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第21回

新聞は必要だ(後編)

2018.02.21更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

さて今回は、「新聞は必要だ」の後編です。前回は新聞が必要な媒体である理由を思いつくままに書いてみたわけですが、今回は「新聞を読むとどんなことが起きるか」という点を掘り下げてみたいと思います。

まず、新聞のおもしろさに焦点を当てたいのですが、その場合に無視できないのは、なんといっても各紙の「スタンス」の違いです。

これについては、「いや、A紙はこうだろう」「B紙はこうじゃね?」というように、人によって感じ方に多少の違いは出てくるだろうと思います。が、とはいえ違いがあることは事実。そして、そこがおもしろいのです。

その発見が、「新聞を読むと起きること」の第一。

各紙の違いを簡単にまとめてしまえば(本来、簡単にはまとまらないものでもあると思いますけれど)、朝日と毎日はリベラルで、産経と読売が保守、その中間(よりもちょっとだけ保守寄り)に日経があるようなイメージを、個人的には持っています。

たとえば僕は、リベラルな位置にいる人間です。それがいいとか悪いとかいう問題ではなく、「そうだ」というだけの話。ですから単純に、そんな人間が産経の論調を見ると、ときに違和感を覚えたりすることもあるわけです。

でも、同じことは産経や読売の支持者にも言えるはずです。彼らから見れば、僕のような立場は「ありえない」ということになるだろうということ。

これを対立という図式に置き換えてしまうと面倒なことになりますが、好むと好まざるとにかかわらず、「そういう人もいる」ということを互いに認め合うことが大切なのではないかと思うのです。

だから僕も、そういう知性は持ちたいなと思いつつ、ときには苦悩もしているわけです。しかし、それは新聞同士のスタンスの違いがなければ考えもしなかったことでもあるはず。そこは、しっかりと受け入れなければいけないなと考えているのです。

とか言いつつ、自分の立ち位置はまだまだフラットだなんて言えない中途半端なものだとも思っているのですけれどね。

しかしいずれにしても、僕たちは主張の異なる新聞を並列させ、そこから自分の考え方を見つけるチャンスに恵まれているわけです。

そう考えただけでも、新聞を読む価値は少なからずあると言えるのではないでしょうか? そしてそこを出発点として、自分の内部で、「いろんな考え方の変化」が生じたりもするのです。

それは、複数の媒体の主張がランダムに表示されるネットニュースでは実感しづらいものでもあると思います。

なお、そのような各紙の差異は、トップ記事の扱いを確認するだけでも明らかになります。わかりやすくいうと、政権寄りの読売や産経は、その動きや主張を肯定的に書きます。一方、朝日や毎日は、そこに問題提起をしたりします。

それだけのことでも、その新聞の考え方が明確になるのです。

ところで、ネット上では新聞に対するさまざま批判が展開されています。それはそれで悪いことではないのですが、個人的にストレスを感じるのは、なにかというと「捏造」という言葉を使いたがる人の多さです。

政府のいちばん偉い人が、(本来ならそういうことを口にすべき立場ではないにもかかわらず)この言葉を好んで使っているのですから、仕方がないことなのかもしれませんけれど。

それはともかく、なぜそこにストレスを感じるのか?
理由はいたってシンプルです。

現実的に、少なくとも新聞において、「捏造」などというものはそうそうあるものではないからです。報道の裏側にはさまざまな事情があるわけですから、まったくないとは断言できない部分もあるでしょう。しかし、むしろそれは例外的で、普通はあり得ないことなのです。

なぜって、そもそも新聞記者は「ファクト」を重要視することを徹底的に教えられている人たちだから。いってみれば、「裏づけのあることだけを書く」ことが大前提になっているということ。

これが噂話を記事にしてしまうゴシップ紙なら、「そういう媒体だから」と笑い飛ばすことができます。しかし、大新聞が意図的に捏造記事を発信するなどということは、常識的に考えられないことなのです。

そんなことをしてしまったら、社の存続に関わりますし、それ以前に現場の人たちの意識はそこまで低くないはずだから。

ですから読者側も、なにかにつけて鬼の首を取ったかのように「捏造だ捏造だ」と騒ぐべきではないと思います。それは、非常に下品な行為です。

心のなかで疑っているならいいかもしれませんが、口に出す以上は「根拠」が必要です。そういう意味では、新聞にも僕たちにも、同じように守るべきエチケットがあるわけです。

それは、「知性」もしくは「品格」という言葉に置き換えられるものでもあると思います。つまり、批判をしたいのであれば「ファクト」が不可欠なのです。

あれれ? 「新聞を読むとどんなことが起きるか」について掘り下げるつもりだったのに、ちょっと論点がずれてしまったかもしれません。しかし、これはとても大切な話なので、どうかご勘弁を。

でも、こういうことばかり書いていると新聞購買層はさらに減りそうなので、最後にちょっと力を抜いて、「新聞を読むメリット」をまったく違う角度から考えてみましょう。

  1. 1. 朝刊を取りに行く手間がかかる
  2. 2. 朝刊を広げる時間を持つと、心にゆとりができる
  3. 3. 朝刊を読むと、頭が冴える
  4. 4. コラムで頭をブラッシュアップできる
  5. 5. 「月刊住職」最新号の広告が楽しみになる

1.に関しては、わざわざ外に出る必要のない人もいらっしゃるでしょうが、ともあれ「朝刊を取りに行く」という“ひと手間”の効能は決して小さくないと思います。朝一番で目的ができるので、それがプラスに働くということ。

2.と3.は、朝刊を読むことの大きなメリットだと思います。起きたばかりでぼーっとした状態の頭に、朝刊がほどよい刺激を与えてくれるということ。コーヒーを飲みながら朝刊に目を通す時間は、僕にとっても欠かせないものです。

さらに4.は、そこに精神的な潤いを与えてくれます。優れたコラムは、モチベーションを適度に高めてくれるのです。

5.は個人的な嗜好ですが、毎月20日前後に掲載されるこの専門誌の広告を見ることも、僕にとっては大きな楽しみ。しかしこれに限らず、新聞にはあらゆる書籍や雑誌の広告が載っているので、それらをチェックすることにも大きな楽しみがあると言えるでしょう。

ってなわけで、「新聞が必要である理由」について、思うところを書き連ねてみました。もちろんこれらは主観ですし、絶対的な正論ではありません、しかし、なにかと否定したくなることをあえて受け入れてみれば、意外な楽しさを見つけることができるかもしれないのです。


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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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