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第21回

50〜52話

2021.04.19更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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6‐1 顧みてほかを言う


【現代語訳】
孟子が斉の宣王に言った。「もし王の家来で、自分の妻子をその友にあずけて、自分は楚の国に旅行に出かけた者があって、帰ってみたら、その友は預かっていた妻子をこごえ飢えさせていたとします。そのとき王は、その友の者をどうしますか」。王は言った。「そのような者は棄てて、再び用いることはない」。さらに、孟子が聞いた。「では、今、裁判長が、その部下たちを良く治められないとしたら、どうしますか」。王は言った。「やめさせるに決まっている」。ここで孟子は、核心に迫った。「では、国内が良く治まらなかったらどうしますか」。(国内が治まっていない責任を問われて困った)王は左右の者たちのほうを振り返って、違う話を始めた。

【読み下し文】
孟子(もうし)、斉(せい)の宣王(せんおう)に謂(い)いて曰(いわ)く、王(おう)の臣(しん)、其(そ)の妻子(さいし)を其(そ)の友(とも)に託(たく)して、而(しか)して楚(そ)に之(ゆ)きて遊(あそ)ぶ者(もの)有(あ)らんに、其(そ)の反(かえ)るに比(およ)んでや、則(すなわ)ち其(そ)の妻子(さいし)を凍餒(とうたい)(※)せば、則(すなわ)ち之(これ)を如(い)何(かん)せん。王(おう)曰(いわ)く、之(これ)を棄(す)てん。曰(いわ)く、士師(しし)(※)、士(し)(※)を治(おさむ)むること能(あた)わずんば、則(すなわ)ち之(これ)を如何(いかん)せん。王(おう)曰(いわ)く、之(これ)を已(や)めん。曰(いわ)く、四境(しきょう)の内(うち)(※)治(おさ)まらずんば、則(すなわ)ち之(これ)を如何(いかん)せん。王(おう)左右(さゆう)を顧(かえり)みて他(た)を言(い)う(※)。

(※)凍餒……「凍」はこごえる。「餒」は飢える。
(※)士師……裁判長。
(※)士……ここでは、士師の下で仕事をする部下の役人を指す。なお、梁恵王(上)第七章十一でみたように「士」を学問、修養のできた立派な士(役人、人)と解すべき場合もある。
(※)四境の内……国内。
(※)顧みて他を言う……ほかを見て、違う話を始める。答えに窮して話題をそらすことを言う成語の語源である。なお、本章については、その孟子の弁論術の巧みさを「躍動する妙文」(『新釈漢文大系〈4〉孟子』内野熊一郎著 明治書院)と高い評価をする人と、「ソロソロと釣り出しておいてイキナリ手元に飛び込む孟子の論法は、痛快は痛快だが、少々辛辣(しんらつ)すぎる。この辺が孔子と孟子のちがう所だ」(『新訳孟子』 穂積重遠著 講談社学術文庫)と、少々辛い評価をする人がいる。しかし、私はここに孟子の真に民の幸せを願う正義感と強い覚悟を見る思いである。つまり、権力者で恐いもの知らずの王に対しても、我が身の安全よりも言うべきことはズバリと言い、迫っていくのである。

【原文】
孟子、謂齊宣王曰、王之臣、有託其妻子於其友、而之楚遊者、比其反也、則凍餒其妻子、則如之何、王曰、棄之、曰士師不能治士、則如之何、王曰、已之、曰、四境之内不治、則如之何、王顧左右而言他、

 

7‐1 抜てき人事は慎重に進めなければならない


【現代語訳】
孟子は斉の宣王に面会して言った。「いわゆる古くから続く由緒ある国とは、その国に古い大きな樹木があるからそういわれるのではありません。代々仕えて運命をともにする(譜代の)臣がいるということなのです。しかし、王には、親しみ頼りになる臣はいません。昨日、登用した臣が、今日はもう逃げてしまってどこにいるかわからないという有様です」。王は言った。「自分が人を登用するとき、いかにしたら、その人物の才がないことを見抜いて、それを用いないようにしたらいいのだろうか」。孟子は答えた。「国の君たる者が、賢者を進め用いるときは、やむを得ないから用いるというように慎重にすべきです。まさに、地位の低い者を高い者の上に進め、自分とは縁の遠い者を近い縁者の上に進めようというのですから、慎んでやらねばなりません」。

【読み下し文】
孟子(もうし)、斉(せい)の宣王(せんおう)に見(まみ)えて曰(いわ)く、所謂(いわゆる)故国(ここく)(※)とは、喬木(きょうぼく)(※)有(あ)るの謂(いい)を謂(い)うに非(あら)ざるなり。世臣(せしん)有(あ)るの謂(いい)なり。王(おう)には親臣(しんしん)無(な)し。昔者(せきしゃ)(※)進(すす)むる所(ところ)、今日(こんにち)其(そ)の亡(な)きを知(し)らざるなり。王(おう)曰(いわ)く、吾(わ)れ何(なに)を以(もっ)て其(そ)の不才(ふさい)を識(し)って、而(しか)して之(これ)を舎(す)てん。曰(いわ)く、国君(こくくん)賢(けん)を進(すす)むるには、已(や)むことを得(え)ざるが如(ごと)くす。将(まさ)に卑(ひ)をして尊(そん)に踰(こ)え、疎(そ)をして戚(せき)に踰(こ)えしめんとす。慎(つつし)まざるべけんや。

(※)故国……古くから続く由緒ある国。
(※)喬木……大きな木。
(※)昔者……昨日。過日。

【原文】
孟子、見齊宣王曰、所謂故國者、非謂有喬木之謂也、有世臣之謂也、王無親臣矣、昔者所進、今日不知其亡也、王曰、吾何以識其不才、而舍之、曰、國君進賢、如不得已、將使卑踰尊、疏踰戚、可不愼與、

 

7‐2 民の父母となるには、国民の総意に基づこうとしていなければならない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「左右にいる側近が皆、あれはできる、賢人であると言っても、まだ用いてはいけません。朝廷の重臣たちが皆、あれはできる、賢人であると言っても、まだ用いてはなりません。国中の人が皆、あれはできる、賢人であると言うようになったら、初めて王が自分でよくその人物を観察し、良いと判断したらその人物を用いると良いと思います。左右の側近が皆、あれはいけないと言っても、まだ聞き入れてはなりません。朝廷の重臣たちが皆、あれはいけないと言っても、まだ聞き入れてはなりません。国中の人が皆、あれはいけないと言うようになったら、初めて王が自分でよくその人物を観察し、やはりいけないと判断したらその人物をやめさせるようにするとよいと思います。左右の側近が皆、あの人物は殺すべきだと言っても、まだ聞き入れてはなりません。朝廷の重臣たちが皆、あの人物は殺すべきだと言っても、まだ聞き入れてはなりません。国中の人が皆、あの人物は殺すべきだと言うようになったら、初めて王が自分でよくその人物を観察し、やはり殺すべきだと判断したら処刑するようにしたらいいと思います。このようにすれば、いわゆる国民の総意で殺したことになります。以上のように慎重に国民の意見を考慮していくことで、初めて、王は民の父母となることができるのです」。

【読み下し文】
左右(さゆう)(※)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)うも、未(いま)だ可(か)ならざるなり。諸大夫(しょたいふ)(※)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)うも、未(いま)だ可(か)ならざるなり。国人(こくじん)(※)皆(みな)賢(けん)なりと曰(い)い、然(しか)る後(のち)に之(これ)を察(さっ)し、賢(けん)なるを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を用(もち)いよ。左右(さゆう)皆(みな)不可(ふか)なりと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。諸大夫(しょたいふ)皆(みな)不(ふ)可(か)なりと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。国人(こくじん)皆(みな)不可(ふか)なりと曰(い)い、然(しか)る後(のち)之(これ)を察(さっ)し、不可(ふか)なるを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を去(さ)れ。左右(さゆう)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。諸大夫(しょたいふ)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)うも、聴(き)く勿(なか)れ。国人(こくじん)皆(みな)殺(ころ)すべしと曰(い)い、然(しか)る後(のち)之(これ)を察(さっ)し、殺(ころ)すべきを見(み)て、然(しか)る後(のち)之(これ)を殺(ころ)せ。故(ゆえ)に曰(いわ)く、国人(こくじん)之(これ)を殺(ころ)すなり。此(かく)の如(ごと)くして、然(しか)る後(のち)以(もっ)て民(たみ)の父母(ふぼ)たるべし。

(※)左右……左右の側近。
(※)諸大夫……朝廷に仕える重臣たち。
(※)国人……国中の人。いわゆる今日で言う、「国民」の総意を指している。この孟子のいわゆる“王道論”は、古代の王制を基にしているとはいえ、現代にも通ずる民主的な考えを背景に強く持つ。国民の総意をどのように図るか、選挙の制度もない(今の中国もない)なかで、二千三百年前にすでにこのような民主的な思想が展開されていたのには驚く。思い切って言うと、この思想はかえって日本に強く影響を与えており(それほどに江戸期に孟子は読まれた)、明治以降の民主制導入にもすんなりと進めた(少なくても抵抗は少なかった)理由の一つになったのではないかと思われる。

【原文】
左右皆曰賢、未可也、諸大夫皆曰賢、未可也、國人皆曰賢、然後察之、見賢焉、然後用之、左右皆曰不可、勿聽、諸大夫皆曰不可、勿聽、國人皆曰不可、然後察之、見不可焉、然後去之、左右皆曰可殺、勿聽、諸大夫皆曰可殺、勿聽、國人皆曰可殺、然後察之、見可殺焉、然後殺之、故曰、國人殺之也、如此、然後可以爲民父母、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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