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よみものどっとこむ

第15回

びっくりマークは必要ない

2017.12.20更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

了解です!
ありがとうございます!
承知しました!
感謝です!
気にしないでください!

たとえばこんなフレーズを目にしたことはありませんか?

「目にするもなにも、よくある挨拶じゃん」と思われたでしょうか? でも、どこかが気にはなりませんか? 少なくとも僕には、とても気になってしまうことがあります。
つまり、「『!(びっくりマーク)』、多すぎんじゃね?」ってこと。

ただしそこには、自分に対する反省の念も含まれているのです。なぜって、いまここでこうして問題提起めいたことをしようとしているくせして、現実的には僕自身だって、メールなどの文面で、びっくりマークをこんなふうに使ってしまうから。

要するに、偉そうなことを言えた義理ではないのです。しかし、それでも気になってしまうから、今回はみなさんと一緒に、この問題について考えてみたというわけです。

というのも、メールやSNSなどで人と連絡を取り合う際、びっくりマークを使う機会がとても増えている気がするのです。いや、「増えている」どころか、もはや「定着している」というべきなのかもしれません。

拠り所にできるものは自分の記憶しかないのですが、少なくとも僕がそのことに気づき、ちょっと違和感を感じたのは、もう10数年前のことだったので。

あれは、仕事でおつきあいしていた方とメールでやりとりをしていたときのことでした。その人がしてくださった心づかいに対して、「ありがとうございます。なんだか申し訳ないです」みたいなメッセージを送った結果、返ってきた答えにちょっと面食らってしまったのです。

「印南さんは謝らないでください!」

ええッ、なんで怒ってんの? 俺、なにか悪いことしましたか?

ってな感じでビビりまくったのですが、前後のセンテンスをじっくり読み込んでいくと、どうやら怒っているわけではなさそうだということがわかったのでした。

おそらく彼女は、「謝る必要なんかないんですよ」ということを伝えたかっただけなのだろうと思うのです。だから、そこを強調するために「謝らないでください!」というびっくりマークつきの表現を使ったというだけの話なのでしょう、きっと。

とはいえインパクトはやはり大きく、結果的にそれは、「びっくりマークの使い方がおかしな方向に進み始めているのではないだろうか?」と考えるきっかけになったということ。だから、かなりの年月が経ったいまでもはっきりと覚えているのです。

いうまでもないことですが、びっくりマークの正式名称は「エクスクラメーションマーク」です。

エクスクラメーションマーク[exclamation mark]
[文章で]感嘆を表わす符号。「!」感嘆符。

三省堂の新明解国語辞典で、エクスクラメーションマークはこう解説されています。つまり、びっくりマークは感心したり、驚いたりしたときに使うものだということになります。

そういう意味において、もしもそこに謙遜の意が込められているのであれば、「謝らないでください!」はちょっとおかしな使い方だということになるはずです。

でも実際のところ、いまやびっくりマークは、「感嘆」を意味するものというより「強調」を目的とした“記号”に成り果てています。

「わかればいいんだから、どうでもいいじゃん!」と言われるかもしれませんけれど、やはりそこには執着したいのです。「わかればいい」という考え方は乱暴すぎるし、だいいち、びっくりマークが多様されればされるほど、その文章やメッセージは品のないものになっていくように思えてならないからです。

ところで、びっくりマークについて考えるとき、すぐに思い出すのは『スタートアップ・バブル 愚かな投資家と幼稚な起業家』(ダン・ライオンズ著、講談社)という本です。というのも一箇所、びっくりマークに関する興味深い記述があるのです。

これは『ニューヨーク・タイムズ』をリストラされた著者が、転職した「スタートアップ企業「ハブスポット」のハチャメチャさを明かしたノンフィクション。「意識高い系」なのに中身はスカスカなIT企業を痛烈に皮肉っているので、最高におもしろいのですが、そのなかにこんな記述があるのです。

おバカなエピソードの数々は、何を意味しているのだろう? 私にはわからない。ただあっけにとられるのみだ。同時に、ハブスポットの人たちの自己評価の高さにも、驚嘆するほかない。彼らは「最高!(オーサム)」という言葉をひっきりなしに使っているが、たいていは自分自身やお互いを表現するためだ。「あれはオーサムだね!」「君はオーサムだよ!」「いやいや、ぼくをオーサムと言うなんて、君こそオーサムさ!」
コミュニケーションには、びっくりマークを織り交ぜる。たいていこんなふうにまとめて!!!。ホームランを打った誰か、オーサムなことをした人、完璧なチームプレイヤー!!! を褒めちぎるメールを、しょっちゅう送り合う。こうしたメールはCCで部の全員に送られる。しきたりとしては、受け取った全員がまた「全員に返信」をクリックし、声援に参加する。「やったね!!!」「行け、ハブスポット、行け!!!」「アシュリーを社長に!!!」なんてメッセージを添えて。(93ページより)

つまり、この記述からは、「どうやら、海の向こうでも事情は似たようなものらしい」ということがわかるわけです。

本来であれば、びっくりマークは世界的に見ても、「びっくりしたー!」というときに使うものです。しかし、いまや「勢い」「共感」「高いモチベーション」などを言い表す記号としての機能性もまた、“世界基準”らしいということ。

だとすれば「なら、それでいいじゃん」と思われるかもしれませんが、著者が「コミュニケーションには、びっくりマークを織り交ぜる」とあえて書いているということは、それが普通ではないことの証だともいえます。

もちろん言葉は、伝えたいことを伝えるためのツールに過ぎません。だから「伝わればいい」という考え方も、厳密にいえば間違っているわけでないのかもしれません。

しかも冒頭で触れたとおり、こういうことを書いている僕自身が“手っ取り早く”相手に気持ちを伝えたいときにはそれを使っているのです。ということは、文句めいたことを書けば、そこには大きな矛盾が生まれます。

それはわかっているのだけれど、それでも、やはり引っかかってしまうのです。

とはいっても、言葉が生き物であるという観点からすれば、これは容認しなければならないことなのかなぁ……? たしかにそう考えれば、「伝わりやすいツール」としての役割は果たしているわけではありますし。

そういう意味では、もしもこの先、びっくりマークの使い方がいま以上に認知されたとしたら、それを認めなければならなくなる瞬間は訪れるのでしょう。そしてそのころには僕も、そんなことは気にならなくなっているのかもしれません。言葉と時代との関係って、そういうものなのだから。

いまの段階では、そう認めるしかないのかもしれません。

さて、そうはいっても、似たような話で、どうしても認められないこともあります。そしてこちらに関しては、時間がどれだけ経とうとも容認するわけにはいきません。それは、「クエスチョンマーク」の誤用です。

いまさら説明するまでもなく、クエスチョンマークは「疑問」を表す記号です。

~は~ですか?

という感じで用いられるわけですが、発音する際、疑問文は語尾が上がります。そして、問題はこの部分にあります。

まとめサイトなど、ウェブ上のやりとりに多いのですが、疑問文でもなんでもない普通の文章の語尾にクエスチョンマークをつけている人をたまに見かけるのです。

それでいいんだよ?
わかってるよ?
がんばろうぜ?

おわかりでしょうか? つまり彼らは、文字に感情を込めるべく、(おそらく無意識のうちに)クエスチョンマークを「発音記号」として用いているのです。でも、さすがにそれはおかしい。時代がいつであったとしても、これは明らかに不自然です。だから、こればっかりは、どれだけ時代が変わろうとも「間違い」の域を超えることはないと思います。

言葉についてグダグダいうと、「うるさいおっさん」みたいに思われることはあります。僕も、家でこのテの話題を持ち出すと、たいていは「まぁためんどくさいこと言ってる」と家族からディスられる、もしくは呆れられます。

しかし、それでも言葉に関する疑問は口に出したいし、間違いは指摘したい。

なぜなら、言葉は僕たちにとって非常に大きな意味を持つものだからです。場合によっては、使い方を誤るとトラブルにつながることだって考えられるわけです。だからそういう意味で、僕は言葉の問題に関しては今後も意地を張っていきたいのです。

もちろん、だからといって自分の言葉の使い方がパーフェクトだとは思ってもいませんし、それどころか、誤用があるのではないかと、いつもヒヤヒヤしているのですけれどね。

でも、そういう緊張状態の存在も含め、言葉と接し、言葉について考えることは楽しいのです。だからこそ、「びっくりマーク問題」についても、さらにもっと深く考えてみる必要があるのかもしれません。


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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)ほか多数。新刊は『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)

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