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第97回

236〜238話

2021.08.11更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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28‐1 人を愛する者は常に人に愛される


【現代語訳】
孟子は言った。「君子が一般の人と違うところは、本心を守って失わないところである。君子は仁をもって本心を守り、礼をもって本心を守る。仁者は人を愛するし、礼ある者は人を敬する。人を愛する者は、他人からも常に愛されるようになり、人を敬する者は、他人からも常に敬されるようになる。今、ここに一人の人があって、その人が自分に対してひどい仕打ちをしてきたら、自分が君子であれば必ず自分を反省してみるだろう。『(相手にひどい仕打ちをされるのは)自分に仁が足りないからだろう、自分に無礼なところがあるからだろう。その人のひどい仕打ちは自分のせいなのだ。そうでなければ相手がこんなことをするはずがない』と。そのように反省してみたところ、やはり自分は仁であり、礼であった。それでもまだその人のひどい仕打ちが続いたとしても、君子は、また反省するだろう。『自分に誠意が足りないのである』と。そのように反省してみたところ、やはり自分には誠意があった。それでもなお、その人のひどい仕打ちがやまないようであったら、君子は遂にこう言うだろう。『この人は、でたらめで無法な人間なのだ。このような人間は禽獣(鳥やけもの)と変わらないのである。禽獣(鳥やけもの)とするならば非難してもしかたがない(関わらないようにするしかない)』と」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)の人(ひと)に異(こと)なる所以(ゆえん)の者(もの)は、其(そ)の心(こころ)を存(そん)する(※)を以(もっ)てなり。君子(くんし)は仁(じん)を以(もっ)て心(こころ)を存(そん)し、礼(れい)を以(もっ)て心(こころ)を存(そん)す。仁者(じんしゃ)は人(ひと)を愛(あい)し、礼(れい)有(あ)る者(もの)は人(ひと)を敬(けい)す。人(ひと)を愛(あい)する者(もの)は、人(ひと)恒(つね)に之(これ)を愛(あい)し、人(ひと)を敬(けい)する者(もの)は、人(ひと)恒(つね)に之(これ)を敬(けい)す。此(ここ)に人(ひと)有(あ)り。其(そ)の我(われ)を待(ま)つに横逆(おうぎゃく)(※)を以(もっ)てすれば、則(すなわ)ち君子(くんし)必(かなら)ず自(みずか)ら反(はん)するなり。我(われ)必(かなら)ず不仁(ふじん)ならん。必(かなら)ず無(ぶ)礼(れい)ならん。此(こ)の物(もの)奚(なん)ぞ宜(よろ)しく至(いた)るべけんや、と。其(そ)の自(みずか)ら反(はん)して仁(じん)なり。自(みずか)ら反(はん)して礼(れい)有(あ)り。其(そ)の横逆(おうぎゃく)由(な)お是(かく)のごとくなるや、君子(くんし)必(かなら)ず自(みずか)ら反(はん)するなり。我(われ)必(かなら)ず不忠(ふちゅう)(※)ならん、と。自(みずか)ら反(はん)して忠(ちゅう)なり。其(そ)の横逆(おうぎゃく)由(な)お是(かく)のごとくなるや、君子(くんし)曰(いわ)く、此(こ)れ亦(また)妄人(もうじん)(※)なるのみ。此(かく)の如(ごと)くんば、則(すなわ)ち禽獣(きんじゅう)と奚(なん)ぞ択(えら)ばんや(※)。禽獣(きんじゅう)に於(お)いて又(また)何(なん)ぞ難(なん)ぜん、と。

(※)心を存する……本心を守って失わない。吉田松陰は、ここの言葉を書き抜いて座右に貼っておくと良いとする。すなわち「君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬す。人を愛する者は、人恒に之を愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す」という言葉を言っているのである。なお、敬宮(としのみや)愛子(あいこ)様は、ここに名の由来がある。
(※)横逆……ひどい仕打ちをする。
(※)不忠……誠意が足りない。
(※)妄人……無法な人間。狂人。
(※)奚ぞ択ばんや……「変わるものではない」「どうして選び分けることができようか」、「区別できない」「異なるものではない」という意味。

【原文】
孟子曰、君子所以異於人者、以其存心也、君子以仁存心、以禮存心、仁者愛人、有禮者敬人、愛人者人恆愛之、敬人者人恆敬之、有人於此、其待我以橫逆、則君子必自反也、我必不仁也、必無禮也、此物奚宜至哉、其自反而仁矣、自反而有禮矣、其橫逆由是也、君子必自反也、我必不忠、自反而忠矣、其橫逆由是也、君子曰、此亦妄人也已矣、如此則與禽獸奚擇哉、於禽獸又何難焉。

 

28‐2 君子には終身の憂いはあっても一朝の患いはない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「だから君子には、生涯を通じての憂い(問題意識)はあるものの、突然にふりかかるような患いというものはないのである。その君子が生涯を通じての憂いとするものは、次のようなことである。『聖人の舜も人であり、私も人である。しかし、舜は人の天下に模範となることを行って、後世にまでそれを伝えている。それに比べて私は未だに、何もできないでいる田舎の一凡人にすぎないではないか』と。これが君子の憂うべきことなのである。では、このような憂いをどうするべきか。それは、舜のような行いをするだけである。だからその君子にとって、ほかの患いなどないのである。君子は仁でなければならないし、礼にかなわぬことは行わない。だから、突然にふりかかるような患いについては、(自分にやましいことは何もないのであるから)君子にとっての患いとはならないのである」。

【読み下し文】
是(こ)の故(ゆえ)に君(くん)子(くんし)には終身(しゅうしん)の憂(うれ)い(※)有(あ)るも、一朝(いっちょう)の患(わずら)い(※)無(な)きなり。乃(すなわ)ち憂(うれ)うる所(ところ)の若(ごと)きは則(すなわ)ち之(これ)有(あ)り。舜(しゅん)も人(ひと)なり。我(われ)も亦(また)人(ひと)なり。舜(しゅん)は法(ほう)(※)を天下(てんか)に為(な)し、後世(こうせい)に伝(つた)うべくす。我(われ)は由(な)お未(いま)だ郷人(きょうじん)(※)たるを免(まぬか)れざるなり、と。是(これ)は則(すなわ)ち憂(うれ)うべきなり。之(これ)を憂(うれ)えば如何(いか)にせん。舜(しゅん)のごとくせんのみ。夫(か)の君子(くんし)の若(ごと)きは、患(わずら)いとする所(ところ)は則(すなわ)ち亡(な)し。仁(じん)に非(あら)ざれば為(な)す無(な)きなり。礼(れい)に非(あら)ざれば行(おこな)う無(な)きなり。一朝(いっちょう)の患(わずら)い有(あ)るがごときは、則(すなわ)ち子(くんし)は患(わずら)いとせず。

(※)憂い……心のなかで悩むこと。問題意識。
(※)患い……外から突然ふりかかる心配事。
(※)法……模範。
(※)郷人……郷党(村)の一凡人。田舎の一凡人。

【原文】
是故君子有終身之憂、無一朝之患也、乃若所憂則有之、舜人也、我亦人也、舜爲法於天下、可傳於後世、我由未免爲郷人也、是則可憂也、憂之如何、如舜而已矣、若夫君子、所患則亡矣、非仁無爲也、非禮無行也、如有一朝之患、則君子不患矣。

 

29‐1 立場が変わって違うことをやっても道は同じである


【現代語訳】
禹は堯・舜に仕えて治水に当たり、稷は堯・舜に仕えて農業指導に当たったが、両名とも堯・舜という聖人の下にあった太平の世ではたらいていたものの、自分の職務が忙しく、自分の家の門前を何度も通っても家のなかに入る暇がなかった。孔子は、これを賢者だと言っている。(孔子の弟子であった)顔回は、堯、舜のような聖王がいない乱世において、路地裏に住み、一杯のごはん、一杯の飲み物で暮らした。普通の人なら文句たらたらで生きていただろうが、顔回はまったく気にしなかった。そして相変わらず、自分の勉強、修養を第一として楽しんでいた。孔子はこれを賢者としている。孟子は言った。「禹・稷・顔回の三人は、同じ道を行ったのだ。禹はその職責上、天下に溺れる人があれば、自分がこれを溺らせたと同じであると思ったのだ。また、稷も天下に飢える者があれば、自分が飢えさせたも同じだと思ったのである。その責任感の強さがあって、あのような役割(治水や農業指導)を急いで果たしたのだ(顔回は政治的な責任を持たなかったので自分の修養を楽しんだ。禹や稷も顔回と同じ立場ならそうしたし、顔回が禹や稷の立場ならば政治に力を尽くしただろう)。つまり、禹・稷・顔回はその地位、立場を交換したならば、同じことをしたであろうといえる。今、ここに同室の人が殴り合いの喧嘩を始めたら、手を入れてないざんばら髪でも冠をのせて、そのひもを結びながら急いで飛び出していって、仲裁しても良い。しかし、同郷の村のなかで殴り合いの喧嘩が始まったとき、同じようにざんばら髪に冠をのせて、ひもで結んで飛び出して行って仲裁するのは、いきすぎたことであろう。そういう場合は、戸を閉じて家のなかにいても、一向に差し支えないのである(人は置かれた立場、状況でやるべきことが違う)」。

【読み下し文】
禹(う)・稷(しょく)(※)は平世(へいせい)に当(あ)たりて、三(み)たび其(そ)の門(もん)を過(す)ぐれども(※)入(い)らず。孔子(こうし)之(これ)を賢(けん)とす。顔子(がんし)(※)は乱世(らんせい)に当(あ)たりて、陋巷(ろうこう)に居(お)り、一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)。人(ひと)は其(そ)の憂(うれ)いに堪(た)えざるも、顔子(がんし)は其(そ)の楽(たの)しみを改(あらた)めず。孔子(こうし)之(これ)を賢(けん)とす。孟子(もうし)曰(いわ)く、禹(う)・稷(しょく)・顔回(がんかい)は道(みち)を同(おな)じくす。禹(う)は天下(てんか)に溺(おぼ)るる者(もの)有(あ)れば由(な)お己(おのれ)之(これ)を溺(おぼ)らすがごとしと思(おも)えり。稷(しょく)は天下(てんか)に飢(う)うる者(もの)有(あ)れば、由(な)お己(おのれ)之(これ)を飢(う)えしむるがごとしと思(おも)えり。是(ここ)を以(もっ)て是(かく)のごとく其(そ)れ急(きゅう)なり。禹(う)・稷(しょく)・顔子(がんし)は、地(ち)を易(か)うれば則(すなわ)ち皆(みな)然(しか)り。今(いま)同室(どうしつ)の人(ひと)闘(たたか)う者(もの)有(あ)りとせんに、之(これ)を救(すく)うに、被髪(ひはつ)(※)纓冠(えいかん)(※)して之(これ)を救(すく)うと雖(いえど)も、可(か)なり。郷鄰(きょうりん)(※)戦(たたか)う者(もの)有(あ)りとせんに、被髪(ひはつ)纓冠(えいかん)して往(ゆ)きて之(これ)を救(すく)わば、則(すなわ)ち惑(まど)い(※)なり。戸(と)を閉(と)づと雖(いえど)も、可(か)なり。

(※)稷……后(こう)稷(しょく)ともいう。滕文公(上)第四章六参照。
(※)三たび其の門を過ぐれども……滕文公(上)第四章五参照。
(※)顔子……孔子の弟子である顔回のこと。孔子はこれを「賢」としているが、孟子はここで、禹・稷と同じく高い評価をしている(聖人たちとともに論じている)。それだけ孔子を大聖人としているともいえる。なお、本文で顔回を紹介しているところは『論語』のものである。すなわち、「子(し)曰(いわ)く、賢(けん)なるかな回(かい)や。一簞(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人(ひと)は其(そ)の憂(うれ)えに堪(た)えず、回(かい)や其(そ)の楽(たの)しみを改(あらた)めず。賢(けん)なるかな回(かい)や」(雍也第六)。ほかにも『論語』では何ヵ所かいかに顔回が優れていたかを述べているところがある。
(※)被髪……髪を整える間がないのでざんばら髪となっている。
(※)纓冠……慌てているので、冠をかぶって、ひもで結んでないこと。
(※)郷鄰……同郷。
(※)惑い……ここでは、いきすぎていること。妥当でないこと。なお、吉田松陰は、自分は郷鄰で喧嘩があっても仲裁しにいくという欠点があるというが、多くの日本人がそうであろう(今は大部減ってはいようが)。このあたりが中国人との違いでもあり、孟子の時代からそうだったと思うと、この例は面白いものがある(中国人の個人主義傾向とも関係があるかもしれない。離婁(下)第四章の注釈参照)。ただ、吉田松陰はさらに、ここでの孟子の教えは、禹や稷のような行いをする者は、顔回の心も有してなければならないということであると自分を戒めている。

【原文】
禹・稷當平世、三過其門而不入、孔子賢之、顏子當亂世、居於陋巷、一簞食、一瓢飮、人不堪其憂、顏子不改其樂、孔子賢之、孟子曰、禹・稷・顏回同道、禹思天下有溺者、由己溺之、稷思天下有飢者、由己飢之也、是以如是其急也、禹・稷・顏子、易地則皆然、今有同室之人鬪者、救之、雖被髮纓冠而救之、可也、郷鄰有鬪者、被髮纓冠而往救之、則惑也、雖閉戸、可也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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