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LGBTで考える人生の練習問題 北丸雄二

第26回

友情の問題としての同性愛〜その2

2020.08.12更新

読了時間

メディアで「LGBT」を見聞きする機会が増えています。昨今の多様な生き方を尊重する世界的な流れに乗じて、日本における「LGBT」への理解も少しずつ進んでいるかのようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。この連載は、元東京新聞ニューヨーク支局長でジャーナリストの北丸雄二さんによる、「LGBT」のお話です。24年間のニューヨーク生活から見えてきた視点で「LGBT」ブームへの違和感について読み解いていきます。東京レインボープライドとの連動企画です。
「目次」はこちら

 「黒人の命だって大切だ(Black Lives Matter)」の緊急回を挟みましたが、その前の第24回からの続きです。フリードリヒ・クラウスというオーストリアの民俗学者の論考で、明治期の日本人の匿名政治家が「日本の兵士たちが、われわれ一般人よりもはるかに愛情がこもり、友情的な態度でお互いにつき合っているのに、驚くだろう」と言っていることに触れました。日清戦争(1894〜95年)では、江戸時代には見られなかった兵士同士の愛情関係が見られたと言うのです。
「多数の士官は私に、他の兵士に恋愛している兵士が生命を賭して戦った光景や、そういう兵士が確実に死の見舞う場所にみずから飛び込んで行った光景を物語ってくれた。そしてこれは、ただ単に日本の兵士の非常な特徴である、戦闘精神や、死を軽んずる考えの発露ではなく、他の兵士にたいするはげしい愛の感情からなされたものである。そしてこの軍隊は、祖国愛から、生命を捨てるだけではないし、また仲間の兵士のために倒れるだけでなく、愛する友人の生命を守るために愛に殉ずるこのような兵士をもっていることは幸福だ、と考えてよいのであろう」

 その匿名政治家の指摘をも超えて、これは「ただ単に日本の兵士の非常な特徴」ではなく、世界の文化圏に遍在した傾向であることは少し調べればわかることです。中国では「漢書」の時代(西暦80年ごろ)から「死黨(死党)」という、命を投げ出すことをも厭わぬ男性間の関係性を指す言葉があります。まあこれは任俠やくざの世界めいてもいますが、ノーベル文学賞作家でもあるフランスのアンドレ・ジッド(1869〜1951年)はそういう関係性を含めて同性愛そのものを必死に擁護する、架空の対話形式での作品『コリドン Corydon〜4つのソクラテス的対話』を1924年に発表しました。
 これは日本では新潮社の「アンドレ・ジイド全集」(全16巻、19501951年)の第四巻「背徳者」の巻に伊吹武彦訳で収められています。それからすでに70年も経っていますが、以後、改訳されているのかしら? 日本でもやっと同性愛に対する正面きっての議論が成立するようになった現在、この作品はぜひ文庫本などで再刊されてほしいものの1つです。

 同性愛の歴史とそれぞれの社会における位置とを論じる『コリドン』は、ジッド自身の「序」によれば、1911年にわずか12部を匿名で出し、さらに1920年にはこれに加筆したものを同じく匿名で21部刷ったそうです。「友人達が、この小冊子は最も私を謬るものだと繰返しいってくれる」と1924年決定版の序文で書いているとおり、実名でこれをN.R.F社から刊行した同年以降、彼はフランス社会の批判非難の矢面に立つことになりました。しかしジッドの死の前年の1950年、『コリドン』は今度はアメリカでも出版されるのです。そして日本でも全集内で。
 本作では対話は「私」と、かつてその友人だった「コリドン」の間で進みます。「私」は偏屈で無作法なインタビューワーです。その「私」に対して医師「コリドン」が、自然主義者として、歴史家、詩人、哲学者として、自分の主張を裏打ちする証拠文献の数々を持ち出してきて、紀元前5世紀のペリクレスの時代のギリシャからルネッサンス期のイタリア、シェイクスピアの時代の英国にいたるまで、文化や芸術に優れた文明に、同性愛というものが遍く存在していたことを論証していくのです。
 ちなみに、「コリドン」という名は、紀元前1世紀のローマの詩人ウェルギリウスの『牧歌』の第二歌に登場する、美少年アレクシスを愛した羊飼い青年コリドンの名前から採ったとされます。

 さてその論証も終わりに近い部分で、「コリドン」がプルタルコス(プリュターク、西暦46年〜120年頃)の『英雄伝』を引き合いに出して説明する場面があります。

***

「《伝うる所によれば、テーベの聖軍はゴルギダスの編成にかかり、精鋭三百を以って成る。調練費、維持費は国家がこれを支給する。……或る人の言う所によれば、この軍隊は、愛する者とその愛人とから成っていた。この点についてパンメニスのいった面白い言葉がよく引合いに出される。『愛するものは、その愛人の傍に列ベなければならぬ。愛し合っている人々から成る軍隊は、乱し難く破り難いのである。何となれば、愛する者は、愛の対象に執着し、愛される者は、己れを愛するものの眼前に於いて面目を失うことを怖れる故に、この軍隊の各員は、如何なる危険をも、敢えて辞せないからである。』》これによって見ると、」とそこでコリドンはいった。「テーベ人にとっての不名誉、とはどういう意味であったかが分る。賢者ブリュタークは尚も続けてこう書いている。《人間は、目前にいる他人よりは、たとい目前にはいなくても自分を愛してくれる人の方を怖れる。もしそれが本当だとすれば、先の話には何の不思議もないのある。》──どうだ、何と敬服すべき名言ではないか。」(旧仮名、旧字は現代表記に変えてあります)
(中略)
「《現に、或る戦士》は、」と彼は読み続けた。「《敵に倒され、今まさに殺されようという間際に、どうか胸を突刺してもらいたいと懇願した。『せめて私の愛人が私の骸を見付けたとき、うしろを刺された私を見て恥じなくてもよいように。』》また、ヘラクレスに愛されたイオラウスが、いつもヘラクレスの仕事を助けてその側に戦ったと言う話もある。(中略)アリストテレスは、当時もなお、相愛の男同士がイオラウスの墓へ詣でて、そのほとりで契りを交わすのが常であったと書いている。してみると、あの軍隊を《聖軍》を名付けたのも、《愛人とはその中に神聖な或るものの感じられる友である。》──プラトンをしてこう言わせた思想に従ったものではないか、さもありそうなことと思われる。
 《テーベの聖軍は無敵であったが、ケーロネアの戦に、遂に敗れた。この戦が終わった後、フィリッポス(註 敵マケーニアの王)は、殺戮の野を巡視しつつ、聖軍三百人の死骸が横たわっているところに足を止めた。皆胸を槍で突き刺されていた。槍と死骸が入り交じり、ぎっしり集って、うずたかい小山をなしていた。フィリップスは駭然としてこの光景を眺めた。そして、これが愛人の部隊であることを聞くと、思わず一掬の涙をそそいでこう叫んだ。『これらの強者が、破廉恥を敢てし破廉恥を許すがごとき輩なりしと夢にも思うものあらば、非業の死を遂ぐべし。』》」


***
 洋の東西を越え、さらには1800年近い時をも越えて呼応、共振する、軍隊(というか敷衍すれば「命のギリギリのところ」?)におけるこの「他の兵士にたいするはげしい愛の感情」、「相愛の男同士」の関係性は、一体どういうものなのでしょう。
 コリドンは続けます。「ユラニズムの無い時代又は所のみが、同時にまた芸術の無い時代、芸術の無い所だとまで僕はいいたいのだ。」
「ユラニズム uranisme」(伊吹訳では「ズ」と濁っていますが、フランス語の他文献の翻訳では「ユラニスム」とする方が一般的です)とは同性愛に関する19世紀の先駆的な研究者であったカール・ハインリヒ・ウルリヒス(Karl Heinrich Ulrichs)が命名した概念で、ジッドや同時代のマルセル・プルーストも用いた当時のフランスでの男性同性愛の呼び名です。
 とはいえ、男性同性愛の「正常さ」や「男性」性を説くあまり、コリドンはアテネの衰微を「ギリシャ人が練武場に、通わなくなった」、つまり、男性性を尊ぶ「ユラニズムが異性愛に敗れた」せいだとまで語ったり、はたまた「異性愛と共に、その自然的補足物──即ち女性嫌悪が勝ち誇った」とも言ってしまう。コリドンは言います。「女性崇拝は、ユラニズムのお蔭だ」「女性崇拝が普通ユラニズムに伴って起る」「女が一層広く欲望の対象となれば、女は前ほど崇拝されなくなる」。
 これは前述した日本における「軟派」「硬派」の考え方にも通じるようです。ナンパ男性にとっては「女」たちは単に欲望の対象だからむしろ軽んじられ、硬派の男たちには肉欲の対象から離れて女はむしろ「女神」(のよう)になる、とでも書き換えられましょうか?
 芸術性に関するコリドンの謂いについては現代でも巷間聞かれる「ゲイの人ってみんな芸術的センス、美的センスがあるよね」という誤解とそんなに違わないかもねとも思えます。

 ところで、ここに書かれている「同性愛」は、「自分の考える / 実践している / 経験している同性愛とは違う」と違和感を抱く同性愛者も多いのではないかと思います。同性愛を道徳や忠義や聖性と結びつけるこうした傾向で、自分が排除されている、疎外されていると感じる同性愛者。そういうものとは無縁にただただ性欲と愛欲で語られたい同性愛。そういう者にとっては、前にも触れた「略奪感」がここにあります。コリドンが言っているものに対する「そんなんじゃねえよ」感。だいたい、異性愛の方はそうして擁護(を捏造)する必要などない自由を享受しているのに、と。
 コリドンの語る戦士たちや日清戦争時の士官たちが目撃した兵士たちはそもそも互いにセックスをしていたのでしょうか? 直接的な言及はありませんが、経験的に言って、彼らの関係性は肉体的につながっているからこそ強かったはずです。ただ、それはあまり表沙汰にならない。肉体と精神と、常に重んじられるのは精神性の方でした──肉欲には悪魔が、あるいは堕落が宿っているからです。なのでそれを友情と言ったりする。
 そう、これはホモセクシュアリティではなく、私が前々回で触れた、ホモソシアリティの関係──近代的な意味における「ホモセクシュアリティ」とは違う、むしろ「ホモソシアリティ」から派生、深化したような関係です。この章で見てきたような、洋の東西も時代の新旧も問わずに遍在する(あるいは、遍く記述されてきた)そうした「同性愛」めいた男性間の関係性は、ホモソシアルな関係と呼んで良いのではないか? そしてそんな形の「性的でもあるホモソシアリティ」は、ホモフォビアの強いキリスト教的社会では擁護論を懸命に「捏造」しなくてはなりませんでした。けれどホモフォビアのない時代、あるいは、ない機会では、かなり遍在していた──男たちはかくも多くつるみ合い、絡み合っていたのです。

 私は、そんなホモソシアリティを「友情の呪縛」から解放したいと思います。いや、より正確には「友情のみの呪縛」から。

「同性愛」めいた男性間の関係性、と書いて、まだ他にも、ホモソシアリティとは逆の意味で、想起するものがあります。
 ジャーナリストなどをやっていると一般の人より芸能人に会う機会も増えます。そのうちにプライヴェートでも親しくなって芸能界の内側の話を聞くこともあります。そこで出てくる話の中にはいわゆる「ホモネタ」もあります。誰と誰とは「ホモだ」とか「キスしてた」とか「迫られた」とか。中には一般社会でのウワサとそう違わない次元の話や、周知のゲイ有名人のエピソードもあります。さらに、あの俳優、歌手、大御所芸能人、はなぜ男とやったんだろうとしみじみ思う話もあります。バイセクシュアル、というのとは違うような気もします。いや、それをバイセクシュアルのと呼ぶのかなあ。もともとバイセクシュアルという定義自体が難しいのですが。
 そうやって考えていて、自分なりに得心のいく考え方というのは、つまり、あれだけ綺麗だったら男も女もないわな、ということでした。同時に、いろいろな状況で、表出する自我のあり方がとても特異で、というか奇抜で、性的な意味に関係なく(とも)、こいつ(ら)、クイアだな、と感じる場面も多い。
 彼らはみなその外見において、かつその外見を基盤としてか、様々な場面で特権者であり得ます。異性間のセックスだって(スキャンダルの恐怖という抑制力がなければ)一般人よりも機会に恵まれるのですから、その特権の場におけるジェンダーの垣根はかなり低い。特権の素である肉体の垣根もまた。だったら、減るもんじゃないし、やるわね。気持ちいいし。
 つまり特権者は、社会の規範から自由に自分の特権を謳歌できる、と考えることができると(意識的でなくとも)知っているからクイア=社会の規範からのはみ出し者になり得るのです。
 そこではセックスに纏いがちな、いちいちの愛は余計に邪魔なわけです。

 同じく、日本に来た欧米人の男性モデルたちともたまたま近所に住んだ一人を通して親しくなったことがあります。私がニューヨークに赴任する前ですから、80年代後半から90年代初めにかけてのバブル期の東京では欧米人モデルが少なからずいて、かつ、かなりもてはやされていたのです。その中にかなりの割合でゲイ男性もいました。そんな彼らが口々に言っていたのは、日本人の若い男の子たちは驚くほど簡単に寝るということでした。ゲイじゃない、ガールフレンドとセックスもしている普通の大学生の男の子たちが、欧米人モデルの男性たちの性的な誘いに冗談みたいに簡単に乗ってくる。私の友人は「日本人、みんなゲイなのかと思うよ、ホント」と言っていました。
 あの時代、欧米人モデルはやはり特権的だったのかもしれません。あるいは、日本人の自分たちとは異世界にいる人間。だから、彼らとの性行為は特別な異世界でのことで、現実の普通の日本社会でのこととは地続きじゃないとどこかで感じていたのかもしれません。そういう思いの中ではジェンダーの垣根や肉体の垣根は、人種の垣根を超えるときに同時にまた飛び越えてしまっていたのでしょう。

 「MSM」という概念がAIDSの時代に発明されました。「M(en who have )S(ex with )M(en)(男とセックスする男たち)」という意味です。AIDS/HIVの感染予防のために生み出されたこの考え方は、男性同性愛者(ゲイ)かどうかという性的アイデンティティには触れず、性行動という行為(リスキーな行為)だけの次元に焦点を当てた呼び名です。HIV感染の危険には「性愛」の「性」は関係しますが、「愛」は一次的には関係ありませんから、感染予防を呼びかけたり検査を受けるよう勧めたりする対象は男性同性愛者である必要はない。男性同性間セックスをする、というその行為に対してだったわけです。
 そこで浮き上がってきたのは、自分をゲイだとは認めていないが、男とセックスをする男たちが予想以上に多いという統計的な事実でした。その当時の状況や時代性も合わせて、私はあのころ、彼らを複雑ながらも単純に「クローゼット」のホモセクシュアルたちだと考えていました。あるいはホモフォビアが強いあまりに自分のホモセクシュアルな欲望を認めないバイセクシュアルたち。そんな、つまりは潔くない連中、と片付けるか、あるいはセックスなんて誰とでも何とでもできるさと潔さを装って豪語する性豪とかパンセクシュアルとかヘンタイとかw。(ここで私が思い出すのは『エンジェルズ・イン・アメリカ』でも描かれたロイ・コーンの姿です)
 いずれにしても、「『同性愛』めいた男性間の関係性」における精神性の部分をいっさい否定 / 無視したこの「男たち」の正体を、私はなかなか見極められずに、というか得心できずにいました。(もっとも、米国人モデルの私の友人と寝た日本人の男の子たちはその後、かなり「なついてきた」とは聞きましたが)

 一方で、『コリドン』や明治期の戦士・兵士たちのあの男性間のホモソシアルな関係性は、逆にその精神性を強調するあまりに肉体性を捨象する。友情やら忠義やら契りやら絆やら、これはまるで「MSM」の裏返しです。ホモソシアルな関係は、男同士でしょっちゅうつるんで、家で待つ妻たちを蔑ろにする関係、休みになると家族ほっぽらかしでやれ草野球だやれ草ラグビーだと男同士の集いに精を出す関係に呼び名を与えました。残念ながら理想主義のコリドンが論じたような「女性崇拝」にはつながらず、逆に(イヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆イギリス文学とホモソーシャルな欲望』で指摘したように)「女性嫌悪」になってしまう関係の名前になってしまうのでしたが。

 ここで思い至るのは、「MSM」と「ホモソシアル」の関係が、まるで「ルビンの壺」の、「壺」と「人間の横顔」の関係にあるのではないかということです。「ホモセクシュアルな欲望」を軸に、精神性を捨象して見えてくるものと、肉体性を捨象して見えてくるものとが、合体しているの図。


 ホモソシアリティは、つるみたい男との性的感情あるいは肉体関係に直面するとどう対処してよいのかわからなくなってパニックに陥る。そこからそれを否定することでホモフォビアになる。
 MSM性は、セックスする相手の男との愛情や絆を突きつけられると不意に居心地が悪くなって怒り出す気分を抑えられない。そこからそれを否定することで「行為者」ではあるもののそこにはアイデンティティを持たない何か別のものになる。
  これはともに不幸であるように見えます(不幸じゃないと言い張る人たちは多いでしょうが)。

 そう整理して初めて、私は映画『ブロークバック・マウンテン』(2005年、アン・リー監督)のエニス(英語でどう発音しても字幕や翻訳本のような日本語の「イニス」にはならないと思います)・デル・マー(ヒース・レッジャー)の心がわかった気がしました。
 アメリカの男らしさの象徴の一つである「カウボーイ」という、初めて女性的などのステレオタイプではない男性同性愛者を登場させてオスカー監督賞などを獲ったこの(今では)古典的な名作は、「1963年夏、ワイオミング州のブロークバック・マウンテンでの羊の放牧という季節労働を通じて知り合ったエニスとジャック・トゥイスト(ジェイク・ジレンホール、彼の名前ももまた絶対に「ギレンホール」とは発音しません)との、その後20年にわたる恋愛」を描きます。その全体の構造を私は2006年の日本公開時に『yes』という雑誌に書いた『クローゼットに迷い込まないための「ブロークバック山の案内図」』(連載22回参照)という記事で紹介しましたが、その時はまだエニスのことをわかっていなかったのだと思います(とはいえ、リー監督や他の製作陣、キャストはきちんと言語化して理解していたかというとそれは定かではありませんが)。
 映画でのエニス(アニー・プルーの原作はとても短い作品で、彼の感情を十全に追うことは読者に多くを委ねています)は、コミュニケーションがうまくない、不器用な(だからこそ)男らしい男として描かれます。女性との意思疎通もそう得意ではない感じ。黙々と働く様は、ええ、まさに無骨な「硬派」です。女性よりは男同士の付き合いの方が(上手いとかではないが)楽なはずの男性像。「男は黙って」の典型像……。
 そんなエニスがジャックに出遭う。ジャックの方は最初の登場シーンから、かつ引き続く山の生活でのエニスへの視線でゲイであることが暗示されます。ところが彼のその誘いに乗って荒々しい性交を行ってしまうエニスは、この男同士の付き合いに付随した肉体関係がどうしても自分の中で消化しきれない。だから、山を下りてジャックと別れるときになって、それが悲しみだとも寂しさだとも離れたくない恋愛感情だとも気づかずに、何が何だかわからなくなって嘔吐するしかなかったのです。
 これはまさに、ホモソシアリティしか知らなかったエニスが、その男同士の精神性の絆に紛れ込んだ肉体性の処理に自家中毒を起こしているシーンです。ホモセクシュアリティは否定したい、なのに、この自分の男同士の友情の絆(だと思っているもの)に紛れもなく付随している肉欲的な感情は、いったい何なんだ? オレはいったい何をしてるんだ? これは何なんだ、いったい?
 そのままでいる限り、彼は不幸です。そして彼は不幸なまま(あるいは何かを諦めることで不幸を相対化しながら)この映画を終えるのです。

 2017年に、この『ブロークバック・マウンテン』へのオマージュあるいは返歌としか思えないような映画がイギリスで公開されました。
 『ゴッズ・オウン・カントリー God’s Own Country』(2017年、フランシス・リー監督)というこの映画でも、「神の恵みの土地」とされる英国ヨークシャーの荒涼たる田舎で、羊と牛の世話をするだけの生活が舞台です。シチュエーションは『ブロークバック』と本当に似通っています。
 そこに登場する牧場主の一人息子、主人公ジョニー(ジョシュ・オコナー)は、しかしエニスとは逆に、男とセックスすることには何の抵抗も感じていません。むしろ吐くほど酒を飲み、男とセックスしては日々の憂さを晴らす毎日です。肉牛の競り市の便所での行きずりの性交の後には、「コーヒーでもどう?」と聞いてきた相手に答えも笑顔すらも返さずにそそくさとその場を立ち去るだけです。セックス以外の何物をも求めていない、あるいは、セックス以外のどんなつながりが男同士の中にあるのかを知らない若者です。
 やがて彼は、脳梗塞で半身不随となる父の意向により、ルーマニア人の移民労働者ゲオルゲ(アレック・セカレアヌ)を迎えることになります。男同士の関係性に「精神性」を求めぬジョニーはゲオルゲを「ジプシー」と(侮蔑語で)呼んで憚らない。けれど羊の出産期のために二人での山の生活が始まったとき、ゲオルゲはジョニーを組み伏せて「ジプシーと呼ぶな」と怒るのです。そこにいたのは一人の人間、一人の男なのです。そんな彼への気づきが何なのかわからぬジョニーは、例によってゲオルゲにセックスを迫る。それ以外に他者とのコミュニケーションの手段を知らないわけですから。
 そのときです。キスを拒むいつものやり方のセックスの最中に、ゲオルゲと抱き合うジョニーの表情がふと変わる瞬間を私たちは目撃します。この演技はすごい。ルーティーンでしかなかった性交が、明らかに「愛というようなもの」に彩られたときの顔になります。それは精神性を伴う肉体(性交)への、まざまざとした変転を明示するのです。

 これは、単なるMSMだったジョニーが、簡単に言えば「ゲイ」になった瞬間です。2005年の『ブロークバック』から12年を経て(アメリカでさえも2015年に同性婚が合法化されていました)、同じようにヨークシャー出身の牧場主の息子であるフランシス・リー監督は、ホモソシアルな男同士の関係の肉体性を受け入れられなかったエニスの不幸に対し、MSMな男同士の関係性に精神性を受け入れたジョニーの幸福を対峙させたのです。
 その証拠に、『ブロークバック・マウンテン』では一度も「ホモセクシュアリティ」が言葉として明示されることがなかったのに対し、『ゴッズ・オウン・カントリー』では「フリーク freak」「ファゴット faggot」という「ホモセクシュアリティ」へのきつい侮蔑語が2つのシーンで登場してきます。最初はジョニーのゲオルゲに対する揶揄の言葉として、最後は、2人が笑いながら認め合う互いへの愛情あふれる呼び名として。
 1963年から始まるエニスとジャックの男同士の関係性には、その肉体性を認める「ホモセクシュアリティ」の入り込む余地はなかったのでしょう(これが制作された2000年代初頭のアメリカでもまだ)。けれど時を経て2017年には、ヨークシャーの田舎でも男同士の関係性を「変態」「オカマ」と笑って呼び合える幸せがあった。エニスとジャックが果たせなかった男同士で牧場をやりながら暮らすという「夢」は、時と場所を超えてジョニーとゲオルゲによって始められるのです。
 
 そう考えると、あの1968年の戯曲『真夜中のパーティー Boys in the Band』に登場する、「唯一のストレート男性」と言われる「アラン」の正体もわかってくるような気がします。
(続く)

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著者

北丸 雄二

ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家。元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG.W.ブッシュ~オバマ~トランプと変わった2017年まで、計24年間、現地で9.11テロや選挙ルポなど米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、「世界」「現代思想」「ユリイカ」などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。 LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰もいなかった当時、「AERA」で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。Twitterは@quitamarco。 

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