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第20回

新聞は必要だ(前編)

2018.02.14更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

前回、「まとめサイト」について偉そうに問題提起してみました。詳しくはそちらをご確認いただきたいと思いますが、ずっと気になっていたことだったのです。

すべてがそうとは言わないまでも、客観性に疑問が残るまとめサイトも存在するのではないか、そこに書かれていることを真に受けてしまっていいのか。改めて考えてみたかったのは、そんなことでした。

で、その後、以前からモヤモヤと心のどこかにあったひとつの問題が、また自分のなかで大きくなっていきました。

新聞について、改めて考えてみるべきではないかということ。
そこで今回は、「必要だ」という観点から新聞について考えてみたいと思います。

時代の変化とともに部数が落ち続け、購読者数も減っているということで、新聞というメディアについては否定的な意見も少なくありません。

「ニュースなんかスマホでチェックできるじゃん」

端的にいえば、新聞を必要としていない人たちの意見はここに集約されると思います。

ある意味においてはそのとおりで、特に速報に関し、もはや新聞は物理的な意味でインターネットメディアに勝つことができません。

朝刊の締め切り時刻は午前1時半ごろですから、午前3時に大きな事件が起きたとしても、その日の朝刊には間に合わないことになります。午前3時といったら、配達所に新聞が届くか届かないかの時間帯なのですから。

ところがウェブメディアなら、そうしたニュースも迅速にアップすることができます。そこが大きなポテンシャルであり、逆にいえば、決して紙媒体には超えられない壁がそこにはあるということです。

けれど、「だから新聞はだめだ」とは言い切れない部分もあるはずなのです。そしてキー・ポイントは、前回触れたまとめサイトの最大の問題点である「編集力」にあると思います。

具体的にいえば、「速さ」で勝負するウェブメディアと違い、記者や編集者の経験がものをいう新聞の場合は、「経験」や「企画力」「ノウハウ」、そしてそれらを客観的にまとめる「編集力」が大きな意味を持つということ。

たとえば最近だと、2018年2月4日(日)の朝日新聞がとてもよい企画を形にしていました。実際に紙面を見るまで僕は知らなかったのですが、この日は「世界対がんデー」だったのだといいます。そのため、紙面のいたるところにがん関連の取材記事が散りばめられていたのです。

1面で取り上げられているのは、胃がんを乗り越えて結婚した若い女性。2面には、がんとの「共生」をテーマにした取材記事。「オピニオン がんとともに」というテーマが掲げられた8面の読者欄も、すべてががん関連の投稿。

日曜日恒例の読書ページ「ひもとく」でもがん関連書籍が紹介され、20・21面にも「支えられ前を向く」という記事。32面にはがんと診断された人の声が登場し、35面の科学欄では遺伝子操作でがんを攻撃する細胞療法を検証。38面では乳がんで乳房を失った母親と息子のストーリーを、そして39面では、小児がんを克服し、看護師として働く28歳の女性を紹介していたのです。

そんな紙面はとてもバランスがとれていて、どの記事にも読みごたえがありました。

こういうことを書くと、「朝日新聞を持ち上げている」というような反論が出てきそうですが、そういうことではありません(そもそも、そういう発想ってどうかなとも思いますし)。たまたま僕が朝日を購読しているだけの話で、新聞であれば、こういうことは普通にできるはずだからです。いいかえれば、それが新聞の底力なのです。

つまり、その核になっているのが「企画力」「取材力」です。それは新聞をつくる側になくてはならない=あって当然のスキル。もうひとつの力であった「速報性」の効力が失われつつある状況下においては、そのポテンシャルが、今後は特に大きな意味を持っていくことになると思います。

  • ・ 「世界対がんデー」に際して、紙面でどんなことができるか
  • ・ 誰に、どんな取材ができるか
  • ・ その記事は、紙面のどこに掲載すれば興味を持ってもらえるか

たとえば上記の特集を実現させるにあたっては、こうしたことについて議論が交わされたことでしょう。そしてその結果、「世界対がんデー」に間に合うように取材スケジュールが組まれ、それぞれの取材班が現場へ散って行ったのだと思います。

その結果が、この日の紙面で結実したわけです。

そんな取材記者の思いが文脈から伝わってくるからこそ、読者として購読料を支払っている僕もその内容に感銘し、納得することができたのです。

こうした紙面は、報道のプロフェッショナルとしての訓練を受けてきた記者だからこそ実現できたものです。

ウェブメディアの送り手を否定したいという意味ではありません。それとこれとは別の問題です。速報性を実現してみせたウェブメディアにも、相応の価値があるのですから。

しかし、いまここで強調しているのは「企画力」「取材力」です。ときにそれは、「速さ」だけでは成し得ない深みを生み出すこともあるのです。

新聞の内容がウェブに転載されるとはいえ、読めるのは新聞のなかのごく一部の記事にすぎません。いいかえれば、それが新聞のすべてではなく、そう思うべきではないのです。

その証拠に実際の紙面では、ウェブではチェックできない多くの記事を見つけることができます。先のがん関連の特集もそれにあたるでしょうし、普段は素通りしてしまうような地域欄とか、文化欄の片隅にある読者コラムなど、「読んでみたら、なかなかよかった」と思えるような記事がいたるところに隠れているのです。

いや、隠れているというよりも、読者にみつけてもらうこと、読まれることを待っていると表現したほうが近いかもしれません。

しかも重要なのは、その記事が必ずしも自分の興味の対象ではない場合もあるということ。

通常は関心のある記事しか読まないでしょうが、紙面をめくっているうち、普段なら素通りしてしまうような記事に“たまたま”目が行き、“なんとなく”読んでみたら、とてもおもしろかったというようなことが起こりうるわけです。

その結果、従来的な価値観に縛られたままだったとしたら決して身につかなかったであろう、新たなストックが自分のなかに蓄えられることになります。

たったそれだけのことだと思われるかもしれませんが、本来“知”というものは、そのようなペースで積み重なっていくのではないでしょうか? いますぐ大きな価値を生むわけではないかもしれませんけれど、そのストックはいつか必ず、自分自身の人間的な深みとして、人生のどこかで反映されるということ。

こう考えていくと、あることに気づきます。「それって、生きていく過程でいろいろなものに触れるということに似ているな」ということ。つまり「新聞を読む」ことと「人生経験」には、大きな共通点があるとも考えられるのです。

本を読めば、形にしにくいなにかが自分の内部に蓄積されます。同じことが、新聞を読むという行為にも言えるわけです。

もちろん、だからといって、読んでいない人に「新聞を読め」と強制する権利はありませんし、そんなことをするつもりもありません。

ただしそれでも、「新聞を読むと、ウェブでは伝わらないいろんなこと(“ちょっとしたこと”かもしれないけれど)がわかると思うよ。僕自身がそうだったから」ということだけはお伝えしておきたいのです。

とはいえ、「そうはいっても、具体的にどんなメリットがあるのかわからないと納得できない」という方もいらっしゃるでしょう。そこで、この話題は後編に持ち越したいと思います。次回は、「新聞を読むとどんなことが起きるか」について触れてみることにしましょう。


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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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