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第6回

樋口一葉――オタサーの姫、闇落ち前に死す(後篇)

2019.04.05更新

読了時間

『文豪』という言葉にどんな印象がありますか? ここ数年、文豪をモチーフにしたゲームやアニメの影響による『文豪ブーム』で、文豪の人柄に関心が高まっています。この連載では、文豪の末期、すなわち『死』に注目をします。芸術家は追い立てられるように生きて薄命な印象がありますが、文豪はどうなのでしょうか。『死』を見つめることは『生』を見つめること。それぞれの『死』から、多様な生き方を見ていきます。
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樋口一葉(ひぐち・いちよう)
小説家・歌人。明治5(1872)年、東京生まれ。明治29(1896)年、東京・文京区にあった自宅で病死。享年24。代表作に『大つごもり』『十三夜』『たけくらべ』『にごりえ』など。

 

前編からの続き
 小説家になろうと決心した一葉は、まず弟子入り先を探した。当時は有名作家に師事して指導を仰ぎ、その推挙によって文壇デビューするのが一般的な流れだったからだ。
 そして、出会ってしまった。
 半井桃水――師であるとともに生涯の心の恋人となった男性に。
 とはいえ、この恋はほとんど一葉の独り相撲だった。初恋にありがちだが、相手の一挙手一投足に過剰に盛り上がり、恋する乙女全開モードで突っ走ってしまったのだ。もっとも、桃水の前では気持ちを隠そうとしていたようだが。
 いずれにせよ、その姿が相当危うく見えたのか、それとも恋する女へのやっかみか、翌年無事にデビューできた喜びもつかの間、出処が不確かな噂話を師の歌子や友人にスキャンダル扱いされてしまう。生涯で初めて醜聞の主人公になったウブな(もしくは体面大事の)一葉は、勝手に憤り傷ついて、一方的に桃水と絶交してしまうのである。
 桃水にしてみればさぞ「ポッカーン」だったことだろう。いきなり近づいてきたかと思うと、よくわからない理由で離れていったのだから。この二人の行き違いも本当におもしろいところなのだが、長くなるので本稿では(またまた)ちょっと脇におく。
 ただ、ひとつ指摘しておかなければならないことがある。
 顛末から鑑みるに、この時期の一葉が真に求めていたのは、ボーイフレンドではなく、優しく包んでくれる保護者だったのではないか、という点だ。
 一葉は、桃水への第一印象を次のように綴った。

【原文】
色いと白くて面おだやかに少し笑み給えるさま誠に三歳の童子もなつくべくこそ覚ゆれ。丈はよの人にすぐれて高く肉豊かにこえ給えばまことに見上げる様にならん。

【訳】
色がとても白くて表情は穏やかで、ちょっと笑みを浮かべていらっしゃる様子は、三歳の子供だって安心して懐くだろうなあと思う感じ。背は平均よりかなり高くて肉付きもいいから、ほんと見上げるみたいになるのよね。
(「一葉日記」より。以下特記のないものはすべて日記より引用)

 おだやか、なつく、見上げる。こうした言葉は、恋の相手というより保護者への形容詞だ。一葉研究者の中には、出会いをロマンチックに考えたい気持ちの暴走ゆえか、桃水が絶世の美男子で、それゆえ恋に落ちたと主張する人もいるのだが、それはまずないだろう。
 なぜなら……。

ひどい近眼でしたから、どなたの御顔も本当に知っていることはなかったのでございます。で、大概は御様子で察していまして、これはどなたどなたという位の按配で、はっきりしておりませんでした。(中略)本当にお美しいかどうか見る目はなかったようでございます。
(樋口邦「姉のことども」より)

 妹・邦子の証言によると、歌留多取りでも畳の上のかるたに覆いかぶさって舐めるように見ないと見えないほどの近眼だったという。しかも、眼鏡は頑なに拒否していた。つまり、相当ぼんやりした視界の中で生きていたのだ。
 実は私もド近眼で、両目ともに0.1あるかないかである。こういう人間が裸眼で他人の顔を見たら、輪郭と色合いと目と口の位置ぐらいしか判別できない。
 だが、それでもあるいは美男子ならばにじみ出る何かを自ずと感ずるやもしれぬと思い、iPadに竹野内豊、ディーン・フジオカ、キアヌ・リーブスなどの顔を大写しにして、少し離れた距離から眼鏡無しで眺める実験をしてみた。が、やはり輪郭と色合いと目と口の位置ぐらいしかわからなかった。ド近眼の前には彼らの美も空しい。
 まして、整った顔ではあるが、竹野内豊、ディーン・フジオカ、キアヌ・リーブスなどには到底及ばぬ桃水である。あくまで視覚以外から感じられる優男ぶりに惹かれたのだろう。甘えられそうな年上の男は、保護者の欠落に苦しんできた一葉の心の穴を埋めたのだ。
 しかし、それが失われ、というか、こじれた自意識によって自ら手放してしまった以上、「守ってくれる人」は諦めねばならなかった。
 小説の依頼は少しずつ増えていったが、家計を支えられるほどではない。貧乏はあいかわらずだった。戸主として、家族に安定した収入をもたらすために何かする必要があった。
 そこで、明治26(1893)年、21歳の夏に下谷竜泉寺町、江戸の遊郭・吉原が目と鼻の先の街に引っ越し、ちょっとした小間物屋を始めることにしたのだ。
 苦渋に満ちた選択だった。零落ここに極まれり、と落ち込んだ。
 だが、小説家としての彼女にとっては、最大にして最良の転機となった。
 遊郭が目と鼻の先の界隈には、体一つで世を渡るたくましい女たちがいたのだ。嘘や手管も厭わず、人目より己の心を大事にする強さを持つ女たちが。
 そこでは女大学的価値観は意味をなさない。家の所属物ではない、個として生きる「女の人生」があった。
 この見聞が、小説家・樋口一葉を完成させたというのはすでに定説だ。
 しかし、それだけでは終わらなかったのではないか、と私は思うのだ。
 彼女たちとの出会いは、意識になかった新しい「女の道」を教えはしなかったか。
「悪女」という道を。

悪女を目指すも……

 22歳。死の2年前。小間物屋は初めこそうまくいったが、近所に同じような店ができてからは売上が落ちた。借金もし尽くした。
 進退窮まった一葉は、久佐賀義孝という男性占い師の家を訪ねることにした。だが占いに頼りたかったのではない。面識ない人間にいきなり銭金の相談をしに行ったのである。
 一葉は初対面の席上で、一世一代の大演説をぶった。

【原文】
すでに浮世に望みは絶えぬ。この身ありて何にかはせん。愛おしと惜しむは親のためのみ。さらば一身を生贄にして運を一時の危うきにかけ相場ということを為し而見ばや。

【訳】
やれることはやりつくし、すでに望みはありません。この身がこの世にあったところで何になりましょうか。それでも命を惜しむのは親のためだけです。ならば、私の身を生贄にして運をかけ、相場でお金を運用してみたいのです。

 

 なんと、女相場師になりたいと宣言したのだ。久佐賀は占い師であると同時に名の知れた相場師だったので、弟子入りを願い出たわけだ。なんともはや、大胆というか、思い切ったというか。さらには「でも、元手にするお金はないの。だから、お金持ちのあなたが出してくれないかしら?」と言い出す始末。

【原文】
いかにや先生、物狂わしき心のもと末、御胸のうちに入りたりやいかに。

【訳】
先生、どうなの? 私の尋常ならざる決死の覚悟、あなたに理解できまして? ねえ、どうなの?

 

 桃水との初顔合わせでは「耳が火照って唇が乾き、言わないといけないこともわからなくなっ」ていた少女は、わずか4年でここまで肝の座った女に成長していた。
 久佐賀は、「あなたには財運はあるけれど、それは知によってもたらされるもので、直接的な金銭運はないから止めなさい」などと答えてその場をあしらったものの、図々しい願いを、理と情に訴えかける名台詞で正当化した一葉にすっかり興味を持ってしまったらしい。数日後、「君が精神の凡ならざるに感ぜり」とかなんとか言って、梅見に誘ってきたのだ。
 してやったり、である。
 そして、もう小娘ではない一葉は、じらすような断りの返事を送った。駆け引きを始めたのだ。もちろん、目的はお金。これより後、久佐賀は定期的に金銭的援助を始める。
 一葉研究者はこの辺りの話になると口を濁してしまうことが多い。「一葉のしたたかさ」と表現するのが精一杯だ。そりゃそうだろう。やっていることは完全に色仕掛けなのだから。
 何をどう取り繕おうと、明らかに「女」を使っていた。四ヶ月後には久佐賀が「僕のものになってくれたらもっとお金をあげるよ」と提案してくるほど思わせぶりな態度をとったのだ。少なくとも、海千山千の男に「これはいける!」と勘違いさせる程度に。
 これに対し、一葉は日記で「かの痴れ者わが本性をいかに見けるにかあらん(あの馬鹿男、私って女をどう見てたわけ!?)」とわざとらしいほど激怒してみせるのだが、さすがにこればかりは久佐賀が気の毒というもの。怒りの表明は、或る種のアリバイ、もしくは自分へのごまかしのようにしか見えない。事実、こんな手紙を送ってきた久佐賀との付き合いは、翌年4月頃まで続いている。かつてはたわいない噂話で心の恋人に絶交宣言までしたというのに。
 この変化をどう見ればよいだろうか。
「貧すれば鈍する」で厚かましくなっただけ?
 いや、もっと積極的な意志があったように思えてならない。
 この頃から、悪女願望が芽生え始めていたのではないか。そんな気がするのだ。
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。」と嘯いたのは戦後の坂口安吾だが、一葉は敗戦なんぞ体験せずとも、そんなことは先刻承知だった。
 そして、それは一葉文学の重要な核になっていく。
 代表作のひとつ「大つごもり」のお峰は、家族のために盗みに手を出す。まだ若いお峰は罪悪感に身も心も細る思いをするが、蟻の一穴をあけてしまったのは間違いない。
「たけくらべ」のおきゃんな美登里はいずれ男を手玉に取る名妓になっただろう。
「にごりえ」のお力、一片の純情を残しながらも男あしらいがうまい酌婦の挙動は、それまで一葉が書いたどんな女よりも生き生きとしている。
 何より、未完の絶筆となった「うらむらさき」。この主人公のお律は、人の良い夫を何食わぬ顔で裏切って結婚前からの恋人と逢瀬を重ねている、という設定なのだ。
 だが、登場人物だけではない。
 現実の一葉も、したたかでしなやかな女に脱皮しつつあったのではなかったか。
 一葉宅に出入りしていた泉鏡花は、晩年になって「薄紅梅」という作品の中にこんなシーンを書いている。

一葉女史は、いつも小机に衣紋正しく筆を取り、端然として文章を綴ったように、誰も知りまた想うのである。が、どういたして……(中略)――と二十三の女にして、読書界に舌を巻かせた、あの、すなわちその、怪しからん……(中略) ――「失礼な、うまいなり、いいえね、余りくさくさするもんですから、湯呑で一杯……てったところ……黙ってて頂戴。」――
端正どころか、これだと、しごきで、頽然として居た事になる。最も、おいらんの心中など書く若造を対手(あいて)ゆえの、心易さの姐娘(あねご)の挙動であったろうも知れぬ。
(泉鏡花「薄紅梅」より)

 

 鏡花自身がモデルと思しき辻町糸七なる人物に、一葉が気晴らしに湯呑み酒をあおる、なんとも蓮っ葉な姿を目撃させているのである。
 このシーンについては、一葉の死後に広まった怪しげな噂を元にした完全な創作と見なされることが多いが、さて、本当のところはどうだろう。妹も親友も「行儀の良い人」と褒める一葉だが、なにせ「物つつみの君」である。親しい人にはかえって見せない顔があってもおかしくない。とりあえず、鏡花は一葉にちょっとホの字だったらしい。この場面にしても「僕だけが知っているあの人の素顔」をはしゃいで書いた感がある。
 閨秀作家は、優等生の仮面を外そうとしていた。そんな変化を促したのは、吉原界隈の女たちだけではなかったように思う。他にも、或る種の作用を与えた一群がいた。それは、彼女をアイドル視していた若手文学者たちだ。文壇デビューして以降、一葉宅は彼らのサロンのようになり、一葉は「文学オタサーの姫」と化しつつあったのだ。
 このオタサー、メンバーがなかなか強い。有名どころでは前出の泉鏡花のほか、島崎藤村や上田敏などがいた。後に英文学者となった馬場孤蝶や平田禿木は近衛兵状態で、時に姫の寵愛を争った。
 ただし、彼らは基本、人あしらいのいい樋口家の厚意に甘えて、姫に貢ぐどころか貧家で夕食やおやつを食べて帰る始末だった。実に気の利かない連中である。
 とはいえ、一葉もただ無邪気に交流を楽しんでいただけではない。年上で、ある程度稼ぎのあった村上浪六には、それとなく借金を申し込んでいる。つまり、しっかり相手を見て、すべきことはしているのだ。そして、願いを無視されたら日記上で口を極めて罵った。普段は、

「利欲に走れる浮き世の人あさましく、厭わしく、これゆえにかく狂えるかと見れば、金銀はほとんど塵芥の様にぞ覚えし(要約 金金いう人まじウザいし、金にこうまで狂うの? って感じだから、金銀なんてゴミ同然)」

 

 などと嘯いているわりには、お金への執着は相当だ。まあ、貧が骨身に沁みれば誰でもそうなる。
 孤蝶などはいつも姉のように接してくれたと後に述懐しているが、さて腹の底はどうだったか。明治なら中年増と言われる年齢になって、悪女的振る舞いを見せるようになった一葉が、続々集結してくるオタサーの面々を利用せずにすましただろうか。
 今となっては、もうわからない。
 直後、一葉の前途は絶たれてしまったのだから。

オタサーの姫、闇落ち前に死す

 称賛と崇拝の念を隠そうともしない男たちに囲まれ、一葉はいよいよ「奇跡の14ヶ月」を迎えることになる。しかし、それは「鬼籍への23ヶ月」でもあった。
 明治27(1894)年12月、「大つごもり」を「文學界」に発表。明けて明治28(1895)年1月から不朽の名作「たけくらべ」の連載が始まる。「にごりえ」「十三夜」などの代表作はすべてこの年に書かれた。
 いろんなことが好転し始めたこの時期の日記は、実に溌剌としている。時には、

【本文】
ようよう世に名を知られはじめて珍し気にかしましゅうもてはやさるる、嬉しなど言わんはいかにぞや。これも唯目の前の煙なるべく、昨日の我と何事の違いかあらん。

【訳】
ようやく有名になり始めて、珍獣みたいにもてはやされているけど、別に嬉しいとは言えないね。だってこんなのは目の前の煙みたいなもので、すぐに消えるでしょうし、そもそも私自身がちょっと前の私となんの違いもないんだから。

 などと空中の誰かを牽制して見せながらも、遅れてやって来た青春を楽しんでいる感がある。
 そして死の当年、一葉の文名はピークを迎えた。「たけくらべ」を森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨の大家三人が絶賛したのだ。

われはたとえ世の人に一葉崇拝の嘲りを受けんまでも、この人にまことの詩人という称をおくることを惜しまざるなり by 森鴎外
(訳 世の中の人に「あいつ、一葉に惚れんじゃね?」ってpgr(注1)されたとしても、彼女に「まことの詩人」という称号を送るのをためらわないね、俺は(キリッ)

大方の作家や批評家に技量上達の霊符として呑ませたきものなり by 幸田露伴
(訳 霊符を燃やした灰を飲んだら病気が治るっていうじゃん? あれみたいに、文章上達の薬として、そこらの作家とか批評家とか名乗っている連中にこの小説を飲ませてやりたいよね)

 評を読んだオタサーのメンバーたちは飛んでやって来て、涙を流して喜んだそうだ。もちろん、一葉も喜んだ。喜んだが、拗ね者精神もいかんなく発揮した。
「そは槿花一日(きんかいちじつ)の栄え(注2)」で、

【本文】
我れを訪う人十人に九人まではただ女子なりというを喜びて、珍しさに集うなりけり(中略)誠は心なしのいかなる底意ありとても知らず。

【訳】
私を尋ねてくる連中の九割は、ただ私が女だってのを珍しがって、そこに喜んでいるだけ。(中略)実際のとこは誠意なんてないし、それどころか腹の底では何を考えているかわかったもんじゃないわよ。

 と突き放している。
 うむ、それでこそ一葉である。人の褒め言葉を素直に受け取っては「こじらせ女子」の沽券に関わる。簡単にデレてはいけない。そもそもこれは極めて冷静かつ客観的な判断だ。賢女の証ともいえる。
 とは言いながらも、やはり素直に喜んでおくべきだった。
 これが、生前最大にして最後の栄光だったのだから。
 上記の日記を書いた二ヶ月後の7月、一葉は病を得て寝付くようになった。病名は奔馬性結核。通常、慢性疾患であることが多い結核の中で、数ヶ月で急激に悪化するタイプの結核で、現代では急速進展例と呼ばれている。
 倒れたその翌月にはもう回復の見込みはないと診断され、明確な発病からたった4ヶ月後の11月23日、息を引き取った。
 ようやく道が見え始めたというのに死んでいかなければならなかった一葉のつらさ、悔しさはいかばかりだっただろう。
 一葉は、寝付いてからはもう助からないことを理解していた。見舞った馬場孤蝶に、枕も上げられない病床から「次に会う時、私は石にでもなっているのでしょうね」と呟いたそうだ。
 死の床で、彼女は何を考えていたのだろうか。きっと様々な思いが胸に去来したに違いないが、もう書く力は残されていなかった。
 しかし、もし道を断たれていなかったら……。
「うらむらさき」に、こんな一節がある。

「悪人でも、いたずらでも構いはない。お気にいらずばお捨てなされ。捨てられれば結句本望。(中略)もう何事も思いますまい、思いますまい」とて頭巾の上から耳を押さえて急ぎ足に五六歩かけ出せば、胸の動悸のいつしか絶えて、心静かに気の冴えて、色なき唇には冷ややかなる笑みさえ浮かびぬ。

 人妻が悪女への道を自らの意志で選ぶシーンだが、瞬時に変容する女の、この鮮やかさたるや! 醸し出す濃厚なリアリティは、果たして他人を観察しただけで出てくるものか。

【原文】
誠に我は女なりけるものを、何事の思ひありとてそはなすべきことかは。

【訳】
実際、私は女なんだから、なんか思うところがあったとしても、心のままにやっちゃあいけないのよね

 死の九ヶ月前に綴ったこの有名な一節さえ、「うらむらさき」の一節の前では葛藤の証と読めないこともない。あと数年あれば、学習まんが的健気さとは真反対の、峰不二子っぽい一葉が誕生していたかもしれないと想像すると、ちょっとワクワクするではないか。もちろん、「えらい小説家」として真っ当な道を歩んだかもしれないが。
 ただ、もし長生きしていたら、お札の肖像になったかどうか。何者かになろうとしていたまさにその時に全てを閉ざされたがゆえに、妙な色がつかなかった一葉。だからお国に選ばれた。
 自立した自由な女として生きるのと、若死にしてお札になるのと、どちらがよいのか。こればかりは人の価値観にもよるだろうが、私なんぞはやっぱり後者の方がいいよなあ、と素直に思うのである。

【注】
注1:pgr
人を馬鹿にして嘲笑する声「プッ、ゲラゲラ」を略したネットスラング「プゲラ」をアルファベット表記した大変下品な言葉。指さす様子を表す顔文字「m9(^Д^)」と同時に使うことが多い。
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注2:槿花一日の栄え
ムクゲ(アオイ科の落葉低木)の花が咲いても一日で萎むように、人の栄誉など儚く空しいという喩え。中唐の詩人・白居易の詩『放言』が元ネタ。
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著者

門賀 美央子

1971年、大阪府生まれ。文筆家/書評家。主に文芸、宗教、美術関連の書籍/雑誌記事を手掛ける。主な著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』など。共著に『史上最強 図解仏教入門』『仏教人物の事典』など多数。

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