Facebook
Twitter
RSS

第17回

岡本かの子――かの子菩薩・ライジング(後篇)

2020.02.27更新

読了時間

 『文豪』という言葉にどんな印象がありますか? ここ数年、文豪をモチーフにしたゲームやアニメの影響による『文豪ブーム』で、文豪の人柄に関心が高まっています。この連載では、文豪の末期、すなわち『死』に注目をします。芸術家は追い立てられるように生きて薄命な印象がありますが、文豪はどうなのでしょうか。『死』を見つめることは『生』を見つめること。それぞれの『死』から、多様な生き方を見ていきます。
「目次」はこちら

 岡本かの子の死に様は、世間の常識に当てはめると大変なスキャンダルである。
 それは間違いない。
 だが、等身大のかの子を知れば知るほど、決して「醜聞」ではなかったと確信するようになる。なぜなら、彼女は理解者に支えられながら、ただあるがままに生きようとした結果、たまたまああいう最期を迎えたに過ぎないからだ。
 かの子の死に様は、誰よりもピュアだ。そして、あの死に様を招いたピュアネスを誰よりも愛し、尊んでいたのが、夫の一平だった。
 昭和を代表する漫画家のひとりで、一平の弟子でもあった杉浦幸雄は、かの子の人格を「稀有の芸術性を持ち、童女でいながら大母性」と表現している。そして、一平がかの子を観音菩薩と崇め奉っていた、と。
 杉浦の、夫婦への立ち位置は明確で、一平への傾倒は大変なものだが、かの子には微妙に距離を置いている。内弟子ではないため四、五回しか会ったことがないというし、彼自身かなり保守的なタイプであるようなので、かの子を絶賛する気にはなれなかったのだろう。
 しかし、そんな彼でもカリスマ性にはあてられたようだ。

 ある日、私に、
「あなたはまだ若いから、わからないでしょうが、人間、四十をすぎると『いのち』に突き当たりますよ」と、おっしゃいました。
(岡本一平『へぼ胡瓜・どじょう地獄』解説より)


 わからないと頭から決めるなら言わなきゃいいのにと思わないでもないが、おそらくこの瞬間のかの子には、夫の若き弟子にいのちについて諭しを与えなければならない、止むに止まれぬ衝動があったのだろう。
 かの子は瞬間々々の自分の気持ちに極めて忠実だった。ゆえに他人からは勝手気ままと思われた。しかし、真実のかの子は極めて論理的な人間だ。ただ、その論理の道筋がブラックボックス過ぎて、他人には少々理解しがたいだけなのだ。
 それは最大の理解者であった一平も例外ではないらしく、杉浦にこの発言の真意を尋ねられても、答えることができなかった。

 弟子の質問には、いつも即座に当意即抄(ママ)、快刀乱麻の名答が冗談まじりに返ってくるのに、その時はびっくりされたように私を睨み、うーんと唸りながら大真面目で、
「うーん、『いのち』ってのはな、うーん、あまりに貴くてな、うーん、ギョロッとしたものなんだよ、うーん」
 と、いいながら両のこぶしをグーチョクパーのグーのようにして突き出し、小指の方から一本づつ(ママ)指を開いてパーの形にしましたので、ますますわからなくなるばかりです。
(岡本一平『へぼ胡瓜・どじょう地獄』解説より)


 きっと、かの子を何があっても支えると決めて以来、一平はずっとこの調子でやってきたのだろう。
 妻は突然理解不能のことを言い始める。だが、それがどんな内容であったとしても、絶対に否定せずに受け止める。

 もし相手が条件つきの好意なら、いかに懐きよりたい心をも押し伏せて、ただ寂しく黙っている。もし相手が無条件を許すならば暴君と見えるまで情を解き放って心を相手に浸み通らせようとする。とかくに人に対して中庸を得てないわたくしの血筋の性格である。生憎とそれをわたくしも持ち伝えてその一方をここにも現すのかと思うとわたくしは悲しくなる。けれども逸作は、かえってそれを悦こぶのである。「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」
 こういうとき逸作の眼は涙をうかべている。
(「雛妓」より)


 一平のこの姿勢があったからこそ、かの子の人格が捻れたりしぼんだりすることはなく、才能は無事開花した。
 しかし、所構わず相手も選ばず発揮される天衣無縫は、アンチを生む土壌にもなった。
 たとえば、こんなエピソードがある。
 ある日、婦人雑誌の主催で座談会が開かれ、かの子がメンバーとして招かれた。
 その帰り、用意された自動車に同乗した林芙美子と吉屋信子は、かの子の家の近くまで来た時、家事を取り仕切っている老女が雨の中、傘を持って家に入る角の道でじっと待っているのを発見した。今と違って、通信手段がない時代の話である。いったい、老女はいかほどの時間、そうして立っていたのだろうか。
 吉屋はその献身に感銘を受け、素直に言葉にした。
 すると、かの子は応えて、

「愛があるからよ、あのひと(老婢)はわたくしを愛しているのよ!」
 荘重な口調で告げて車を降りてゆかれた。
 そのあとで林さんはいきなりわたくしの肩をポンと叩いて「愛があるからよ、わたくしを愛しているのよ」と口真似をしておよそおかしくて面白くてたまらぬように小さい身体をゆすって高い笑い声をあげ「あのひとはなんていつまでお嬢チャンなんですか!」とまた笑った。
(吉屋信子「逞しき童女」より)


 このエッセイを見つけたのは、林芙美子について調べていた時である。一読し、三者三様の性格や境遇がギュッと煮凝ったようなやりとりを正確に切り取る吉屋の選択眼と、かの子の変人っぷりを擁護しているように見せかけながら暴露するフレネミー(注1)っぷりにつくづく感心したものだった。
 吉屋が描写するかの子は確かに相当浮世離れしているし、それを嘲笑う芙美子は文壇敵の多い人間ナンバー・ワンの名に恥じない態度を取っている。でも、どう考えたって一番人が悪いのは吉屋だ。
 吉屋は「幼少から苦難辛苦の生を経てわが道を開いた」林さんには、無償の愛を信じて疑わないかの子が「理解の外にあった」のだろうと理解を寄せている。一方、自分はかの子の言葉を「真実溢れてこぼれた花びら」のように受け取ったと、一人でいい子になっているのだが、前後の描写に隠しきれない小姑視線が見え隠れする。要するに、無作為を装って、二人の先輩を盛大にdisっているのだ。
 もちろん、吉屋の分析は正しい。嘘もない。誰よりも先に吉屋の文才を見つけ、認めてくれたかの子を姉とも母とも慕っていたのも本心だろう。ただ、底の底では、好きになれなかったのだ。たぶん。
 なぜなら、かの子は、ただそこにいるだけで、無償の愛を知らない人間のコンプレックスを刺激したからだ。
 芙美子はもっぱら奉仕する側だった。母親や夫が芙美子の文筆活動を大いにサポートをしていた点では、二人は似た境遇だったともいえる。だが、決定的に違うのは、芙美子の場合、彼女が稼ぎ手であってこそのサポートだった点だ。これに関しては、「第3回 林芙美子 ―誰が芙美子を殺したか」を読んでいただければと思うが、彼女は終生無償の愛を知らぬまま、彼女を搾取し続ける人間に囲まれていた。
 吉屋信子は幼い頃、旧弊な父との関係に苦しんだ。また、レズビアンであったがために、愛する人との関係を大っぴらにすることはできなかった。両親に溺愛され、結婚後は夫公認の恋人と時間を過ごしていたかの子とは大違いだ。
 かの子は、この時代の女たちが――いや、今の時代でも女たちが欲してやまない「全肯定の愛」を、ずっと浴び続けていた。芙美子や吉屋が決して得られなかった環境を、かの子は生まれた時から享受し、ゆえに愛を信じる強さを持っていた。
 この差は、本当に大きい。
 かの子アンチは、その強さに本能的な劣等感を覚え、劣等感を糊塗するため無意識に嘲笑を選んだのだろう。己の劣等感を認められなくて、相手を貶めようとする人は、いくらでもいる。むしろデファクト・スタンダードかもしれない。
 かの子はたびたびこの手の「嘲笑」にさらされ、相応に苦しんでいた。一平や息子の太郎が観音と称えるかの子が、時には他人の悪口を撒き散らす俗人ぶりを発揮していたと吉屋は剔抉している。決して人格者ではなかったと証言しているのだ。
 だが、それでもかの子は特別だった。
 彼女は、自分へ向けられる悪意は、その人間の内に潜む劣等感の発露だと本能的に悟っていた。「いくらつらく当たられても私には問題はない。相手の心の問題だ」と自然に理解していた。だから、必要以上に傷つかなかったのだ。
 とはいえ、たまには我慢ならないこともあった。

 私はその境遇にあまえて私の芸術にあそび気ままにお金ばなれの好い暮らしをして居ると非難がましくいうひとがあるそうです。
 芸術は懸命な努力と奇特な志がなければどんな境遇に居ても決して行はれるものではありませんね。私の芸術が明快であり放胆華美であり肩肘あげて人生の厳粛呼ばりをことさらにしないといって、あそびなどと言う人こそかえって厳粛ごっこのあそびをしている気障な本当の苦労をしない人の言うことでしょう。
(「一平氏に」より)


 ブサイクだ、デブだ、服の趣味が悪い、化粧が下手だというような高校生レベルの悪口は聞き流せた。だが、自分の創作活動を、金満夫人の道楽扱いされるのには黙っていられなかった。肩肘をはった芸術でないと認めないような連中こそ、厳粛ごっこで遊んでいるだけの苦労知らずと喝破しているのは、なかなか痛快である。

お嬢様、いかにして観音になりしか

 かの子は自身を苦労人だと考えていた。
 根拠は子供の頃に近所の子供に受けたいじめ、友達のできなかった学生時代、そして一平の放蕩に悩まされた新婚時代の経験にある。
 特に、二十代は試練続きの暗黒時代だった。
 一平の熱烈な求愛に応えて結婚し、太郎を出産するも、一平は独身時代の生活を変えようとせず、収入は不安定なまま。家政がまったくできない上、初めての子育ても重なったかの子はただ呆然とするばかりだった。
 さらに実家の破産、かの子を溺愛していた長兄の病死、一躍人気漫画家になった一平は家にお金を入れず遊蕩三昧、そして最大の庇護者だった母の死と、これだけの出来事がたった二、三年の間に起こったのである。
 どれだけ強い人間でも、さすがに精神的に参るはずだ。まして、お嬢様育ちのかの子に耐えられるはずもない。
 だから、かの子は逃げた。文通していた大学生・堀切茂雄との恋愛に身を投じたのだ。
 茂雄との恋の顛末について、ここでは詳しくは書かない。
 事実関係だけを列記すると、二人の恋は燃え上がり、やがて一平の知るところとなった。だが、一平は二人を咎めるどころか、自宅での同居を勧めた。茂雄との関係は三年ほど続き、その間にかの子は二人の子を生んだ。子供たちは里子に出されているため、茂雄との間に出来た子だろうと見られている。ただし、茂雄との恋も順調ではなかった。あろうことか、かの子の妹が茂雄と親しくなったのだ。かの子は嫉妬に狂った。
 貧苦、二度の出産、子育て、恋の修羅、実家の不幸。
 波状攻撃をうけ、三度目の出産を終えたかの子の精神が音を上げた。次第に言動がおかしくなり、ついに神経衰弱と診断され、精神病院に入院した。
 この時、かの子24歳。
 ちなみに、「神経衰弱」は戦前から戦後の文学に頻出する単語だが、現在では病名として使われることはほとんどない。辞書によると、「心身の過労による中枢神経系の刺激性衰弱の状態とされ、疲労感、頭重、頭痛、過敏、不眠、集中力低下、抑うつ感などの症状」をこう呼んだそうだ。今で言ううつ病である。
 ただ、かの子の場合、単なる抑うつだけでなく、奇矯な振る舞いをするようになったようだ。精神が崩壊寸前だったのだろう。

 あなた様が、青山の家をお訪ねくださった時には、こうした私が、下町の或病院の二階の窓から、大きな澄んだ秋の月を見上げて「あれ、お月様が狂者になった。いまに私を呑みにくる……。」と云っては泣き、「あれ、あれ、あの女がまた、私の生血を吸いに来た。私のこの真赤な恋の若い血を妬んで、あの醜い女が、汚い紫色の唇をして、真っ黒な大きな口をあいて、あれ、あれ、あそこへ……。」などと普段から私の恋をのろうている女の名など呼び続けたりして、いた最中なのでございます。
(「病衣をぬぎて」より)


 耽美な文学的表現に満ちているが、実際の狂態はこんなものではなかったらしい。一平に代わって面倒を見ていた茂雄の心も削られていき、二人の仲はどんどん壊れていった。
 事態ここに至って、ようやく一平は目を覚ました。
 自らの放蕩と無責任が家庭崩壊を招き、あれほど欲しかった女が壊れてしまった。
 すべては、自分のせいだ。
 興味深いのは、ここで一平がパウロ(注2)並みの回心をしたという点である。
 以後、一平は、自らかの子の下僕、そして使徒となった。献身はかの子が死ぬまで揺るがなかった。
 ただし、決して女性崇拝者になったわけではない。ただかの子ひとりを大事と定めただけだ。
 ここで比較してみるとおもしろいのが、谷崎潤一郎の女性崇拝である。
 谷崎は「春琴抄」や「痴人の愛」などでたびたび一人の女性に盲目的に仕える男を描いているが、根底にあるのはリビドーだ。要するに、女は自分の性的欲望を満たすための道具であり、献身は欲望の一形態に過ぎない。だから、両者ともにマゾヒスト文学として読まれる。もちろん、谷崎もそのつもりで書いている。
 しかし、一平の献身は違う。なぜなら彼は、献身の第一歩を、かの子を性の対象から外すことから始めたのだ。退院後、二人は一生性的関係を持たないと固く誓った。
 その上で一平は、かの子のいうことならなんでも聞き入れると決心する。かの子の母や兄の代わりを全力で務めることにしたのだ。かの子は、家族の死によって一度は失われた「全肯定者」を再び得て、精神の安定を取り戻していった。

苦しめば苦しむほど人生に洗練される。洗練されたものには、和やかさ柔かさ、上品な明快さがひとりでにそなわる。二日も三日もご飯をいただけなかった境遇から二人が一生懸命人生を厳粛に暮らしたために、この頃のようなお金ばなれの好い暮らしになったこともあまり人は知らない。過去の色々な苦痛に洗練されて私は、実に柔(にこ)しく素直に明るい娘の子の様な女になりました。
(「一平氏に」より)


 一平によって、一度は捻れかけたかの子のナルシシズムは、再びすくすくと育ち始めた。
 かの子のナルシシズムは向日性で、稀に見る健全性を持つ。

 荒い銘仙絣の単衣を短く着て帯の結びばかり少し日本の伝統に添っているけれど、あとは異人女が着物を着たようにぼやけた間の抜けた着かたをしている。
 ――ね、あんたアミダ様、わたしカンノン様。
 と、かの女はやわらかく光る逸作の小さい眼を指差し、自分の丸い額を指で突いてちょっと気取っては見たけれど、でも他人が見たら、およそ、おかしな一対の男と女が、毎朝、どこへ、何しに行くと思うだろうとも気がさすのだった。うぬ惚れの強いかの女はまた、莫迦莫迦しくひがみやすくもある。
(「かの女の朝」より)


 このシーンは、かの子自身が自らを描いたもの。つまり、自分の姿がまったく見えていないわけではない。世間の非難は先刻承知の上。だが、それも含めて「私は私」と言い切る強さ。それが向日性の向日性たる所以だ。
 そして、かの子の生涯を見渡した今、私は向日性の自己愛こそ、世界を救う鍵だと思うようになった。

観音力=完成された自己愛

 世の中にはナルシストと呼ばれる人々がいるが、分類すると二手に分かれる。
 健やかな自尊心がナルシシズムとして発露している群と、自己肯定感を持てないがゆえに歪んだ自己愛に走ってしまう群であり、こちらは心理学用語でいうところの「自己愛性パーソナリティ障害」にあたる。
 後者の代表を文壇に求めるとしたら、三島由紀夫が筆頭格だろう。
 彼は作家として功成り名遂げてから、肉体改造を始め、国粋思想に傾倒していくが、多くが指摘する通り、この流れは彼の根深いコンプレックスによるものだった。文弱を極めた男が、心の彷徨の末にマッチョイズムに迷い込むのは、あまりにもわかりやす過ぎる、哀れな末路といえる。
 一方、かの子は、幼少期に家族からの愛を思うさまに浴び、すくすくと歪みのない自尊心を伸ばしていた。

何という感情丸出しの女だろう。彼女の瞳はちっとも男に対する防御工事が施して無かった。男の言うままを直に信じ直に受容れんと待構へ居る生娘の熱情が附添いも何にも無しに野原にぽつねんと独りで佇んで居た。
(岡本一平「へぼ胡瓜」より)


 無防備ゆえに、結婚してすぐ夫の愛を見失った瞬間、心が砕け散ったが、以前より強い愛を得るやいなや不死鳥のごとく蘇った。
 そして、自らを観音に奉ろうとする夫の期待にこたえ、無垢な母性的慈愛を惜しみなく差し出した。その結果、世にも幸せな一組の男女が完成したのだ。

 わたくしは自分達を夫とか妻とか考えません。
 同棲する親愛なそして相憐れむべき人間同志と思っています。そして元来が飽き安い人間の本能を征服出来できて同棲を続ける者同志の因縁の深さを痛感します。わたくしは因縁こそ実に尊くそれをあくまでも大切にすべきものだと信じております。そこに優しい深切な愛情が当然起こるのであります。
(「家庭愛増進術 ――型ではなしに」)


 二人がここまで心を定めきるには、宗教の教えが必要だった。
 夫妻は、戦前の知識人らしく、初めはキリスト教にすがろうとした。だが、そこに彼らが求めていた答えはなかった。だから、仏教を学ぶようになり、そこで初めて安心を得た。
 私は、二人が仏教を選んだのは当然の帰結だったと思う。彼らに必要だったのはキリスト教的赦しではなく、大乗仏教的寛容だったからだ。誰かに赦してもらうのではなく、自身が慈悲の源でなければ立ち行かないのが、二人の愛の形だ。
 極端な話、彼らは、お互いに対してだけ「完全なるもの」であればよかった。
 世間からなんと思われようが、陰口を叩かれようが、目の前にいる一人が揺るがなければ、問題ない。欠けるところのない円満な自己愛は、そのまま観音力になった。
 自分を愛し、その愛を自分以外にも向けられる人間は強い。そして、その愛を受け入れられる人間も強い。覚醒後のかの子を中心にできた小さなサークルは、そういう強さを持ち得た人々の集まりだったのだろう。
 逆に、自分を愛せない人間、無償の愛を信じられない人間にとって、かの子たちの在り方が理解できなかった。さらに、その「在り方」を認めると己のアイデンティティや思想が揺るぎかねない人々は、強いアレルギー反応を示した。前述した芙美子や吉屋、谷崎以外だと、宮本百合子、円地文子などが代表選手だ。
 満たされない愛が終生のテーマである芙美子にとって、かの子の観音力は最大の敵だ。それを受け入れたらアイデンティティが崩壊しかねない。営々と積み続けてきた我が文学世界を一突きで無に返す可能性のある女など、認められるはずがなかった。
 宮本百合子は、女が「生身の女」のまま花開くのが許せない人だった。だから、かの子の文業は一平の添削あってのものだろうと中傷した。要するに、男がいなければ何もできない操り人形だと思いたかったのだ。宮本は、とにかく同時代の女流作家を中傷せずにいられない人だったが、その対象がかの子だけでなく、芙美子や宇野千代のようなタイプに及んでいるのを鑑みれば、彼女のコンプレックスの在り処がとてもよく見えてくる。
 円地文子は、人の心を深く穿とうとした人だ。だから、刹那の情動だけが真実であるかの子のような人間を理解できるわけもなく、無防備な言動には人をコントロールしようとする裏の意図があるはずだと疑ってかかった。
 変態文学の巨匠・谷崎は、そもそも「女」を我が自己愛の道具としか見ていない。だから、ブサイクは必要ない。よって、かの子が自分に傾倒しようが、まったく心動かされることがなかった。自分の血を好いてくれるからといって蚊を愛する人はいない。むしろ、谷崎視点だと一平など変態中の変態だったことだろう。
 彼ら「かの子アンチ」の視点は、そのまま世間の視点でもあった。
 家族に寄せられた好奇と侮蔑の目には、さすがのかの子もしばしば音を上げた。だが、かつてのように病み沈むほどには傷つかなかった。自尊心という基礎体力がアスリート並に鍛え上げられていたし、自己回復のためのエネルギーを与えてくれる人々が身近にいたからだ。
 そんな人間は、多少の擦り傷では死なない。かえって強くなっていく。そして、強くなった分は、きっちりと相手に利息としてお返ししていった。決して搾取するだけではないから、かの子は愛され続けた。
 昭和13年(1938)、かの子は『老妓抄』を発表し、高い評価を得た。
 この作品において、かの子は集大成ともいうべき一首を文末に置いている。

年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり


 彼女の人生は、この一首を読むためにあったのではないか。
 もし、私が短歌を詠む人であれば、この完璧な言葉の連なりが我が身中から迸ったのなら、もういつ死んでもいいと思うだろう。
 『老妓抄』を発表した後、かの子は一平に対して、
 「パパ、もう大丈夫。おかげでこれまでになりましたわ。ありがとう」
 と礼を述べたという。その後、一年経つや経たずやで命が尽き果てた。
 そして、死にによって、かの子は「観音」として完成したのだ。
 かの子と、かの子の文学は並々ならぬ強さを湛えている。
 強さの源は、揺るぎない自己愛だ。だから、表面をさらっとなぞるだけでは、ナルシストぶりが鼻についてしまう。私も、たぶんかの子と同時代に生きていれば、「世間の視点」でかの子を見て、小馬鹿にしていたと思う。
 だが、時の隔たりが助けてくれる客観性と、観察主体である私の経年変化によって、かの子の自己愛は完全にポジティブであると理解できるようになった。
 そして、彼女の在り方こそ、生きづらい現代人のお手本になるのだ、と。
 個人が集団の悪意から我が身を守る最大の武器は、健やかな自己愛と自尊心、そして愛というエネルギーを補充してくれる理解者だ。
 だが、理解者は、まずは自ら率先して愛と肯定を与えることによってのみ得られる。

 わたしは今、お化粧をせっせとしています。
 今日は恋人のためにではありません。
 あたし(ママ)の息子太郎のためにです。
 わたしの太郎は十四になりました。
 そして、自分の女性に対する美の認識についてそろそろ云々するようになりました。
 太郎の為にも、わたしはお化粧をしなくてはなりません。太郎が、いまにいくら美しい恋人を持つとしても、ママが汚くては悲観するでしょう。そういふ日の来ない先から、わたしはせっせとお化粧します。今日は恋人の為にではありません。
(「愚なる(?!)母の散文詩」より)

 

 男の方は、今いう必要もないから別問題として、一体私は女に好かれる素質を持っていた。
 それも妙な意味の好かれ方でなく、ただ何となく好感が持てるという極めてあっさりしたものらしかった。だから、離れ座敷の娘が私に親しみたい素振りを見せるに気が付いても一向珍しいことには思わなかった。
(中略)
 湯の中の五六人の人影の後からその娘の瞳がこっちを見詰めている。今はよしと私はほほ笑んでやる。するとその娘はなよなよと湯を掻き分けて来て、悪びれもせず言う。
「お姉さま、お無心よ」
「なあに」
「お姉さまの、お胸の肉附のいいところを、あたくしに平手でぺちゃぺちゃと叩たたかして下さらない? どんなにいい気持ちでしょう」
 私はこれを奇矯な所望とも突然とも思わなかった。消えそうな少女は私の旺盛な生命の気に触れたがっているのだ。私は憐み深く胸を出してやる。
(「健康三題」より)

 

 本当の慈悲とは、ここに本当にものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当な程のものを与へる。それが本当の慈悲であります。
(「慈悲」より)


 個がなんのバリアもなく顔の見えない集団にさらされるようになった現代社会では、不用意にマス・メディアやネットの大通りに彷徨い出て事故に遭い、怪我が治らないままおかしな方向に歪んでいってしまう人たちをたくさん見かけるようになった。
 他山の石とすべきであるが、それでも事故は起こり続けるだろう。そんな時、回復を助けてくれるのが、かの子のような自己愛だ。
 自分はどこまでも肯定されるべき人間である。その確信に根拠は必要ないことを、かの子は教えてくれる。
 ただし、自己批評眼は持っていなければならない。かの子が、そうであったように。
 健やかな自己愛を一生持ち続けることができれば、きっと誰もが彼女のようなピュアな死を迎えることができるのだ。
 私にとって、かの子の死に様は誰よりも美しいものであり、羨望の的なのである。
 かの子のような観音力を、私は今から持つことができるだろうか……。
 ふむ。
 なかなか、難しそうである。

注1:フレネミー(frenemy
friend(友人)とenemy(敵)をかけ合わせた造語。友人のふりをする敵対者や、好意的に見せかけて、実は相手をおとしいれようとする人をいう。元々は中国とロシアの外交関係を揶揄して作られた言葉だったが、その後一般的な人間関係にも用いられるようになった。
←戻る

注2:パウロ/Paulos (?~65年頃)
キリスト教の使徒・聖人。ユダヤ教徒としてキリストの信奉者たちを迫害していたが、キリストの声を聞き、奇跡を体験したことで劇的に回心し、残りの半生をキリスト教の伝道にささげた。
←戻る

「目次」はこちら

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

矢印