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よみものどっとこむ

第5回

ハイエンドオーディオは必要ない

2017.10.11更新

読了時間

【この連載は…】めまぐるしくトレンドが変化する現代。改めて自分に必要なものは何かを見つめなおしてみませんか? 本連載では、作家・書評家の印南敦史さんが、大きなことから小さなことまで、日々の生活で気になった事柄をテーマに「なにが大切で、なにが大切でないか」を考えていきます。

僕が中学生時代を過ごした1970年代中後期は、オーディオ全盛の時代でもありました。音楽的にも、さまざまな名曲、名作が生まれた時期です。いいオーディオでいい音楽を聴くことは、多くの少年にとっての夢でした。

ただしあのころ、音楽を聴くためにはいくつものハードルを乗り越えなければならなかったのも事実です。

いまの時代であれば、音楽を聴くことなんて簡単です。たとえばYouTubeの音質で満足できるのであれば、聴きたいものをいくらでも無料で聴くことができます。あるいは月に900円くらい出す気があるのなら、聴き放題のストリーミングサービスを活用することも可能です。

ところがかつては、現代とは比較にならないほど音楽を聴く機会が限られていたのです。それはテレビ、ラジオ、カセットテープ、それからレコード。せいぜいそのくらいしか、音楽を聴くための手段がなかったのです。

情報源としてまず重要だったのは、テレビの歌謡番組です。小学生が家族の話し声に神経をとがらせながらテープレコーダーのマイクをテレビに近づけ、歌番組を録音していた――。そんなエピソードを聞いたことがあるかもしれませんが、あのころの子どもにとって、テレビは数少ない音楽との接点だったのです。

中学生くらいになると、テレビよりも重要なソースとしてラジオ、しかも音のいいFMの存在感が高まりました。いろんなことに興味がわいてくる思春期には、ラジカセを手に入れてラジオ番組から音楽を録音する(「エアチェック」と呼ばれていました)子どもが格段に増えたわけです。

僕も中1の冬に貯金をはたいて安いラジカセを買いましたが、それ以後はFMから情報蒐集した音楽にどっぷりハマることになりました。同世代が聴いていたポップスやフォーク、ロック、ソウルなどはもちろんのこと、クラシックや日本の民謡までカセットに録音して溜めていたので、ちょっと変わった中学生だったかもしれません。

当時のラジカセは大半が「ステレオ」ではなく、スピーカーがひとつしかない「モノラル」仕様でした。念のために書き添えておくと、ここでいうステレオとは「音の状態」のこと。左右のスピーカーからそれぞれ異なる音が出てくるため、音が左右に広がって聞こえるわけです。それはすべての音がひとかたまりになって聞こえてくるモノラルでは考えられないほど華やかな音質だったので、ずっと憧れを抱いていました。

ちなみにステレオのことを「音の状態」とあえて説明したのは、もうひとつ理由があります。当時は「オーディオシステム」のことも「ステレオ」と呼んでいたからです。

いうまでもなくオーディオシステムとは、簡単にいえば音楽の再生装置。60年代〜70年代初頭にかけてはこれらの機能をまとめた(家具調とかの)「セットステレオ」が主流でしたが、70年代中期以降はアンプ、チューナー、プレーヤー、スピーカー、カセットデッキなど単体の製品をまとめて構成した「システムコンポ」がヒットしました。

当然ながらそんなものは買ってもらえなかったのですが、雑誌にもオーディオに関する記事がたくさん掲載されていただけあり、あっという間にオーディオシステムの虜になってしまいました。「いつか、すごいシステムを持てるようになりたい」というような感じで。

なお、これは時代の影響でもあるので、僕だけではなく、同じような思いを抱く子どもは他にもたくさんいたと思います。

ところで、そんな時代を通ってきたからこそ、オーディオについて強く主張できることがあります。70年代のあのオーディオブーム(と、それに憧れる子どもたち)があったからこそ、のちに「ハイエンドオーディオ」が盛り上がったのではないかということ。

あのころオーディオシステムを買えなかった子どもたちが「思い」を胸に成長し、相応の収入が得られるようになってからハイエンドに流れたのではないかというわけです。事実、友人のハイエンドマニア数人からも、その推論を裏づける事実を引き出すことができました。やはりみんな、少年時代に芽生えたオーディオへの憧れをいまだに捨てきれていないと認めるのです。そういう意味では、ハイエンドオーディオ市場は、きわめて健全な「憧れ」という基盤のもとに成り立っているといえます。

とはいっても個人的には、何千万円ものお金をそこに注ぎ込むことなんかできません。ですから同じように憧れを抱いていたといっても、僕自身はやはり諦めざるを得なかったわけです。残念ながら、何千万円も使える「選ばれた人」にはなれなかったということです。

だから心のどこかでは、スピーカーケーブル1本に10万円も使うような人たちに対して、多少の嫉妬心があったことは否定できません。そして、おそらくもう一生、真のオーディオを楽しめるようにはならないんだろうなと思ってもいました。なんだかネガティブに聞こえるかもしれませんけれど、決してそういうことではなく。

ところがですね、昨今の状況を見ていると、どうやらそうでもないようなのです。つまりテクノロジーの進化が、オーディオのあり方を激変させてくれたということ。もうお気づきの方も多いと思いますが、そう、「ポータブルオーディオ」の話です。

たとえば、デジタルオーディオプレーヤー、イヤホンもしくはヘッドホンにこだわり、ポタアン(DAC内蔵ポータブルアンプ)を使ったりもして、ハイレゾ音源を楽しんでみるとか。あるいはこれらの機材をハイレゾ対応のブックシェルフスピーカーにつないでみれば、1m四方程度、つまりワーキングスペース規模のオーディオ空間を生み出すことが可能なのです。

ちなみに、僕がポータブルオーディオを勧めるのには理由があります。正直なところつい最近までは(一度はオーディオへの夢を断ち切ったこともあって)「音質なんて大差ないじゃん」程度の思いしかなかったのです。

ところがあるとき、「ハイレゾ体験してみろ!」と強くプッシュする友人が、半ば強制的に、僕の書斎にハイレゾ空間をつくってくれたわけです。出てきた音を耳にして驚きました。小さなスペースに、とてつもなくハイクオリティな音像が浮かび上がったのです。

たとえば聴き慣れたダニー・ハサウェイの名盤『ライヴ』をハイレゾで聴きなおしてみたら、目の前にミニサイズのダニー・ハサウェイが現れたのでビックリ。すぐ近くで歌っているわけです。これはとても衝撃的でした。

しかもすばらしいのは、ハイエンドオーディオのように何千万円もかける必要なく、安価に高音質が楽しめること。ぶっちゃけ、数万円でデジタルオーディオプレーヤーとちょっといいイヤホンを買ってみるだけでも、満足できる音が楽しめると思います。

それでですね、今回のお話の本質はここからです。

テクノロジーの進化とともに、高音質が身近なものになりました。もうこれからは、好奇心とちょっとのお金さえあれば、誰にでも「いい音」は聴けるのです。僕らは、そういう時代に生きているのです。

だとすると、もはやハイエンドオーディオの存在価値はないに等しいといっても過言ではないはず。そこまでたどり着けなかった悔しさはありますけれど、それでも「もうそれを持つ意味はあまりない」ことは間違いないのです、

もちろん、それでもハイエンドをやりたいという人は、自由にやればいいと思います。ただ、ひとつだけ指摘しておきたいことがあります。僕が自分の目で確かめてきた限り、ハイエンドオーディオにハマっている人って音楽ソフトをあまり持っていない人が少なくないんですよね。

つまり音楽が好きなのではなく、ハイエンドオーディオそのものが好きだということ。それで満足できるのであればそれはいいのですが、少なくとも僕は、ポータブルオーディオを使ってハイエンドな音を手軽に聴きたいと思います。それができる時代だということ、そこに価値を見出したいわけです。

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著者

印南 敦史

作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、音楽雑誌の編集長を経て独立。ウェブ媒体「ライフハッカー(日本版)」で書評欄を担当することになって以来、大量の本をすばやく読む方法を発見。以後、驚異的な読書量を実現する。著書に『遅読家のための読書術 情報洪水でも疲れない「フローリーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)ほか多数。

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