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よみものどっとこむ

「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第7回

結婚、それとトロフィーワイフのことなど

2018.04.30更新

読了時間

【この連載は…】現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。

 容姿差別が、人種差別や性差別、出自に関する差別などと違うのは、容姿には優劣があるということではないだろうか。
 多くの差別は、「優劣なんてない事柄に、偏見で優劣を付ける」というところから起きていて、「偏見を捨て、本来の『優劣などない世界』を取り戻そう」というのが差別をなくす行動になる。
 でも、顔立ちには良し悪しがある。
 もちろん、時代や国によって美醜の基準は変わるし、個人の好みもある。でも、「顔に良いも悪いもない」という考えを持っている人は、たとえいるとしても、少数ではないだろうか?
「自分たちの属している社会には、顔の良し悪しがある。でも、差別してはいけない」と考えるのが、容姿差別の場合の、スマートな行動につながるのではないだろうか。

「容姿で差別するな」という私たちブスからの要請を、「ブスに対して、美人と同じように接しろ」「ブスを好きになれ」ということだと勘違いしている人がいる。
 まあ、ブスもそれぞれなので、ブスによって求めることは別だろうが、少なくとも私は、美人と同じように扱われたくない。
 ブスを差別するな、というのは、悪口を言うな、仕事を没収するな、といった意味合いだ。嫌ったり、容姿を下に見たりするのは、私の場合はまったく構わない。どうぞ、どうぞ。人間として下に扱われるのは心外だが、「容姿が下だ」と思われるのは、全然つらくない。
 私としては、「こちらを『ブス』と言うのはオーケーだが、仕事を辞めさせようとする、居場所を移動させる、性的に愚弄する、人権を無視するような言葉を浴びせる、といったことは差別だ」と思っている。

「英語が話せない人を差別して良いか?」という例えで考えてみてはどうだろう? 英語が話せる方が良いか、話せない方が良いか、と考えれば、話せる方が良いに決まっている。英語があまり使われていない国で生きていくならば英語はできなくてもいいが、世界的な仕事をしようとしたり、英語圏に出かけたりするとき、英語が話せるに越したことはない。だが、たとえグローバルなシーンでも、英語が公用語の国でも、英語が話せない人のことを、罵倒してはいけない。英語ができない人を、性的に愚弄してはいけない。英語が話せない人を、「人間として下位にいる」とみなしてもいけない。また、「英語ができないなら、国へ帰れ」「自分の国で仕事をしろ」というのも言ってはいけない。英語ができなくても、コミュニケーションの方法はいろいろあるし、他の能力はすごく高いかもしれない。英語のできない人が、世界的に有意義な仕事を成し遂げることは十分にあり得る。人間としては下ではない。「英語が話せない」というのが、「英語が話せる」よりも劣等だとしても、差別をしてはいけない。

 それと同じように、容姿のことも、「優劣はあるが、差別はいけない」と考えるのが自然なように私には思えるのだ。

 どうも、また話が脱線した気がする。だが、ともかくも、「容姿には社会的な優劣がある」と私は思っている。
 それを踏まえて話を進めたい。
 恋愛シーンでは、個人と個人がコミュニケーションを取って、気持ちが盛り上がれば付き合うことになる。その後、結婚ということが持ち上がったときに障壁が感じられる場合があるのは、「優れた人と結婚することによって、社会的な成功者だと周囲からみなされたい」という欲を多くの人が持っているからではないだろうか。
「優れた人と息子や娘が結婚することによって、社会的な成功者だと周囲からみなされたい」という欲もあるだろう。
 日本では最近、結婚式が少なくなってきているらしいが、「結婚式をしなくても写真だけは撮る」という人は多い。その写真でハガキを作って結婚報告をしたり、年賀状にその写真を使ってそれとなく結婚を伝えたりする。SNSに載せる人もいる。
 報告を受ける側は、大概、お相手のことを、顔だけで知る。
 そりゃあ、容姿が優れているお相手との結婚報告の方が、社会的成功者感が出る。

 前々回に書いたが、身近な人は、顔をジャッジしない。優劣など気にしない。仲の良い人の顔は好きになるだけだ。でも、遠くの人は、ジャッジする。かわいい、かっこいい、は早く遠くまで届くから、容姿の優れているお相手との結婚は、社会の中でパワーを発揮する。

 トロフィーワイフという言葉がある。
 社会的にのし上がってきた人が、若くて美人な人を妻にしたがる。
 周囲の人たちに、「勝ったぞー」と知らしめるためだろう。
 アメリカのトランプ大統領に美人の奥さんがいることでも有名だ。
 お笑い芸人、サッカー選手や野球選手、起業した人、多くの社会的成功者に、若くて美人な妻がいる。

 仕事の下積み時代に付き合った女性に対して「こんなもんじゃない」と思い、「もっといい女と付き合えるようになってやる」と企む。
 いい女と結婚した人のことを、「すごいな」と褒める。

 こう考えてきて、かなりくだらなく感じられてきた。
 浅い、浅すぎる。
 トロフィーワイフと結婚する人も、それを褒める人も、それを良しとする社会構造も、浅い。
 よくよく考えたら、若くて美人な人には「きれいですね」と言いたいが、若くて美人な人と結婚した人のことは別に褒めたくない。
 奥さんがきれいなのは奥さんの努力であって、旦那さんに関係ないだろ。
 きれいな人と恋愛して、幸せになるのは、もちろん素敵なことだ。
 でも、「結婚して、すごいですね」って、言う必要、あるか?

 そうだ。結婚を社会的に評価する必要はない。
「良かったね」「お幸せに」だけでいい。
 プライベートで幸せになってね、それだけのことだ。

 日本では法的な同性婚がまだ認められていないのに、仕事のシーンでも、結婚した人を褒めたり、大人扱いしたりすることは行われていて、おかしなことだ。

 仕事と結婚をもっと分けてもいいのではないか。
 オリンピックのインタビューで、スポーツ選手に「結婚についてはどう考えているんですか?」と聞いているシーンをときどき見かけるが、関係あるのか?
 金メダルもらって、結婚に失敗したら、「金メダルもらってもねえ……」と思うのか? 成功者ではない、となるのか?
 関係ないだろう。金メダルをもらったらそれだけですごいのだから、結婚しようがしまいが、離婚しようがしまいが、関係ない。仕事の成功は、恋愛や結婚と無関係だ。金メダルをもらったら、それだけで成功者だ。

 私は、これまで深く考えずに、結婚した人を褒めるようなセリフをなんとなく言ってしまっていたけれど、これからは絶対に褒めないことにする。

 優劣のある物事なので、評価に使おうとしてしまうことがあるとは思うのだが、こちらが褒めなければいい。

 そして、トロフィーワイフの文化は、そのうち廃れる。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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