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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第42回

100円ライターは必要ない

2018.09.05更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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テラスの脇とか本棚とか、我が家にはいたるところに100円ライターが置かれています。いや、なにか目的があって置いているわけではなく、「すぐに置かれてしまう」のです。喫煙者である息子が、ポイポイ置き忘れていくから。

妻が注意しても、なかなか改まりません。けど、わかる気はするのです。かつての自分がそうだったからなー。

僕は45歳で見事にたばこをやめましたが、それまでのちょうど30年間は、やはり同じようなことをしていたのです。ちなみに45歳でやめたのに「30年間」とはなんとなく計算が合いませんが、そういうことを気にする必要はありません(気にしないでくれ)。

喫煙の習慣があると、気軽に100円ライターを買ってしまうものです。喫煙者はライターを忘れたことに気づくと、「この状況で、どうやってたばこに火をつけるんだ……」ってな感じで落ち着きを失いがち。

冷静に考えてみれば、そこまで慌てなければならないようなことでもないのですが、つい大げさに考えてしまうのですよね。それはきっと、「吸えなくなるかもしれない」という恐怖心のせい。

だとすると、それもまた(間接的ではあるけれども)たばこの弊害と言えなくもないのかもしれません。

ともあれ100円ライターは、そんな喫煙者の緊張感をいい具合に緩和してくれるわけです。なぜって100円ちょっと出すだけで、たばこに火をつけることができるから。非常にシンプルな話。

ただ、気軽に買えるからこそ、「気がつけば、身のまわりが100円ライターだらけでした」というようなことになってしまいがちでもあるということ。

そういえばたばこを吸っていたころ、僕の部屋には、使っていない100円ライターが何十個も入ったビニール袋がありました。無責任に捨てるのは忍びなく、かといって、すぐに使うわけでもない。

そんな理由で増える一方だった100円ライターを、一箇所にまとめてあったのです。

たしか、それは定期的に妻の実家に運ばれていたような気がします。当時は義理の父もまだ喫煙者だったので、使ってもらおうという魂胆です。

でも向こうには向こうで、使っていない100円ライターを持て余しているに違いなかったのです。義父も100円ライターを買っていたのですから。

なのに、我が家が持っていくことによってそれがまた増えるのです。「持ってくるな」とか「いらない」とか言われたことはなかったけれど、いま思えば義父や義母は迷惑していたのかもしれないなぁ。

でも、喫煙者を抱える家庭では、どこもきっと似たような状況だったのではないでしょうか。彼らはいつでもたばこを吸いたいと考えているものだし、そのために必要なツールは「必要不可欠なもの」と考えているのでしょうから。

繰り返しになりますが、かつての自分がそうだっただけに、そのことはよくわかります。

ただ、そろそろ考えなおすべき時期が訪れつつあるような気もしているのです。

たばこに火をつけるために、線香や花火などを手にしたときにも、あるいはそれ以外に用途にも、100円ライターは大きく活躍してくれます。しかし、よくよく考えれば、別に「100円ライターでなければいけない」ということでもないのです。

いちばんいいのは、長く使えるライターを購入することです。別に高級である必要はないと思いますけれど、それでもそこそこ値が張ったほうがいいかもしれません。

100円ライターをすぐになくしてしまうのは(そしてすぐにまた買うのは)、「どうせ100円だから」と軽く考えているからです。でも、ある程度の値段を払ったものであれば、当然のことながら「なくしてたまるか」という気持ちが働くので、頻繁になくすことは少なくなるはずだということです。

また、そうそう頻繁に変えるものではない以上、100円ライターのように「気がつけばやたらと増えていた」というような事態も回避することができるでしょう。

それに、高級なライターだけが「使える」ということではありません。たとえば線香や花火などに火をつけるのであれば、別に100円ライターでなくとも「チャッカマン」のようなものでも十分に対応できるはずです。

ちなみに、その「チャッカマン」の製造元でもある株式会社東海(前・株式会社東海精器)が、「チルチルミチル」という名称の100円ライターを製造・販売して話題を呼んだのは1975年2月のこと。

コレクターやマニアが多いことでも知られるZIPPO(ジッポー)に代表されるオイルライター、あるいはガス注入式ライターの場合、ライターオイルやガスを補充したり、ライター石を交換する作業が必要となります。

好きな人にとってはそれが楽しくもあるのでしょうが、大多数の人はそうではないはず。ぶっちゃけ、安価で買えてすぐに使うことができ、買い替えも楽ならそれに越したことはないわけです。

そしてその利便性は、大量生産がよしとされていた当時の価値観ともうまい具合に合致していたのかもしれません。

でも、「カスタマイズ」の価値に注目が集まっているような現代において、大量生産のプロダクツはあまり時代に即したものだとは言えないはずです。大量生産品が消えてなくなったわけではないけれど、「もっと大切ななにか」があるのではないかと、多くの人が気づきはじめているのです。

そんななか、100円ライターが、明らかに時代と逆行した商品であることは否定のしようもありません。

「でも、だからって高いライターなんか買えないし」という意見もあるでしょうが、先にも触れたとおり高級品を買う必要はないのです。高かろうが安かろうが、自分が「これは長く使いたい」と思えるものを選べばよいのです。

だいいち、塵も積もれば山となるわけで、たいして使いもしない100円を延々と買い続けるよりも、きちんとしたものをひとつ買い、長く使うほうがずっと経済的であるともいえるのではないでしょうか。

そもそも、そのほうが健全だし。

あるいは、あえてマッチに回帰するという手もあります。というよりも個人的には、むしろマッチに回帰すべきだと考えています。

1:擦って自分で火をつけるという「手間」
2:気をつけないと火傷をしてしまうかもしれないという「危機意識」
3:ライターの火にはない独特の「温かみ」
4:廃棄物を残さない「エコ」

マッチの魅力を考えてみるとしたら、ざっとこんなところでしょうか。こうしてみると、「 」で囲ったそれぞれの“魅力”はどれも人間的であることに気づきます。

あえて手間をかける楽しさ、便利な時代に忘れてしまいがちな危機意識の重要性、温かみを感じる心の余裕、そして環境への配慮。

それらは、いまだからこそ再評価されるべきものではないだろうかと感じるのです。

さて先日、夏休みに軽井沢へ旅行をしてきました。かつて、父が勤めていた会社の寮があったため、昔から慣れ親しんできた町です。

そして、そんな軽井沢を落とすれた際には、必ず顔を出すことにしているカフェ……いや、喫茶店があります。

旧軽井沢・六本辻のラウンドアバウト近くにある「ミハエル」。1976年にオープンして以来、変わることなく一貫して「軽井沢らしさ」を維持しているお店です。

一年ぶりの店内はやはり昔のままで、とても懐かしい気分になれました。しかも帰り際、ふと目をやったカウンターに、これまた懐かしいものを発見したのでした。

はじめて見たときのままのブックマッチです。

昔ももらったことがあったなぁと、いろんな記憶がよみがえってきました。そこで、「この気持ちを忘れたくないな」と思って、ひとつもらってきました。

たばこをやめたいまでは使う機会もないけれど、持っているだけで価値があるような気がしたからです。

もしもあれが店名入りの100円ライターだったとしたら、そんな気持ちにはなれなかったと思うんですよね。そういう意味でも、小さなブックマッチには価値があるなと感じたのでした。

帰宅後、ポケットから出すのを忘れて洗濯してしまったので、無残にもシワシワになってしまったのですが……(意味ねー!)。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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