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第19回

まとめサイトは必要ない

2018.01.31更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

あのころ娘はまだ小学5年生くらいだったと思うのですが、その発言にちょっと驚かされたことがありました。

なにかの話をしているとき、「まとめサイト」を日常的に見ていると彼女が言ったのです。当たり前のように。

小学生がそんなものを見ているとは考えたこともなかったのですが、言われてみればそれ以前にも、ネット上で話題になっているトピックなどについて話して盛り上がることはよくあったのでした。

だから、いまさら驚くのもおかしな話なのです。が、それでもちょっと複雑な……というほど深刻ではないけれど、なんだか不思議な気分にはなったわけです。

「へー。見てるのは、どんなまとめサイト?」
「ネバー」

「なんだか知らないけど、ネガティブな名前のサイトだなー」と感じました。

ひょっとして、否定的なネタばっかり並んでいるのかもしれません。いまの時代、いろんなサイトが存在しますから、そういうのがあったとしても不思議はありません。

とはいえ親として、あんまりおかしなものを見てほしくはありません。そこで、そのサイトのことを詳しく聞いて見ることにしました。

その結果、わかったこと。

「ネバー」とは、「NAVERまとめ」のことでした。

それ「ネバー」じゃなくて「ネイバー」な。

ともあれ、小学生ですら、まとめサイトをチェックしている時代なのです。それはもう、認める以外に方法などないのです。もはやインターネットが「あって当然」なものになっていて、パソコンだけでなく、スマホやタブレットも普及しているのですから。

ましてや、大人が「見てはいけない」「見るべきではない」とダメ出しをしたところで(それどころか、止めれば止めるほど)、子どもはなんとかそこにアクセスしようとするものです。自分自身がそうでしたから、その感覚はすごくわかります。

もちろん「ネバー」の範疇にいる現時点では心配はなさそうですが、いずれは娘も、僕たち大人が見てほしくないと感じるような情報にも触れることになっていくのでしょう。もちろん気持ちは複雑ですが、でも、仕方がないこと。

たとえば僕だって、中学生くらいのころには「平凡パンチ」や「週刊プレイボーイ」のような青年誌や、あるいは自販機でしか売っていないアンダーグラウンドなエロ本などをこっそり見ていたしなー。

いや、それどころじゃないぞ。書きながら思い出したけど、中学3年のときには同級生の部屋でSM雑誌を見せられたこともあったのでしたわ。

あのときは気持ち悪いとしか表現できなくて、本当にショックだったなー。どちらかというと存在感が薄くておとなしいその友人が、陰でそういうものをこっそり集めていて、うれしそうな表情でそれらを見せてくるということ自体も気味が悪かったし。

話が大きくそれました。

つまり子どもは多かれ少なかれ、大人から禁じられたメディアを見ることによって、間接的に、少しずつ外の世界を知っていくのだと思うのです。だから、(ちょっと話が飛躍するとはいえ)そう考えていくと、まとめサイトを子どもが見ることに関しても、“基本的には”反対すべきではないのだろうなと感じるのです。漠然とですけどね。

ただ、大手企業が運営しているサイトならまだしも、もっと規模の小さいがゆえにツメの甘いサイト(むしろ、そちらのほうが多いはず)については若干の危惧を抱かずにはいられません。

そういうタイプのサイトについて、なにより気になるのは「ファクト(事実)」の有無と「公平性」です。

当たり前すぎる話ですが、個人が運営して入るまとめサイトには、客観的な視点に基づいてファクトや公平性をチェックする「編集者」が存在しません。

編集者が個人的にやっているサイトだってあるかもしれませんけれど、基本的には某巨大掲示板から拾ってきたネタを、個人のキュレーターが「自分の感覚で」選び、編集して記事にしているわけです。

すると、どんなことが起こるでしょうか?

ここで注目しなければならないのは、その段階で、情報に偏りが生じることになっても不思議ではないということです。「編集者的感覚」のないまま主観で記事を選び、編集するのですから、ある種の公平性が失われ主張的なバランスが崩れることは十分にありうるのです。

しかもインターネットメディアの性格上、そこに表示されたものは、まるで「社会全体の常識であるかのように」見えてしまったりするものでもあります。

政治や思想、人種の話題がその典型ですが、いつの間にやら「偏り」が「常識」になってしまうという危険性があるということ。

その結果、特定の人たちに対する差別も助長されるようになる可能性があります。少し前、在日朝鮮人に対する差別的な投稿をまとめたサイトが訴えられたことがありましたが、あの出来事がまさに典型です。

そもそも例の巨大掲示板に投稿する人には、偏った思想の持ち主が少なくありません。しかも「絶対的多数」に見えるそれらは、実のところ一部の小さなクラスタ(=群れ)が書いているにすぎないことがすでに指摘されています。

しかしインターネット上では、それらがあたかも圧倒的多数の意見であるように誤解されてしまったりする。問題は、そのアンバランスさです。

とはいっても、別に偏りのある人の意見を否定したいというわけではありません。明らかに偏ったものであり、自分の考え方とは違っていたとしても、それを否定する権利は僕にはないからです。考え方は人それぞれなのですから。

好むと好まざるとにかかわらず、いろんな意見があるという事実だけは認めなくてはいけないということ。

でも、それを見る側はどう感じるのでしょうか?

見る人が分別のつく大人だとすれば、どこかの段階でその記事を客観的に判断しようという意思が働くはずです。自分の経験値にあてはめて、「それは正しいか否か」を判断するわけです。そういう意味では、大人にとってはさほどの問題ではないのかもしれません。

しかし、そういった記事を子どもとか、あるいは「分別のつかない(ものごとを積極的に考えようとしない)大人が読み、真に受けてしまったとしたら?

その場合は結果的に、偏った価値観を助長させたり、場合によっては差別的な価値観などにつながっていくことも考えられるのではないでしょうか?

それが僕は怖いのです。

だからこそ、毎日まとめサイトをチェックしながらも、「こんなにたくさんのまとめサイトって、本来なら必要ないよな」と感じたりもするのです。

まとめサイトそのものをなくせと主張したいわけではなく、きちんとした編集機能を備えていることを、サイト運営の条件にすべきだといいますか……と書きながら、「そんなこと絶対に無理だ」と確信もするのですけれど。


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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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