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第5回

樋口一葉―明治のこじらせ女子、小説家を目指す(前篇)

2019.03.22更新

読了時間

『文豪』という言葉にどんな印象がありますか? ここ数年、文豪をモチーフにしたゲームやアニメの影響による『文豪ブーム』で、文豪の人柄に関心が高まっています。この連載では、文豪の末期、すなわち『死』に注目をします。芸術家は追い立てられるように生きて薄命な印象がありますが、文豪はどうなのでしょうか。『死』を見つめることは『生』を見つめること。それぞれの『死』から、多様な生き方を見ていきます。
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樋口一葉(ひぐち・いちよう)
小説家・歌人。明治5(1872)年、東京生まれ。明治29(1896)年、東京・文京区にあった自宅で病死。享年24。代表作に『大つごもり』『十三夜』『たけくらべ』『にごりえ』など。

 樋口一葉といえば、今はもっぱら「五千円札の人」として認識されているだろう。
 彼女が紙幣の顔になったのなどつい最近と思いきや、もう15年も経つらしい。私の脳内では未だ千円札は夏目漱石だというのに、時の流れは速いものだ。
 それにしても、最初に一葉が選ばれたと聞いた時には、なんとも皮肉なことを、と首を傾げたものだった。赤貧洗うが如しの生活のまま死んでいった女性を札にするなんて、少々悪趣味なのではないかと思ったのだ。
 昭和59年に行われた新紙幣切り替え、つまり1万円札が聖徳太子から福沢諭吉に変わった時まで、札の肖像は政治家や神話の人物を使用するのが慣行だった。それが文化人にシフトしたのは時流というのものだし、平成に入って女性が採用されたのは当然の成り行きだっただろう。
 だが、それにしてもなぜ樋口一葉だったのか。
 財務省のホームページでは「女性の社会進出の進展に配意し、また、学校の教科書にも登場するなど、知名度の高い文化人の女性の中から採用したものです」と説明されているが、樋口一葉より有名な女性文化人だっているだろうに……と思いを巡らせ、はたと気づいた。
 ほんとだ。一葉より条件があう人なんていないや。
 お国の紙幣にするぐらいだから、お上に逆らうような思想の持ち主や、品行に著しい問題があった人間は選べないだろう。また、孫レベルの近親者がいるほど時代が近すぎる人物も、なにかと問題があろう。
 諸々勘案すると、一葉以上に適した「女性文化人」は近代日本にいないのである。
 この事実をどう捉えるかは立場によっても違ってくるだろうが、日本女性が置かれてきた社会的地位の低さを反映していることは間違いない。
 一葉は、「女なりける」身に生まれたがゆえの困難に生き、死んでいった作家だった。

「才女の道」を阻まれて

 樋口一葉こと樋口奈津(夏とも)は明治5年の生まれ、つまりバリバリの明治っ子。社会体制が完全に変わってから生まれた世代である。昭和と平成の差を遥かに上回る「新世代」だ。しかし、平成が終わろうとしている今にも昭和の名残りが社会の隅々に残っているように、一葉が育った明治初期は旧幕時代の封建的価値観がまだまだ優勢だった。
 まして、樋口家のように農民から武士になったような家では、普通以上に反動的だっただろうことは想像に難くない。
「え? 農民から武士になんてなれるの?」と驚くかもしれないが、江戸時代の身分制は案外弾力的で、抜け道がいろいろあった。
 一葉の父母は安政年間、つまり幕末ギリギリに旗本株(注1)を購入して、晴れて武士になったニューカマーだった。しかも、正式な夫婦になる前に子ができてしまい、故郷である甲州から手に手を取って江戸に駆け落ちした二人ときている。
 つまり、まったく伝統的家族(笑)ではない家庭だったわけだが、その分むしろ「あらまほしき武士の家族像」を追い求める気持ちが強かったようだ。
 そんなわけで一葉は、御一新の後に生まれた明治娘のわりには、黴臭い封建主義的価値観に染まって成長した。この辺り、武士に憧れてサムライ仕草を模倣することに熱心だった新選組の面々にちょっと似ている。結局、新参者ほど「らしさ」にこだわるものなのだ。
 樋口家では、母の多喜に強くその傾向がみられた。夫・則義が首尾よく侍身分を手に入れるまでの間、自分は旗本屋敷で乳母奉公をしたことですっかり武士かぶれしてしまったのか、なかなか面倒な「にわか武家の女」に仕上がっていたのである。
 しかし、政変によって金で買った身分は台無しになった。階級こそ士族の名が残ったものの、特権はなくなった。結局あまり役に立たないプライドばかりが残ったのだ。
 それでも一家の主が健在であるうちはよかった。則義は維新後に下級官吏の仕事を得て、そこそこ器用に世渡りをし、暮らしに困らない程度には稼いでいた。ところが、イケイケドンドンの世の空気に飲まれたのか、実業家を志して家財産すべてをかけて手を出した投資に失敗。明治22(1889)年7月、負債だけを残し、あの世に逝ってしまう。
 さあ、こうなると大変なのは残された家族だ。
 一葉には姉と二人の兄がいた。つまり第四子の次女だったわけだが、姉は早くに養子に出され(駆け落ちした際にお腹にいた子である)、大蔵省勤務で将来を嘱望された長兄は若くして亡くなった。次兄は変わり者で陶工を目指して家を出ていて、母と折り合いが悪い。
 あれこれ事情が重なった結果、一葉は16歳にして戸主となり、母と2歳下の妹を抱えた一家の大黒柱にならされたのである。

【原文】
世の中の事程しれ難き物はあらじかし。必ずなど頼めたる事も大方は違いぬさえ、ひたぶるに違うかとすれば又さもなかりけり、いかにしていかにかせまし。

【訳】
世の中の事ほどわかりにくいものはないよね。必ず大丈夫だろうとあてにしていた事は大方望みとは違う結果になるものだけど、だからといって完全に違う結果にばかりなるかというとそうでもなかったりする。こんなの世の中、何をどうやって、どうしていけばいいわけ?
(「一葉日記」より。以下特記のないものはすべて日記より引用)

 いきなり一家の大黒柱にさせられたティーンネイジャーの、正直な嘆きだ。
 当時の一葉は、「萩の舎」というお嬢様向け私塾で和歌や古典文学を学んでいた。門人のほとんどは華族か裕福な元士族で、平民階級は二人だけ。その二人だって、経済的には余裕のある家の娘だ。一葉は身分ばかりは士族とはいえ、塾内では最下層に位置づけられる存在だった。では、なぜそんな塾に通うことになったかというと、父母のこじらせた士族意識の賜物だったといえる。
 一葉は小学校を主席で卒業するほど頭のよい子供だった。

【原文】
其頃の人はみな、我を見ておとなしき子とほめ、物おぼえよく子と言いけり。父は人に誇り給えり。

【訳】
子供の頃、大人たちはみんな私を見て「おとなしくて物覚えのいい子ね」って褒めてくれたものよ。お父さんはそれをよその人たちに誇ってた。

 ところが、である。

【原文】
十二というとし学校をやめけるが、そは母君の意見にて「女子にながく学問をさせなんは行々の為よろしからず。針仕事にても学ばせ家事の見習いなどさせん」とてなりき。

【訳】
十二歳で学校をやめたのはお母さんの意見のせい。「女子が長いこと学問をするのは先行きによくありません。そんなことより針仕事でも習わせて家事の見習いをさせないとだめです」と言ったからなんだよね

 はい、また出ました! 女に学問は不要論!
 これまで取り上げてきた人々の中でも、森鴎外の母も、林芙美子も、「女に学問はいらん」との横槍を家族から入れられている。
 たった百年ほどの日本には、能力があっても学ぶことができない女性、家族に学びを邪魔される女性が、わんさかいたわけだ。
 しかし、助けてくれるのもまた家族である。鴎外の母は学のある実母から手ほどきを受けられたし、芙美子の父母も最終的には娘が女学校に通うことに同意した。
 一葉の場合は、父が娘の才を惜しんだ。

【原文】
それより十五まで家事の手伝い裁縫の稽古、とかく年月を送りぬ。されども、なお夜ごとごと文机に向かう事を捨てず。父君も我が為に和歌の集などを買い与え給いけるが、万障を捨てて更に学につかしめんとし給いき。

【訳】
学校をやめてから十五歳までの間は家事の手伝いや裁縫の稽古だけをして日々暮らしてた。でも、夜には机に向かうことはやめなかった。お父さんも私のために和歌の本なんかを買ってくれていたんだけど、最終的には何が何でも勉強させてやろうと決心されたわけ。

 学校にいけないならせめて古典教養をつけさせてやろうとした父心が、「萩の舎」入門に繋がった。農家出身の母は今ひとつピンとこなかったようだが、和歌や古典文学の教養は上流階級の子女には必須である。嫁入り(または婿取り)の助けにこそなれ、邪魔にはならない。おそらくそんな感じで説得されたのだろう。渋々承服した。
 しかし、当然ながら上流階級対象の私塾は学費もそれなりで、樋口家に払える額ではなかった。そこで、一葉は特待生のような身分で入塾したのだ。下働きをするという条件で。
 そして、勃発した。苦労知らずのお嬢様VS場違い貧乏女子のバトルが。
 この辺り、いろいろとゲスな方面に面白すぎて、微に入り細を穿って書きたいことが山ほどあるのだが、それをやると本連載の趣旨からそれてしまう。よって、涙を呑んで割愛する。
 ただ、結果は明記しておかなければなるまい。
 塾内一二を争う才媛の名をほしいままにしながら、時には下女のような仕事をさせられ、自分より頭の出来がかなりアレなお嬢様方から蔑まれ、せせら笑われる日々を送った末、一葉は見事な「こじらせ女子」になってしまうのである。

こじらせ女子、作家を目指す

 こじらせ女子とは2016年に急逝したライターの雨宮まみさんによる造語だ。諸々が重なって自意識をこじらし、自己認識がややこしくなってしまっている女性を指す言葉として、主に女性誌やネットなどで使われている。
 正直、私はこの新語があまり好きではない。生みの親である雨宮さんはともかく、追随した人たちの、対象を微妙に揶揄する空気が心を逆なでするからだ。しかし、ある種の女性群をこれほど的確に表現したものもないとも思う。
 プライドとコンプレックスを両天秤に、常にゆらゆら揺れる精神状態を持て余し、世を拗ね人を羨み、でも自己愛も案外強い。百パーセント生きづらいに決まっているこんな性格を、一葉は獲得してしまった。
 普段の外面はこんな感じだ。

私ども平民三人組は何かにつけてペチャペチャお喋べりをいたしましたが、樋口さんはどんな時でも決して他人の悪口を申しません。いわずにジッと我慢していたのでしょう。(中略)樋口さんはどちらかというと、いくら親しくても何だか靄のかかっているような人で、もう少し打ちとけてザックバランになってくれればいいのにと思ったくらでございます。寄りつきにくいというか、行儀のよい人でございました。(田辺夏子「わが友樋口一葉のこと」より)

 あげく、ついたあだ名が「物つつみの君」。本心を包み隠して何を考えているかわらない人、と評されたのである。元来勝ち気で、時には才をひけらかしもした娘は、女社会で揉まれるうちに「本心を隠す」処世術を身に着けたのだ。
 後代、一葉は様々な人にあれこれ書かれているのだが、だいたいにおいて共通するのは「拗(す)ね者」という評価だ。

見ると引き締まった勝気な顔の調子が、何かの雑誌の挿画でみた一葉女史の姿そっくりだった。(中略)済ました顔でこっちに振りむいた。口元のきっとした……そして眼つきの拗ねた調子といったら……。(中略)あの眼つきにはわれとわが心を食みつくさねば止まない才の執着が仄めいていた。(薄田泣菫「たけくらべの作者」より)

こうした逆境の人でしたから、妙に僻(ひが)んだ感情を持って居りました。(中略)けれども一方から考えますと、こういう僻んだ感情が却って作の上には善かったのかも知れません。拗ねた僻んだ感情や観察が、あの人の小説には総てに見えて居りますので、それが又あの人の作の傑れた所です。さすれば僻んだ感情や観察力を作った逆境も、強ち呪うべきものではないかも知れません。固より生来の天才が主で御座いましたろうが……。(三宅花圃「女文豪が活躍の面影」)

 日本国語大辞典によると、拗ね者とは「(1)強情を張るひねくれた者。また、気の強い者。(2)世をすねた人。世の中を皮肉な眼で見て、世間の人とまじわらない人。」を指す言葉だそうなので、確かに一葉にはぴったりな評価といえるだろう。当てはまらないのは「世間の人とまじわらない人」の部分ぐらいだ。
 薄田泣菫はたった一度、たまたま上野の図書館で見かけた際の観察だけで上記を書いているので、伝聞で印象を補強した可能性がある。しかし、それでも「拗ね者」と呼ばせる雰囲気は確かにあったのだろう。
 もう一方の三宅花圃は、萩の舎の先輩で、スクール・カーストの最上位にいるタイプの女性だ。小説家としても一葉より先輩だった。一葉と先出の田辺夏子と並んで「萩の舎の三才女」の一人に数えられてもいた。華族ではないものの家は裕福で、彼女自身も上流階級ネットワークにがっちり入り込んでいた。一葉が北島マヤなら花圃は姫川亜弓というところだ。(注2)
 イージーモードの人生を送る人から「僻みっぽい」と評された日には、一葉もたまったものではないだろうが、こじらせマインドは本人が思うよりダダ漏れだったのだ。
 だが、考えても見て欲しい。
 周りは蝶よ花よと育てられ、屈託なく青春を楽しむお嬢様ばかり。
 翻って自分は文句の多い母やまだ幼い妹、さらには父が残した借金の面倒まで見なければならない。小娘が手っ取り早く大金を稼ぐには苦界に身を投じるのが一番だが、士族意識が強い母がそれを許すはずがないし、自分だってまっぴら御免だ。妹が髪結いの店に奉公に出たのですら嘆かわしく思うほどなのに。
 だが、お金がなければ生活できない。さて、どうすれば。
 結局、あちらこちらを回って借金を申し込むしかなかった。
 親の不始末を詫び、頭を下げ続けなければならない悔しさ情けなさ。下手をすれば明日にも住む家がなくなるかもしれない恐怖感。このつらさは、実際に経験してみなければわからない。次から次へと襲いかかる現実と対峙するのに全気力を使い果たしたことだろう。
 家運が衰えたとたん、手のひら返しで離れていく者もいる。一葉の場合、婚約者がそうだった。もっとも彼は自分の身が立ってから復縁を申し込んでいるので、まったくの身勝手ともいえないのだが、少なくとも一葉の心を大きく傷つけたのは間違いない。裕福な友人たちも助けにならなかった。今と違い、女性に財産権がなかった時代である。自由になるお金を持つ者はほとんどいなかったのだ。
 師の中島歌子は、できる限りの手は差し伸べた。内弟子として萩の舎に一葉を引き取り、金銭の面倒を見ながら、将来身が立つようどこぞの女学校の教師の口を探す約束した。しかし、なかなかうまくいかなかった。一葉は小学校しか出ていない。いくら萩の舎の才人とはいえ、教職は難しかっただろう。また、萩の舎も派手な見た目ほど成功を収めていたわけではなく、歌子が自分の着物を売ってこしらえた金銭を一葉に渡したこともあったという。師とはいえ、赤の他人であることを思えば、十分なことをしてやったと思わざるをえない。
 だが、拗ね者の一葉には、師が空手形で自分をいいように下女扱いしているようにしか感じられなかった。
 私を守り、手を差し伸べてくれる人は、どこにもいない。
 彼女がそう思い込んでも仕方ないし、拗ね者根性に磨きがかかったのも当然のなりゆきだ。貧困は、心を削る。
 なんとか自立したい。稼げるようになりたい。
 そう思いつめても、若い女が堂々と自立する道が、当時はなかった。女のできる賃仕事などたかがしれていた。家族三人総出で日がな洗い張りや針仕事に精を出しても、得られるお足は一円もない。このままでは、いつまでたってもその日暮らしだ。
 そんな彼女に、思いもよらぬヒントを与えたのは、ライバルの花圃だった。明治19(1886)年、花圃が「藪の鶯」という小説を書いて出版して以来、小説家として収入を得ていることを知り、「これだ!」となったのである。
 一葉にしてみれば天啓を得た思いだっただろう。
 花圃に書けるなら、自分だって書ける。だって、私は花圃より優れているのだから。
 こうして一葉は小説家への道を歩みだした。
 彼女は、崇高なる文学者を目指したのではない。お金を稼ぐため売文業者になろうとしたのだ。動機がみみっちい承認欲求でない分、むしろさわやかな心意気ではないか。
 時に明治24(1891)年、齢19歳。死の5年前のことであった。

(後篇に続く)

注1:旗本株
徳川家の上級家臣である旗本が、借金をする代わりに、貸元の子弟を養子とする慣習。
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注2:北島マヤと姫川亜弓
人気漫画「ガラスの仮面」の登場人物。主人公の北島マヤは貧乏な生まれで顔も特別美人ではないものの並ぶものなき天才女優、姫川亜弓は演劇界のサラブレッドで生まれついてのお嬢様だが実は努力型という設定になっている。時にはお互いを煙たく思いながら、確固たるリスペクトに満ちたマヤと亜弓の関係性に比べ、一葉と花圃はもうちょっと嫉妬丸出しで生臭い。
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著者

門賀 美央子

1971年、大阪府生まれ。文筆家/書評家。主に文芸、宗教、美術関連の書籍/雑誌記事を手掛ける。主な著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』など。共著に『史上最強 図解仏教入門』『仏教人物の事典』など多数。

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