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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第11回

自信を持つには

2018.06.25更新

読了時間

【この連載は…】現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。

 この連載の頭に、「タイトルに反して、『自信の持ち方』の指南はしません」と書いてしまった私だが、最近、「自信を持つには、こういうことをしていけばいいのかもなあ」と思い当たった。それで、今回は、いわゆる「自信の持ち方」について、改めて考察してみたい。

 つい先日、ゆんころさんというモデルの方のインタビュー記事を読んで、感銘を受けた。私はゆんころさんという方をこの記事で初めて知ったのだが、ギャル雑誌で十代の頃にデビューした、人気モデルさんらしい。当時はものすごく痩せていたようなのだが、二十代後半からジムに通い始めて、今は「筋肉美女」となり、フィットネス大会での優勝も果たしたという。
 痩せていた頃も、筋トレをするようになった後も、周囲からは賛否両論で、バッシングの声も大きく聞こえたようだ。
 ゆんころさんは過去を思い起こして、このように語っている。

「(ギャルモデルをしていた頃は)マイナスな部分を隠さなくては、とプレッシャーを感じ、『本当の自分を見せてしまったら、人から嫌われるんじゃないか……』と、怯えていたんです。でも、いくらエステに行っても、着飾っても、自分の表裏のギャップは埋められません。それが、大会という目標に向けて筋トレやフィットネスを頑張るようになってからは、『これだけ努力したから大丈夫』という自信になり、内面の葛藤もたいしたことではないと思えるようになりました」

「(筋トレを始めた頃は)まだフィットネスのブームが来る前だったので、『気持ち悪い』とか『どこを目指しているのかわからない』とか、もう散々……。でも、自分が好きなことをしているから、何を言われても気にならないんですよ。『もうやめよう』とは、一切考えませんでした。『好き』は、無敵。大きなエネルギーになるんです。埋められない自信のピースは、自分で埋めなくちゃ、と思います」

(「筋肉モデル“ゆんころ”、階段も上れない31kgのギャルモデルからの転身」オリコン)

 ここで、野球選手のイチローさんの小学生時代の作文を思い出した。

 ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3才の時から練習を始めています。3才~7才までは、半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日は、はげしい練習をやっています。
 だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。

(鈴木一朗「僕の夢」)

 また、村上春樹さんが、朝四時に起きて、決めた原稿量を執筆し、もっと書きたくても決めていた分を書き終えたらやめ、休日には適度な運動をして、規則正しく仕事をしている、というのは有名な話だ。
 以前、読者との交流で、「心の中で批判や中傷をどうやり過ごしていますか?」という質問があったときに、村上さんはこのように答えていた。

「こんなことを言うとあるいはまた馬鹿にされるかもしれませんが、規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。本当ですよ」

(村上春樹『村上さんのところ』新潮社)

 様々な分野で活躍する人が、規則正しく小さな努力を重ねているみたいだ。
「自分の好きなことを見つけ、毎日行うことができる適切な量の目標を設定し、それをひたすら続けて、自信を持つ」ということをしている偉大な人が世界にたくさんいるらしい。

 批判やバッシングで付けられた傷は、批判やバッシングがなくなったときに治るわけではない。他人からの賞賛や拍手によって回復できるわけでもない。
 おそらく、自分の行った努力だけが、自分を助けてくれる。
 自分が目標を定め、自分が努力をして、それを自分が認識したときに治る。
 自分だけが、自分の自信を回復できるのだ。

 だが、私がこのことに気がついたのは、ごく最近だ。
 昔の私は、「自信とは、何かを達成したり、周囲から評価されたりしたときに湧いてくるものだ」と誤解していた。
 私は作家デビューをした後、自作に対するバッシングの声がたくさん聞こえるようになった。
 作家としてなかなか自信が湧いてこない。けれども、「十冊書籍を刊行したら」「ヒット作が書けたら」「賞をもらえたら」「目上の作家の方から、褒めてもらえたら」……、自信が湧いてくるのではないか、そんなことを夢想していた。
 しかし、全然そうではなかったのだ。
 本はなかなか売れず、賞の候補に何度も挙げられては落とされて疲れ切った。
 スランプになり、三年ほどの間、本を出すのが怖い、なかなか書けない、パソコンに向かうと涙がだらだら出てくる、という状態が続いた。
 スランプの終わりは、流産をして、そのあとすぐに父が死んだときだった。
 がんで入院中の、死ぬ直前の父に、「入院費などは私が払える。作家の仕事で稼げているから」という話の流れで、
「私は文学賞ももらわなかったし、あまり評価されてはいないけれども……」
 と、自分の仕事の話を漏らしたことがあった。
「こつこつやるだけでいいんだよ。賞はもらわなくていい」
 父は簡潔に言った。
 病床の父は、自身でも死が近づいていることを知っていただろうに、新聞を毎日読み、新しい言葉に出会うと震える字でノートに書き写していた。がんを患って不本意ながら退職し、もう新しい言葉を覚えたところで仕事に役立つ日が来るわけではないのに、死ぬぎりぎりの日まで、新しい言葉を覚えようとしていた。
 数ヶ月後に父が死んだあと、私は吹っ切れて、だんだんと小説が書けるようになってきた。
 毎日パソコンに向かえている、そのことが一番重要だと感じられる。ひとりでこつこつやれば、腹の底からふつふつと喜びが湧いてくる。書いている最中がすべてだ。仕事のあとに、本が売れることや、評価されることは、もう目標ではない。
 いや、もちろん、もしも売れたり評価されたりしたら嬉しいし、そうなるに越したことはない。だが、「たとえ売れたり評価されたりしたところで自信が持てるわけではない」ということが、どんどんはっきりと理解できるようになってきた。
 自信に、周囲の反応や、見返りは関係ない。
「自分で決めたことを、自分が続けている」という感覚が自信に繋がる。

 何かを継続していることで、自信というものは湧いてくる。
 だから、目標は持続可能なものがいい。
 何かを達成したら努力ができなくなってしまうようだと困る。
 そういうわけで、「自信を持つ」という観点から見れば、達成なんてしない方がいい。
 評価もされない方がいい。ヘタに評価されると、外野がうるさくなって、心が乱れてしまう。
 周りの人を見ていても、「過去の栄光」によって自信を得られている人はいない。むしろ、「過去の栄光」に振り回されたり、周囲からいろいろ期待されたりして、現在の自分に自信が持てなくなることが多いみたいだ。
 そして、周囲からの評価は常に変動していて安定することがないので、「周囲の評価」を基準にして自信を持とうとすると、心がぐらぐら揺れ続けることになってしまう。

 目標は小さい方がいい。
「続けることができなかった」と自信をなくすことになったら、本末転倒だ。
 また、「平日のみ」あるいは「週三回だけ」など、休みの日を設定して緩やかなルールにすることも大事だろう。
 サボってしまったり、失敗したりしても、決して自分を責めることはせず、頭を切り替え、さらに目標を小さくして再開するのがいいと思う。

 自分で決めた目標に向かって、自分らしい努力をこつこつやる以外に、生きている間にすべきことはない。

 とはいえ、年齢を重ねることでできなくなってくることがあるし、環境の変化もある。何らかの理由で、努力を続けられなくなる日がいつかは来る。
 たとえば、先日、母と雑談していたときに、「小学校の先生をしていた人が、退職後は、趣味のサークルに入って、ひとりの好々爺として、過去の仕事に関係なく、趣味を楽しんでいた」という話を聞いた。
 反対に「定年退職後も、働いていた頃の地位や経歴を誇りにして生きていこうとする人は、しんどい」という話は、よく世間で耳にする。
 件の元校長先生は、それを踏まえて、新しい扉を開いたのではないか。
 もちろん、「過去の栄光」は素晴らしいことだ。現役時代の仕事は宝物だ。
 けれども、「自信を持つ」という切り口で見ると、「過去の栄光」は効力を持たないのに違いない。「過去の栄光」を忘れる方が、今の自信には役に立つ。

 若い人も、年を重ねた人も、だいたい同じだろう。
 今の状況で可能なことを、毎日続けることで、自信が持てる。
 流れをまとめると、こういう感じだろうか。

(1)好きなことを見つける
(2)昨日も、今日も、明日も続けていけるような、小さな目標を設定する
(3)こつこつと続けていくうちに自信が湧いてくる

 もしも、「好きなことを見つける」のがまだ難しいと感じるのだったら、とりあえずは、「朝は何時に起きる」だとか、「一日一回、三十分間の散歩をする」だとか、続けていけそうな小さな習慣を作って、続けてみるのはどうだろうか?(起きる時間は四時や五時じゃなくて、十時でもお昼でも、自分で決めたのなら何時でもいいと思う)。
 まずは、自分で自分を統率できている感覚を持てると、自信を持つことへの一歩が踏み出せるのではないかと思う。

 容姿に関する自信がなくて困っている場合でも、容姿に関係のない「好きなことへの、持続的な努力」をすれば、なんとかなるかもしれない。
 いじめや誹謗中傷は、本人の成長を願って行われていることではない。いじめの首謀者や、誹謗中傷の執筆者は、ダメージを与えることだけを願って、適当に言葉を発している。だから、こちらが痩せていても「まだ太っている。どうせならもっとダイエットしろ」「ガリガリで気持ち悪い。もっと太れ」という両方の中傷があり、こちらが太っていても「もっと太らないと、キャラ作りできないぞ」「デブは不健康だから、ちゃんと痩せろ」という両方の声が溢れる。
「批判の声に応えよう」「駄目だと言われたことを直そう」という素直な努力を返そうとすると、基準がブレブレになるし、誰も責任を取ってくれないし、批判の声は毎日変化するので理解しづらいし、楽しくないから続けられないし、散々な結果になる。
 そして、「見返そう」という発想も、自分のためにならないと思う。
 ときどき、「自分をブスと言ったいじめっ子を見返すために、同窓会に向けてダイエットして整形をしておしゃれをして美人になる。ブスと言ったいじめっ子が自分に言い寄ってきたら、足蹴にする」といった内容のマンガなどを見かけるが、そんなことをしても、自分の自信には繋がらない。スカッとするためにそういうことをやってもいいとは思うが、成長には関係しないだろう。
 相手を基準にして努力をすることは、自分にとってなんにもならない。
 自分で作った基準をクリアしなければ、自信は持てないのだ。
「相手なんて、今の自分の自信に関係ない。いじめのことは忘れられないけれど、気にはならない。他にもっと気になることができたから」というレベルに行くことが目標だ。

 容姿へのいじめでつらい思いをした場合でも、容姿に関係のない、自分なりの切り口で見つけた目標に向かって努力した方が、解決に向かえるだろう。

 小さなことでもこつこつ続けていれば、死なない程度の自信は自然と湧いてくる。

 以上です。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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