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第10回

23〜25話

2021.04.02更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐4 うまいたとえ話をいつも考えておいて、ここぞというときに使う


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。孟子は言った。「人民がそう評価していたとしても、心を痛めることはありません。王の考えて行ったことは、まさに仁の心のはたらきです。王は牛を見てますが、まだ羊は見ていません。君子というのは禽獣に対してもその生きた姿を見ると、それが死ぬのを見るのはしのびないものです。その声を聞いてはその肉を食べるのはしのびなく思うものです。ですから、君子は禽獣をさばいて料理する台所を遠ざけるといいます」。この孟子の言葉を聞いて王は喜んで言った。「『詩経』に『他人の心を、私はよくおしはかる』とあるのは、まさしく先生のことを言ったようなものだ。そもそも自分がしたことなのに、どうしてああしたものか、その理由がわからなかった。今、先生の言葉を聞いて自分の心がよく理解できた気がする。だが、この心が王者たるに合うものであるというわけは、どういうことだろうか」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、傷(いた)む無(な)きなり(※)。是(こ)れ乃(すなわ)ち仁(じん)の術(じゅつ)(※)なり。牛(うし)を見(み)て未(いま)だ羊(ひつじ)を見(み)ざればなり。君子(くんし)の禽獣(きんじゅう)に於(お)けるや、其(そ)の生(せい)を見(み)ては、其(そ)の死(し)を見(み)るに忍(しの)びず。其(そ)の声(こえ)を聞(き)きては、其(そ)の肉(にく)を食(くら)うに忍(しの)びず。是(ここ)を以(もっ)て君子(くんし)は庖厨(ぼうちゅう)を遠(とお)ざくるなり。王(おう)説(よろこ)びて(※)曰(いわ)く、詩(し)に云(い)う、他(た)人心(にんこころ)有(あ)り、予(われ)之(これ)を忖度(そんたく)すとは、夫子(ふうし)の謂(い)いなり。夫(そ)れ我(われ)乃(すなわ)ち之(これ)を行(おこな)い、反(かえ)って之(これ)を求(もと)めて、吾(わ)が心(こころ)に得(え)ず。夫子(ふうし)之(これ)を言(い)い、我(わ)が心(こころ)に於(お)いて戚戚)焉(せきせきえん)(※)たる有(あ)り。此(こ)の心(こころ)の王(おう)たるに合(がっ)する所以(ゆえん)の者(もの)は何(なん)ぞや。

(※)傷む無きなり……心を痛めることはない。この他にも傷を害と見る説や仁を傷つけないとする説などもある。
(※)仁の術……仁の心のはたらき。仁の作用、仁の道。これに対し、朱子は「仁を行うの巧みな法」とする。
(※)説びて……喜んで。「説」は「悦」に通じる。
(※)戚戚焉……自分の心がそうであったのかとわかって感動すること。ここでの孟子の話から、都合良く、昔の日本でも「男は台所に立つものではない」と言われた。料理好きな私も、祖父によく注意された。確かに、鶏をさばくのを見た後に、それを食べるのは気持ち良いものではなかった。私も、孟子の言葉にまさに「戚戚焉」である。

【原文】
曰、無傷也、是乃仁術也、見牛未見羊也、君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也、王說曰、詩云、他人有心、予忖度之、夫子之謂也、夫我乃行之、反而求之、不得吾心、夫子言之、於我心有戚戚焉、此心之所以合於王者何也、

 

7‐5 できないのではなく、やろうとしないからできないのだ


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。孟子は言った。「今、ここに王に向かって、『私の力は百鈞もの大変重い物を持ち上げることができますが、鳥の羽一枚は持ちあげられません。私の目は、秋に生えていっぱいになる細い獣の毛の末端でも見ることはできますが、車に積んだ薪はまったく見えません』と言う者がいたとしたら、王はそれを信じ、許されますか」。王は、「いいや」と言った。そこで孟子は言った。「それでは、王の恩恵が鳥獣にまで及んでいるのに、その恩恵が人民にだけは及ばないのは、いったいどうしたということでしょう。鳥の羽一枚を持ちあげられないというのは、力を用いないためであり、車に積んだ薪が見えないのは、見ようとして目の力を使わないだけです。人民の生活が安定していないのは、王が恩恵を施そうとしないからです。だから同じように、王が王者になってないのは、なろうとしないからです。なれないということではないのです」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、王(おう)に復(もう)す(※)者(もの)有(あ)り。曰(いわ)く、吾(わ)が力(ちから)は以(もっ)て百鈞(ひゃくきん)(※)を挙(あ)ぐるに足(た)れども、以(もっ)て一羽(いちう)を挙(あ)ぐるに足(た)らず。明(めい)は以(もっ)て秋毫(しゅうごう)(※)の末(すえ)を察(さっ)するに足(た)れども、輿(よ)薪(しん)を見(み)ず。則(すなわ)ち王(おう)之(これ)を許(ゆる)さんか。曰(いわ)く、否(いな)。今(いま)恩(おん)は以(もっ)て禽獣(きんじゅう)に及(およ)ぶに足(た)れども、功(こう)は百姓(ひゃくせい)に至(いた)らざる者(もの)は、独(ひと)り何(なん)ぞや。然(しか)らば則(すなわ)ち一(いち)羽(う)の挙(あ)がらざるは、力(ちから)を用(もち)いざるが為(ため)なり。輿(よ)薪(しん)の見(み)えざるは、明(めい)を用(もち)いざるが為(ため)なり。百姓(ひゃくせい)の保(やす)んぜられざるは、恩(おん)を用(もち)いざるが為(ため)なり。故(ゆえ)に王(おう)の王(おう)たらざるは、為(な)さざるなり、能(あた)わざるに非(あら)ざるなり(※)。

(※)復す……申す。言う。
(※)百鈞……大変重い物。一鈞は三十斤。百鈞(三千斤)は約七トン以上にあたるとされる。
(※)秋毫……秋に生えていっぱいになる獣の細くて長い毛のこと。秋になると獣の毛は、細くなり、いっぱいに生える。なお、『孫子』にも「秋毫(しゅうごう)を挙(あ)ぐるは多力(たりょく)と為(な)さず」(形篇)とある。
(※)為さざるなり、能わざるに非ざるなり……できないのでなく、しようとしないだけである。格言でよく使われる「能(あた)わざるにあらず為(な)さざるなり」とか「能(あた)わざるにあらず為(せ)ざるなり」は本項の孟子の言葉からのものである。意味は通常、「物事を成就できないのは、それが不可能だからではない、やろうとする気持ちが足りないからである」とされる(『故事ことわざの辞典』小学館)。

【原文】
曰、有復於王者、曰、吾力足以擧百鈞、而不足以擧一羽、明足以察秋豪之末、而不見輿薪、則王許之乎、曰、否、今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與、然則一羽之不擧、爲不用力焉、輿薪之不見、爲不用明焉、百姓之不見保、爲不用恩焉、故王之不王、不爲也、非不能也、

 

7‐6 自分でできることをやれば良い


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「しないのと、できないのは、具体的にはどう違うのだろうか」。孟子は答えて言った。「例えば、泰山(たいざん)をわきに抱えて渤海(ぼっかい)をとびこえようという人がいたとします。しかし結局、人に向かって、『やはりできない』と言いました。これは本当にできないことなのです。しかし、年長者のために木の枝を折ろうという人がいたとして、その人が、『自分にはできない』と言うのは、できないのでなく、しようとしないだけです。王が本当の王者になっていないのは、泰山をわきに抱えて渤海を飛び越えるというたぐいのものではなくて、年長者のために木の枝を折るというたぐいのことなのです」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、為(な)さざる者(もの)と能(あた)わざる者(もの)との形(かたち)は、何(なに)を以(もっ)て異(こと)なるか。曰(いわ)く、太山(たいざん)(※)を挟(わきばさ)みて以(もっ)て北海(ほくかい)(※)を超(こ)えんとす。人(ひと)に語(かた)りて曰(いわ)く、我(われ)能(あた)わず、と。是(こ)れ誠(まこと)に能(あた)わざるなり。長者(ちょうじゃ)(※)の為(ため)に枝(えだ)を折(お)らんとす(※)。人(ひと)に語(かた)りて曰(いわ)く、我(われ)能(あた)わず、と。是(こ)れ為(な)さざるなり。能(あた)わざるに非(あら)ざるなり。故(ゆえ)に王(おう)の王(おう)たらざるは、太山(たいざん)を挟(わきばさ)みて以(もっ)て北海(ほっかい)を超(こ)ゆるの類(るい)に非(あら)ざるなり。王(おう)の王(おう)たらざるは、是(こ)れ枝(えだ)を折(お)るの類(るい)なり。

(※)太山……泰山。山東省にある有名な山。『論語』でも出てくる。「泰山(たいざん)は林放((りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか」(八佾第三)とある。
(※)北海……渤海のこと。
(※)長者……年長者。
(※)枝を折らんとす……木の枝を折ろうとする。なお、「枝」を「肢」と見て、四肢を屈して年長者に礼儀をするという説、やはり「肢」と見て、年長者のために四肢を折り曲げ、按摩をしてあげるという説もある。

【原文】
曰、不爲者與不能者之形、何以異、曰、挾大山以超北海、語人曰、我不能、是誠不能也、爲長者折枝、語人曰、我不能、是不爲也、非不能也、故王之不王、非挾大山以超北海之類也、王之不王、是折枝之類也、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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