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それはきっと必要ない 曇った思考がクリアになる”絞り込む”技術 印南敦

第43回

物欲は必要ない

2018.09.12更新

読了時間

めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。
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高校2年生だった年の秋、一大事件が起きました。僕にとっては、小学4年にして死にかけて以来のビッグ・イヴェントでした(そんなイヴェントいらねー)。

祖母のタバコの火の不始末で、家が全焼したのです。いかにも、トラブルメーカーとして近隣で名を馳せていたばーちゃんらしいパフォーマンスです(そんなパフォーマンスもいらねー)。

「朝にはあったはずの家が、その数時間後にはなくなっていた」というSFみたいな出来事のインパクトは、とてつもなく大きいものでした。

しかも僕の部屋は祖母の部屋の隣だったので、持っていたものはほぼすべて燃えカスになりました。

中学3年の3学期からアルバイトをはじめていたため、服もそれなりに増えていました。こつこつ集めていたレコードは、200枚くらいにはなっていたと思います。

エレキギターも3本ありました。高1の春に初めて買ったヤマハのSF-500、火事の半年前にロサンジェルスに行った際、信じられないほどの安価で手に入れることができたフェンダーの1957年製「Musicmaster」、そして、なぜか友人がいきなりくれたウエストミンスターというメーカーのストラトキャスター・モデル。

てなわけで、モノの量は高校生にしては充実していたと思うのですが、それらがわずか数時間で炭になってしまったのです。

黒焦げになったギターや、真っ黒な塊と化したレコードを見たときの絶望感たるや……。ジミ・ヘンドリクスの真似をしたいと思ったことはなかったので、できればギターは燃やしたくなかったです。

いずれにしても、あのときを境に、強烈な物欲が芽生えたのではないかと思っています。大切に集めてきたものを「なくしてオシマイ」じゃ納得できない。だから、絶対にコレクション(と言えるほどのものでもないけど)を復活させてみせる!

そんな具合に、妙に屈折した物欲が肥大化し、それが以後数十年にわたって続いていったということです。

特にひどかったのは、レコードに対する執着心でした。小学校高学年以来、長きにわたって続いてきた「聴きたいものを簡単に聴けない」状態をなんとか脱却したいと思ったし、そこに火事の喪失感が加わったものだから、お金があれば買いまくったのです。

六本木のデザイン事務所に勤めていたころは、仕事を終えるといまは亡き六本木WAVEに毎日立ち寄っていたので、カードの支払い額が10万円を超えたことがありました。

1990年代には、週に2,3度、渋谷の宇田川町に足を運んで新譜を買いまくっていました。同じように、中古盤を一気に8万円分くらい買ったこともありました。

購買欲には終わりがありません。しかも恐ろしいことに、どんどんエスカレートしていきます。そしてエスカレートしていくにしたがって、本来の目的は失われていくことになります。

本来であれば「買う目的」が先に来るべきなのに、「買うことが目的」になってしまうのです。

しかも買ったら満足してしまうため、一度も聴いていないレコードやCDがどんどん増えていくことになったのでした。バカみたいな話です。

そればかりではありません。本が好きなので、当然のことながら本もどんどん増殖していきます。

当然ながら、そのころ書斎として使っていた六畳間程度の洋室は、レコードとCDと本でいっぱいになりました。そして一時期は、そんな山を見て、なにかを達成したかのように勘違いしてニヤついていたりしていました(きもちわるいよ)。

でも、やってみてわかった(やってみるまでわからなかった、ともいえる)のですが、モノであふれた部屋ってちっとも快適じゃないんですよ。しかも、モノがある以上、埃がたまります。モノが多ければ多いほど、掃除もしづらくなります。

結果、ゴミゴミして埃っぽい空間に閉じ込められたようになり、「いったい、なにがしたいのだ俺は?」と自問するようになっていったのです。

ちょうどそれは、経済的にヤバい時期でもありました。そんなお金の使い方をしていたのですから当たり前なのですが、いよいよ「ここままじゃ破綻するぞ」というところまで来てしまったのです。

そこで、レコードもCDも、それぞれ8000枚程度を処分しました。本も相当数を処分しました。たいした額にはなりませんでしたが、だからこそ余計に「収集って、そんな程度のものなんだろうな」と感じました。

ただ、だからといって、なんでもかんでも処分すればいいというものでもないとも思います。たとえば僕の場合、前にも買いたように「終わったメディア」だと認識しているCDについてはなんの執着心も残っていませんが、レコードはやはり必要なものだったのです。

「なんで?」と思われるかもしれませんが、レコードが好きなのです。理屈ではないのです。

だから、あのとき処分したレコードをまた買いなおしたりもしています。遠回り以外のなにものでもない、ばかばかしい話ですが、もしもあの時点で一度処分していなかったら、いまもまだ無目的にいろんなものを集め続けていたかもしれないとも思います。

そういえば一時期、ワインセラーが欲しいと思っていたのですが、そもそも僕は飲むためにワインを買っているだけで、ストックしておく意味がよくわからないのでした。で、そういう人間がセラーを買っても意味がないという結論に達したため、その考えも却下しました。

仕事柄、本は月に100冊ぐらい増えてしまうのですが、残しておきたいと思うものは限られています。大半が価値のない本だという意味ではなく、単に「僕が所蔵しておく意味」がないというだけの話。

だから必要のないものは知人にあげたりしていますし、仮にまた必要になったとしても、稀少本でない限りたいていのものはまた買うことができます。しかも経験的にいって、「仮にまた必要」なることはほとんどありません。

そんなわけで、いま僕が集めたい、あるいは残しておきたいと思うものは限られています。レコードと、何割かの本くらい。本当にその程度です。アンバランスだと思われるかもしれませんが、そのアンバランスさが僕なのです。

しかもそれは、僕以外の人に言えることでもあると思っています。人間、誰しもアンバランスであるくらいが“ちょうどいい状態”であるということ。

そう考えると本当に、部屋をモノでいっぱいにする意味はどこにもないのです。そして、過去に物欲の波のなかで自我を失った経験があるからこそ、こう言えるのです。

物欲って、必ずしも必要じゃないよ、と。

かといって別に、ミニマリストになるべきだと主張したいわけではありません。以前にも書いたことがありましたが、過度なミニマリズムは逆に人を窮屈にします。ただ、自分にとって必要ではないものを見極め、それらを処分していくと、物欲の無意味さがなんとなくわかってくるのです。

ましてや、現代は「所有する必要のない」時代です。音楽はストリーミングで聴けますし、車だって、住むところだってシェアできるのですから。

僕はストリーミングを利用する一方で、レコードも買い続けていますが、どちらかといえばそれは「趣味」の領域だと思います。

車はリーマンショックを境に手放しましたが、それ以前は「車ありき」の生活を続けてきたので、個人的にはまた所有したいと思ってはいます。しかしその一方、必要なときレンタカーを借りると、「メンテナンスの手間も費用もかからないんだから、所有するよりも絶対的にスマートだよな」と感じたりもします。

そして似たようなことは、ひとりひとりのなかにそれぞれあるはずです。なぜなら現代においては間違いなく、物欲の価値が低くなっているからです。

身が軽くなると、精神的にも身軽になれます。すると心にゆとりが出てきて、日々の暮らしが穏やかになります。ライフスタイルマガジンの真似をしたいわけではなく、それは僕が経験から得た実感です。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)ほか多数。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)

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