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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第41回

過度な「さんづけ」は必要ない

2018.08.22更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
「目次」はこちら

おいしいお店などを紹介している「食べもの系ブログ」が好きで、複数のブログをブックマークしてはよく見ています。

知らない店が紹介されていれば行ってみたくなりますし、知っている店が登場すれば、それはそれで共感することがあったりして、いろいろ楽しいわけです。

しかも文章がうまい方も少なくないので、基本的には安心して読むことができます。基本的には、ね。

と、思わせぶりな書き方をしてしまったのは、そんななかでもすごく気になってしまうことがあるからです。

たとえば、こういう感じの表現をよく目にするのです。

「高円寺で打ち合わせを終えたあと、以前から行ってみたかった『高円寺うどん』さんへ伺いました」
「初めて行った成増で、意外な穴場を発見! 『ラーメンまんてん』さんがそのお店です」
「市川におしゃれなカフェがありました。とっても気に入った『ベルベットサン』さんです」
「相模原の『サンタフェ』さんは、ボリュームも難点で大満足」

おわかりでしょうか?

これは僕が、よく見て気になっているパターンを再現したものですが、やたらと店名に「さん」がついているということ。でも僕は、そこに大きな違和感を覚えるのです。

書き手としてはきっと、足を運んだそのお店に敬意を表したいのでしょう。それは、なんとなく想像できます。しかし、お店にまで「さんづけ」するというのは、さすがに過剰すぎる気がしてならないのです。

でも、そんなことを考えるたび、「ひょっとして、そんなことを気にする俺がおかしいの?」と頭が混乱してきたりもします。なにが正しくてなにが間違っているのか、なんだかよくわからなくなってくるのです。

そこで、辞書で「さん」の意味を調べてみました。

さん<接尾>(サマ(様)の転)(1)人名などの下に添える敬称。「さま」よりもくだけた言い方。「伊藤ー」「奥ー」(2)丁寧にいう時につける語。「ご苦労ー」「お早うー」(岩波書店「広辞苑・第六版」)

さん<接尾>[「様」の口語的表現]「様」より親しみの気持を含めて、人の名前や人を表す語などのあとにつけて(軽い)敬意を表す。また、動植物や身近に存在するものなどを擬人化して言う場合にも用いられる。「山田ー・むすこー・向こうー・お隣ー・ゾウー・おサルー・おいもー・お粥ー」(三省堂「新明解国語辞典・第七版」より)

まぁ、予想どおりではあります。「“様”では堅苦しいけど、ちょっと敬意は表現したい」ときに使うということですね。

そして広辞苑は「人名などの下に添える敬称」であるとしていて、新明解も「人の名前や人を表す語などのあとに」つけるものだと解説しています。

ちなみに新明解には「動植物や身近に存在するものなどを擬人化して言う場合にも用いられる」とありますが、「お隣ー」「ゾウー」などの例を確認する限り、「『ラーメンまんてん』さん」や「『ベルベットサン』さん」とはまた別の話だといえます。

つまり、お店に「さん」づけは、どう考えても不自然であるわけです。

少し前にネット上でしばしば、魚類学者でタレントのさかなクンが「さかなクンさん」と呼ばれていました。「さかなクン」までが正式名称なのだから、敬意を表する場合には「さん」をつけるべきだということでしょうが、明らかにこれは「ネタ」です。

つまり、その違和感がおもしろいからこそ、あえて「さかなクンさん」と呼んでいたということ。

だから、そのことについて「いや、どう考えても『さかなクンさん』が正しいのだ!」などと真面目に力説する人がいたとしたら、その人こそがネタになってしまうわけです。

それと同じで、お店に「さん」づけをするのは明らかにおかしい。「高円寺うどんさん」も「ラーメンまんてんさん」も「ベルベットサンさん」も「サンタフェさん」も、絶対的に違和感があるのです。

だから、書いた人の思惑とは逆に、「さんづけ」された時点でネタ化してしまうのです。お店に敬意を表したつもりが、お店をネタにしてしまうことになってしまうといっても過言ではありません。

そもそも、「さん」づけすればていねいだとか、「さん」づけすれば上品だというような発想も短絡的です。ちなみにそれは、「お」の使い方にも言えることですよね。たとえば「お茶碗」はいいけど「おカップ」では違和感がありますし。

敬意の表し方というのは、そういうものではないはずです。それに、こう感じるのは僕だけかもしれませんが、たとえば「ベルベットサンさんは最高のカフェでしたー! 特に気に入ったのはパスタで」などと書かれていたとしたら、「ベルベットサンさん」の違和感の方が勝ち、そのことばかりが気になってしまいます。

その結果、「どんなパスタだったのか」ということはどうでもよくなってしまいます。

でも、「市川のベルベットサンは、予想以上にパスタがおいしかった。ボロネーゼを食べたのですが~」と書いたとしたら、好奇心はパスタのほうに向いていきませんか? ましてや「“さん”がついていないから感じが悪いとか、そんなことまったく感じませんよね。

つまり大切なのは「書き方」や「純粋な思い」であって、「気遣い」ではないということ。そもそも、表層的な敬意は気遣いではないとも感じます。

僕はそう思うのですが、いかがでしょうか?

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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