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第120回

291話

2021.09.13更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐3 義は路(みち)であり礼は門である(賢人としての誇りをもって生きる)

【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「かつて斉の景公が猟をしたとき、旌という旗で、狩場の役人(虞人)を招き呼んだ。係の者はそれに応じず来なかったので(正しい召喚の礼ではなかったので)、景公は腹を立て、その者を殺そうとした。この話を聞いて孔子はほめて言ったという。『志士というのは、ひたすら正しい道を目指しているので苦境、困窮など覚悟のうえだ(正しい道を貫くために、溝や谷間にしかばねをさらそうが貫き進むだけだ)。また勇士は、事があったらいつでも首を取られる覚悟をしているのだ』と。孔子はどうしてそんなにほめられたのだろうか。それは係りの役人が正しい招き方で呼ばれなければ、死んでも行かないという覚悟をほめられたのである」。万章は聞いた。「あえて教えていただきたいのですが、係りの役人を呼ぶには何を用いるのですか」。孟子は答えた。「皮冠を用いるのである。庶人(庶民出身の役人)を呼び招くには旃(せん)という旗を用い、士を呼び招くには旂(き)という旗を用い、大夫を呼び招くには旌(せい)という旗を用いる。それなのに、大夫を呼び招く方法で係りの役人を呼び招いたから、その役人は死を賭してでも行かなかったのである。同じように、士を呼び招く方法で庶人を招いたならば、庶人は行くことはないだろう。ましてや不賢者を招く方法で、賢人を招いたならば決して行くことはない。賢人に会いたいと思っていながら、正しい道をとらないでいるのは、あたかも人が入ってくることを願いながら、入り口の門を閉めてしまうようなものである。そもそも、義は道であり、礼は門のようなものである。ただ君子だけがこの道を通り、門を出入りすることができる。『詩経』は次のように言っている。『周の道(王道)は砥石のように平らかで、矢のようにまっすぐである。君子はこの道を踏み、小人はそれを見習う』と」。そこで、万章はさらに聞いた。「孔子は君が命じて召すと、車を馬につけるのも待たないで、すぐに出かけられたということです。そうであるならば孔子は間違っていたのですか」。孟子は言った。「いや。孔子は当時、君に仕えていて官職があったのだ。この官職上のことで召されたのであって、こういう場合は急いで出仕しなければならないのだ」。

【読み下し文】
斉(せい)の景公(けいこう)田(でん)す(※)。虞人(ぐじん)を招(まね)くに旌(せい)(※)を以(もっ)てす。至(いた)らず。将(まさ)に之(これ)を殺(ころ)さんとす。志士(しし)は溝壑(こうがく)に在(あ)るを忘(わす)れず。勇士(ゆうし)は其(そ)の元(こうべ)を喪(うしな)うを忘(わす)れず、と。孔子(こうし)奚(なに)をか取(と)れる。其(そ)の招(まね)きに非(あら)ざれば往(ゆ)かざるを取(と)れるなり。曰(いわ)く、敢(あえ)て問(と)う、虞人(ぐじん)を招(まね)くには何(なに)を以(もっ)てするか。曰(いわ)く、皮冠(ひかん)(※)を以(もっ)てす。庶人(しょじん)は旃(せん)(※)を以(もっ)てし、士(し)は旂(き)(※)を以(もっ)てし、大夫(たいふ)は旌(せい)を以(もっ)てす。大夫(たいふ)の招き(まねき)を以(もっ)て虞人(ぐじん)を招(まね)けば、虞人(ぐじん)死(し)すとも敢(あえ)て往(ゆ)かず。士(し)の招(まね)きを以(もっ)て庶人(しょじん)を招(まね)けば、庶人(しょじん)豈(あに)敢(あえ)て往(ゆ)かんや。況(いわ)んや不賢人(ふけんじん)の招(まね)き以(もっ)て賢人(けんじん)を招(まね)くをや。賢人(けんじん)を見(み)んと欲(ほっ)して、而(しか)も其(そ)の道(みち)を以(もっ)てせざるは、猶(な)お其(そ)の入(い)ることを欲(ほっ)して、而(しか)も之(これ)が門(もん)を閉(と)づるがごときなり。夫(そ)れ義(ぎ)は路(みち)なり。礼(れい)は門(もん)なり。惟(ただ)君子(くんし)は能(よ)く是(こ)の路(みち)に由(よ)り、是(こ)の門(もん)を出入(しゅつにゅう)す。詩(し)に云(い)う、周道(しゅうどう)(※)は厎(と)(※)の如(ごと)く、其(そ)の直(なお)きこと矢(や)のごとし。君子(くんし)の履(ふ)む所(ところ)、小人(しょうじん)の視(み)る所(ところ)、と。万章(ばんしょう)曰(いわ)く、孔子(こうし)は君(きみ)命(めい)じて召(め)せば、駕(が)(※)を俟(ま)たずして行(ゆ)けり。然(しか)らば則(すなわ)ち孔子(こうし)は非(ひ)なるか。曰(いわ)く、孔子(こうし)を仕(つか)うるに当(あ)たりて官職(かんしょく)有(あ)り。而(しか)して其(そ)の官(かん)を以(もっ)て之(これ)を召(め)せばなり。

(※)田す……狩りをする。田猟と同じ(梁恵王(下)第一章三参照)。本項の話は滕文公(下)第一章にも見える。
(※)旌……旗竿の先に鳥の羽根をつけた旗。
(※)皮冠……猟に出かけるときに被る鹿の皮でできた冠(ぼうし)。
(※)旃……赤い布でつくったひと幅の飾りのない旗。
(※)旂……二匹の竜の模様が描かれ、旗竿の端に鈴をつけた旗。
(※)周道……周の道。周の王道のことを意味している。
(※)厎……砥石。
(※)駕……車を馬につけること。なお、ここでの孔子の話は『論語』にある。すなわち、「君(きみ)、命(めい)じて召(め)せば、駕(が)を俟(ま)たずして行(い)く」(郷党第十)。

【原文】
齊景公田、招虞人以旌、不至、將殺之、志士不忘在溝壑、勈士不忘喪其元、孔子奚取焉哉、取非其招不徃也、曰、敢問、招虞人何以、曰、以皮冠、庶人以旃、士以旂、大夫以旌、以大夫之招招虞人、虞人死不敢徃、以士之招招庶人、庶人豈敢徃哉、況乎以不賢人之招招賢人乎、欲見賢人、而不以其衜、猶欲其入、而閉之門也、夫義路也、禮門也、惟君子能由是路、出入是門也、詩云、周衜如厎、其直如矢、君子所履、小人所視、萬章曰、孔子君命召、不俟駕而行、然則孔子非與、曰、孔子當仕有官職、而以其官召之也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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