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第14回

Youtuberに収入は必要ない?

2017.12.13更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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まず最初にお断りしておきますが、これから書こうとしていることは、現実的には実現不可能なことです。「ありえない」「ナンセンス」なことだとも表現できるでしょう。それはわかっているのですけれど、それでも、やはり書かずにはいられないのです。

なぜって、この話題の主役である「Youtuber」について考えるとき、どうしてもモヤモヤとした澱(おり)のようなものが心の奥底に残ってしまうから。それは拭おうとしても拭い切れないものでもあり、だからこそ文字にして気持ちを整理し、みなさんの意見を聞いてみたいと思っているのです。

早い話が、書きたいのはYoutuberのあり方に対するいくつかの疑問です。とはいっても、もちろんYoutuber全員、あるいはYoutubeそのものを否定したいわけではありません。

僕にも好きなYoutuberはいますし、アップされるのを楽しみにしているチャンネルもあります(「Almazan Kitchen」はオススメ)。

そもそもYoutubeを使えば、「あれを見たいなー」と思ったものをすぐに見られる可能性があるわけです。「えっ、こんなものまであるの?」というようなことも多いだけに、Youtubeを利用しない日はないといっても過言ではありません。いやそれどころか、なくなったら困るわマジで。

とはいえ、「そのチャンネルを持つ意味を、自分自身で問いなおしたほうがいいのではないか?」と思わずにはいられないYoutuberが存在することも残念ながら事実なのではないでしょうか? つまり、考えてみたいのはそういう人たちのことです。

つい最近も、サイゼリヤで全メニューをオーダーして大騒ぎし、ほとんどを残して帰ったYoutuberが非難されました。しかも彼らに限ったことではなく、おそらく似たようなYoutuberは他にもまだたくさんいるはずです。単に知られていないだけの話で。

いや、極端な話、その内容がおもしろければまったく問題はないのです。必ずしも「バカバカしいから×」ではなく、バカバカしくてもセンスなり知性なり、そういうものが感じられればOK。

いやいや、別に知性なんかとは無縁でもかまわないんですわ。スカッと笑えるなら、なにひとつ問題はないわけですからね。バカなこともそれをとことん“本気で”やっているのであれば、それはそれでかっこいいし。

なのに、どうして引っかかってしまうのか? つまり、サイゼリヤの例がそうであるように、現実的には人に迷惑をかけたり、誰かを不快な気分にさせたり、見るといや~な気分になってしまうチャンネルが少なくないからなのです。

新しいメディアが生まれ、それがオープンな状態になっているのであれば、深いことを考えずエチケットに反することをしようとする人たちが出てくるのは当然の話です。世の中はそういうものですから、それは容認する以外にないとも言えるでしょう。だとすれば、こういうことを書いていること自体がナンセンスだということにもなるかもしれません。

それはわかっているけれど、でも、いつまでたってもモヤモヤは消えないのです。

もちろん、嫌なんだったら、そのチャンネルを見なければいいだけの話です。僕も実際、見たくないタイプのチャンネルは表示されないように設定しています。

しかしチャンネルの絶対量が多いので、そういう努力をしたとしても“好みとは違う”ものが表示されることは多々あるのです。そして、そのサムネールを目にしただけで、またモヤモヤが現れるのです。

これはもう、逃れられないものなのでしょうね。時代が求めているツールなのですから、どうすることもできないという話。とってもシンプルな考え方。

それはわかっているんだけど、なんとかならないものかな……。

そんな思いが離れないので、いろいろ考えてみました。その結果、冒頭で触れたとおり実現不可能な、しかし「そうなってくれたらなー」と思うアイデアにたどり着きました。

でも、そのことを書く前に、改めて「Youtubeがなぜ生まれたのか」という原点に立ち戻ってみましょう。ウィキペディアで確認してみると、その点に関しては以下のような記述を確認することができます。

2005年2月14日、PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらがカリフォルニア州サンマテオで設立した。設立のきっかけはハーリーらが友人にパーティーのビデオを配る方法として考えた技術を使い、「皆で簡単にビデオ映像を共有できれば」と思いついたことによる。初めて投稿された動画は、ジョード・カリムがサンディエゴ動物園の像の前にいる様子を写した「Me at the zoo」である。

充分に推測できることですが、当初は仲間内で動画を楽しむことを目的としていたわけです。つまり(推測の領域を超えることはできませんが)、ある意味でその発想はお金儲けとは別のところにあったとも解釈できるのではないでしょうか? しかし、そこには開発者の推測を超える可能性が隠されていたので、結果的に大きく成長したということです。

次に考えたいのは、「Youtuberのタイプ」です。というのも、そのような経緯を経て誕生したYoutubeを利用する「Youtuber」には、2つのタイプが存在するからです。

まずは、「設立のきっかけ」に沿った使い方をしている人たちです。最初に考えられるのは、家族や友人、知人などと動画を共有したいという人。また、自分の体験やアイデアなどを映像化し、それを不特定多数の人に発信したいというタイプもいることでしょう。

この両者は、「純粋に楽しみたい」という部分がモチベーションになっているという点において共通点があります。

一方、Youtubeをビジネスとして捉え、再生数と連動した広告収入を得ることを最初から目的化しているタイプもいます。そういう人たちのなかにはしっかりとした機材を使ってクリエイティブな動画をつくる人も多く、そういう意味では、「キャリアは持たないが才能を持っている人たち」の可能性を切り開いたといえるでしょう。

しかし問題は、Youtubeをビジネスと考えていながら、創造性やセンス、あるいは社会的常識を持たない人の存在です。先ほど触れたサイゼリヤの人たちがまさにそうですが、そういうタイプは多くの場合、オリジナリティとは無縁です。

具体的にいえば「○○やってみた」「○○を○人分完食するまで帰れません」など、過去に他の人がやっている、誰でも知っているようなネタを、なんの疑問も持たず真似しているということです。

これは先ほど書いた「おもしろければ問題なし」という部分につながっていくのですが、オリジナリティ皆無で真似ばっかりやっているのだから、おもしろいわけがありません。

しかも厄介なのは、質の低い動画だったとしても相応のファンがついてしまったりするものだという点。そうなれば、「人気があるのかも」と錯覚してしまってもまったく不思議ではないはずです。

それに再生数が稼げれば広告収入が入るので、さらに悪ノリして注目を集めようとしてしまう。その結果、目的がどんどんズレていってしまうわけです。

「再生数を上げたかったから」と、チェーンソーを振り回したりして問題になった人が過去にいましたが、そういう人が出てきてもおかしくないという側面がいまのYoutubeにはあるのです。

でも本人たちはそんなことには気づかず、それどころか収入が得られるだけに自分自身のことを「Youtuberという職種に就く人間」だと勘違いしてしまう。ちょっと悪循環っぽいですよね。

Youtubeが登場したころから、大声で騒いでいる動画をアップし続けている古株Youtuberが、「俺はコメディアンだ」と発言している動画を見たことがあります。でも正直なところ、それでは本職のコメディアンに失礼だなと感じました。コメディアンを自称するなら、相応のクオリティが求められてしかるべきだからです。

それに多くの場合、「これ、いいな」と思わせるYoutuberのモチベーションは「まず、お金」ではないように思います。結果的にお金がついてきてはいるのかもしれないけれど、自分が信じたものを世界に発信したいという思いがあるからこそ、多くの支持を得ることができているということ。

だから、いまこそ改めてそちらに目を向けるべきなのではないかと思えてならないのです。

そこで、Youtubeまわりがもう少しいい状況になるためには、どうすればいいのかと考えてみました。その結果、ひとつ思ったことがあります。それこそが、「現実的には実現不可能なこと」なのですけれど。

つまり、いっそのこと「広告収入を払わないシステム」にすればいいのです。それでも意味のないことを繰り返す人がすべて消えるわけではないでしょうが、「お金のために騒いでいる」人たちがいなくなるだけでも、かなり状況は改善されるのではないでしょうか? そしてその結果、「本当に伝えたいこと」を持っている人の存在感が、より高まることになるのではないでしょうか?

いや、絶対に実現できないに決まってるんですけどね。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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