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LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第14回

番外編

2019.07.24更新

読了時間

メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
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 多忙につき、更新が遅れて大変申し訳ありませんでした。今回は番外編として、6月30日にニューヨーク・マンハッタンで行われたストーンウォール50周年記念の「ワールド・プライド」兼「NYCプライド・マーチ」を写真で綴りましょう。

 マンハッタンのダウンタウンであるグリニッジ・ヴィレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン」への警察の摘発をきっかけに、現代ゲイ人権運動(すでに書いていますが、当時の「ゲイ」とは全ての性的少数者を指す呼び名でした)の嚆矢とされる「ストーンウォール・インの反乱」が起きたのは1969年6月28日未明でした。翌年から早速、これを記念した人権解放のための抗議の政治集会と示威行進が毎年行われるようになったのです。それから50年、政治行進はかなり様変わりして、この間に獲得した結婚や雇用などでの平等や人権の回復を寿ぐ「祭典」の要素が強まっています。もっとも、LGBTQの中でもその”格差”は顕在しています。トランスジェンダーの人々への暴力事犯や差別事例は依然として、というよりトランプ時代になってむしろより激化しており、今回の「プライド」でもトランスジェンダーの人たちの政治マーチが別に独立して行われるということになりました。そのことについては別に書くことにします。

 さて、ニューヨーク市では毎年6月最終日曜日にこの「プライド・マーチ」が行われるのですが、今年はこの日のために米国内外からニューヨーク市を訪れたのは予想の300万人を上回る500万人でした。全部が全部プライド目当ての観光客というわけでもないでしょうが、しかし6月のマンハッタンは例年になくとんでもなくゲイゲイしていたのは確かです。いつもの年ならほぼダウンタウンに集中するLGBTQフレンドリーのシンボル「レインボー」カラーは、ミッドタウンやアップタウンにまで溢れ出していました。今や全米でのLGBTQコミュニティの潜在購買力(ピンクマネー)は年間9170億ドル(100兆円)とさえ言われます。

 街なかだけではありません。あのマウスウォッシュの「リステリン」のボトルがレインボーに変わっていました。日本にも進出したグルメ・ハンバーガーの「シェイクシャック」は虹色に輝くスプリンクルを振り掛けた「プライド・シェイク」を売り出しました。レストランのメニューには「ラヴ・サラダ」だとか「レインボー・サンドイッチ」とかの名前が並びました。ラルフ・ローレンやマイケル・コーはレインボーがテーマのアウターやインナーをデザインして並べていました。これを見た英紙「ザ・ガーディアン」は「レインボー・ブランドの資本主義に魂を売ったプライド」という論評を掲載しました。もっとも、LGBTQコミュニティもバカじゃないので、付け焼き刃的にピンクマネーを狙うだけのブランドにはしっぺ返しを食らわせられるほどのリサーチ力を持っています。そのための企業評価が、雇用の多様性や福利厚生などを調べ上げて毎年発表されているのです。

 例えば今回の「プライド商法」に関しても、米国「イケア」はいつものブルーのショッピングバッグをレインボーに変えて3ドル99で売り、その収益の全てを世界最大のLGBTQ人権団体「HRC」基金に寄付して教育プログラムに使ってもらうそうです。

「IKEA」のショッピングバッグもレインボーに。売り上げはHRC基金に寄付された。

 全米量販店チェーンの「ターゲット」は90品目を特別にプライド・ヴァージョンにして10万ドル(1000万円強)を教育現場でのLGBTQ差別解消に尽力する「GLSEN」に寄付しました。
「AT&T」は長年パートナーシップを築いているLGBTQ青少年の自殺防止プログラム団体「トレヴァー・プロジェクト」にテキストやチャットでのカウンセリング・サーヴィスを提供し、さらに今年も100万ドル(1億円強)以上を寄付したいとしています。

 さて、そのような人権と反差別の闘いはいまもずっと地道に続けられています。それを知った上で、先月末の、今や「パレード」と呼ばれもする「プライド・マーチ」を見てみましょう。

マンハッタンの市バス停留所にはこんな手製のポスター。「STONEWALL WAS A FUCKING RIOT」(=ストーンウォールってのは最高にヤバかったんだぜ)。「ライオット」がレインボー色になっている。

今や数少ないリアルな書店である「バーンズ&ノーブル」ではLGBTQ関連の書籍を集めたプライド選書のコーナーを設けていた。

「ワールド・プライド」のオープニング・セレモニーはウーピー・ゴールドバーグの司会で、NBAチーム「ブルックリン・ネッツ」の本拠地であるバークレイズ・センターで開催された。

セレモニーのオープニングは「トゥルー・カラーズ」のシンディ・ローパー!

シアラも、ほぼフンドシ姿?でパワフルなステージを披露


 

ニューヨークの地下鉄もレインボーカラーのハートマークを車体に。メトロポリタン交通局「MTA」はパスに相当するメトロカードにもレインボーカラーのものを用意していた。

地下鉄で出会ったポラロイドに勤めるビアン・カップル。オープニング・セレモニーに行った帰り。

タイムズスクエアもレインボー一色。「LEVI’S」も長年、LGBTQフレンドリーな企業として有名。

プライド前夜のゲイバー「ストーンウォール・イン Stonewall Inn」は店内に入りきらない客が通りにまで溢れていた。というか。プライド当日も、その後も、前後1週間ほどずっとこの状態。
6月28日未明から7月3日まで続いた50年前の暴動(Stonewall Riot)は、今や 反乱(Rebellion)あるいは蜂起(Uprising)とも呼ばれるようになった。マフィアが営業していた当のゲイバーは実は事件後まもなく閉店となり、その後2つの店舗に分かれて様々な形で使用されていた。1987年にその1つを使って再度「Stonewall」という名前でゲイバー営業を始めたが89年に再度閉店。この時点で69年当時のオリジナルの内装などは全く残っていなかった。1990年にはまた別のオーナーで隣の店(現在の住所)で営業が始まり、90年代にはレストランを併設したり2階をディスコにしたりしたが、現在のオーナーになって今の形のバーになったのは2006年から。その時に名称もまた「Stonewall Inn」に戻された。店内に入ると、当時の新聞記事の切り抜きや写真が額に入れられて飾られている。

「ストーンウォール・イン」の前の三角形の小さな公園はかつては「シェリダン・スクエア」と呼ばれていたが、今は「ストーンウォール国立記念碑」のある「クリストファー・パーク」と呼ばれている。そこに、ジョージ・シーガルの作った「ゲイ・リベレーション」という名の男性2人、女性2人の石膏像がある。

「ストーンウォール・イン」の前で観光客にインタビューしているのはフィンランドのTV局。「プライド月間」を取り上げるために世界各国から様々なメディアがニューヨークを訪れていた。今や世界30カ国近くに拡大した「結婚の平等」(同性婚の合法化)も、そもそもはここの「蜂起」から始まったのだから。

「ストーンウォール・イン」のクリストファー・ストリートを東に1ブロック行くと、短い「ゲイ・ストリート Gay Street」と交差する。この道路標識の一番上にあるのがその名前。「プライド月間」に合わせてその標識の下に様々なSOGIの名称が通りの名前のようにして掲げられた。
ちなみにこの「Gay St.」をかつてある日本の大学教授がニューヨーク紹介の自著で「ゲイの通りまである」と揶揄的に紹介したことがある。この「Gay」は実はLGBTQとは何の関係もない、18世紀にここに住んでいた土地所有者「Gay」さん一家に因むと考えられている。

正午から始まる「プライド・マーチ」当日の午前10時半、スタート地点近くでは例によって反LGBTQで悪名高いウエストボロ・バプティスト教会の面々が「罪の報いは死」「神はゲイを憎む」「地獄が待っている」などのヘイトスピーチのプラカードを掲げて通行人から「いい加減にしろ!」「帰れ、ここはNYだ!」などと罵声を浴びていた。

行進者が例年の3?5倍の総勢15万人にも膨れ上がった今年のプライド・マーチ、その先頭を切るのは恒例のレズビアンのオートバイ・クラブ「ダイクス・オン・バイクス Dykes on Bikes」。こちらも例年の2倍の200台のバイクで参加。最初にパレードを先導したのは1976年のサンフランシスコ・プライド。以降、この流れは全米各地のプライドだけでなく世界にも広がり、メルボルン、パリ、ロンドン、トロント・ヴァンクーヴァー、シドニー、チューリッヒ、テルアビブ、ギリシャでも彼女たちが爆音響かせ先陣を切る。

スタートの合図は、先頭の五番街の21丁目で破裂する紙バズーカ砲の虹色の紙吹雪。

バイクには、来られなかった友人たちの天使を貼って一緒に走る。

行進者は15万人だが、ニューヨークの「プライド・マーチ」の醍醐味の1つは沿道からの大声援。100万人は下らないテンコ盛りの沿道声援者は、歩いている人たちをまるでヤンキーズの優勝パレードの選手たちのような気分にさせてくれる。奥で一斉に手を挙げているのはシカゴからこのためにやって来た高校生のグループ。

この人は92歳。もう全行程を歩けないので、近年はずっと沿道から旗を振っているそうだ。

犬も何も全部レインボー。

レズビアンの参加者には子供たちを連れて参加する人も多い。

バイクに乗って虹の傘。

はるかかなたまで延々と続くマーチ。正午に始まって、これが12時間以上続くとはこの時点では誰も予想していなかった(けれど、なんとなくそうなるかもと不安を感じていた者はいたはずw)

恒例のレインボーの風船の連なりは、ちょっと見難いが「50」という数字を先頭に練り歩いた。

毎年、マーチの名誉総帥「グランドマーシャル」として様々な人たちが指名される。今年はその中に、ストーンウォールの暴動のきっかけを作ったとされる2人のトランス女性活動家マーシャ・P・ジョンソンとシルヴィア・リヴェラ(ともに故人)の名前もあった。

名誉総帥にはLGBTQの自殺予防プログラムを提供する団体「トレヴァー・プロジェクト」も。

この人たちは「ストーンウォール」の直後に結成された初の本格的政治団体「ゲイ解放戦線 Gay Liberation Front」のベテランたち。1970年に3000人以上が参加して五番街からセントラル・パークに向かった最初のストーンウォール記念政治集会およびマーチは、この人たちが中心になって実施された。

マーチの先頭集団は、その年の最大の政治的課題を象徴するような団体が並ぶ。今年はやはり「トランスジェンダーの平等」を訴えることが最大のテーマの1つだった。横断幕には「我々は消されない」。

世界各国のLGBTQ+のプライド組織を連携刺さる「インタープライド Interpride」も今年の「ワールド・プライド」を成功させた立役者だった。







パレード名物はやはり様々なドラァグの方々。

沿道で、「フリー・ハグ」を提供する「ママ」。パレード参加者が何人も何人も彼女に駆け寄って「ハグ」してもらっていた。

沿道で警備の女性警察官の胸にもレインボーのバッジ。NYPD(ニューヨーク市警)にも実はLGBTQの警察官団体の組織「Gay Officers Action League(GOAL)」NY支部がある。彼らが制服姿でプライドに参加するようになったのもここ20年のことだ。NYPDが今年、ストーンウォールの暴動の原因でもあった当時の警察による日常的なLGBTQコミュニティへの差別と暴力とを公式に謝罪したのも、彼ら当事者の警官たちの働きかけがあったから。もっとも、「GOAL」の目の届かぬところで今も根深いトランスジェンダー・コミュニティへの警官による陰の暴力は続いている。

嵐のような大声援の沿道には「トランプ(大統領)とペンス(副大統領)は辞めろ」という政治メッセージも。アメリカ人は政治を語ることを躊躇しないし、政治を離れて人権運動は語れない。特にニューヨークは、8割以上のニューヨーカーたちがトランプを毛嫌いしている。彼が不動産業者としてどうやってインチキをして成り上がったかをつぶさに知っているから。





ヨーロッパのゲイの聖都の1つ、アムステルダムからも大挙して参加。アムステルダムは4年に1度の世界最大のゲイのスポーツ大会「ゲイ・ゲームズ」を1998年に開催した。ちなみに2022年には香港が開催地に決まっている。民主主義と自由を守ろうと中国本国の政府に抵抗を続ける香港市民のデモが続いているが、ゲイ・ゲームズの未来は香港市民の未来でもある。

6月末のニューヨークはかなり暑い。この日は湿度が低くて比較的過ごしやすかったが、ダウンタウンの14丁目を過ぎたあたりで近くの教会コミュニティの人々が毎年必ずここでみんなに水を配ってくれる。生き返ります。

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ニューヨーク州知事アンドリュー・クオモも手を振る。毎年、著名な政治家たちがこのパレードに参加して有権者たちにLGBTQフレンドリーであることをアピールする。今年はデブラジオ市長やオーププンリー・ゲイの市議会議長コーリー・ジョンソンらも姿を見せた。史上初のゲイの大統領候補として注目される若干37歳のインディアナ州サウスベンド市長ピート・ブーティジェッジも歩くと見られていたが、彼は地元で起きた白人警官による黒人男性射殺事件の後始末で、前々日までパートナーの誕生日祝いでNYに滞在していたものの地元に取って返した。ちなみに、今はすっかりトランプの法律顧問としてニューヨーク時代を忘れてしまっているが、共和党のジュリアーニ市長(当時)も歩いていた。共和党の政治家も、ニューヨークではLGBTQ有権者を蔑ろにしては政治生命を保てない。

レザー愛好者グループという団体も歩く。レザーというと強面っぽいが、彼らは自分を「犬」だと主張しているw。

さてさて、日本からも東京レインボー・プライド(TRP)の面々として200人がやってきた。パレードは例年、だいたい日暮れ始める夜8時過ぎ(夏時間なので実際は7時)には終了するが、TRPの集合時間は午後6時。ところが待てど暮らせど出発の気配すらない。さてそろそろ、ということでメディア用に写真撮影するが、このあと、3時間以上も同じ場所にとどまっていた。

さあ、やっとか、と動き始めたのは午後10時。ほら、周囲はもうすっかり暗い。ニューヨークに住む日本人たちもTRP参加を聞きつけて集まってくれていたが、中には待ちくたびれて帰宅した人も多数。

夜10時に動いたが、実際にスタートしたのは夜の11時。エンパイアステート・ビルディングの虹色照明が綺麗。

こんなに遅くなっても若者たちはやっぱり元気。

スタートして数ブロックでTRPが莫大なお金をかけてチャーターした二階建てバスのフロートが合流。こちらのバスで待っていたスタッフたちは孤独で大変だったろうと大いに同情されていた。

屋根のない2階部分からは大量のシャボン玉が発生する装置まで用意していた。昼の陽光の中だったらどんなにか虹色に輝いて綺麗だったろうことか。残念至極。

この浴衣姿を、数時間前までは沿道に溢れていたニューヨーカーたちにも見せてやりたかった。

バスの2階で旗を振り回す勇姿。

次の参加時には、ぜひとも明るいうちのマーチになるといいね。結局、TRPの後ろには数グループしか残っていず、11時から歩いたマーチは五番街からクリストファーへ右折して、7番街をさらに右折して22丁目の終着点まで午前1時前に終了。私たちはこのあと、十数人を募って24時間営業のコリアンタウンでビールと焼肉を食べて帰りました。そういえば夕食時も待っていたせいでほとんど何も食べていなかったのです。ああ、初参加者に「ヤンキーズ優勝パレードの恍惚」を味わわせてあげたかったと思う私でした。

【註記】なお、筆者が超多忙につき、この連載は一旦しばし休載します。再開は9月を予定しています。

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著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

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