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第149回

358〜360話

2021.10.27更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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13‐1 王者の徳

【現代語訳】
孟子は言った。「覇者は、民心を得るために人気取りの政策をしがちなので、覇者の民はそのときは喜ぶものだ(喜びは長くは続かない)。王者は、その徳が自然で人気取りなどを考えないが、王者の民は心広くてゆったりとしている(民が徳に包まれている状態が永く続く)。もし、王者がやむを得ない必要のため民を殺すことがあったとしても、それを怨むことはない。また、民に利益を与えたとしても、それは自然なことなので、王者の功績とも思わない。民は王者の徳に感化され、日に日に善をするようになっていくが、誰がそうさせているのかを知る者はいない。王者が通り過ぎる所の人々は、その徳に感化され、王者がとどまり住む所では、その感化はより神妙なものとなる。その徳の行き渡る流れは、上は天、下は地までと同じく広大に広まっていくものである。覇者が、少しばかり恩恵を施し、すき間を少しずつ補っても、それと比較することなどできないのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、覇者(はしゃ)の民(たみ)は驩虞如(かんぐじょ)(※)たり。王者(おうじゃ)の民(たみ)は皞皞如(こうこうじょ)(※)たり。之(これ)を殺(ころ)すも怨(うら)みず、之(これ)を利(り)するも庸(よう)(※)とせず。民(たみ)、日(ひ)に善(ぜん)に遷(うつ)りて、而(しか)も之(これ)を為(な)す者(もの)を知(し)らず。夫(そ)れ君子(くんし)の過(す)ぐる所(ところ)の者(もの)は化(か)し、存(そん)する所(ところ)の者(もの)は神(しん)なり(※)。上下(じょうげ)、天地(てんち)と流(なが)れを同(おな)じゅうす。豈之(あにこれ)を小(しょう)補(ほ)(※)すと曰(い)わんや。

(※)驩虞如……喜ぶ様。
(※)皞皞如……心広くゆったりとしている様。
(※)庸……功績。功。
(※)神なり……神妙なものとなる。これに対し、神とする説、治まるとする説もある。
(※)小補……(少しばかりの恩恵を施し)すき間を少しずつ補っていくこと。

【原文】
孟子曰、覇者之民驩虞如也、王者之民皞皞如也、殺之而不怨、利之而不庸、民、日迁善、而不知爲之者、夫君子所過者化、所存者神、上下、與天地同流、豈曰小補之哉。

14‐1 仁言は仁声に如かず

【現代語訳】
孟子は言った。「君が仁愛のある言葉を直接かけるのもすばらしいことだが、それよりも人の評判から、『この方は仁ある人だ』という声が入ってくるほうが民の心に深く入る。法度・禁令などがよく整った善い政治もすばらしいが、それよりも仁義・道徳などによる善い教えが行き渡り、民の心を得るほうが良い治め方である。法度・禁令などがよく整った善政は、これを(法度・禁令を)民が恐れて、よく服従するが、仁義・道徳などによる善い教えは、これを(善い教えを)民が愛するようになるので、心から従うのである。善政は、民が租税を滞納しないので、民からの財貨をよく集めることができるが、善教は、民の心を得ることができるので、さらに国はよく治まるのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、仁言(じんげん)(※)は仁声(じんせい)(※)の人(ひと)に入(い)るの深(ふか)きに如(し)かざるなり。善政(ぜんせい)(※)は善教(ぜんきょう)(※)の民(たみ)を得(う)るに如(し)かざるなり。善政(ぜんせい)は民(たみ)之(これ)を畏(おそ)れ、善教(ぜんきょう)は民(たみ)之(これ)を愛(あい)す。善政(ぜんせい)は民(たみ)の財(ざい)を得(え)、善教(ぜんきょう)は民(たみ)の心(こころ)を得(う)。

(※)仁言……仁愛ある言葉。
(※)仁声……「この方は仁ある方だ」という声。評判。
(※)善政……法度・禁令などがよく整った善い政治。
(※)善教……仁義の道徳などによる善い教え。なお、『論語』で孔子も次のように述べているのが参考になる。「子(し)曰(いわ)く、之(これ)を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)うるに刑(けい)を以(もっ)てすれば、民(たみ)免(まぬが)れて恥(はじ)無(な)し。之(これ)を道(みちび)くに徳(とく)を以(もっ)てし、之(これ)を斉(ととの)うるに礼(れい)を以(もっ)てすれば、恥(はじ)有(あ)りて且(か)つ格(ただ)し」(為政第二)。

【原文】
孟子曰、仁言不如仁聲之入人深也、善政不如善敎之得民也、善政民畏之、善敎民愛之、善政得民財、善敎得民心。

15‐1 良知・良能を天下に行き渡らせる

【現代語訳】
孟子は言った。「人が学ばなくても自然によくできることがあるのは、人の良能によるものである。特別に思慮をめぐらさなくても自然に知ることができるのは、人の良知によるものである。二、三歳の子どもでも、自分の親を愛することを知らない者はいない。少し成長すると、自分の兄を敬うことを知らない者はいない。この親しい身内を親愛することが仁であり、長上(年長)の人を敬うのが義である。(正道を行うために)大切なことは、この親を親しみ、長を敬する心を押し拡め、天下に行き渡らせることにほかならないのだ」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)の学(まな)ばずして能(よ)くする所(ところ)の者(もの)は、其(そ)の良能(りょうのう)(※)なり。慮(おもんぱか)らずして知(し)る所(ところ)の者(もの)は、其(そ)の良知(りょうち)(※)なり。孩提(がいてい)の童(わらべ)(※)も、其(そ)の親(おや)を愛(あい)するを知(し)らざる者(もの)無(な)し。其(そ)の長(ちょう)ずるに及(およ)びてや、其(そ)の兄(あに)を敬(けい)するを知(し)らざる無(な)し。親(しん)を親(した)しむ(※)は仁(じん)なり、長(ちょう)を敬(けい)するは義(ぎ)なり。他(た)無(な)し、之(これ)を天下(てんか)に達(たっ)するなり。

(※)良能……学ばなくても自然によくできる能力。なお、孟子の性善説から導かれるが、本章は後のいわゆる陽明学でも有名になる良知・良能の章である。
(※)良知……特別に思慮をめぐらさなくても自然に知ることができる能力。
(※)孩提の童……二、三歳の子ども。「孩」はにっこりと笑い始めること。「提」は手でひいてよちよち歩かせること。
(※)親を親しむ……親しい身内を親愛すること。初めの「親」は「しん」と読み、両親以外の親族を指すと解されている。

【原文】
孟子曰、人之所不學而能者、其良能也、所不慮而知者、其良知也、孩提之童、無不知愛其親者、及其長也、無不知敬其兄也、親親仁也、敬長義也、無他、逹之天下也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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