Facebook
Twitter
RSS

よみものどっとこむ

第27回

エスカレーターは必要だ

2018.05.01更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

面識のある方はご存知だと思うのですが、僕は足が悪く、マトモに歩くことができません。かろうじて健常者ではあるのですけれど、障害者申請をしようかと、本気で考えている状態です。

おそらく発端となったのは、9歳のときの事故でした。そのことについては「『がんばってください』は必要ない」のところで詳しく触れていますので、そちらをご確認いただきたいのですが、つまりは大怪我をした結果、歩き方に変なクセがついてしまったということ。

そして年月を重ねていくうち、(おそらくは年齢的な影響もあるのでしょうが)どんどんそのクセがひどくなっていったわけです。

そう。なんだかもうね、どんどんひどくなっていくなーという実感があるんですよ。自分の体に対し、なんとかしてもらいたいと文句を言いたいくらい。

最近では、これ、冗談でもなんでもないんですけど、歩きながら「歩き方がわからない」と感じることもあるほどで、どうしたらいいのか本当に困っているんです。

だから、スタスタと歩いている人の姿を見ると、「ああやってかっこよく歩けたらいいのになぁ」と心からうらやましく感じます。

でも、かといって絶望しているわけではなく、「なにか、ちゃんと歩けるようになる方法があるはずだ」という思いが、心のどこかに残っているのも事実。

だから、そのためには歩き方教室へ行けばいいのか、もしくは医者に相談すべきなのかなどと、毎日考え続けているのです。答えは出てませんけどね。

ところで僕の場合に限った話ですが、外を歩くとき、特に困るのが「下り」です。というのも、スッとかかとをついて歩くことが苦手なのです。

「そんなこと簡単だろう」と思いますか? 実際のところ、理屈の上では自分でもそう感じるのですが、いざ歩く段になるとうまくいかず、結局は上記の「歩き方がわからない」というところに戻ってしまうのです。

しかも自分では意識していないものの、どうやら普通に歩いているつもりでも、かなりの前傾姿勢になっているようなのです。そのため、下り階段や下り坂では、ちょっとヤバい状態になってしまうわけです。

前傾姿勢で階段を降りる姿を想像していただければ、どれだけヤバいのかが想像できるはず。マイケル・ジャクソンの「ゼロ・グラヴィティ」ならかっこいいけど、そんな状態で階段から転げ落ちたんじゃあ、そんなのシャレにもなりません。

だから電車で移動する際、僕にとって欠かせないものが、エレベーターもしくはエスカレーター。「欠かせない」というよりは、「そこにエレベーターやエスカレーターがあってくれて本当に助かる」という感じなのです。

それらがなければ、苦労して階段を下りなければならないのですから。なんて書くと「大げさな!」と思われるかもしれないけれど、僕のような人間にとって、これは切実な問題なんだぞ。

なにしろ普通の人がスタスタスタとリズミカルに下りていく階段でも、手すりに頼りながら2、3分かけて降りなければならないのですから。

ちなみに、特に「あってほしい」と感じるのはエスカレーターのほうです。もちろんエレベーターでも助かるんだけど、エレベーターが離れた場所にある駅も多いし、できればエスカレーターで、スルッと下りたいからです。そんなこともあり、エスカレーターが階段の横にあると、それだけでホッとします。

ところがね、そうやっていつも苦労しているからこそ、痛感することがあるのです。いまの世の中は、障害のある人でもだいぶ楽に行き来できるようになりましたが、それでもエレベーターはおろか、エスカレーターもないという駅は、東京にまだまだ少なくないのです。

しかも、上りは大丈夫だけど下りがきつい僕にとって困るのは、「上りエスカレーターはあるのに、下りエスカレーターがない」という駅があること。これがね、けっこう多いんですよ。

たとえば僕は仕事の関係で、赤坂駅の6番出口をよく利用するのですが、ここがまさにそれです。ですから、仕事の関係者と駅まで一緒に帰るとしたら、そこで面倒なことになります。

なにしろ階段を下りるだけでだいぶ時間を使わなければならないので、気を遣わせてしまうことにもなるのは間違いありません。だから結局は「ちょっと、電話を一本かけなければならないので」と嘘をつき、駅に着く前に相手と別れたりしなければならないのです。

「上りがあるのに下りがない」というのは、考えてみればおかしな話です。しかし同時に、それはとてもわかりやすいことでもあります。

こういう書き方をすると誤解されそうですが、それは「下り階段で苦労したことのない人の発想」だということ。

「足が不自由で、階段を上るのに苦労する人がいるよね。だからそういう人のために、エスカレーターをつくろう」

すべての発端は、こういうことだったと思うのです。素晴らしいと思います。ただ、「できれば下りもお願いしたい」というのが僕の正直な気持ち。でも、おそらく、エスカレーターをつくってくれる人たちのなかに「下りることで苦労している人」がいるという発想が欠けているような気がしてならないのです。

「上りのエスカレーターがあれば、きっと足の不自由な人が助かるよね。でも上りと違って、下りは別になくても困らないよね」

わかりやすく表現すると、こんな感じ。実際のところ、下りがないと、僕はめっちゃくちゃ困るし、「……ああ、ないのか……」と、ちょっと悲しい気持ちになったりもします。

とはいえ現実問題として、階段をつくる側の人たちに、そのことを理解してもらうのは難しいんだろうなあとも思うのです。なぜって、たとえば僕のこういう意見が彼らに伝わる機会は、ほとんどないわけですから。

だけど、できれば今後は、上りと一緒に下りのエスカレーターもつくってもらえるとうれしいなあ。2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されるわけで、そうなると僕みたいな人も増えることになるのだろうし。

願わくば、エスカレーターをつくる人がこのエッセイを読んでくださるといいのですが、そんなわけで僕は、「エスカレーターは必要だ」とあえて言いたいのです。


  1. 0
  2. 1
  3. 2
  4. 26
  5. 27
シェア

Share

著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)ほか多数。新刊は『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)

矢印