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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第10回

アイドル総選挙

2018.06.11更新

読了時間

現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。
※連載は終了しました。2019年初夏に書籍化されます。
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 アイドルグループが総選挙を行っている。客に投票させて、アイドルの人気順位を作り、応援の気持ちを煽る商法だ。

 確かに面白い。需要があるのはよくわかる。「一番になりたいので、私に投票してください」と懇願されたい。「あの子に負けて、悔しいです」と顔を歪めさせたい。こちらは、アイドルの人間力や容姿を評価して、そのアイドルよりも上の立場に立ち、アイドルを見下ろすことができる。支配欲が満たされる。応援している側は、自分の人間力や容姿に関わらず、金だけでアイドルと関係を築ける。

 アイドルは、顔がすべてではない。おそらく、そこがファンの心をくすぐっている。「君は世の中の全員にウケるような美人ではないけれど、オレ(私)だけは君の可愛らしさを評価できるよ」といったことを言いたい人がたくさんいる。「顔の可愛さだけじゃない、女性の魅力の多様な評価方法を僕は知っているんだよ」と上から喋りたい知識人が大勢いる。ただ、美人というほどではないとしても、大概のアイドルが可愛く、ブスはいない。「ほんのちょっと美人に足りない」ぐらいの子を見つけて、ああだこうだ言いたいようだ。

 私もアイドルという存在は好きだ。「元気をもらえる」「応援するのが楽しい」と思わせてくれる稀有な存在だ。でも、ここまでの文の雰囲気を感じてもらったらバレバレだと思うが、私は総選挙には反対だ。

 総選挙は廃止すべきだ、と私は思っている。いくら面白くても、子どもに対する大人の姿勢として、人倫に悖る。この意見は数年前にも書いたことがある。すると、アイドル本人から「私たちは、やらされているわけではなくて、好きでやっている。自分から総選挙に参加している」といった反論を聞いた。そりゃあ、アイドル本人は、やらされているとは思っていないだろう。世の中の社畜や、変な商法に騙されている客の多くが、「やらされている」なんて思っていない。自分が好きでやっていて、これのおかげで生きがいを感じている、と思っている。

 私が特にひっかかるのは、アイドルには中学生や高校生の子が多くいることだ。
 キャバクラなどの人気投票だったら、まだ理解できる。キャバ嬢は一応は大人であり、「性的な魅力を評価してもらう仕事をしている」という意識を持っているだろう。客も、「騙されることを楽しもう」という気持ちで臨んでいるだろう。でも、アイドルの場合は、アイドル側も客側も、意識をちゃんと持てていない。

 総選挙は女性のアイドルグループで行っている。一方で、男性のアイドルグループの人気投票というのはあまり見かけない(男性グループのファンは、「誰が一番か」ということよりも、むしろ、「誰と誰が仲良しか」「この子とこの子の仲良し度合いを見たい」といった、組み合わせの妙を楽しむファンが多いようだ)。
 ここで、リアルに想像してみて欲しいのだが、もしも、中学生や高校生の男の子が属しているグループに対して、三十代や四十代の女性客が、「あの子はかっこいい」「あの子はそんなにかっこよくはないけれど、笑いが取れるから評価してあげたい」などと言って人気投票を行っていたとしたら、どうだろうか? 「子どもの性的魅力に対して、大人があれこれ言うのは変だ」という感じがしないだろうか?

 日本は、少女を大人扱いしすぎだと思う。
 少年のことは子どもだと認識しているのに、少女のことは大人だと勘違いしている。
 日本では、「男はバカだ」「男はダメだ」といったことが大人に対してもよく言われていて(もちろん、私はこういうセリフが嫌いだ)、「男子高生はガキ」「男子中学生はまだまだ子ども」といった少年向けの言葉もたくさん耳にする。
 その一方、「女性は頭がいい」「女性はしっかりしている」といったことがさかんに言われ、「少女は早く大人になる」「女の子は男の子よりも成長が早い」といった少女向けの言葉が溢れる。
 マンガなどでも、小学五年生くらいから「お母さんの代わり」ができる設定になっているものをよく見かける。家事を行ったり、「お父さんたら、ダメでしょ」「お兄ちゃん、しっかりしてよ」などと父親や兄を叱ったりする。
 おそらく、「男性は仕事をしたら大人。女性は生理が来たら大人」という間違った概念が世間に蔓延しているのだろう。
 精通があったからといって大人にはならないのと同じように、生理によって大人になることはない。女性から見た男の子が性的に魅力を持ったからといって、その子が大人にはならないのと同じく、男性から見た女の子が性的に魅力を持ったかどうかは、大人になる基準ではない。
 だが、性的な魅力のある女の子は大人の男性とも普通に会話できると思われがちだ。
 女性は十代前半から大人と渡り合える、と誤解されている。

 そういうわけで、まあ、十八歳以上に対してなら総選挙のようなものも仕方ないのかな、とは思えるのだが、それでも、二十二歳ぐらいまでの若い人に対しては性的魅力を評価することに慎重になった方がいい、と私は考えている。
 たとえば、女子大生と三十代四十代のサラリーマンのカップル、といった人たちをよく見かける。若い女性に対して、大人の男性側が、「相手の方がしっかりしている」「僕の方が怒られている」なんてことを言う。それはもちろん問題ではないし、本当のことなのだろうと思うのだが、女子大生は、男子大生と同じく、大人同士が築くのと同じような人間関係を築くのはまだ難しい。そのことは知っておいた方がいい。そして、男性と同じように、二十代後半、三十代、……と成長するに従ってどんどん価値観が変わっていく。相手の成長を受け止めて、関係性を変えながら付き合っていく覚悟が必要だ。それから、二十代前半くらいまでは、女性も男性と同じように、性的な行動を取るときに冷静な判断を下せないことが多い。性的に傷つけられた場合、PTSDなどにより、生涯苦しむ。大人側は配慮して付き合わなければならない。

 女子小学生も女子中学生も女子高生も女子大生も、男子小学生や男子中学生や男子高生や男子大生と同じように、バカでガキだ。
  まだ成長の途中で、繊細で不安定だ。
  このぐらいの年齢の時期に、「私は、胸に魅力がないから、後ろを向いてお尻の角度が可愛く見えるように写真を撮ってもらおう」だとか、「私は、あんまり可愛くないから、面白いことを言って、キャラ立ちしよう」だとかといったことを考えさせられることが、アイドルにとっても客にとってもプラスになるとは思えない。

 何よりまずいのは、「私は、他の子たちに比べて太っているから、痩せよう」と思わせることだ。
 私自身、十代後半から二十代前半の頃に、摂食障害を患った経験がある(いわゆる、過食嘔吐だ)。だから、危険を強く感じる。
 もちろん、ダイエットが上手くできる中学生や高校生の子もいる。でも、失敗する子も大勢いるのだ。
 知識や精神力がまだ足りない上に、第二次性徴によってそれまでとは違う個性を持つことになる子もいる(生理による体調や食欲の変化や、PMSなどの障害を持つ子もいる)ので、十代のダイエットは危険がいっぱいだ。中には、ダイエットが得意で、ダイエットをすることによって人生が上向きになる子も確かにいる。でも、みんながみんな、その子みたいになれるわけではない。
 ダイエットや化粧や髪型を変えるといったことをしたことがない人は、アイドルの容姿の変化に際して「整形した」とすぐに言いたがるが、整形しなくても、容姿の印象はダイエットや化粧や髪型で驚くほど変わる。だから、ダイエットに成功した子が、「あなたもダイエット頑張りなよ。可愛くなれるよ」とアドヴァイスしたくなるのはよくわかる。
 数年前に、アイドルグループのリーダーの子(指原さん)が、いわゆる「ドラフト会議」のような企画の際、新人の子を自分のグループに迎えるにあたって、「3キロ痩せて」とダイエットを勧めているのを見かけた。
 指原さんはダイエットに成功して、とても可愛くなったので、厚意でアドヴァイスしただけなのだと思う。でも、みんながみんな、指原さんのような努力ができるわけではない。体質も性格も違う。
「3キロ」はほんのちょっとだ。でも、そのほんのちょっとのことが上手くできなくてつまずいて、病気にかかり、気持ちや食欲がコントロールできなくなることもある。
 十代の子に対するダイエットの勧めはリスクが高い。

 総選挙によって、ダイエットを意識するアイドルは多いのではないか。また、総選挙を見て「ダイエットをしなくちゃ」と思う若い女の子がたくさんいるのではないか。

 容姿差別は、区分けというよりも順位付けだということは前にも書いた。
 総選挙は決して容姿の順位を決めるものではないだろうが、それでも容姿を磨くアイドルや、それを見て真似する女の子はどんどん増える。
「顔じゃない。女性の魅力は他にもあるよ。僕だけが君の魅力を見つけたよ」と言いたがる知識人も、私には同じ穴のムジナに見える。「顔じゃない」と言ってあなたが応援しているその子は、どう見たって可愛い。子どもと言っていいほど若い人を、性的な魅力で順位付けすることを、大人が行なっていいのかなー?

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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