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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第23回

痴漢(2)

2018.12.10更新

読了時間

現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。
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 小学一年生のとき、通っていたスイミングスクールでスキーキャンプが開かれた。大きなリュックを背負い、バスに乗り、冬山へ出かけた。コーチが引率し、大きい子がリーダーになって小学一年生から六年生までの子一緒の部屋で寝泊まりするのだが、私には友人がひとりもおらず、三泊二日の間、ひと言も口がきけなかった。コーチとも慣れ親しんでいるわけではないし、人見知りで大人しい自分が楽しめるわけがないイベントだった。
 なんで行ったんだろう? 今となっては不思議だ。まあ、行った方が親が喜ぶ、とか、行ったら成長できる、とか、そういう打算があったのかもしれない。
 私は、おもらしもおねしょも全然しない子だった。私の記憶にあるおもらしは、このスキーキャンプのときだけだ。
 大人になった今は、「トイレどこですか?」「練習の途中ですが、トイレ行ってきてもいいですか?」と尋ねるのにちょっと恥ずかしさがあるとしても、おもらしをするよりはずっと恥ずかしくないことがわかる。また、どうしても口に出すのが難しかったら、おもらしするよりは、たとえ団体行動をちょっと乱すとしても、勝手にトイレに行ってしまえばいいと思う。そもそも、尿意は数時間置きに起こるのだから、変なタイミングでもいいから、空き時間があったら、黙って部屋を出て、事前にトイレに行っておいたらいい。それもわかる。
 でも、子どもの心理は不思議な動き方をする。尿意をずっと我慢できないことはわかっているのに、「トイレに行ってきます」ということがコーチに向かってどうしても言えない。ホテルの部屋で休んでいても、一年生から六年生までの十人くらいのグループから黙って抜けてひとりでトイレに行ってくる、ということになぜか高いハードルを感じる。
 合っているタイミングで、きちんとしたセリフで、適切な音量で、「トイレに行ってきていいですか?」と言わなくてはならないような気がしていた。「トイレに行ってきていいですか?」の正解を出さなくてはならない、みんなはその正解を知っている、と思う。
 小学一年生の自分にとって、知っている人のいない宿泊中、トイレに行くのはすごく難しかった。
 何時間も何時間も我慢した記憶がある。それで、スキー場でおもらしをしてしまった。そのあと、コーチは優しく着替えなどを手伝ってくれた。
 私は記憶力がそんなに良くなくて、小学生時代の思い出をそんなに持っていないのだが、このことは鮮明に覚えているので、よっぽど屈辱だったのだろう。
 でも、こういうことは、小学三年生になれば、簡単にできるようになる。ずれたタイミングだろうが、変わったセリフだろうが、小さすぎる声だろうが、勝手な奴と思われようが、周りの人がちょっと怒るような行動になろうが、自分なりの判断でトイレに行ってしまえるようになる。

 もうひとつ、やはり、小学校一、二年生ぐらいの時の思い出がある。
 私の小学生時代は、もう三十年くらい前になるが、給食を完食することが義務づけられていた。いや、本当に義務だったのかどうかは知らないが、「義務っぽさ」が教室に漂っていた。
 先生が、「残さず食べましょう」「食べ物の好き嫌いがあるのは悪いことです」「みんなで同じような食べ方をして、同時に食べ終わりましょう」「どうしても残すときは、給食のおばさん(当時、給食調理員をそう呼ぶことが主流になってしまっていた)に謝らないといけません」といった指導をしていて、「給食だより」などのプリント類にもそういうことがしきりに書いてあった。担任の先生は優しい人だったが、そういう指導が当然という時代だったので、やはり、私のようになかなか食べ終わらない子には、「頑張ろう」「あと、ひと口」「ほら、食べようと思えば食べれるじゃない」「全部、食べられたね。すごーい」と声をかけていた。
 私の親は私をとても甘やかしてくれていたので、当時の私は偏食だった。食べられない食材がたくさんあったし、家とは違う味付けに戸惑いも覚えた。また、小学校低学年までの私は小柄で、背の順も一番前か二番目で、量が多過ぎるとも感じていた。それと、会食恐怖症というか、みんなで机をくっ付けてお喋りしながら食べる、というのにも緊張を覚えて、どうしても食が進まなかった。
 だから、「給食の時間」は地獄だった。
 確か、規定の「給食の時間」は二十分だった。その時間内には当然食べ終わらない。
「給食の時間」のあとは「掃除の時間」で、机を前に移動させて教室の後方を掃いたり拭いたりしたあと、今度は机を後ろに移動させて前方を掃除した。給食が食べ終わらない子は、その「掃除の時間」の間も、埃が舞う中で机に座って給食を食べ続け、みんなが机を移動させたら、自分も机を移動させ、ぎゅうぎゅうの机のなかでポツンと給食に向き合っていた。掃除が終わったあと、それでも食べ終わらなかったときは、料理が残っている皿を持って給食室へ行き、「残してしまいました。給食のおばさん、ごめんなさい」と言って渡した。
 あれは、すごく恥ずかしく、つらかった。屈辱だった。
 でも、こういう恥ずかしい思いをするのは当然のことで、仕方がないとあきらめていた。
 現代では、私の子ども時代のような「給食完食文化」は廃れていると思うが(というか、廃れていることを願うが)、当時の小学校には軍隊的というか全体主義というかそういう雰囲気が残っていて、その雰囲気に私自身も染まっていたのだった。
 でも、そうやって「給食を残さない」指導を学校で受けても、好き嫌いをなくすように頑張ったり、たくさん食べるように努力したりはしなかった。ただ、「給食の時間」を地獄と思いながら耐えるだけだった。家ではまったく怒られなかったし、食べられないものを食べる工夫も何もしなかった。
 だが、小学校高学年になったとき、好き嫌いは自然とまったくなくなった。背の順は真ん中あたりに移動した。大人になった現在、食べられない食材はないし、身長は平均ぐらいで、体格はむしろ恰幅が良過ぎるくらいになった。好き嫌いがなくなった理由に、今でもまったく心当たりがない。ただ、年齢を重ねる中で、私の場合はそういう風に成長した、ということなのだろう。
 とにかくも、大人の私は、あの頃を思い出すとき、「もう給食は食べられません」とはっきり言って逃げても良かったと考えるし、あるいは、あとひと口だったら、えいっと口に入れてしまえばあっさり済んだろうに、とも振り返る。しかし、小学校低学年の頃は、「給食を食べられない」ということを大きな罪だと思い込んでいたし、あとひと口と励まされたところでどうしても手も口も動かせなくて、あとひと口食べるくらいなら死にたい、と思って苦しんだ。
 子どもというのは、不思議な考え方をするものだ。そして、周りとのコミュニケーション不全に悩み、自分の体を変な風に扱ってしまう。

 

 排尿や食事といった行為は、自分に属するもので、自分の判断で自由に行うものだ。
 けれども、未熟なときには、それが上手く理解できない。
 羞恥心があるのに、それをどのように扱って良いのかもわからない。
 自尊心を持つことは良いことだ、ということも知らない。
 周りの人に、どんなタイミングで、どんな言葉を、どんな風に伝えたらいいのか、悩んでしまう。助けを求めてもいいのかもしれないが、誰に、どの場所で、どんな具合に助けを求めたらいいのか、思いつかない。

 他の痴漢被害者からは、「全然、違う」と否定されるかもしれないが、痴漢被害にあったときに、未熟だった私がどうしてもうまく対応できなかったこと、そしてそのことに強い屈辱を覚えたことは、こういった「未熟だったゆえに起きた、変な身体的経験」に少しだけ似ているように私としては思う。この感覚の延長上の、かなりひどいものを想像すると、痴漢被害に遭ったときに上手く逃げられない心理に思いが及ぶような気がする。

 痴漢被害に遭ったとき、子どもには、自分の体をどのように扱うのが良いか判断がつかない。自分が我慢すれば済むことなのではないか、とも考える。周囲に波風を立てていいのかが、わからない。羞恥心や自尊心を持つことが当然のことなのかどうかが、わからない。誰が助けてくれる人なのか、優しい人もいるかもしれないがその人は本当に迷惑ではないのか、私なんかのために時間を無駄にさせていいのか、わからない。
「痴漢被害に遭う人は、もう大人だ」と思う人もいるかもしれない。でも、十代、二十代では、まだ未熟な場合も多いのだ。三十歳になったら簡単にできることが、二十歳のときはなぜかできない、ということもある。
 前にも書いたが、日本では十七歳でも女性の場合は大人扱いされてしまうことが多いが、十七歳は、結構、子どもだ。
 大人と子どもは違うのだ。

 痴漢被害に遭った経験がない人で、「被害者が声を上げない」ことにピンとこない人は、結構多いのではないかと思う。
「勇気が出ない」「恥ずかしい」という理由は、なんとなくわかるようで、実感しづらい。
 それで、ちょっとした理解の助けになるかもしれないと思ったので、自分の経験を書いてみた。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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