近な記憶として蘇らざるを得ないでしょうし、もし仮にその点に関して無責任な扱い方をされたら控えめに言っても良い気持ちにはならないはずです。

 作り手は当然そのことに気づいており、結果として劇中のそこかしこに「誠実さは残しつつ、かといって深刻になりすぎないようにするための慎重な配慮」が施されています。

 実はこの点こそが、本作を明確なコメディとして成立させ得なかった、つまりやや乱暴な表現を用いれば、「どっちつかずの作劇に終始せざるを得なかった」最大の理由ではないかと思うのです。


 そう感じた最たる要因は、クライマックスの処理の仕方にあります。

 後半、様々な展開を経たのちに「ある人物」がタリバンに拘束される、というかなりシリアスな展開が訪れます。

 その際、事態を解決するためにキムがとった手段や、海兵隊の対応、そしてそこから導き出される結果については、一部の(もしかしたら多くの)観客が疑問符を抱く可能性は否定できません。


 端的に言うと、扱っているモチーフの割には「軽い感じがする」のです。

 より正確に言うと、現実に比して「過度に楽観的な印象」を受けます。


 中東の地でゲリラやテロ集団に拉致され、人質にされてしまう外国人。

 そんな彼らを救出することが如何に困難なことか。またもしも救出に失敗した場合、どのようなことになってしまうのか。

 メディアが多様化し、インターネットが普及したことで、遠い地で起きている戦争や拉致事件もすぐさま映像で届けられてしまうご時世です。

 知識やリテラシーが向上している分、「現実を想起させるエピソード」に対して、観客は敏感に反応せざるを得ません。


 もちろん映画は総じてフィクションです(実話がベースであっても、映画的に再構築された段階でフィクション化せざるを得ません)。

 とりわけ本作は娯楽映画ですし、主目的が「主人公の成長物語」にあるわけですから、その点に関しては「面白くするためのウソ」はいくらでもつけば良いとも思います。

 ただし、いま現在、ハリウッドの伝統的な楽観主義による「成立するウソ」と「成立しないウソ」の境界線は、かつての時代とは比較にならないほど厳しく、また細い線の上に立っています。

 観客をフィクションの魔法にかけるのはハリウッドのお家芸ですが、魔法が解けるか解けないかの「さじ加減」に関しては(少なくとも2010年代の現在に於いては)、細心の注意が必要です。


 誤解のないように申し上げておくと、本作『アメリカン・レポーター』は、イラク戦争そのものを軽視しているわけでも無責任に描こうとしているわけでもありません。

 単に掘り下げようとしない、それだけです。

 普通は掘り下げたくなりそうなものですが、あえて掘り下げない。

 このアプローチは、倫理的に絶妙なさじ加減が求められる難しい選択です。


 仮に、ドタバタのスラップスティックコメディとして描いていたとしたら、それはそれで「皮肉」というブラックな笑いにも通じるアプローチですし、批評的にもなり得ます。

 結果、逆説的な社会派として構築することも充分可能です(キューブリックの『博士の異常な愛情』などはそういったアプローチの最たるものでしょう)。

 でも、そうはしない。

 ストレートなリアリズムや、誇張からくるアイロニーの可能性については十二分に理解し検討もしているものの、そこに過度に視点を向けているわけではないのですよ、というのが本作の基本的な姿勢です。

 この点は賛否の分かれるところだと思います。


 一方で、ちょっと視点を変えて考えてみると、こんなにもセンシティブな題材を扱いながら主人公の単なる成長物語として割り切った挙げ句、巨額の予算を掛けた娯楽映画として作ろうとする(そして実際に作り上げてしまう)ハリウッド映画界の懐の広さは、やはり無視できません。


 そもそも、単に「自立する女性」を描くこと自体が企画の趣旨なのであれば、まったく異なる題材を背景にすることも充分可能なわけです。

 実際これまでのティナ・フェイ映画は「都会暮らし」ならではの問題点をモチーフに同義のテーマを描いてきました。

 ところが今回は趣向を変え、多くのリスクを買ってでもイラク戦争やゲリラによる拉致という要素を選択したわけです。

 その点にこそ、この映画の独自性がありますし、新味として評価すべき点なのかもしれません(成功しているかどうかは別問題ですが)。

 そして、今回も自ら原作者に打診して映画化権を獲得したティナ・フェイにとっても、キャリアの新たな方向性を探るために必要なチャレンジだったのではないか、と推察します。


 いずれにせよ、『アメリカン・レポーター』は娯楽映画としてはとても良くできており、劇場未公開にしておくのはもったいない良作なのは確かです。

 前述の「さじ加減」も含め、ご興味おありの方は是非ご自身の目でお確かめください。


 それでは、次回またお会いしましょう。



■『アメリカン・レポーター』

■原題 Whiskey Tango Foxtrot

■製作年 2016年

■製作国 アメリカ

■上映時間 112分

■監督 グレン・フィカーラ

ジョン・レクア

■製作 ロニー・マイケルズ

ティナ・フェイ

イアン・ブライス

■原作 キム・バーカー

■脚本 ロバート・カーロック

■撮影 ハビエル・グロベット

■編集 ジャン・コバック

■キャスト ティナ・フェイ

マーゴット・ロビー

マーティン・フリーマン

アルフレッド・モリーナ

ビリー・ボブ・ソーントン ほか


『アメリカン・レポーター』のDVDを見る!



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著者

三宅 隆太

1972年生まれ。若松プロダクション助監督を経て、フリーの撮影・照明スタッフとなり、映画、テレビドラマ等の現場に多数参加。 その後、ミュージックビデオの監督を経由し、脚本家・監督に。 日本では数少ないスクリプトドクター(脚本のお医者さん)として、ハリウッド作品を含む国内外の映画やテレビドラマの脚本開発やリライトにも多く参加している。 主な作品は、映画『劇場霊』『クロユリ団地』『七つまでは神のうち』など。テレビドラマ『劇場霊からの招待状』『クロユリ団地~序章』『世にも奇妙な物語』『時々迷々』『古代少女ドグちゃん』『女子大生会計士の事件簿』『恋する日曜日』ほか多数。著書に『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(ともに新書館)などがある。

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