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第65回

156〜157話

2021.06.24更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐2 士は仕官してなんぼのものである


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(周霄がさらに問うた)。「たった三ヵ月、仕える君がないといって、それを見舞いなぐさめるのは、気が早すぎではないですか」。孟子は言った。「士が位を失うというのは、諸侯が国家を失うようなものだ。礼にこうある。『諸侯は藉田を耕し、その収穫物を宗廟にお供えする。その夫人は、蚕を飼い、まゆから糸をつくる。それを使って祭祀のときに着る衣服をつくる』と。もし諸侯が国家を失うと、いけにえも成長せず、盛ってささげる穀物も新しい潔いものはなく、祭祀に着る衣服もなくなる。だから宗廟を祭ることは行わない。士の場合も、圭田がなく、その田禄を得られないとなれば、当然に宗廟の祭りはできなくなる。こうして祭祀に使ういけにえや祭器や祭服がないとなると、一族を集めての先祖祭りの会食もできなくなる。このような状態になっているなら、弔問(見舞いなぐさめ)するのは理由があろう」。周霄はさらに聞いた。「孔子が国境を出るとき、必ず他国の君に会うときのための礼物を車に載せていたのはどうしてですか」。孟子は言った。「士たる者が、君に仕えるのは、ちょうど農夫が土地を耕すようなものである。もし農夫がその国を出ていくからといって、自分の農具を捨ててはいかないだろう」。

【読み下し文】
三月(さんげつ)君(きみ)無(な)ければ則(すなわ)ち弔(ちょう)すとは、以(はなは)だ急(きゅう)ならずや。曰(いわ)く、士(し)の位(くらい)を失(うしな)うや、猶(な)お諸侯(しょこう)の国家(こっか)を失(うしな)うごときなり。礼(れい)に曰(いわ)く、諸侯(しょこう)は耕助(こうじょ)(※)して以(もっ)て粢盛(しせい)(※)に供(きょう)し、夫人(ふじん)は蚕繅(さんそう)して以(もっ)て衣服(いふく)を為(つく)る、と。犠牲(ぎせい)成(な)らず、粢盛(しせい)潔(きよ)からず、衣服(いふく)備(そな)わらざれば、敢(あえ)て以(もっ)て祭(まつ)らず。惟(ただ)(※)士(し)は田(でん)無(な)ければ、則(すなわ)ち亦(また)祭(まつ)らず。牲殺(せいさつ)器皿(きべい)衣服(いふく)備(そな)わらずして、敢(あえ)て以(もっ)て祭(まつ)らざれば、則(すなわ)ち敢(あえ)て以(もっ)て宴(えん)(※)せず。亦(また)弔(ちょう)するに足(た)らずや。彊(さかい)を出(い)づれば必(かなら)ず質(し)を載(の)すとは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、士(し)の仕(つか)うるや、猶(な)お農夫(のうふ)の耕(たがや)すごときなり。農夫(のうふ)は豈(あに)彊(さかい)を出(い)づるが為(ため)に、其(そ)の耒耜(らいし)を舎(す)てんや。

(※)耕助……耕田を耕すこと。耕田とは、夫子、諸侯自らが祭祀に捧げるための収穫物を得るための田を(民の力を借りて)耕した。これを耕田と言った。
(※)粢盛……黍(もちきび)・稷(うるちきび)を粢と言い、これを器に盛ったものを盛と言った。
(※)惟……ただ。ほかにも「思うに」と読む場合もある。佐藤一斎などは「雖」と同じであり「いえど(も)」と読んでいる(滕文公(下)第五章三、告子(上)第七章二参照)。
(※)宴……宗廟で祭った後の先祖祭りのための会食、宴会。現在の日本でも、地方で行っているところがある。

【原文】
三月無君則弔、不以急乎、曰、士之失位也、猶諸侯之失國家也、禮曰、諸侯耕助以供粢盛、夫人蝅繅以爲衣服、犧牲不成、粢盛不洯、衣服不備、不敢以祭、惟士無田、則亦不祭、牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴、亦不足弔乎、出疆必載質、何也、曰、士之仕也、猶農夫之耕也、農夫豈爲出疆、舍其耒耜哉。

 

3‐3 正しい道に従って仕官する


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(周霄は言った)。「この晋国だって君子の仕えるに足る国です。そのうえ、私は今まで仕えるということがそんなに急ぐものであるかを知りませんでした。お話にあったようであれば、いっそう急いで仕官するべきだと思います。それにもかかわらず、先生のような君子がまだ仕えないというのはどうしてですか」。孟子は言った。「男の子が生まれると、その子のために良い妻があるようにと願い、女の子が生まれるとこの子に良い夫があるようにと願う。このように願う心は、人皆同じである。しかし、その子どもが、親の命や媒妁人の話なしに、勝手に壁をあけてのぞき合ったり、へいを乗り越えて会ったりすれば、父母も世間も皆、軽べつするに違いない。それと同じように、昔の人は誰も仕官を願わない人はいない。しかし、正しい道によらない方法での仕官は、憎み嫌ったのである。正しい道によらないで仕官することは、壁に穴をあけてのぞき合う男女のようなものである」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、晋国(しんこく)(※)も亦(また)仕国(しこく)なり。未(いま)だ嘗(かつ)て仕(つか)うること此(かく)の如(ごと)く其(そ)れ急(きゅう)なるを聞(き)かず。仕(つか)うること此(かく)の如(ごと)く其(そ)れ急(きゅう)ならば、君子(くんし)の仕(つか)うることを難(かた)しとするは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、丈夫(じょうぶ)生(う)まるれば之(これ)が為(ため)に室(しつ)(※)有(あ)らんことを願(ねが)い、女子(じょし)生(う)まるれば之(これ)が為(ため)に家(いえ)(※)有(あ)らんことを願(ねが)う。父母(ふぼ)の心(こころ)は人(ひと)皆(みな)之(これ)有(あ)り。父母(ふぼ)の命(めい)、媒灼(ばいしゃく)の言(げん)を待(ま)たずして、穴隙(けつげき)を鑽(うが)ちて(※)相窺(あいうかが)い、牆(かき)を踰(こ)えて相(あい)従(したが)わば、則(すなわ)ち父母(ふぼ)国人(こくじん)皆(みな)之(これ)を賤(いや)しまん。古(いにしえ)の人(ひと)未(いま)だ嘗(かつ)て仕(つか)うることを欲(ほっ)せずんばあらざるなり。又(また)其(そ)の道(みち)に由(よ)らざるを悪(にく)む。其(そ)の道(みち)に由(よ)らずして往(ゆ)く者(もの)は、穴(げつ)隙(げき)を鑽(うが)つの与(ごと)き(※)の類(るい)なり。

(※)晋国……魏の国。前に述べたように(梁恵王(上)第五章一)、魏の国は晋から分かれた国なので、ここでも晋と呼んでいる。
(※)室……妻のこと。
(※)家……夫のこと。
(※)鑽ちて……穴をあけて。
(※)与き……ような。なお、「みな」や「ともに」と読む説もある。ここでは、「ごと(き)」と読んで解釈するのが素直であろう。

【原文】
曰、晉國亦仕國也、未嘗聞仕如此其急、仕如此其急也、君子之難仕、何也、曰、丈夫生而願爲之有室、女子生而願爲之有家、父母之心、人皆有之、不待父母之命、媒灼之言、鑽穴隙相窺、踰牆相從、則父母國人皆賤之、古之人未嘗不欲仕也、又惡不由其衜、不由其衜而徃者、與鑽穴隙之類也。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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