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「ブス」の自信の持ち方 山崎ナオコーラ

第26回

一重まぶた

2019.01.28更新

読了時間

現代は多様性の時代と言われます。しかし社会には、まだまだ画一的な一面が強くあるのではないでしょうか。この連載で取り上げるのは「ブス」。みなさんはこの言葉から何を感じますか? 山崎ナオコーラさんと一緒に、「ブス」をとりまく様々なモノゴトを考えていきます。
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 私は一重まぶただ。

 そして、世間から吹いてくる一重まぶたへの風が強いように感じている。

 テレビのお笑い番組で、「お前、一重やん」と言って、相手をからかっているのを見たことがある。「ブス」という言葉を使わず、一重まぶた単体を指摘するだけでも悪口になる文化があるようだ。

 電車に乗ると、美容整形外科の二重手術の広告があちらこちらに貼ってある。

 女性の芸能人のほとんどが、二重まぶただ。

 二重まぶたは良いものだよ、一重まぶたは大変だよね、一重まぶたはかわいそうだね、一重まぶたの人は頑張ろう、といった風がある。

 どうも、昔よりも、その圧力は強まっている気がする。

 この頃、周りを見渡すと、私が若かったときより、二重の人が増えている。
 プチ整形か、アイテープやアイプチなどでの化粧によるものかもしれない。
 私自身の若い頃にも整形やアイプチはあったが、実行している人は少なかった気がする。昔は、整形の失敗がよくあったし、整形でも化粧でも不自然になりがちだったけれども、今は自然な形に仕上がりやすいのかもしれない。整形の医療技術が上がったり、化粧法が進化したりして、より実行しやすくなっているのだろう。

 一重まぶただと、堂々と振る舞えなかったり、自信がなくて笑顔になれなかったりするから、努力で二重まぶたに変えよう。
 友だちがみんなやっていたり、「プチ整形をしたら人生が楽しくなったよ」という体験談があちらこちらに載っていたり、YouTubeなどで一重から二重にするアイメイクが盛んに紹介されていたりするから、敷居が低くなっている。

 二重まぶたに変えたい。
 その気持ちはわかる。
 私自身、「二重まぶたにしたいな」と思っている時期があった。

 私は子どもの頃から、睨んでいないのに「睨まないで」と怒られたり、楽しんでいるのに「つまらない?」と心配されたり、「むすっとしていないで、感じ良く振る舞わないといけないよ」と注意されたりしてきた。とにかく、「目つきが悪い」「表情が乏しい」「心を開いていない」といった印象を周囲に持たれがちだった。性格が問題なのだろうとも思っていたが、小学校高学年あたりで、自分が一重まぶたであることや、目が細いことを自覚し始めて、「もしや、この性格のままでも、二重まぶたで目がぱっちりと大きかったら、印象は変わるのではないか?」ということを思うようになった。実際、クラスメイトを観察すると、目が大きい子は、大人しい性格でも、私のような印象を持たれていないようだった。「かわいいと言われたい」といった美醜の問題だけでなく、「睨んでいると思われたくない」「みんなで遊んでいるときに『つまらないと思っている』と勘違いされたくない」など、ディスコミュニケーションを改善する目的でも、「二重になりたい。ついでに、目が大きくなりたい」と考えたことがあった。
 漫画雑誌などに二重まぶたの手術の広告が載っていたり、化粧で二重まぶたっぽく見せる方法が紹介されていたりするのを読んだ。自分も大きくなったら、二重まぶたになれるように努力してみようかな……。

 ただ、「二重にしたい」と考えたあと、漠然と、「悔しい」という思いも湧いた。
「なぜ、私が他のみんなに合わせて二重にしなければならないのか?」「一重まぶたは、本当に欠点なのか?」といった疑問がもやもやと胸に浮かんできた。

 漫画やイラストにおける目の描写に関して、私は違和感を持っていた。
 少女漫画を読んでいると、女の子のキャラクターはみんな二重まぶたで目が大きく、反対に、男の子のキャラクターは目が細いことが多かった。
 でも、現実の学校で周囲を見回すと、男の子と女の子の間で目の大きさに違いはないと感じられた。
 化粧をしていない場合は、目の大きさに性差はないのではないか。
 また、女性の方が二重まぶたが多い、という現実もないだろう。
 そして、女性の方がまつげが濃いとか長いとかというのもないだろう、とクラスメイトの顔を見ながら思った。
 しかし、漫画の中では、化粧をしていない年代の子の描写でも、女の子は目がぱっちりの二重まぶたで、まつげがフサフサ、男の子は切れ長の目で、まつげが短い。
 漫画だけではない。イラストでもそうだ。ネズミのキャラクターでも、ペンギンのキャラクターでも、アヒルのキャラクターでも、子どもという設定なのに、女の子のキャラクターだけ、目がぱっちりでまつげが生えている。
 こういう描写を見て、「なんだか、変」「私の場合は、こういう描写が溢れている世界では、生きにくい」ということを小学生の私はもやもや思っていただけだった。でも、要は、「女の子は、表情が豊かでないといけない」「女の子は、リアクションをしなければいけない」「女の子は、楽しそうにしなければいけない」「女の子は、男の子が面白いことを言ったときに、笑わなければならない」「女の子は、発言よりも見た目でコミュニケーションを取らなければならない」といった空気を感じ取って悲しんでいたのだと思う。

 もしも、自分が男の子だったら、「楽しそうに見えない」「むすっとしている」という印象を持たれたとしても、「生きにくい」とまでは感じないのではないか。目の印象を「重大な欠点」とまで思って悩むことはないのではないか。

 だったら、悔しい。女の子だという理由だけで、目の印象に悩むのも、手術や化粧を頑張らなければならないのも、悔しい、と私の場合は思った。

 二重まぶたの方が良い、とは思う。一重まぶたはコミュニケーションがうまくいかなくて生きづらい、とは感じる。でも、やっぱり、悔しい。面倒くさい考え方をしがちな私は、「二重まぶたに近づける努力をしよう」と素直に決められない。

 その後、16、7歳の頃だったろうか、「一重まぶたは、黄色人種にしかない特徴だ」というのを、新聞記事で読んだ。私は驚いた。それまで、世界中で一重まぶたの人が一定数の割合で生まれている、となんとなく考えていた。でも、人種の特徴だったとは。
 俄然、「だったら、堂々としてやる」という気持ちが湧いてきた。
 様々な肌の色の人たちが、「自分の肌の色に誇りを持とう」と言っている時代に、「一重まぶたは劣等だから、そういう意識を持って控えめに生きよう」だとか、「一重まぶたという劣等感を拭うために、二重になるよう努力しよう」だとかと考えるのはそぐわないと思った。
 人種の特徴なのだったら、引け目に思う必要などないではないか。
「睨んでいる」「つまらなそうにしている」「むすっとしている」という誤解を受けても、こちらにそういう気持ちがなく、且つ、こちらとしてはできるだけ誤解をなくしたいと思っているのだから、私は悪くないのではないか。「一重まぶただから、そういう誤解が起きやすい」という、ただそれだけのことなのではないか。

 よし、決めた。私の場合は、二重まぶたにしない。一重まぶたで行く。
 私は細かいことが気になるたちで、自分の思いに合わない行動をしたあと、「どうしてああいう行動をしてしまったんだろう?」と、くよくよ考えてしまう。周囲とうまく交わるよりも、自分の考えを通す方が好きな性格だ。だから、このままの方が、自分っぽい。

 ただ、誤解しないで欲しいのだが、これは単なる私個人の考えだ。
 他の一重まぶたの人に、「二重まぶたにするのをやめなよ」なんて絶対に言わない。
 というか、二重に変えた方が生きやすくなる人や、かわいくなる人や、世界が開ける人は、実際にいると思う。だから、そう思う人は、どんどん変えた方がいい。手術や化粧も頑張った方がいい。むしろ、応援したい。
 髪の色を自由に変えていいのと同じように、まぶたも自由に変えていい。
 島国の日本には変なルールができやすくて、「日本人だから、黒髪だ」と言って校則でカラーリングを禁止する学校もある(なんと、もともと茶色い髪の人に証明書や子ども時代の写真を提出させる学校もあるらしい。愚の骨頂だ)。それがおかしいのと同じように、「日本人だから、一重まぶただ」だと縛ることは絶対におかしい。
 自分の人種にはない髪の色に変えても、その人種らしい肌の色から別の色に変えてもいいのだ。自分らしいのが一番いい。
 誰だって、生まれたときの体に関係なく、どんどん見た目を変えていいのだ。

 まぶたに強いこだわりがない人は、気楽に二重まぶたに変え、ストレスから解放されて、もっと重要な考え事をした方がいい。
 好きな格好をしている方が、勉強や仕事に身が入りやすくなると思う。

 ただ、私の場合は、一重まぶたのままでいきたい。
 体を変える自由があるのと同じように、変えない自由もある。
 人種的特徴を、「変えた方が、周囲に馴染めるよ」なんてプレッシャーをかける社会は変だと思う。
 日本人らしくありたいわけではないし、体を変えることを悪いことだなんてまったく思わないけれども、こういう形に生まれて、自分発信で「おしゃれに変えたい」と考えたわけでもないのに、周囲の空気を読んで顔を変えるなんて、後ろ向き過ぎると思う。
 コミュニケーションがうまくいかなかったからといって、「じゃあ、体を変えなきゃ」と思うのはおかしい。
 変えたい人も、変えない人も、堂々と前向きにやっていきたい。

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著者

山崎ナオコーラ

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら執筆した『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で第41回文藝賞を受賞し、作家活動を始める。2017年、『美しい距離』(文藝春秋)で第23回島清恋愛文学賞受賞。小説に『ニキの屈辱』、『ネンレイズム/開かれた食器棚』(ともに河出書房新社)、『ボーイ ミーツ ガールの極端なもの』(イースト・プレス)、『偽姉妹』(中央公論新社)他多数。エッセイ集に『指先からソーダ』(河出文庫)、『かわいい夫』(夏葉社)、『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)など。絵本に『かわいいおとうさん』(絵 ささめやゆき)(こぐま社)がある。モットーは、「フェミニンな男性を肯定したい」。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

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