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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第30回

女性専用車両は必要ない?

2018.05.23更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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先ごろ、わざと女性専用車両に乗ってトラブルを起こした男性のことが話題になりました。いや、テレビで大々的に取り上げられたから話が大きくなっただけで、実はもっと前からいたんですけどね。

もうずいぶん前のことですが、どこかのサイトに貼られていたYouTube動画を見たときから、彼らには不快感を覚えていました。だから、はっきりと記憶していたのです。

いつも思うんですけど、ああいうことをする人たちにはいくつかの共通点がありますね。

・とにかくやたらと意地を張る
・そして権利も主張する
・駅員や警官から咎められると「任意でしょ?」と口にする(「任意」という言葉が大好き)

こんな感じかな。

けど、そもそも意地を張ることって、それ自体が幼稚ですよね。まともな大人は(恥ずかしいことだとわかっているからこそ)、あんまりそういうことはしない気がします。

このことに限らず、意地を張ることは解決につながらないということを、みんな知っているからです。

権利を主張することについても同じです。過剰な権利主張は、自分を優位に立たせたいという幼児性の表れだとしか僕には思えません。わかりやすくいえば、駄々っ子と大差ないってこと。

そして、そのことに付随するのが「任意」という言葉の濫用です。「任意」とは「その人の意思に任せること」という意味で、つまり「任意である以上は強制力がない」というのが彼らの言い分であるわけです。

でもさ、たしかにそうかもしれないけれど、もう少しうまいやり方ってものがあるんじゃないですかねぇ。なにかあるごとにいちいち「任意だ」と騒いでいたら、結局は「そうですけどね」と苦笑されるだけだと思うんだけどなぁ。

そりゃー彼らにも、彼らなりの考えがあるのでしょう。たとえばよく聞くのは、「女性専用車両は男性差別」だという考え方です。そんな思いが強いからこそ、必要以上に意地を張ったり、権利を主張したり、任意であることをアピールしたりしてしまうのかもしれません。

でも、もし女性専用車両は男性差別だと感じていて、それをなんとかしたいと考えているのであれば、目指すべきは女性専用車両を「なくす」ことだという発想になるはずです。

ですから、この時点で彼らの行動には矛盾が生じます。なぜなら、意地を張って乗りつづけたところで、女性専用車両がなくなることは絶対にないからです。

本当になくしたいのであれば、掛け合うべきは鉄道会社であって、そこにいる女性たちではありません。なのにそれをせず、なんの解決にもならないことを続けているだけ。

それ、ガキっぽくないですかね。あ、そんなこと言ったらガキに失礼だな。

女性専用車両の是非に関しては、もちろんいろんな意見があると思います。女性からすれば、痴漢対策として「あってほしい」ものでしょう。しかしその一方、「あんなものなくていい」と感じている人だっているはずです。

個人的には、女性専用車両は「あっていい」と考えています。少なくとも、それがあることで安心できる女性がいるのであれば、そこには価値が生まれるはずなのですから。

ただし、いちばん大きな問題は、おそらく鉄道会社の姿勢です。

意地を張り続ける彼らがいうように、女性「専用」車両をつくりながら、鉄道会社は男性が乗ることを禁止してはいないのです。

事実、JR東日本のサイト内の「女性専用車のご利用について」というページを確認してみると、「※女性専用車は、小学生以下の男の子、お身体の不自由な方とその介助者の男性にもご利用いただけます」という記述があります。

2001年3月、他に先駆けて女性専用車両を導入した京王電鉄のサイトにも、「女性専用車は、女性のお客さまのほか、小学生以下のお客さま、お身体の不自由なお客さまとその介助者の方もご乗車いただけます。」と書いてあります。

この表現を基準とするなら、乗れる男性は「小学生以下の子ども、身体の不自由な人とその介助者」ということになるので、権利を主張して騒いでいる方々は対象外ということになります。

いや、そこには目をつぶるとしても、つまり鉄道各社は女性専用車両に男性が乗ることを「禁止」してはいないのです。

せんよう【専用】1:その人だけが使用すること。「社長のーー車」2:そればかり使うこと「国産品をーーする」(三省堂「新明解国語辞典」より)

この場合は間違いなく、1のケースということになるでしょう。つまり女性専用車両とは、「女性だけが使用する車両」ということになるはずなのです。

にもかかわらず、「男性も乗っていいよ」という曖昧な状態になっている。そこが問題。では、なぜそんなことになるのでしょうか?

これは、日本人特有の「ことなかれ主義」「中途半端な公平意識」の影響だと思います。

「本当は女性だけにしたいんだけど、そうすると「差別だ」と叩かれる可能性があるから、強制力は持たせないようにしておこう」

というような感じ。結局はその曖昧さが、「だって禁止されてないじゃん!」という人たちを刺激することになってしまったという皮肉。

でも、それはやり方として間違っていると思います。女性専用車両をつくりたいのであれば、中途半端なことをせず、男性を禁止すべきなのです。そうすれば女性たちも本当の意味で安心して乗れることになりますし、はっきり禁止されれば、権利を主張する方々だってぐうの音も出なくなるのですから。

ただしその一方、男性として看過できない問題もあります。

現実的に、電車を利用する男性は、全員が痴漢冤罪の危険にさらされていると思います。だから女性専用車両をつくるなら、いっそのこと男性専用車両もつくってほしいということ。

とはいえ「女性専用車両は苦手」という女性だっているでしょうし、「男性専用車両なんか乗る気がしねえ」という男性もいることでしょう。だから女性専用車両と男性専用車両を用意したうえで、その他の大半を「女性も男性も乗れる車両」にすればいいのです。

そうすれば、現在起こっている問題をかなり改善できると思うのですが、いかがでしょうか?

現実的にそれが無理だとしても、まず女性専用車両については徹底的に男性を排除すべきです。中途半端なことを続けているからこそ、余計面倒なことになるのですから。

そのため今回の結論は、「女性専用車両は必要。けど、他にもいろいろやらなければならないことがあるよ。まずは中途半端さを解消することからね」ってことになると思っています。

とっても面倒な結論ですけれど、つまりはそれほど重要な、みんなで考えていくべき問題だということなのでしょうね。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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