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第128回

306話〜307話

2021.09.27更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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9‐1 心を一つにして打ち込み、志をしっかり立てないと物にはならない

【現代語訳】
孟子は言った。「(斉)王が、道についてよく知らないことは不思議なことではない。天下にどんなに生育しやすい物があっても、これを一日だけ暖めても、十日冷やすようなことがあれば、よく生育することはない。それと同じで、私が王にお目にかかるのはまれであり、私が暖めても退けば、これを冷やす者がたくさん来るのである。これでは、私が王を芽ばえさせたとしても、どうしようもないことになる。例えば、囲碁の技などはつまらない技かもしれないが、それをたとえにしてみよう。この囲碁でも、心を一つにして打ち込み、志をしっかりと立ててやらないと上達するものではないのだ。碁の名人である秋という人は、国で最も碁がうまいとされている。その人が二人の弟子を教えたとする。一人は心を一つにして、碁だけに打ち込み、志をしっかりと立ててやり、ひたすら秋の教えを聴いている。ほかの一人は、教えは聴いてはいるが、心は一つでなく、一方の心のなかには、白鳥が飛んで来るだろうと考え、いぐるみで射落としてやろうと思っている。これではともに学んではいても、前者には及ぶことができないだろう。及ばないのは智が足りないためであろうか。いや、そうではない。心を一つにして打ち込み、志をしっかりと立てないからである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、王(おう)(※)の不智(ふち)を或(あや)しむこと無(な)かれ。天下(てんか)生(しょう)じ易(やす)きの物(もの)有(あ)りと雖(いえど)も、一日(いちじつ)之(これ)を暴(あたた)(※)め、十日(じゅうじつ)之(これ)を寒(ひや)さば(※)、未(いま)だ能(よ)く生(しょう)ずる者(もの)有(あ)らざるなり。吾(わ)れ見(まみ)ゆること亦(また)罕(まれ)なり。吾(わ)れ退(しりぞ)きて之(これ)を寒(ひや)す者(もの)至(いた)る。吾(わ)れ萌(きざ)すこと有(あ)るを如何(いかん)せんや。今(いま)夫(そ)れ弈(えき)(※)の数(すう)(※)たる、小数(しょうすう)(※)なれども、心(こころ)を専(もっぱ)らにし志(こころざし)を致(いた)さざれば、則(すなわ)ち得(え)ざるなり。弈秋(えきしゅう)(※)は、通国(つうこく)の(※)弈(えき)を善(よ)くする者(もの)なり。弈秋(えきしゅう)(※)をして二人(ににん)に弈(えき)を誨(おし)えしむるに、其(そ)の一人(いちにん)は心(こころ)を専(もっぱ)らにし志(こころざし)を致(いた)し、惟(ただ)弈秋(えきしゅう)に之(これ)を聴(き)くことを為(な)す。一人(いちにん)は之(これ)を聴(き)くと雖(いえど)も、一心(いっしん)には以為(おも)えらく、鴻鵠(こうこく)(※)将(まさ)に至(いた)らんとする有(あ)り。弓繳(きゅうしゃく)(※)を援(ひ)きて之(これ)を射(い)んことを思(おも)わば、之(これ)と倶(とも)に学(まな)ぶと雖(いえど)も、之(これ)に若(し)かず。是(こ)れ其(そ)の智(ち)の若(し)かざるが為(ため)か。曰(いわ)く、然(しか)るには非(あら)ざるなり。

(※)王……斉王とされている。
(※)暴……陽にあてて、暖めること。
(※)寒さば……冷せば。
(※)弈……囲碁。
(※)数……技。「数」を「わざ」と読む人もある。
(※)小数……つまらない技。
(※)弈秋……碁の名人である秋という人。
(※)通国の……国一番の。
(※)鴻鵠……白鳥。
(※)弓繳……いぐるみ。矢に糸をつけて鳥にからませる。なお、『論語』では「弋(よく)」という語をいぐるみとして使っている。すなわち「子(し)は釣(つり)して網(あみ)せず。弋(よく)して宿(やどり)を射(い)ず」(述而第七)。

【原文】
孟子曰、無或乎王之不智也、雖有天下易生之物也、一日暴之、十日寒之、未有能生者也、吾見亦罕矣、吾退而寒之者至矣、吾如有萌焉何哉、今夫弈之爲數、少數也、不專心致志、則不得也、弈秋、通國之善弈者也、使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之爲聽、一人雖聽之、一心以爲、有鴻鵠將至、思援弓繳而射之、雖與之俱學、弗若之矣、爲是其智弗若與、曰、非然也。


10‐1 私にとって生より義のほうが大切である

【現代語訳】
孟子は言った。「魚はおいしくて私の欲しいものである。また、熊掌もとてもおいしく私の欲しいものである。しかし、どちらか一つしか得られないとしたら、私は魚を捨てて熊掌を取ることにする。同じように、生も私の欲するところであり、義も私の欲するところである。どちらか一つしか得られないとしたら、私は生を捨てて義を取ることにする。生も私の欲するものであることは当然だが、その欲する生よりも、大事で私の欲するもの(義)があるのだ。当然、死は憎むものである。しかし、憎む死よりも、もっと憎むもの(不義)があるのだ。だから死の患いがあったとしても、不義をしてまで生きようとは思わないのである」。


【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、魚(うお)は我(わ)が欲(ほっ)する所(ところ)なり。熊掌(ゆうしょう)(※)も亦(また)我(われ)が欲(ほっ)する所(ところ)なり。二者(にしゃ)兼(か)ねることを得(う)べからずんば、魚(うお)を舎(す)てて熊掌(ゆうしょう)を取(と)る者(もの)なり。生(せい)も亦(また)我(わ)が欲(ほっ)する所(ところ)なり。義(ぎ)も亦(また)我(わ)が欲(ほっ)する所(ところ)なり。二者(にしゃ)兼(か)ねることを得(う)べからずんば、生(せい)を舎(す)てて義(ぎ)を取(と)る者(もの)なり。生(せい)も亦(また)我(わ)が欲(ほっ)する所(ところ)なれども、欲(ほっ)する所(ところ)生(せい)より甚(はなはだ)しき者(もの)有(あ)り。故(ゆえ)に苟(いやしく)も得(う)ることを為(な)さざるなり。死(し)も亦(また)我(わ)が悪(にく)む所(ところ)なれども、悪(にく)む所(ところ)死(し)より甚(はなはだ)しき者(もの)有(あ)り。故(ゆえ)に患(うれ)いも辟(さ)けざる所(ところ)有(あ)るなり。


(※)熊掌……熊の手のひら。熊のたなごころ。中国では、昔から大変美味とされてきたが、孟子のここの文章が、その根拠としてよく引用されている。ここでは、熊掌を「義」にたとえている。なお、『論語』にも、「子(し)曰(いわ)く、志士(しし)、仁人(じんじん)は、生(せい)を求(もと)めて以(もっ)て仁(じん)を害(がい)する無(な)く、身(み)を殺(ころ)して以(もっ)て仁(じん)を成(な)す有(あ)り」(衛霊公第十五)とある。孔子は「仁」を、孟子は「義」を言っているが、言いたいことは変わらないと解される。


【原文】
孟子曰、魚我所欲也、熊掌亦我所欲也、二者不可得兼、舍魚而取熊掌者也、生亦我所欲也、義亦我所欲也、二者不可得兼、舍生而取義者也、生亦我所欲、所欲有甚於生者、故不爲苟得也、死亦我所惡、所惡有甚於死者、故患有所不辟也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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