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LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第24回

友情の問題としての同性愛~その1

2020.05.27更新

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メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
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「友情に欲情した」だなんて、そんなにカッコ良いもんじゃなかったろうと私の若い頃を知る友人から突っ込まれました。それじゃまるでBL漫画のお決まりのパターンだし、と。なるほどそう言われればそうでした。白状すれば、基本的に私は男に対しても女に対してもマウンティングを指向するようです。さらに明かせば、友情の対象の同性が欲情の対象に変わるときには、そこに所謂「男性」性ではなく所謂「女性」性を見たときです。ユングの言った「アニマ」の初期段階の発露というか漏れ出てしまうというかそんな時、みたいな感じでしょうか。私の場合は、そういうのが最もマウントし易いからだと思います。そしてそんな相手は必ず(私にとって)何かしらきれいだったり可愛かったりする。それもマウンティングする者としてのお決まりのような庇護欲が働き易いからだと思われます。アメリカ人の友人は、そんな私を指して「君は天使を犯したいんだろう」と言ったことがあります。そしてそんなアメリカ人を見ていて気づいたことは、アニマとの統合を上手くこなして成熟した男になっていく(ことに成功することが相対的に日本人よりは多いだろう、ような)欧米人には、私はあまり欲情しないようです。
 それが少年期の自分の物理的、体力的な優位性に起因したもの(スポーツが得意で、体も大きかった)なのか、そうするよう躾られて育った(友だちを助け、護らなくてはならない、絶対に裏切ってはいけないと常に言われてきた)せいなのか、わかりません。とにかくそうなのです。とにかく仲の好い男の中に、その所謂「男性」性に相反する「女性」性、脆弱性、幼児性、あるいはダメポ具合(まあ、男ってものの実体は概ねそのようなものの方にこそ存在するのだと思いますが)を見たときに、私のねじれた発情ポイントの1つが顕現する──一歩間違えればまさにセジウィックが喝破したような家父長制邁進のファッキン・メール・ショーヴィニスト・ピッグです(一歩間違えていないと良いのですが)。いずれにしても、ある種の権力を保守していないと欲望が発動しないヘンタイということです。
 いったん発情したそういう欲望がどういうものかは、その数年後、初めて飼った猫がサカった時に、文字どおり目の色が変わっているのを見て客観的に知ることになります。すべてはホルモンのなせるワザ。心理学も精神分析もあったもんじゃありません。欲動も欲望も欲情も、その禁止と抑圧とを巡る以外の議論が難しいのは、そんな性ホルモンの多寡と遺伝子レヴェルの性欲指向性と個々の生活環境とに、肉欲の多くが支配されているからでしょう。そこにさらに無常の時の流れが重なります。
 ひとは毎日、歳を取る。10代と30代では欲動は質も量も方向も(紐付けはされていますが)不可逆的に変わります。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」です。思い出だけを引き摺りながら。どう変わるかもまたほぼ無限の組み合わせがあります。だから個々の欲望の話をしても、とどのつまりの結論は「いろんな人がいるんだなあ」ということになります。「そんな人は信じられない!」ではないことを念押ししながら。
 ところで、「友情に欲情する」のか「欲情を友情にシフトさせる」のかは置いておいても、セジウィックの定義した「ホモソシアリティ」とは別の(あるいは同種ながら)、より性的に踏み込んだ「ホモソシアリティ」は、ひょっとしたら我々が考えている以上に遍在しているのではないかと思う節があります。
 森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』(以下引用は「青空文庫」に拠ります)には、ドイツ語を教える私立学校の寄宿舎で主人公の「金井湛(しずか)」が11歳で「始て男色ということを聞いた」だけでなく、「手を握る。頬摩りをする」「年長者」の「男」に「君、一寸だからこの中へ這入って一しょに寝給え」と言い寄られるフツーの経験を披露しています。そして13歳になって東京英語学校に入ってから、「その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった」と説明し出すのです。
 ちょっと長いですがこの「軟派」と「硬派」について引用してみましょう。


軟派は例の可笑しな画【注:男女の春画のこと】を看る連中である。その頃の貸本屋は本を竪に高く積み上げて、笈(おいずる)のようにして背負って歩いた。その荷の土台になっている処が箱であって抽斗が附いている。この抽斗が例の可笑しな画を入れて置く処に極まっていた。中には貸本屋に借る外に、蔵書としてそういう絵の本を持っている人もあった。硬派は可笑しな画なんぞは見ない。平田三五郎という少年の事を書いた写本【注:武士間の衆道を描いた『賎の男太巻(しずのおだまき)』のこと。庄内の乱で戦死した28歳の吉田大蔵を追って討ち死にした15歳の「容色無双」平田三五郎の契りを描いた。当時、十代後半の若者組の間で愛読された】があって、それを引張り合って読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴(ばちびんやっこ)との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。鞘当てがある。末段には二人が相踵(あいつ)いで戦死することになっていたかと思う。これにも挿画(さしえ)があるが、左程見苦しい処【注:性的描写】はかいてないのである。
 軟派は数に於いては優勢であった。何故というに、硬派は九州人を中心としている。その頃の予備門には鹿児島の人は少いので、九州人というのは佐賀と熊本との人であった。これに山口の人の一部が加わる。その外は中国一円から東北まで、悉く軟派である。
 その癖硬派たるが書生の本色で、軟派たるは多少影護(うしろめた)い処があるように見えていた。紺足袋小倉袴は硬派の服装であるのに、軟派もその真似をしている。只軟派は同じ服装をしていても、袖をまくることが少い。肩を怒らすることが少い。ステッキを持ってもステッキが細い。休日に外出する時なんぞは、そっと絹物を着て白足袋を穿いたり何かする。
 そしてその白足袋の足はどこへ向くか。芝、浅草の楊弓店、根津、吉原、品川などの悪所【注:遊郭】である。不断紺足袋で外出しても、軟派は好く町湯に行ったものだ。湯屋には硬派だって行くことがないではないが、行っても二階へは登らない。軟派は二階を当てにして行く。二階には必ず女がいた。その頃の書生には、こういう湯屋の女と夫婦約束をした人もあった。下宿屋の娘なんぞよりは、無論一層下った貨物(しろもの)なのである。


つまり何かと言うと、現在ではほぼ、「ナンパする」という動詞でしか使われなくなった「軟派」というのは、江戸の名残がある明治時代にあっては「女色」派の、いわゆる「チャラ男」層のことでした。そして「硬派」とは、今でこそ「蛮カラな男集団」という意味でしか遺っていませんが(そういや私は中学生のころ、仲良しの五人組で街なかを学ラン姿で高下駄履いて闊歩してたっけ)、元々は「男色」派のことだったわけです。彼らの基となったのは江戸中期に書かれた例の『葉隠』にある「武士道」です。それに倣って女色を卑しむべきものとして排し、美少年に接近して稚児の関係を結んでいたわけです。

 ちなみにこの「ヰタ・セクスアリス」が発表された1909年(明治42年)に10歳だった川端康成はやがて東京帝国大学で学びますが、のちに(昭和初期でしたか)、その学生寮では今も男色が横行しているので、息子さんを入学させる父兄諸氏は寮には入れさせない方が良いと助言しているのを確かどこかで読んだ記憶があります。
 いずれにしても、「女色を卑しむべきものとして排」すことを旨としようがしまいが、衆道や男色が存在したのは確かです。洋の東西を問わず、同性同士の欲望は紀元前から数多、記録に残っていますし、文明文化のいかんにかかわらずありとあらゆるところに遍在しています。

 そこで当然のように疑問となるのは、どうして武士道ではわざわざ「女色を卑しむべきもの」として衆道を嗜む動機付けにしているのかということです。「女色は卑しい」と思うことが男色への加速要因になることはあるかもしれませんが、加速ではなく、「女色は卑しい」と考えることが欲動のスターターになることはあるのでしょうか? 欲動は、そういう「考え」によって発動するものでしょうか?
 私にはどうも逆に思えます。同性への欲動が先にあって、それを正当化、正常化するために「女色は卑しい」と理由づける。なぜなら「軟派は数に於いては優勢」だったから、劣勢の「硬派」にはそれなりの理論武装が必要だった──「優勢」のものに理論化は必要ありません。マジョリティが自らを規定する必要がないように、異性愛が「異性愛」という名前すら持つ必要がなかったように。『葉隠』はまさに少数派だったからこそ書き記される必要があったのでしょう。
 私がここで言いたいのは、しかし同性への欲望は、男であろうが女であろうが、(先に提示したように)それは現在の文明文化の規範性の中でかろうじて表面化している以上に(普遍的とまでは言わないまでも)数でも量でもはるかに多く存在しているのではないかという仮説です(私にとってはほとんど事実ですけれど)。『葉隠』にあるホモソシアリティは、その同性への欲望に素直になれるならば「女色を卑しい」と拝するミソジニーの必要もなく存在し得るのだという提言です。

 私たちはプロ・サッカーの試合でゴール直後の選手たちが歓喜と興奮のあまりにキスし合う場面をしばしば目撃しています。そうした半ば絶頂のトランス状態にあっては興奮の発露はしばしば同性にだって向きます。中にはキスされて怒り出す選手もいますが、そこで怒る理由はそれが社会的な規範性への「違反」だと感じる外的な要因であって、内発する怒りではないような気がします。
 そもそも、友情と愛情のあわいはどこで境界が引かれるのか? 正岡子規が夏目漱石に抱いた感情、宮沢賢治が保阪嘉内に抱いた感情……ちなみに「友情」「友人」という言葉は明治期に輸入された翻訳語です。
 フランス語では友人も恋人も同じく「アミ」です。男性の場合は「ami」、女性の場合は「amie」。これは元々はラテン語の「愛(アモル amor)」から派生したものです。同じくラテン語を元とするスペイン語の「アミーゴ amigo」も同源です。
 英語の「friend」は古英語では「freond」で、動詞はこれもまた「愛する」という意味の「freon」でした。
 友情も愛情も、友人も愛人も、元を辿れば同じもの──これは友情と愛情が地続きであることを意味しています。境界線は様々な文脈でそれぞれに後付けされたものです。

 例えば寄宿舎や刑務所、兵舎といった往々にして同性だけの閉鎖空間ではしばしば「横行する」とされる同性間の性行為および恋愛感情を、私たちは長く「疑似恋愛」とか「代償行為」とかとして教えられてきました。これは同性同士の間の感情は友情であって、性欲を伴う恋愛とは違うものだという認識を基にしています。しかし性欲はどうしても肉体的欲求として発生してしまうので、そこに同性しかいなければ同性に向かってしまうのは代償物としてしかたのないことだ、という具合に。そしてそれらの「一時的」な「特殊」環境に属する性的な欲望は、「正常」な「本来」の環境に戻れば消えるものである、という具合に。

 大杉栄が『続獄中記』(1919年)の冒頭部分で、「畜生恋」として刑務所での次のような体験を披露しています。


 実際みなずいぶん仲がいい。しかしその間にも、他のどこででもあるように、よく喧嘩がある。時としては殺傷沙汰にまでも及ぶ。が、その喧嘩のもとは、他の正直な人々の間のようには、欲得ではない。そのほとんどすべてが恋のいきさつだ。
 ちょっと色の生っ白い男でもはいって来れば、みんなして盛んにちやほやする。まったくの新入りでも、監房や工場のいろんな細かい規則に、少しもまごつくことはない。なにかにつけて、うるさいほど丁寧に、よく教えてくれる。庇ってもくれる。みんなは、ただそれだけのことでも、どれほど嬉しいのか知れない。
 こうしてみんなが、若い男のやさしい眼つきの返礼に、何ものにも換え難いほどの喜びを分ち合っている間は無事だ。が、それだけでは、満足のできない男が出て来る。その眼の返礼を独占しようとする男が出て来る。平和が破れる。囚人の間の喧嘩というのは、ほとんどみな、直接間接にこの独占欲の争いにもとづく。これは世間の正直な人々の色恋の争いと何の変りもない。
 どこの監獄の囚人の間にも、この種の色情はずいぶん猛烈なものらしい。
 もっとも、これだとて、決して囚人特有の変態性欲ではない。女っ気のない若い男の寄宿舎なぞにはどこにでもあることだ。現に僕は、陸軍の幼年学校で、それが知れればすぐに退校されるという危険をすら冒して、忠勇なる軍人の卵どもが、ずいぶん猛烈にこの変態性欲に耽っているのを見た。はなはだお恥かしい次第ではあるが、僕もやはりその仲間の一人だった。


 これは「決して囚人特有の変態性欲ではな」く、「若い男の寄宿舎なぞにはどこにでもある」「変態性欲」であると、あの大杉栄が言うのです。

 フリードリヒ・クラウスというオーストリアの民俗学者は『信仰、習慣、風習および慣習法からみた日本人の性生活』(1907年、アントロポフィテイア誌所収)という論考で、次のような日本人の匿名政治家の報告を紹介しています。


 サムライの古い考え方は弱められないで、人知れず生きている。そして同性愛に主にふけっている人は、昔も今も、軍人階級である。私は軍隊内の同性愛の蔓延について、しばしば士官と語り合った。個々人はそれをみとめようとはしなかったが、男子同性愛が兵士や士官の間に非常に蔓延していることは、他のことから裏書きされた。皮相な観察者さえも、日本の兵士たちが、われわれ一般人よりもはるかに愛情がこもり、友情的な態度でお互いにつき合っているのに、驚くだろう。
 (中略)日本の兵士は、平和時も、戦時も、彼が親密なきずなを結んだ友人と腕を組んで歩く。実際われわれは、同性愛的な関係においても、サムライの古い精神は、満州の戦場(日清戦争)で、1868年前の時代には見られなかったような高揚を示した、ということができる。多数の士官は私に、他の兵士に恋愛している兵士が生命を賭して戦った光景や、そういう兵士が確実に死の見舞う場所にみずから飛び込んで行った光景を物語ってくれた。そしてこれは、ただ単に日本の兵士の非常な特徴である、戦闘精神や、死を軽んずる考えの発露ではなく、他の兵士にたいするはげしい愛の感情からなされたものである。そしてこの軍隊は、祖国愛から、生命を捨てるだけではないし、また仲間の兵士のために倒れるだけでなく、愛する友人の生命を守るために愛に殉ずるこのような兵士をもっていることは幸福だ、と考えてよいのであろう。


「兵士や士官」は「われわれ一般人よりもはるかに愛情がこもり、友情的な態度でお互いにつき合っている」と言うのです。しかも後段の「他の兵士に恋愛している兵士が生命を賭して戦った光景や、そういう兵士が確実に死の見舞う場所にみずから飛び込んで行った光景」というのは、実はアンドレ・ジッドが『コリドン』の中で紹介している古代ギリシャの兵士たちの関係性と瓜二つなのです。
(いまやっとこの『コリドン』が古書で見つかりました。手元に届くのは531日ですので、次回はその引用から始めて、「同性愛が友情の問題である」という論を進めていこうと思います)
(続く)

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著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

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