Facebook
Twitter
RSS
LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第12回

アイデンティティの政治

2019.05.31更新

読了時間

メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
「目次」はこちら

 前回コラムの末尾で紹介した2015年公開のイギリス映画『Suffragette サフラジェット』に関し、女性の参政権闘争を描くその邦題が『未来を花束にして』という、なんともよくわからんじつに“日本的なポエムに改ざんされていたことに対して「バカにし」ていると書きました。「そういう大昔の少女漫画風なタイトルこそ、この映画が最も排除したかったものだというのに」と。
 またまた同じようなことが起きました(ほんとキリがない)。510日に日本でも公開が始まった米映画『RBG 最強の85才』は、若き弁護士時代から女性やマイノリティの権利発展に努め、1993年のビル・クリントン時代に女性として史上2人目となる最高裁判事に就任したルース・ベイダー・ギンズバーグRBG)の人生の戦いを描いたドキュメンタリーです。こちらの宣伝コピーは、オリジナルでは「HERO. ICON. DISSENTER」つまり「英雄。アイコン。ノーと言う者」です。それが日本でのコピーでは「妻として、母として、そして働く女性として」となりました。
 ねえ、この人はむしろ女性たちが「妻としてでもなく、母としてでもなく、働く女性としてでもなく、一人の人間として」扱われるために戦ってきた人なのです。それが彼女を「Notorious RBG」つまり、敵陣営にとっては非常に「悪名高いRBG」とまで呼ばしめた所以。それが日本に来るとどうしてかくも「妻」とか「母」とか「女性」とかを強調する「男」たちからの目線で語られねばならなくなるのでしょう? そのカラクリはいったい何なのでしょう?

 この連載の最初で、これまで日本で公開された海外ゲイ映画の営業戦略として「ゲイやレズビアンという言葉は使わずに『普遍的な愛の物語』という売り方をする」傾向を紹介しました。映画のチケットを売るのが商売ですから、ゲイやレズビアンに限らない、より大きな標的顧客層としての一般市場に訴求するのは理解できないわけではありません。背に腹は代えられない。けれどだからこそ、せめてそれはその都度、指摘し続ける必要があります。それは「腹」であり「背」ではないのだと。

 もう20年以上も、私はその仕組みを「白人」「男性」「異性愛者」vs「黒人」「女性」「ゲイ(性的少数者)」というアイデンティティの対立軸で考えてきました。ある時はそこに「HIV陰性者」vsHIV陽性者」も加えながら。それは「あらかじめそこに存在していた主権者たち」vs「前者に対抗するために敢えて自らを再構築し再獲得し確立させた者たち」との対立の構図でした。
 「歴史」も「世界」も、常に誰かを主語にして語られてきました。私が目の当たりにしたアメリカを例にとれば、その主語は長らく「白人」の「男性」の「異性愛者」たちであり、彼らによって語られる歴史観であり世界観でした。それが前者です。
 そこに「黒人」「女性」「ゲイ」が台頭します。それが対立構図の後者です。彼らは自分たちを主語として歴史と世界とを語り始めました──大雑把に言うなら、50年代からの黒人解放運動、60年代からの女性解放運動、70年代からのゲイ解放運動を経て、歴史を語る「主語」の書き換えが行われたのです。それを私は例えば次のように説明してきました──


 「白人」の「男性」の「異性愛者」はアメリカ社会で常に歴史の主人公の立場にいました。彼らはすべての文章の中で常に「主語」の位置にいたのです。そうして彼ら「主語」が駆使する「動詞」の先の「目的語(object=対象物)」の位置には、「黒人」と「女性」と「ゲイ」がいた。彼らは常に「主語」によって語られる存在であり、使われる存在であり、どうとでもされる存在でした。ところが急に「黒人」たちが語り始めるのです。ちょうどアラバマ州モンゴメリーの市営バスでローザ・パークスが拒絶の言葉を語り出したように。「黒人席に移れ」と語られる一方の「目的語=対象物」でしかなかった「黒人」たちが、急に「主語」となって「No」と発語し、それはやがて「I Have a Dream!(私には夢がある!)」という演説にまで拡声されたのです。続いて「女性」たちが「The Personal is Political(個人的なことは政治的なこと)」と訴え始め、「ゲイ」たちが「Enough is Enough!(もう充分なんだよ!)」と叫び出したのです。

 「目的語」「対象物」からの解放、それが人権運動でした。それは同時に、それまで「主語」であった「白人」の「男性」の「異性愛者」たちの地位(主格)を揺るがします。「黒人」たちが「白人」たちを語り始めます。「女性」たちが「男性」を語り、「ゲイ」が「異性愛者」たちを自分たちの「動詞」のオブジェクト(目的語=対象物)にします。逆を言えば、「主語(主格)」だった者たちが「目的語(目的格)」に下るのです。

 実際、それらは暗に実に性的でもありました。白人の男性異性愛者は暗に黒人男性よりも性的に劣っているのではないかと(つまりは性器が小さいのではないかと)不安であったし、女性には自分の性行為が拙いと(女子会で品定めされて)言われることに怯えていたし、ゲイには「尻の穴を狙われる」ことを(ほとんど妄想の域で)恐れていました。それらの強迫観念が逆に彼らを「主語(主格)」の位置に雁字搦めにして固執させ、自らの権威(主語性、主格性)が白人男性異性愛者性という虚勢(相対性)でしかないことに気づかせる回路を遮断していたのです。

 その“下克上”がもたらした気づきが、彼ら白人・男性・異性愛者の「私たちは黒人・女性・ゲイという弱者をも庇護し尊重することで多様な社会を作っている」という‟自慢でなかったことは自明でしょう。なぜならそのテキストにおいては彼らはまだ「主語」の位置に安住しているから。
「○○という可哀想な人たちがいる。私たちはそういう弱者をも庇護し尊重することで多様な社会を作っている」というのはまさに黒人奴隷を庇護した(のは彼らには自立する頭脳も機会もないからだと演説する)プランテーションの白人農場主たちの謂いであり、妻たちにクレジットカードを認めなかった(のは彼女たちを負債から守るためだと言い張った)夫たちの弁明であり、ゲイたちを病理の枠内で治めていた(のは彼らに治ってもらいたかったからだと釈明する)異性愛規範性の欺瞞だからです。

 そうではなく、20世紀末までにアメリカで起きた彼らの気づきは、「私たちは黒人・女性・同性愛者という“弱者”たちと入れ替え可能だったのだ」というものでした。

 「入れ替え可能」とはどういうことか? それは自分が時に主語になり時に目的語になるという対等性のことです。それは位置付けの相対性、流動性のことであり、それがひいては「平等」ということであり、さらには主格と目的格、時にはそのどちらでもないがそれらの格を補う補語の位置にも移動可能な「自由」を獲得するということであり、すべての「格」からの「解放」だったということです。

 つまり、黒人と女性とゲイたちの解放運動は、とどのつまりは白人の男性の異性愛者たちのその白人性、男性性、異性愛規範性からの「解放運動」につながるのだということなのです。もうそこに固執して虚勢を張る必要はないのだ、という。楽になろうよ、という。権力は絶対ではなく、絶対の権力は絶対に無理があるという。もっと余裕のある「白人」、もっといい「男」、もっと穏やかな「異性愛者」になりなよ、という運動。

 これはすべての少数者解放運動に関係しています。黒人、女性、LGBTQに限らず、被差別部落民、在日韓国・朝鮮人、もっと敷衍して老人、病者、子供・赤ん坊、そして障害者も、いずれも主語として自分を語り得る権利を持つ。それは特権ではありません。それは「あなた」が持っているのと同じものでしかありません。生産性がないからと言われて「家」から追い出されそうになっても、逆に「なんだてめえは!」と言い返すことができる権利です(たとえ身体的な制約からそれが物理的な声にならないとしても)。すっかり評判が悪くなっている「政治的正しさ」とは、実はそうして積み上げられてきた真っ当さの論理(定理)のことのはずなのです。

 つまり、すべてのマイノリティたちの人権運動は、回り回って最終的にはマジョリティたちこその解放運動なのだという逆説。

 ところで言わずもがなですが、「入れ替え可能」性というのはもちろん、下克上や革命があってその位置の逆転がそのまま固定される、ということではありません。いったん入れ替われば、そこからはもう自由なのです。時には「わたし」が、時には「あなた」が、時には「彼/彼女/あるいは性別分類不可能な三人称」が主語として行動する、そんな相互関係が生まれるということです。それを多様性と呼ぶのです。その多様性こそが、それぞれの弱さ強さ得意不得意好き嫌いを補い合える強さであり、他者の弱虫泣き虫怖気虫を知って優しくなれる良さだと信じています。


 ──ところが事はそう簡単に運ぶものでもありませんでした。
 もちろん「黒人・女性・同性愛者という‟弱者たちと入れ替え可能だったのだ」と気づいた白人・男性・異性愛者たちは少なくはありませんでした。それはきちんと社会運動にもなったし、文化として根づきもしました。

 その象徴的で画期的な出来事が1982年にニューヨーク・マンハッタンの街に登場したカルヴァン・クラインの巨大ビルボードでした。

 これが白昼のタイムズ・スクエアに出現したのです。今でこそ公的な空間での男性ヌード広告は珍しくありませんが、この時はさすがのニューヨーカーたちも度肝を抜かれたものです。これこそが「白人・男性・異性愛者」の肉体が、高度資本主義社会史上初めて、コマーシャリズムのネタ、女性やゲイたちの視線の対象(目的格=objective)となった‟事件でした。つまり、白人の異性愛男性の肉体がここで初めて商品化=相対化=客体化されたのです。
 正直に言うと、先に記した主語と目的語の話を私が着想したのもこのビルボードのもたらしたセンセーションを思い出したせいです。それは確かに、ついこのあいだのオバマ時代までのアメリカではかなり説得力のある喩え話でした。

 けれどそこにトランプが登場してきました。

 いや、トランプは前から存在していたのですが、彼は2016年までは私の思い描く世界からはいずれ駆逐される存在としてそこにいたのです。ところがそうはならなかった。

 世界の大部分において、「黒人と女性とゲイたちの解放運動は、とどのつまりは白人の男性の異性愛者たちのその白人性、男性性、異性愛規範性からの『解放運動』につながる」「もっと余裕のある『白人』、もっといい『男』、もっと穏やかな『異性愛者』になる」「時には『わたし』が、時には『あなた』が、時には『彼/彼女/あるいは性別分類不可能な三人称』が主語として行動する、そんな相互関係が生まれる」「それを多様性と呼ぶ」──そういう「理想的で政治的に正しい社会」像への反動が始まりました。
 なぜか?
「黒人」「女性」「ゲイ」という懸命に模索し獲得した(構築主義的な)「アイデンティティ」を基盤にした「政治的正しさ」の政治が、トランプ的なるものの出現に伴って、人為的なアイデンティティの発動すら必要のなかった(はずの)白人・男性・異性愛者たちの不動の既得権(の幻想)の覚醒を促したのです。そこからの反撃を誘発したのです。
 彼らの彼らたる所以(アイデンティティ)はあらかじめそこに存在するデフォルト(初期設定)としての揺るぎなさ(の幻想)でした。本質主義的過ぎて「考える必要もない」という無敵の防御ネットに纏われていました。彼らにとっては前者のアイデンティティなど、(今となっても)「うるせえんだよ」の一言で排撃できるものでしかありませんでした。そのことに今さらながらのように気づき直すのです。
 なぜなら、彼らもまた本質主義的「男」という(優位だとさえ気づきもしなかった)立ち位置の中で、それでも経済的に、政治的に、傷つき苦しんでいたからです。そこには実は「白人・男性・異性愛者」という集団概念としての優位性と、個別的な幸・不幸のせいでそれとは必ずしも一致するわけではない個人としての劣位とがねじれ合わさっています。それは二重、三重の失意にも膨れ上がります。特権的な「主語」であったはずの(それはアメリカ開拓史においてまさに主人公だった者たちの「主語性」です)彼らが、気づけば「黒人」「女性」「ゲイ」というマイノリティの政治に(謂れもなく)攻撃されている(と感じる)。彼らの享受するアイデンティティの政治から疎外されている(と感じる)。それはまさに現代社会における「非マイノリティ」の悲哀です。

 マイノリティのためのアイデンティティの政治は、(今のところ?)マジョリティたちのアイデンティティを脱構築するには至らず、逆にマジョリティたちに「非マイノリティ」という、新たな別のアイデンティティで対抗させる道を与えました。マジョリティによる「非マイノリティの政治」の前では、マイノリティを守るためのアイデンティティの政治は、その圧倒的な権力の(本質的と構築的の)差によって、あらかじめ敗北します。それは当初目指されたマジョリティの脱構築ではなく、返す刀で、むしろマイノリティのアイデンティティを固定化させる方向に進んでいます。

 (彼らにとっては、「最強たる85歳」のルース・ベイダー・ギンズバーグRBG)の戦いすら「妻」で「母」で「女」としての戦いであり、そこから抜け出すことを許さない)。



 524日午後7時、ポーランドの首都ワルシャワ中心部のワジェンコフスキ橋で、2週間前に自殺したトランスジェンダーの友人ミロ・マズルキエヴィチ Milo Mazurkiewicz を追悼しようと「誇りと怒り」という名の人権活動家グループが集まっていました。

 ミロは52日のFaceBookに「もうウンザリ I’m fed up」と書き込んでいました。

I’m fed up being treated like a piece of shit. 
取るに足らないクソみたいな扱いを受けるのはもうウンザリ。

I’m fed up with people (psychologists, doctors, therapists) telling me I can’t be who I am because I don’t look like that.
みんな(精神科医や医者やセラピストたち)が私に、自分自身になろうとしてもあなたはそうは見えないから無理って言ってくるのにもうウンザリ。

Treating me as if it was all in my head and telling me I need papers proving it.
全部考えすぎだっていうみたいに、そうじゃないならそれを証明する書類が必要だって言われるのにもウンザリ。

Caring more about how I dress than how I feel.
あの人たちは私の感じていることよりも私の服装の方が問題だって思ってて

Telling me that it’s good that my chosen name is neutral-sounding, that it’s good my body is not extremely feminine, that’s it’s good I haven’t come out at work (yet).
私が自分で選んだ名前が男にも女にもどっちにも聞こえるのがいいと言ったり、私の体がそんなに女性的でないことがいいと言ったり、私が職場で(まだ)カムアウトしていないことがいいと言ったり

Telling me that maybe I should stop being (trying to be) myself and wait until other doctors and therapists decide I can.
きっともう自分自身でいようなんてするべきじゃないとか、ほかの医者やセラピストがなんというか待ちましょうとか言ってくる

I’m fed up of all of that.
そういうの全部、もうウンザリ。

Sometimes it makes me fight even more, sometimes it makes me want to end it all and stop my life right here.
そういうことがあると時にはもっと戦ってやろうと思うけれど、時にはもう全部終わらせて、ここで生きるのをやめようと思ったりもする。

Sometimes it’s just makes me want to cry.
そして時々、ただ、私は泣きたくなる。


 56日、彼女は「ごめんなさい」とだけ投稿してワジェンコフスキ橋から身を投げました。

 追悼の彼らが大きなレインボー・フラッグをその橋から垂らし渡したとき、一人の男が走って近づいてきてその旗を鷲掴みにしました。同時に別のグループが、橋の上部の歩道部分での追悼会をも攻撃してきたそうです。その顛末が、ドローン・カメラで撮影されています。

 男は「ポーランドから出て行け!」と叫んでいました。世界中で、同じことが叫ばれています。「日本から出て行け」「アメリカから出て行け」
 そういう人たちは必ず自分のことを「普通の日本人」「普通のアメリカ人です」と自己紹介しています。「普通」とは、「マイノリティではない」ということでしょう。彼ら「非マイノリティの政治」の反撃が始まっているのです。

(続く)

 

「目次」はこちら

シェア

Share

著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

矢印