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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第22回

電子炊飯器は必要ない

2018.02.28更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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ある日、我が家のキッチンがなんとなく広くなっていたのでした。いや、増築したわけでもないので、物理的に広くなるはずはありません。が、そんな気がしたのです。

だから不思議に思ったのですが、すぐに理由がわかりました。

単純な話で、つまりはコーヒーメーカーとケトルの位置が変わっていたのです。たったそれだけのことで、スペースって広く感じたりするものなんですね。

と無駄に関心したわけですが、そこでまた新たな疑問が頭に浮かびました。そもそも、なぜ置き場所を確保できたのかという問題です。ただでさえ収納スペースが限られているのだから、そんな余裕はないはずなのに。

だからしばらく、そのことがモヤモヤと気にかかっていたのです。が、数日前、探し物をしていて物置を開けてみたとき、やっと理由がわかりました。物置の棚に、電子炊飯器が置かれていたのです。

つまり、キッチンから電子炊飯器が消えたから、スペースに若干の余裕ができたというだけの話。そんなこと、早く気づけよって感じですけどね。

しかし考えてみると、あの電子炊飯器はなかなか寂しい男でした。男かどうかは知りませんが、残念ながら、わりかし冷遇されていたことは否定できないのです。

あいつを買ったのはもうずいぶん前のことですが、「毎日使うものなんだし、せっかく買うなら奮発しよう」とがんばった記憶があります。ところが実際のところ、使用頻度は決して高くなかったのです。

なぜなら、「ご飯を炊く」という行為について考えた場合、我が家では文化鍋が圧倒的な権力を握っていたから。

とはいえ、文化鍋はなぜ、そこまでの地位を確立できているのでしょうか? 日常的にご飯を炊く習慣のない僕にはそこを分析することができないので、妻に「なぜ電子炊飯器より文化鍋のほうがいいのか」聞いてみました。取材は大切。

その結果、まず明らかになったのは、僕のがんばりが空回りしたということでした。かつて僕が「奮発しよう」と意気揚々と買って帰った電子炊飯器は、「家族の人数を考えると大げさな気がした」というのです。

そんな大きなものを買ったという自負はなかったのですが、主婦的な感覚からすると、無駄にスペースをとる存在でもあったようです。

また、電子ジャー特有の保温機能についても、少なからず抵抗感があった模様。長時間保温しておくのは、どことなく不衛生に感じるということで、言われてみればそのとおりかもしれません。

長時間保温しすぎて黄色くなったご飯とか、たしかに見たくないものなぁ。

一方、文化鍋でご飯を炊くとしたら、

  1. 1.米をといで30分置く
  2. 2.炊く
  3. 3.沸騰させたら弱火で7~8分
  4. 4.そのあと10分程度蒸らせばできあがり

というお手軽さ。
あくまでこれは妻のやり方ですが、いずれにしても必要な量だけササッと炊けるので、余分に余らせて保温する必要もないわけです。

つまり考え方によっては、電子炊飯器だと逆に手間がかかるということ。

働いている女性にとっては、帰宅したらご飯が炊けているというのは便利でしょうし、それを否定する気もありません。しかし少なくとも我が家では、自動でご飯が炊けている状態は必要ないのです。

それに上記のように、文化鍋ならさほどの手間はかからないようです。

米さえといでおけば、帰宅後に炊いたとしても、おかずをつくっている間に炊けるため、さほどの手間はかからないわけです。

そう考えるとますます、「電子炊飯器は必要ないよなぁ」と思わずにはいられないのです。

だいいち、ご飯の味が違います。

いまは電子炊飯器もかなり進化していて、ネットで確認してみても「ごはんのうまみと粘り&弾力を引き出す圧力炊飯」とか、「米がおどる方が、うまい!『Wおどり炊き』」とか、すごそうなことがたくさん書かれています。いかにもハイテクそうです。

でも、これは経験的な感覚なのですが、どれだけテクノロジーを駆使しようとも、やはり文化鍋で炊いたご飯のおいしさにはかなわない。そう思えてならないのです。

それからもうひとつ、文化鍋ならではの魅力があります。

ご飯が炊けてくると、鍋がカタカタと音を立てるわけですが、あれがとてもよい。朝や夕方などにあの音が聞こえてくると、「ああ、もうすぐご飯なんだな」と、なんとなく温かい気分になれるのです。

そして無意識のうちに記憶に刻まれたその音は、味にも少なからず影響を与えてくれるように思えます。

もちろん感覚的な問題にすぎないのですけれど、ご飯を口に運ぶとき、記憶の扉がちょこっと開き、カタカタという音が聞こえてきたりするのです。それが、少なからずご飯の味に好影響を与えてくれる。

そんな気がしてならないわけです。

炊飯器メーカーの人に怒られそうではありますが、結局のところ、デジタルはアナログに勝てないのかもしれません。

とか言いつつ、その一方でティファールの電気ケトルでお湯を沸かしたりしているので、「それはデジタルとはちょっと違う」とは思いつつも、「なんだかちょっと矛盾だよなぁ」とも感じはするのですが。

さて、またキッチンからカタカタと音が聞こえてきたので、我が家もそろそろ夕飯のようです。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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