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よみものどっとこむ

第29回

バラエティ番組は必要ない

2018.05.15更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

ときどき、ハッとするのです。

たとえば、晩酌のおかげでいい感じに酔いがまわった夕食後とか。つまりは緊張感が失われているときに多いのですが、ふと気がつけばソファにだら~んと座ったまま、な~んとなくテレビを眺めていたりすることがあるということ。

きっと、そういうことって誰にでもあるでしょ? 別に珍しいことではありませんよね。それはわかっているのですけど、でもそんなとき我に返ると、ものすごくもったいない時間の使い方をしてしまったような気分になったりするのです。

大げさだと思われるかもしれませんが、これはなかなか重要な問題ではないでしょうか? なぜって、時間は有限だからです。見るでもなしにテレビを見ている時間があったら(たとえ酔っているとはいえ)、その時間をもっと有意義に使うこともできるわけです。

しかも、ボーッとしているうちに、いつの間にか「バラエティ番組」が始まっていたりしたら困りもの。僕、ああいうのマジで苦手なんですわ。

と書いて思ったのですが、そもそもバラエティ番組ってどういう番組なのでしょうね。気になったので調べてみたら、ウィキペディアには次のような説明がありました。

バラエティ番組(バラエティばんぐみ)は、トーク・コント・コメディ・歌・クイズ・ゲーム・ ものまね・ドッキリ・グルメ・ロケ・恋愛・雑学・奇術・心霊・お色気・視聴者参加型の企画などのいくつかの種類の娯楽を組み合わせたテレビ・ラジオ番組のことである。

なるほど。だとすれば、数少ない僕のお気に入り番組であるテレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」もバラエティ番組ってことになるのかな? かもしれないけれども、ここで僕が問題視したいバラエティ番組というのは、たとえばこんな感じのやつのことです。

・お笑い芸人などのタレントがひな壇に座り、大声&オーバーアクションで騒いでいる(だけ)
・ちょっとしたことで、わざとらしく「えー?」というようなリアクションの声が入る
・やたらとセットが派手
・そもそも中身がない

バラエティ番組の特徴を羅列してみようと思ったのですが、その結果、ひとつのことに気づきました。つまり、意外なくらい特徴がないということです。でも、そういう意味では、特徴のなさもまた特徴なのかも。

ともあれ、そういうバラエティ番組については、いつも感じることがあるのです。

ああいう番組を見て、みんな本当に満足しているのかなってこと。

いや~、マジで余計なお世話っすね! 書きながら、自分でもそう感じたのですから間違いありません。しかし、だとしてもそこを無視したくはないのです。このコラムの目的が「必要ないもの」を浮き上がらせることである以上、バラエティ番組の大半は間違いなく必要ないと断言できるからです。

ここまでお読みいただければおわかりかと思いますが、つまり今回のテーマは前回の「朝の民放テレビ番組は必要ない」の延長線上にあるものです。

前回、民放各局が朝っぱらからどんちゃん騒ぎをしているのは、「数字」が気になるからではないかと指摘しました。派手に騒いで「なんとなく楽しそうな」空気をつくっておけば、それが数字につながるだろうという短絡性が、その根底にあるということ。

たしかにそういうことをすれば、それなりの効果はあるのでしょう。でも、それが大きなメディアに携わる人の選択だとしたら、やはり疑問を抱かざるを得ないのです。

バラエティ番組についてもまったく同じことが言えます。それどころか、もしかしたら、メディアのあり方としてはもっと末期的かも。

「人気があるとか炎上しやすいキャラだとか、なんらかのフックがある芸能人を騒がせておけば、無駄な制作費をかけなくても数字を取ることができる」

ひょっとすると、民放テレビ局の方々の頭のなかには、そんな思いがあるのかもしれません。だとすれば、すいぶん視聴者をナメ切った話です。なぜって、その考え方は「あいつらは、この程度で満足するだろ」と言い換えることもできるはずだから。

そこに気づかない視聴者側にも責任はあるでしょうが、局側にはそれ以上に、送り手としての自覚と責任が求められるはずです。受ければ(数字が取れれば)なにをやってもいいというのであれば、民間放送局としてのアイデンティティは必要ないということになってしまうのですから。

そして、そんなことを続けている以上、やがて多くの人々は離れていくでしょう。しかも離れていく視聴者は、そのことを感覚的にしか判断しません。「くだらないバラエティ番組ばかりでけしからん!」と、局に問題提起をするわけではなく、「つまらない」と“感じた”ら、すぐにそれを見捨てるということ。つまらないならYouTubeを見るなり、Netflixのオリジナルドラマを見るなり、楽しめる手段はいくらでもあるのですから当然です。だから怖いのです。

先日、カリフォルニア在住の友人と、フェイスブックを通じてメディアのあり方を話し合いました。そのとき、彼女が送ってきた一文が印象に残りました。

「もうアメリカの子どもたちはテレビなんか見てなくて、みんなYouTubeを見てる」

たしかにそういうものなんだろうなと感じました。子どもたちがテレビではなくYouTubeを見ているのだとしたら、その理由は明白です。テレビよりも、YouTubeのほうがおもしろいからです。少なくとも、YouTubeを選択する子どもたちにとってはそうだということです。

しかも、これは僕の主観ですが、いまの日本の民放局のバラエティ番組は、アメリカなど海外のそれよりもかなりレベルが低いのではないかという気がしてなりません。なのにバラエティ番組をつくっている側には、多くの人の興味が薄れたときのための準備ができていないように思えるのです。

とはいえ、この文章の目的はメディア批判ではありませんので、もっとクールに、僕たちがすべきことを考えてみましょう。

まず大切なのは、「バラエティ番組を見ているその時間は、自分にとって本当に大切なのか」考えてみること。バラエティ番組を受け入れている時点で、(よほどの明確な意思があって見ているのなら話は別ですが)その視聴者は思考停止しているということでもあるのですから、まずそこを考えなおす必要はあると思うのです。

考えたうえで「でも、これを自分は見たいのだ」と思えば見ればいいし、そうでないのであれば、冒頭で触れたことを思い出すべきかもしれません。

「時間は有限である」ということ。

きょう、あと4時間しかないのであれば、芸能人が笑い転げる姿を眺めているだけでその時間を浪費するのはもったいないのでは? たとえば

・本を読む
・漫画を読む
・音楽を聴く
・ブログを書く
・散歩をする
・エクササイズをする
・パートナーと話をする

などなど、その数時間にできることはいくらでもあるはず。そして実行に移してみると、そっちのほうがよほど有効だと気付く可能性も大きいと思います。

もし「見る」ことをやめたくないのであれば、「YouTubeやNetflix、Amazon Primeなどに切り替える」などの手段もあるでしょう。ご存知の方も多いでしょうが、Netflixのオリジナルドラマとか、ものすごく完成度が高いですしね。

いずれにしても、バラエティ番組のために人生を浪費するなんて、どう考えてももったいないのです。もちろん僕の考え方を一方的に押しつけるつもりはありませんが、一度、「いつものようにバラエティ番組を見ている自分」を別の角度から眺めてみてもいいのではないでしょうか。

たったそれだけのことで、いままで気づかなかったことに気づけるかもしれないのですから。


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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)ほか多数。新刊は『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)

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