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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第5回

恋愛

2018.04.02更新

読了時間

【この連載は…】現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。
「目次」はこちら

 ブスの悩みには、恋愛にまつわるものもあるだろう。
 今回は恋愛について考えてみたい。

 まず、「容姿が悪い」という理由で恋愛を諦めることはない。

 ただ、誤解しないで欲しい。
「恋愛をしない自由」は誰もが持っている。恋愛に興味がない人は、恋愛なんてする必要はない。ちなみに、「努力をしない自由」もある。「恋愛に興味がないわけではないが、努力は面倒くさい」という人は努力をしない方が楽しく生きられる。恋愛のない人生だって幸せだ。
 だから、これは「容姿が悪い人も、がんばって恋愛をしよう」という提言ではない。
「恋愛をしたい」と思っている人が顔を理由に恋愛市場から撤退することはない、という話だ。

 でも、「モテ」という言葉で考えるのならば、顔が良い方がモテやすいということはあると思う。
「できるだけたくさんの人から恋愛感情を持ってもらう」ということが目標の場合、自分と関係が遠い人からも恋愛対象として好かれる必要があるからだ。

 身近な人の美醜にこだわる人は少ない。恋人の顔、親友の顔、仕事のパートナーの顔、家族の顔が、「世間的にブスと言われる顔かどうか?」と常に意識しながら付き合っている人はほとんどいないのではないか? 
 あなたは、親の顔や、パートナーの顔などの美醜が気になっていますか? 友だちの場合、最初に「友だちになりたい人」を顔で選ぶことはあるにしても、何かをきっかけに仲良くなったあとは、ブスだろうがなんだろうが、どうでもよくならないですか?
 初対面で、「この人、顔は悪いけれど、良い人だなあ」と思うことはあっても、深く付き合い出してからはそんなことは頭に浮かばないようになり、「この人の、このセリフはひどいなあ」だとか、「自分のことをもっと大事にして欲しいなあ」だとか、「もう一歩、関係を進めたいなあ」だとか、他のことが気になってくるに違いないし、また、世間の基準から離れて「この顔が好きだ」となってくるのではないだろうか。多くの人が、自分と関係の深い人の顔を愛している。
 ただ、人間というものは、身近な人とだけ生きるものではない。仲の良くない人たち、会ったことのない人たちとも一緒に社会を築いている。大切な人は、近くにいるとは限らない。遠くの人も大事だ。
 そして、ときには遠くの人にも恋愛感情を抱く。
 先ほどの、「モテ」の話で、百人の人から恋愛感情を持たれることを目標にしている人の場合、身近な人が百人いる人は少ないから、遠くの人からも恋愛対象として見てもらう努力をしなければならない。
 遠いところにいる人は、顔でこちらを判断する可能性がある。だから、「かわいい」「かっこいい」はとても強い武器になる。
「かわいい」「かっこいい」は、速く遠くまで届く。
 そういうことだと私は思う。

 たとえば、告白をするシーンで、顔が理由でフラれる可能性を、ぼんやりと想像してみよう。

  1 テレビで一方的に見てきた人に初対面で告白する。
  2 通学中、電車でいつも同じ車両に乗り合わせる人に告白する。
  3 あまり話したことのないクラスメイトに告白する。
  4 一緒に仕事している委員会の仲間、同じ目標で努力している部活仲間に告白する。
  5 仲良しグループの中のひとりに告白する。
  6 昔からよく知っている幼なじみに告白する。

 もちろん、仲が良い人からもフラれることは十分にあるわけだが、そのフラれる理由が「顔」になることが、後ろの番号の、より深い関係の方が可能性が少ない感じがいないだろうか? 
 そういうわけで、ブスが告白するなら、ある程度の関係を築いてから、あるいは、同じ目標に向かって頑張っている途中、仕事で協力し合っている途中、趣味について語り合っている途中、という関係性で行うのが良いような気がする。顔で友だちや仕事相手を選ぶ人もいるから、「最初から門前払いをくらう」ということもあるかもしれないが、そういう人は相手にしないか、あるいは何かしらのきっかけがあればそういう人でも顔のことを忘れてあっさり仲良くなることはあるので、きっかけを作ればいいかもしれない。それと、世間的な評価というものが気になる人でも、メディアを眺めるときのような一方的な関係ではなく、自分ありきの関係を築くときには、相手の評価よりも、自分の評価を気にしがちだ。つまり、自分を評価してくれる相手と仲良くなりたいと思うものだ。相手の評価は二の次だ。だから、こちらは、自分の世間的な評価が高いことをアピールするのではなく、「あなたの評価をきちんとしています」というアピールをする。こちらがその人を先に評価してあげれば、「自分を評価してくれる人」として、こちらがブスだろうがなんだろうが仲良くしてくれるだろう。ちゃんとした関係を築いてしまえば、顔の障害は大分低くなる。

 そして、逆に、もしも、自分がものすごくかっこ良かったり、かわいかったりしたら、テレビで一方的に見ている人に初対面でいきなり告白しても、うまくいく可能性があるように思えはしまいか。
 アイドルへ片思いすることも、立派な恋愛だ。アイドルや俳優など、メディアの中の人への恋愛感情が起こるときには、顔が大きく作用すると思う。
 遠い関係性の人にも恋をすることができるというのは、素晴らしい。社会やメディアの発展のおかげで、こんな恋もできる時代になった。顔の美醜というものがあって良かった。「かわいい」「かっこいい」はパワーだ。
 こちらが顔で好きになったように、相手もこちらの顔が良ければ好きになってくれるかもしれない(でも、もちろん、片思いのままだって素敵だ)。

 あるいは、たとえどんなにかっこ良かったり、かわいかったりしても、友だちや幼なじみなど、気心が知れている相手への告白の際には、「かわいい」「かっこいい」が武器として使えない、つまり、顔が成否に影響しないだろう。

 人間は、遠い人の顔はジャッジする。近い人の顔はジャッジしない。近い人の顔は、好きになるだけなのだ。

「好きな顔のタイプ」というのがそれぞれあると思うが、漠然と「好きな顔のタイプ」を答えるときは、かわいいタレ目、かわいいつり目、かわいい離れ目、といった程度の、大して個性のない、結局はただの「かわいい子」を答えてしまいがちだ。漠然と想像をしているときに、「好きなタイプはブス」とブスの顔を思い浮かべることができる人はなかなかいない。でも、現実に仲良くなったときにブスを好きになる人はいる。仲良くなった人の顔がタイプになることは往々にしてあるのだ。

 これは、「長く一緒にいるとブスに慣れる」という話ではなくて、仲良くなれば顔も好きになるのが普通だという話だ。
 だから、気心が知れている相手へ告白してフラれたのならば、自分がブスでも、「顔でフラれたのではなく、人格でフラれたのだ」としっかり受け止めた方がいいだろう。

 動物も見た目で繁殖相手を選ぶことは多いから、社会における見た目の優劣の感覚は、必要なのに違いない。遠い関係性の個体を時間をかけずに選ぶのに、ヴィジュアルを基準にするのは理にかなっている。
 ただ、人間の社会は高度なので、見た目の他にも遠くまで届くものはいろいろある。テクノロジーや言葉も発達している。お笑い芸人さんがモテるのも笑いというものに遠くまで届く性質があるからだろう。
 また、動物と違って、生き残る個体、強い個体、優れた個体の概念も違う。それこそ「ユーモアのセンスがある方が生き残りやすい」という人間特有のものもある。
 この先、生き残りやすい特徴は、もっと多様になっていくだろう。
 でも、現代において、関係性の薄い百人の相手に、一発で恋愛感情を持ってもらいたいとき、「かわいい」「かっこいい」容姿を見せつけるという方法はまだまだ力がある。
 とにかく、コミュニケーションが一瞬で、時間がかからない。
 私が先ほど勧めた方法は、時間がかかるし、人数が少なくなる。
 だから、「モテ」にこだわる人は、ヴィジュアルを磨くのもいいかもしれない。

 しかし、「一生にひとりか二人ぐらいの恋愛相手と、親密で素敵な関係を築く」ということが目標の場合は、まったく異なる。
 人間は動物と違って、たくさんの子どもを産む必要がない。いや、子どもを産まなくても良い。社会を作るのにひと役買ったり、ただ一所懸命に生きて周囲と交わったりすれば、人間としての責務を果たせる。もっと言えば、社会と関わらないで孤高を極めても、多様性への一歩を踏み出しているということで、意義がある。人間は、どんな風に生きたっていいのだ。それに、同性と恋愛する人や、子どもが欲しくない異性愛者は、恋愛に子どもが関係しない。いや、いや、動物にも同性と恋愛する個体がいるので、そもそも「種の繁栄」という言葉の意味は「子どもを産む」という単純なことではないのかもしれない。
 とにかく、「見た目の良い相手と、たくさん子どもを作る」ということがすべての人間の目標であるかのような時代はもうじき完全に終わる。
 多様な目標を掲げて、それぞれ生きるようになるだろう。
 そういうわけで、目標はそれぞれなのだが、「一生にひとりか二人ぐらいの恋愛相手と、親密で素敵な関係を築く」というのは、最近の人がよく掲げがちな目標だし、このことについて考えてみたい。
 関係性の薄い百人の相手に一発で恋愛感情を持ってもらう、ということができている人で、「一生にひとりか二人ぐらいの人と、親密で素敵な関係を築く」ということはできていない人はたくさんいる。
 あなたの周りの人たちのことを思い浮かべてみて欲しい。
「一生にひとりか二人ぐらいの恋愛相手と、親密で素敵な関係を築く」ということをできている人たち、あるいは、できそうな人たちは、「かわいい」「かっこいい」といった容姿の良さを必ずしも備えていないのではないですか?
 もちろん、かわいい人や、かっこいい人でそういうことができる人もいる。でも、ブスでそういうことができる人もいる。この目標の場合、かわいくても、かわいくなくても、どっちでもいいのだ。
 怪我や病気などで大きく顔を損傷した場合も、関係はない。
 アザなどの先天性の「容貌障害」のある人でも、恋愛では顔が関係しない。

 いろいろな人を想像してみてください。顔が理由で恋愛ができない、という人なんていないと思いませんか?

「モテ」ではなく、「恋愛」だったら、まず顔は関係しない。いや、関係しないというか、どんな顔でも、その顔を好きになってもらえる。そんな気がする。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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