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第69回

163〜164話

2021.06.30更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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6‐1 トップの周りの人を善人で固めるべきである


【現代語訳】
孟子が、(宋の臣の)戴不勝に向かって言った。「あなたは、あなたの王が善良になることを望まれますか。もし、そうならはっきりと申し上げましょう。今、仮に楚の大夫が、その子どもに斉語を学ばせようと思った場合、その先生に斉人をつけて教え育てるのか、楚人をつけるのか、どちらでしょうか」。戴不勝は言った。「斉人を先生にしたら良いと思います」。孟子は続けた。「一人の斉人を先生にして学ばせても、周りに多くの楚人がいて、いつもにぎやかしく話をしているようでは、毎日むち打って斉の言葉を身につけさせようとしても、そうはいきません。逆に子どもを引っぱっていって斉の荘とか嶽などのにぎやかな町に数年間置いておけば、毎日むちうって楚の言葉を話させようとしても、これも不可能なことになります。あなたは、薛居州を善良なる士だとして、王のそばに仕えさせている。だが、王のそばにいる若者から老人、重臣からただの使用人のほとんどが、薛居州のような善良な人であったら、王は誰とともに不善をしますか(善良になること間違いない)。反対に、皆が不善だとしたら、王は誰と善をしますか(不善になるに決まっている)。こういうわけですから、たった一人の薛居州を王のそばに置いただけでは、彼一人では宋王をどうすることもできないことになります(そば、周囲に善良な人を多く置いていくべきです)」。

【読み下し文】
孟子(もうし)、戴不勝(たいふしょう)に謂(い)いて曰(いわ)く、子(し)は子(し)の王(おう)の善(ぜん)ならんことを欲(ほっ)するか。我(われ)明(あき)らかに子(し)に告(つ)げん。此(ここ)に楚(そ)の大夫(たいふ)有(あ)りて、其(そ)の子(こ)の斉語(せいご)(※)せんことを欲(ほっ)するや、則(すなわ)ち斉人(せいひと)をして諸(これ)に傅(ふ)(※)たらしめんか。楚(そ)人(ひと)をして諸(これ)に傅(ふ)たらしめんか。曰(いわ)く、斉人(せいひと)をして之(これ)に傅(ふ)たらしめん。曰(いわ)く、一(いち)斉人(せいひと)之(これ)に傅(ふ)たるも、衆楚(しゅうそ)人(ひと)之(これ)を咻(きゅう)せば、日(ひ)に撻(むちう)ちて其(そ)の斉(せい)たらんことを求(もと)むと雖(いえど)も、得(う)べからず。引(ひ)いて之(これ)を荘(そう)・嶽(がく)の閒(あいだ)に置(お)くこと数年(すうねん)ならば、日(ひ)に撻(むちう)ちて其(そ)の楚(そ)たらんことを求(もと)むと雖(いえど)も、得(う)べからず。子(し)、薛居州(せつきょしゅう)を善士(ぜんし)なりと謂(い)い、之(これ)をして王(おう)の所(ところ)に居(お)らしむ。王(おう)の所(ところ)に在(あ)る者(もの)、長幼(ちょうよう)卑尊(ひそん)、皆(みな)薛居州(せつきょしゅう)ならば、王(おう)は誰(たれ)と与(とも)に不善(ふぜん)を為(な)さん。王(おう)の所(ところ)に在(あ)る者(もの)、長幼(ちょうよう)卑尊(ひそん)、皆(みな)薛居州(せつきょしゅう)に非(あら)ざれば、王(おう)は誰(たれ)と与(とも)にか善(ぜん)を為(な)さん。一(いち)薛居州(せつきょしゅう)、独(ひと)り宋(そう)王(おう)を如何(いかん)せん。

(※)斉語……斉人の言葉。斉は古くより文化の中心地であったので、当時、斉語が、標準語的に扱われたようである。ご周知のように中国語の漢字は共通のものだが、読み方、発音やアクセントは地域によって大きく異なる。お互いがまるで外国語のようであるという。どういう発音をするのかも漢字を見ただけではわからず、先生の発音をそのまま覚えるしかない(今は、アルファベットをルビとして使っているとも聞く)。かなを発明し、漢字と双方を使うことで、ふりがなでルビをつけたり、読み下し文をつくったりすることで、日本人は中国古典の内容を一般庶民まで自分のものにできる(発音、アクセントは別として)。このことは、民族の発展とその文化の維持、持続性に大きなものとなっている。なお、外国語を身につける一番良い方法は、孟子が指摘したように、留学するなど、その言葉のある環境下にいることである。ただ、留学しても、同じ国の人でかたまっているとやはりだめである(これも孟子の言う通りである)。昔、アメリカに仕事で行ったときに、日本人ばかりでつるんでいる留学生たちがいるのを見て、せっかく留学しているのに、と思ったことがある。それと同じように、善いことをする政治家やトップというものも、周りに善人やできる人がたくさんいることが大事なことを孟子は本項で強調するが、説得力ある論である。
(※)傅……つけて教え育てる。守。

【原文】
孟子、謂戴不勝曰、子欲子之王之善與、我明吿子、有楚大夫於此、欲其子之齊語也、則使齊人傳諸、使楚人傳諸、曰、使齊人傳之、曰、一齊人傳之、衆楚人咻之、雖日撻而求其齊也、不可得矣、引而置之莊・嶽之閒數年、雖日撻而求其楚、亦不可得矣、子、謂薛居州善士也、使之居於王所、在於王所者、長幼卑尊、皆薛居州也、王誰與爲不善、在王所者、長幼卑尊、皆非薛居州也、王誰與爲善一薛居州、獨如宋王何。

 

7‐1 君子のような誇り高い自負を持つ


【現代語訳】
(弟子の)公孫丑が孟子に聞いた。「先生は、まったく諸侯に面会を求めるふうではありません。どういう理由からですか」。孟子は答えた。「昔は、臣下として諸侯に仕えていなければ、こちらから面会に行くことはなかった。かつて段干木は、(魏の文侯が)面会しにこられたとき、臣として仕えてなかったので、垣根をこえて会うのを避けたという。また、泄柳は、(魯の繆公(ぼくこう)が面会しにこられたのに)、門を閉じてうちのなかに入れなかったという。これらはどちらも極端な例で、私は、会いにこられたのだから、面会すればよかったと思っている。(孔子の例で説明しよう)。昔、権力者であった魯の大夫の陽貨は、孔子に会いたいと思った。しかし、呼びつけるのは礼に反すると恐れて、大夫が士に贈り物をしたら、士が留守で自分でそれを受け取れなかったら、大夫の家の門まで、礼を言いにいかねばならないということを利用した。すなわち、孔子の留守を狙って蒸豚を贈ったのである。すると孔子も陽貨の留守を狙って礼を言いに行った。陽貨が先に礼を尽くしたのだから、孔子も行かないわけにはいかなかったのである。かつて、曾子は言った。『肩をすくめてへつらい笑いをすることは、真夏の田仕事よりも疲れる』と。また、子路もこう言った。『同じ意見でもないのに、調子を合わせている人の顔色を見ると、さすがに恥ずかしいのか、赤味がかっている。しかし、由(子路のこと)の関わりたくない人だ』と。こういう言葉を見てみると、君子の日ごろからの修養、心がまえがわかる」。

【読み下し文】
公孫丑(こうそんちゅう)問(と)うて曰(いわ)く、諸侯(しょこう)を見(まみ)えざるは、何(なん)の義(ぎ)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、古(いにしえ)は臣(しん)為(た)らざれば見(まみ)えず。段干木(だんかんぼく)(※)は垣(かき)を踰(こ)えて之(これ)を辟(さ)け、泄柳(せつりゅう)(※)は門(もん)を閉(と)じて内(い)れず。是(こ)れ皆(みな)已甚(はなはだ)し。迫(せま)らば斯(ここ)に以(もっ)て見(み)るべし。陽貨(ようか)(※)、孔子(こうし)を見(み)んと欲(ほっ)して、礼(れい)無(な)しとせらるるを悪(にく)む。大夫(たいふ)、士(し)に賜(たま)うこと有(あ)るに、其(そ)の家(いえ)に受(う)くること得(え)ざれば、則(すなわ)ち往(ゆ)きて其(そ)の門(もん)に拝(はい)す。陽貨(ようか)、孔子(こうし)の亡(な)きを矙(うかが)いて、孔子(こうし)に蒸豚(じょうとん)を饋(おく)る。孔子(こうし)も亦(また)其(そ)の亡(な)きを矙(うかが)いて、往(ゆ)きて之(これ)を拝(はい)せり。是(こ)の時(とき)に当(あ)たり、陽貨(ようか)先(さき)んぜり。豈(あに)見(み)ざることを得(え)んや。曾子(そうし)曰(いわ)く、肩(かた)を脅(すく)めて諂(へつら)いを笑(わら)うは、夏(か)畦(けい)(※)よりも病(つか)る、と。子路(しろ)曰(いわ)く、未(いま)だ同(おな)じからずして言(い)う。其(そ)の色(いろ)を観(み)るに、赧赧然(たんたんぜん)(※)たり。由(ゆう)の知(し)る所(ところ)に非(あら)ざるなり、と。是(これ)に由(よ)りて之(これ)を観(み)れば、則(すなわ)ち君子(くんし)の養(やしな)う所(ところ)知(し)るべきのみ」。

(※)段干木……隠者として有名。『准南子』にも出てくる。
(※)泄柳……魯の賢人。公孫丑(下)第十一章にもその名が出ている。
(※)陽貨……魯の大夫、権力者。滕文公(下)第三章二に出てくる「陽虎」と同一人物というのが通説。これに反対するのが佐藤一斎などであることは、前に述べた。なお、本章に出てくる逸話は、『論語』にも出てくる。どういう背景、事情があったのかは、ここの孟子の説明でよくわかる。『論語』では次のようになっている。「陽貨(ようか)、孔子(こうし)を見(み)んと欲(ほっ)す。孔子(こうし)見(まみ)えず。孔子(こうし)に豚(ぶた)を帰(おく)る。孔子(こうし)其(そ)の亡(な)きを時(とき)として往(ゆ)きて之(これ)を拝(はい)す。諸(これ)に塗(みち)に遇(あ)う。孔子(こうし)に謂(い)いて曰(いわ)く、来(き)たれ、予(われ)爾(なんじ)と言(い)わん。曰(いわ)く、其(そ)の宝(たから)を壊(いだ)きて其(そ)の邦(くに)を迷(まよ)わすは、仁(じん)と謂(い)うべきか。曰(いわ)く、不(ふ)可(か)なり。事(こと)に従(したが)うを好(この)みて、亟〻(しばしば)時(とき)を失(うしな)うを、知(ち)と謂(い)うべきか。曰(いわ)く、不(ふ)可(か)なり。日月(じつげつ)は逝(ゆ)く、歳(とし)は我(われ)と与(とも)にせず。孔子(こうし)曰(いわ)く、諾(だく)、吾(わ)れ将(まさ)に仕(つか)えんとす」(陽貨第十七)。これによると、陽貨も孔子の考えを見抜いて待ち伏せしているようだ。弁も立ち、孔子を一応説き伏せた形をとっている。ただ、孔子は陽貨を好んでいないため、仕えることはなかったようである。本人自身が大夫だった誇りはあり(子路第十三など参照)、権力をほしいままにしようとする陽貨と名分論者の孔子が合うわけはなかった。
(※)夏畦……夏の田仕事。「畦」とは田のあぜのことだが、ここでは夏の田仕事を指す。夏の農作業と広く解してもいい。
(※)赧赧然……恥じて顔が赤味がかっている様子。

【原文】
公孫丑問曰、不見諸侯、何義、孟子曰、古者不爲臣不見、段干木踰垣而辟之、泄柳閉門而不內、是皆已甚、廹斯可以見矣、陽貨、欲見孔子、而惡無禮、大夫、有賜於士、不得受於其家、則徃拜其門、陽貨、矙孔子之兦也、而饋孔子蒸豚、孔子亦矙其兦也、而徃拜之、當是時、陽貨先、豈得不見、曾子曰、脅肩諂笑、病于夏畦、子路曰、未同而言、觀其色、赧赧然、非由之所知也、由是觀之、則君子之所養可知已矣。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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