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LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第15回

『LGBTヒストリーブック』という資料本

2019.11.18更新

読了時間

メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
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 1カ月のつもりが3カ月もの休載となってしまいました。申し訳ありません。やっと再開できる態勢が整いました。というのもこの間、クラウドファンディングによってエイズ戯曲の傑作とされるラリー・クレイマー作『ノーマル・ハート』を訳了し刊行し、さらに400字詰めで600枚にもなった『LGBTヒストリーブック』も訳し終えてこれも本にして、こちらは12月初めに一般販売の運びとなりました。

 思えばこの2冊はタイミングとしても本連載を続けるにあたっての必要な作業だったのかもしれません。とくに『ヒストリーブック』の方は「絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」という副題が示すとおり、これまでほとんどポイント、ポイントでしか紹介されてこなかったLGBTの公民権運動を、ひとつながりの有機的なものとして、体系的かつ時系列に沿って教えてくれるものでした。それはまるで大きな生き物の成長のありさまのようで、翻訳しながら私も大いに勉強になりました。

 連載再開はまずはこの本のプロモーションから始めさせてもらいますw。これは主にアメリカにおける歴史を語るものですが、公民権を求める20世紀初頭からのLGBTの運動が先進国の中でとくにアメリカを中心に進んだのには理由があります。1つはそこが厳格なキリスト教プロテスタントの国であったこと。それがこの本にあるガートルード・スタインの「作用と反作用」の言葉どおりに、さまざまな抑圧からの「自由」を希求させる運動につながったのです。そしてさらに、そんな「自由の希求」としての、すなわち「自由であることの権利」の基盤たる「平等」を旗印とする黒人解放運動や女性解放運動が、LGBT解放運動に先行する手本として存在したこともまた大きく寄与しました。

 ガートルード・スタインはこう言っていました──

「科学的だと思われている男性たちが、作用と反作用が同じ力で逆に働くという物理学の基本的な原則に自ら気づけないというのはおかしなことです。あなたたちが人々を迫害するたびに、あなたたちはその人たちをより強くより強く立ち上がらせることになるのです」──(本書P27より抜粋)


 この本の原著はそうしたLGBT公民権運動の営みを現在の十代の子どもたち、若者たち向けに平易に、具体的に語り教える『Gay & Lesbian History for Kids』というタイトルで2015年に刊行されました。執筆にあたって原著者が参考とした文献は、その時代時代を記してきた新聞や書籍やインタビュー記事など延べ300件に及び、登場人物は歴史上の人物から市井の人々まで400人近くに上ります。これはアメリカ式民主主義の見事な教科書であり、かつふんだんな個人エピソードを伴う貴重な実践史となっています。そもそも日本の私たちはなぜ世界の先進30カ国近くが、GDPで言えば計53%を占める国々・地域が同性婚を認めているのか、まだうまく得心していない──

 本書はそれを説き明かしてくれます。「子どもたち」向けと書きましたが、その平等権の論理の記述にごまかしや妥協はありません。マイノリティたちの権利運動に関して、歴史の浅い日本で巷間よく言われる、社会変革への危惧、不安、躊躇から来る所謂「反対論」の全ては、この本の中にも(つまりは実際の歴史の中に)登場しています。例えばこの人権運動が「少数者たちの特権」を求めるものではないかという論には、最高裁へと続く判例が次のように明快に片をつけています──、

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 1992年、「家族の価値のためのコロラド Colorado for Family Values」(CFV)と称するコロラド州の保守派団体が、ゲイの権利に関する住民投票を働きかけます。「修正2号 Amendment 2」として知られるこの住民投票は、州内の既存のゲイ・ライツ法や条例を無効にするものでした(略)CFVの主張は、ゲイやレズビアンを差別から守る法律は、どういうわけか、彼らに「特別な権利」を与えることになる、というものでした。現実には、例えばデンヴァーの有権者たちがほんの2年前に承認したゲイ・ライツ法は、誰にも「特権」を与えたわけではありません。単に、ゲイやレズビアンだからといってその人を解雇はできない、あるいは住んでいるアパートを追い出すことはできない、あるいはレストランでの就業を拒むことはできない、というものです。それはちょうど当時、車のバンパー用の人気スティッカーが言っていたように「Equal Rights Are Not Special Rights(平等な権利は特別な権利じゃない)」でした(略)法廷闘争も始まりました(略)下級審での裁判を経て連邦最高裁にまで行った裁判は、1996年5月20日、6対3でこの「修正2号」を合衆国憲法違反だと宣言しました。(略)この裁判は「ローマー対エヴァンス Romer v. Evans」と呼ばれます。判決はまた、LGBTへの「特別な権利」云々の議論にも終止符を打ちます。(略)「修正2号が(LGBTコミュニティに)与え惜しむ法的保護に、我々はなんら特別なものを見いださない。これらの保護は、ほとんどの人々にとっては、すでに保有しているものか、あるいは必要もないものであるが故に、当たり前の権利である」と判決の多数意見は述べています。「(修正2号は)人間をただ1つの形質でひとくくりにし、それを基に彼らの保護を全般にわたって否定している」が故に、明らかに違憲でした。──(本書P128より抜粋)
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「一般の人に理解してもらえるようなもっと穏健なやり方があるだろう」という謂いにも数多くの答えが出されています。「現状で十分満足している、生きづらくなんてない」だから「騒がれたくない、そっとしておいてほしい」というLGBTコミュニティ内部の「思い」もあの「ストーンウォールの反乱」の項の最後で、具体的な実在の個人の言葉として、次のように登場しています──、

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 ペリー・ブラスはこの(ストーンウォールの)暴動のもようを遠くから眺めていました。一緒にいたのは彼の友人で、裕福なゲイ男性でした。その彼が激怒していたのです。「せっかく隠れて生きているのに!」と、アイヴィー・リーグの卒業生である彼は言ったそうです。「すべてうまくいってたじゃないか。自分たちのバーもあるし、自分たちのビーチも、自分たちのレストランもある。それをあのオンナども(girls)が全部ぶち壊した」と。──(本書P77より抜粋)
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 上記のその思いがその後にどういう顛末を迎えるのかも、歴史が語ってくれています。杉田水脈衆院議員の「生産性」発言などにも窺えるそうした逆コースの障壁は、この本の中で史実として解決されてきたのでした(もっとも、原著はその刊行後に「トランプ」という現象が起こることまでは予想してはいなかったようですが)。

 翻訳するときにいつも悩むのですが、文学作品のときは特に、私は極力「訳注」というものを用いないようにしています。読んでいてリズムが乱れるからなのですが、今回は文学作品ではないながら、アメリカでの司法制度や行政、立法の仕組みが日本とはかなり違うことなど、どうしても日本の読者向けにそういう説明が必要になってきました。そこで今回は、ドキュメンタリーながらも「translation」と同時に「interpretation」をしようと決めました。様々に文脈を補足説明しながら、「通訳」をするように含意や背景を含めて訳していくことにしたのです。

 だいたい、アメリカでは日本文学を英語に翻訳して刊行するときに、例えば村上春樹の小説など一章丸ごと削除してアメリカ版として大幅に編集したりするのですよ。日本の翻訳本は生真面目に逐語訳がモットーであるような伝統もありますが、どうしてそういう手を加えてはいけないのか──そうはいっても私の今回の翻訳はいわゆる「超訳」でも、『フィネガンズ・ウェイク』の柳瀬尚紀さんみたいな訳でもなく、一応原語がわかるような訳し方にはしています。

 ご存知のように日本の新聞社の特派員として、その後はフリーランスのジャーナリストとして、1993年2月から24年にわたってアメリカで実際にLGBT問題に関して直接の取材もしてきましたので、原著にあるちょっとした誤りも多角的なファクトチェックを経た上でいくつか修正してあります。訳し始めた最初の方では訳注も少々用いてしまいましたが、もし重版になる機会に恵まれたら次にはそれらもどうにか地の文に取り込んでしまいたいと画策していますw。

 行政がダメなら立法に訴え、立法がダメなら司法に、司法がダメでも様々な手法で直接行動に訴えて「平等」を勝ち取ってきた(勝ち取りつつある)LGBTコミュニティの強靭さは、それを内包できる社会の強靭さにつながります。この『LGBTヒストリーブック』はもちろん一般読者を求めることで日本社会のそんな強靭さに繋がってもらいたいとの思いを込めていますが、同時に全国の中学や高校の図書室にあまねく置かれることを望んでいます。思えば数十年前の私の高校の図書室には当時、LGBTに関する”肯定”的な(それでも苦渋の)記述はおそらくゆいいつアンドレ・ジッドの全集の、ほとんど数年にわたって誰も開いたことがなかっただろう黄色く褪色した『コリドン』のページの上にしかありませんでした──多感な思春期を迎える十代の若者たちに、本書がこれまでに与えられたことのなかった世界への強靭な視点をもたらしてくれることを願っています。そしてこの歴史本は、ここに連載している私の「LGBTの練習問題」という「生き方」の論考の副読本というか、第一義的な基本資料ともなってくれると思っています。

***

 さて、そろそろ本題に戻りましょう。何の話をしていたんでしたっけ?──そうそう、「アイデンティティ・ポリティクス」の話でした。自分たちのアイデンティティを基にして政治的要求を突きつけるばかりでは、どこにも行けやしないのではないのか、という疑義が呈されてこのところ風当たりの強いLGBTQの「アイデンティティの政治」の陥穽とは、いわば「党派性のワナ」のことなのです。
 けれど「LGBTQ+」とは、まずは自分たちのアイデンティティを確立することから始めなければ、そもそも「どこにも行けやしな」かったわけで──。それは同時に、本質主義から構成主義(いまでは社会構築主義と呼ばれることも多いですが)への考え方の移行にも関わってきます。
(続く)

12月初旬に一般発刊予定の『LGBTヒストリーブック』。アマゾンなどでも販売されますが、その場合はアマゾンに4割も売り上げを持って行かれるそうなので、版元の「サウザンブックス社」は次の自社サイトで予約購入していただきたいと言っています。弱小出版社にご協力を!

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著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

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