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LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第21回

演劇界のホモフォビア、そしてそれと闘った人たち

2020.03.31更新

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メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
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 世界は新型コロナに震撼しています。感染はどんどん拡大して、前回のコラムで紹介したNBA(全米プロバスケットボール協会)で最初にカムアウトしたゲイの元スター選手ジェイソン・コリンズもパートナーとともに新型コロナに感染したというニュースが飛び込んできました。3月初めにニューヨークに行って、NBAのブルックリン・ネッツの「プライド・ナイト(これも前回で紹介したLGBTQのファンたちのための試合)」の会場で感染したようだと言っています。快方に向かっているとは言いますが、世界中の大都市がこのウイルス感染を恐れてロックダウン状態です。

 そんな中で「アメリカ演劇界の吟遊詩人」と言われたテレンス・マクナーリー Terrence McNally までもが3月24日、新型コロナウイルスによる合併症で避寒先のフロリダの病院で亡くなりました。
 マクナーリーは60年近くにわたってアメリカやイギリスのブロードウェイなどで活躍したオープンリー・ゲイの劇作家で、彼ほどブロードウェイにゲイ男性の役を登場させた作家はいません。演劇界のアカデミー賞とされるトニー賞の常連でもあり、マヌエル・プイグ原作の『蜘蛛女のキス』(1992年)や『ラグタイム』(1996年)で最優秀ミュージカル脚本賞、エイズの時代のゲイ男性たちの友情を描いた『Love! Valour! Compassion!(愛! 勇気! 同情!)』(1994年)や引退したマリア・カラスの公開レッスンから彼女の人生をたどる『マスター・クラス』(1995年)では最優秀作品賞を受賞、昨年は功労賞も受けた重鎮でした。
 81歳という高齢でしたが、2001年に肺がんを患ったこともあって、以降、慢性呼吸器疾患の状態だったところに今回の新型コロナに感染してしまったようです。2003年、彼は舞台プロデューサーで非営利AIDS団体の公民権弁護士だったトム・カーダヒー Tom Kirdahy とヴァーモント州でシヴィル・ユニオンを結んで以来共に暮らしていました。2010年にワシントンDCで同性婚が認められた際にはそこで結婚し、2015年、連邦最高裁判決によってついに全米で結婚の平等が決まった際に再度ニューヨークで結婚の誓いを新たにしていました。

 90年代末に、彼にインタビューを申し込んだことがあります。私は『Love! Valour! Compassion!』を観て彼のファンになっていました。ワシントン・スクエアにほど近いニューヨーク五番街の自宅に招かれると、穏やかな紳士はコンドミニアムの落ち着いた書斎でゆっくりと演劇のこと、政治のこと、そして彼の時代にめまぐるしく移り変わったゲイであることの意味を私に話してくれました。

 彼は1938年11月にフロリダで生まれました。両親の海辺のバー・レストランがハリケーンでやられてニューヨークに引越し、その後、テキサス州コーパス・クリスティで少年期を過ごします(この町の名はラテン語で「キリストの体=聖体」という意味です。のちに彼は、キリストとその12人の使徒たちを現代のコーパス・クリスティに生きるホモセクシュアルな集団として描き直した問題作『Corpus Christi』を1997年に発表します)。
 劇作を始めたのはニューヨークのコロンビア大学奨学生になってからです。その時に俳優養成所「アクターズ・スタジオ」の創設者エリア・カザン(『欲望という名の電車
』『セールスマンの死』『エデンの東』『草原の輝き』などの演出家、監督)と知り合い、その彼がジョン・スタインベック(『二十日鼠と人間』『怒りの葡萄』『エデンの東』のノーベル文学賞作家)にも紹介してくれて、一家の世界一周クルーズに同行して子どもたちの家庭教師を務めたりもしたそうです。
 もう1人、まだ学生だった1959年には『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』(1962年)の10歳年上の作家エドワード・オールビー Edward Albee とも知り合い、4年間にわたって同棲生活を送りました。『ヴァージニア・ウルフ〜』は、実は多分にこの2人の関係をヘテロセクシュアルの夫婦に置き換えたものだと言われています。つまり、とてもフラストレーションの溜まる関係です。マクナーリーは、オールビーが自分の同性愛を隠すことが嫌だったのです。「芝居の初日とか新聞記者が大勢周りにいるときなんかにぼくは透明人間になった。それは間違っていると知っていた。そんなふうに生きるのはすごく大変だって」。2人はそうしてついに別れます。
 次に彼が付き合ったのは3歳年上のブロードウェイ俳優だったロバート・ドリヴァス Robert Drivas でした。同じころ、ブロードウェイでやっと自身のデビュー作『And Things That Go Bump in the Night(そして夜中にぶつかる事ども)』(1965年)も上演されます。何かに怯えて地下室で生活する家族の近未来的ディストピア作品で、このデビュー作ですらバイセクシュアルとクロスドレッサー(異性装)の2人の登場人物間のロマンスが書かれています。けれど、というか、だからこそ、というか、評論家の評価は散々でした。タブロイドのニューズデイ紙は「醜悪で倒錯的で悪趣味」と書き、またある評論家は「親はゆりかごにいるうちに彼を窒息死させるべきだった」とまで言ったそうです。これは3週間で幕を閉じました。彼は自分の作品が「オールビーのボーイフレンドが書いたもの」としてしか見られていないことを知っていました。時代の「ホモフォビア」が作品そのものの評価を覆っていたのです。

 時代時代の同性愛嫌悪がどのようにアメリカの演劇界、映画界を覆っていたかは、ドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』(1995年)に詳しく暴かれています。これは ACT UP の活動家でもあったヴィト・ルッソ Vito Russoのリサーチが原作の、目からウロコの大変な労作です。ハリウッドを中心に100作以上が俎上に上っていますが、例えば『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年)では原作にあるホモセクシュアルのシーンが微妙に回避され、『去年の夏、突然に(1959年)でも『羊たちの沈黙』(1991年)でも同性愛者は八つ裂きにされたり射殺されたりします。異性愛社会はそうやって「社会秩序」「家庭秩序」を取り戻すのです。

 テレンス・マクナーリーの話を長々としているのは、実は今回の新型コロナウイルスとヒト型免疫不全ウイルス(HIV=所謂「エイズ・ウイルス」)への対応比較をしたいからです。そして同時に、彼の書いたエイズの時代の『Love! Valour! Compassion!』と、そのはるか以前のニューヨークのゲイたちを描いた問題作『真夜中のパーティー The Boys in the Band』とのホモフォビアの違いを論じてみたいからです。
 マクナーリーは、1976年に別れた後も友人であり続けたロバート・ドリヴァスを1986年に、そのドリヴァスの後のロングタイム・パートナーだった17歳年下の劇作家ゲーリー・ボナソート Gary Bonasorte を2000年に、いずれもエイズで亡くしています。
『Love! Valour! Compassion!』は、90年代初めのニューヨーク北郊2時間ほどの湖畔の別荘を舞台に8人のゲイ男性の3回にわたる夏の週末の日々を描いています。
 別荘の主はブロードウェイで名を成した振付家グレゴリー。中年の彼には20代の恋人、ハンサムで盲目の法律助手ボビーがいます。そこにやってくるのは付き合って14年目のビジネス・コンサルタント同士のヤッピー・カップル、アーサーとペリー。衣装デザイナーでミュージカル大好きオネエさまのバズ、気難しく辛辣な英国人ジョンとそのひと夏のセックス・コンパニオンのラモン、そしてジョンの双子の弟で心優しいジェイムズ。
 若く溌剌とした体を誇示するラモンは到着した途端に同じく若いボビーに目をつけ誘惑しようとします。グレゴリーはそんなボビーに気が気ではなく、一方で自分の才能が枯渇しているのではないかと悩みます。バズはいつもミュージカルの歌を歌ってはそれを会話の代わりにして明るく笑いを誘うのですが、実はHIVに感染していて地域のエイズ・クリニックでヴォランティアをしています。そして自分は恋人を見つけるのが下手で、もうお付き合いは諦めていると言うのです。ところがそのバズがやがてジェイムズに恋をします。
 ジェイムズは兄に似ず誰にも優しく心を尽くし、機知に富み、けれどいつも自分を卑下しているところがあります。そんな彼はバズの思いに応えます。けれど、ジェイムズもまたエイズを患っており、しかもそのステージはバズよりも進んでいて、2人は自分たちの関係がやがてすぐに死によって終わることを知っているのです。
『Love! Valour! Compassion!』は、エイズの時代の通底音としての悲劇を孕みながら、けれどだからこそ命の賛歌に満ちた、8人のゲイ男性たちのドラマです。

「8人のゲイ男性たちのドラマ」──そう、『Love! Valour! Compassion!』は、同じく8人のゲイ男性たち(と、ストレートと思われる1人の男性)のドラマである記念碑的演劇『真夜中のパーティー』への返歌、ブックエンドのもう1つの片割れなのです。

 作者のマート・クロウリー Mart Crowley はマクナーリーより3歳年上でした。彼もゲイでした。もっとも、クロウリーの方は女優ナタリー・ウッド Natalie Wood のアシスタントとなるべくハリウッドに移っていたのでニューヨークのマクナーリーとは当時は面識はありませんでした。

『真夜中のパーティー』がオフ・ブロードウェイで初日を迎えた1968415日というのは、あの「ストーンウォールの反乱」の1年と2ヶ月半前のことです。その時の演出家ロバート・ムーア Robert Moore もゲイでした。原題の『The Boys in the Band』というのは、映画『スタア誕生』(1954年)で、取り乱すエスター(ジュディ・ガーランド!)に向けてノーマン・メインが「You’re singing for yourself and the boys in the band.(自分自身と、そしてバンドの仲間たちのために歌うんだ)」と諭したそのセリフから取られています。
 これは1970年に映画にもなり、日本でも青井陽治の訳でPARCO劇場で何度か上演されていますから知っている人も少なくないでしょう。
 こちらは蒸し暑い真夏のニューヨーク、アッパー・イースト・サイドのマイケルのアパートが舞台です。そこにハロルドの誕生日を祝うゲイの友人たちが集まり出します。マイケルはカトリックで、ドナルドという恋人がいますが、自分のゲイネスを受け入れきれていません。ハロルドはそんなマイケルに辛辣な皮肉を投げかけ続けます。エモリーはけたたましいオネエ系で、数学教師のハンクとファッション写真家のラリーはカップルながら浮気性のラリーのことでギスギスしています。バーナードはエモリーと仲良しのアフリカ系、そしてハロルドの誕生日プレゼントとしてやってくるのはカウボーイと呼ばれる若くちょっと頭の弱いマッチョな男娼です。その8人のゲイたちがみんなでわいわいやっているうちに、闖入者がやってきます。それはマイケルの大学時代の親友、そして片思いの相手のアランでした。マイケルは最初は全員にゲイであることを隠すように言いますが、エモリーはどうしても自分のオネエを隠せません。そのうちにやけくそになってきてしまいにはアランに気持ち悪いと殴られます。そしてあるゲームが始まるのです。
 それは自分が本当に愛していた、あるいは愛している人へ電話をかけて、その愛を告白できるかを競い合うものでした。この電話を契機に、それぞれの過去や人生が明らかになってゆくのです。そしてアランの電話の相手は……?

 ここに描かれるのはマクナーリーのデビュー作が酷評されたことと通じる、1960年代という時代のそれぞれの(内なる)ホモフォビアです。そんなホモフォビアを自ら抱かざるを得なくさせられている、時代としてのホモフォビアです。
 そこには逃げ道も抜け道もありません。クロウリーの設定したマイケルのアパート自体、大きな1つのクローゼットであるかのように、玄関の扉の向こうの「外」がいつも見えない閉鎖空間なのです。
 けれどマクナーリーの1994年の『Love! Valour! Compassion!』は、湖や森に通じています。こちらの8人のゲイは、盲目のボビーは特に、その自然を愛で、悲劇の予感は常に漂いながらもフォビアは外気に浄化されて8人の周囲はやがて明るく輝くようなのです。

『真夜中のパーティー』は、興行の成功にも関わらず(映画版もほぼ同じキャストで撮影されました)、登場した8人の役者のうち、実際にゲイだった5人は最後までクローゼットを通しました。そして1986年、まずカウボーイ役だったロバート・ラ・トゥールノー Robert La Tourneaux が44歳でエイズで死にます。88年にはハロルド役のレナード・フレイ Leonard Frey が49歳でエイズで死にます。92年にはドナルド役のフレデリック・コームズ Frederick Combs が56歳で、ラリー役のキース・プレンティス Keith Prentice が52歳で、エイズで死にます。そして主役のマイケル役ケネス・ネルソン Kenneth Nelson も1993年に63歳でエイズで死にます。さらに言えば、演出したロバート・ムーアも1984年にエイズで死にました。プロデューサーのリチャード・バー Richard Barr も1989年にエイズで死にました。いちばんゲイっぽかったオネエのエモリー役のクリフ・ゴーマン Cliff Gorman はストレートで、奥さんとともにカウボーイ役の若いロバート・ラ・トゥールノーを最後まで看病してあげていたそうです。

 マクナーリーの1994年の『Love! Valour! Compassion!』にもゲイの役者が多く出演しています。その1人、バズ役はミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』の米国版映画『バードケージ Birdcage』のあのネイサン・レイン Nathan Lane です。みんなオープンリー・ゲイです。もう誰もクローゼットではありません。

 クローゼットの中にいてはエイズと闘えなかった、とすでに書いてきました。それは新型コロナウイルスも同じです。こちらは性的なスティグマがなかった分だけ、初めから感染が公の問題となって政治が動きました。もっとも、日本では東京オリンピックの「通常開催」にこだわって感染者の実態が明らかになるPCR検査の実施が大幅に遅れ、アメリカではトランプが大統領選挙への影響を恐れて「アンダー・コントロールだ」「自然と消える」と高を括っているうちに大変なことになっていますが。
 エイズは、あの時代、確かにいまの新型コロナウイルスと同じように蔓延していたのに、誰もそれを見ず、誰もそれを公言せず、感染爆発を招いたのでした。「私の領域」では闘えないこと、そしてフォビアが感染拡大を悪化させることを人間は学んだはずなのに、それを学ばなかった人たち、学ばない人たちがいままた「アジア人のせいだ」「中国が悪い」とフォビアをばら撒き、この危機をまた愚かにも「個別の問題」に押し込めようとしています。

 あの時代、エイズ・クローゼットの時代は、ホモフォビアの時代でした。様々なスティグマがクローゼットの扉を外からも内側からも固く封印していました。だからクローゼットから出られなかったのもしょうがない。でも、そんな中でも出てくる人がいました。なぜなら、命を賭しても、人生を賭けても、社会的な問題は社会的に落とし前をつけなければならなかったからです。個人的な領域での闘いはケンカにしかなりません。社会的な領域に出て闘いは初めて歴史を刻むのです。
『真夜中のパーティー』は初演から50周年の2018年、ブロードウェイで再演されました。演じたのはマット・ボマー Matt Bomerジム・パーソンズ Jim Parsonsザッカリー・クイント Zachary Quintoアンドルー・ラネルズ Andrew Rannells、チャーリー・カーヴァー Charlie Carver、ブライアン・ハッチンソン Brian Hutchison、マイケル・ベンジャミン・ワシントンMichael Benjamin Washington、ロビン・デ・ヘスース Robin de Jesús、タック・ワトキンズ Tuc Watkins。
 全員がオープンリー・ゲイの俳優です。そしてこれは2019年のトニー賞で最優秀リヴァイヴァル作品賞を受賞しました。
 作者のマート・クロウリーは、奇しくもマクナーリーと同じ今年3月、こちらは心不全でニューヨークで亡くなりました。84歳でした。

 ちなみにこの『真夜中のパーティー』は日本でも今年7月から、新型コロナの影響がなければ渋谷のBunkamuraシアターコクーンなどで『ボーイズ・イン・ザ・バンド〜真夜中のパーティー』として再演されます。これは青井陽治の翻訳を変えて実は私が新しく正確に翻訳し直しました。けれどプロダクションには私は全く関わっていません。
 演出と上演台本を担当する白井晃はこれを「初演から50年が経って社会が性的マイノリティに対して、どれだけ変化したかを考える意味でも重要な作品になると思います。米国に比べてまだまだ日本においてはこの問題は根が深く、あらゆるマイノリティと社会との関係を考える意味でも、今まさに必要な作品だと思います。出演者の皆さんと様々な議論をして、この作品を日本で再上演する意味を考えながら創作したいと思います」とコメントしています。
 さて、どんなふうに「今まさに必要な作品」になるのでしょうか? 乞うご期待、です。
(続く)

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著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

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