第12回
28〜30話
2021.04.06更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐9 方法が間違っていることを関心ある話題で納得させる
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「そんなに無理なことなのか」。孟子は答えた。「ほとんどそれ以上に無理なことです。というのも木によじ登って魚を求めることは、たとえ魚が捕れなかったとしても、それまでのことであり、後の災いはありません。しかし、王のような方法をもってして、その欲するところのものを得ようとすれば、心も力も尽くしてやったとしても、それは不可能であるばかりか、後に必ず災いをもたらすことになるでしょう」。王は言った。「その災いとは何かを詳しく聞くことができようか」。そこで孟子は言った。「鄒のような小国と楚のような大国とが戦ったら、どちらが勝つと思いますか」。王は答えた。「それは楚国が勝つに決まっている」。孟子は続けた。「確かに、その通り小は大に敵することはできません。少数は多数に敵することはできません。弱は強に敵することはできません。今、海内(かいだい)の地(ち)(天下)には、千里四方の大国が九つもあります。王の国である斉は、領土を全部集めてやっと、その一つにしかなりません。ということは一つの国でもって八もの国を敵とし、これらを服させようとするのは、小国の鄒が大国の楚を敵とするのと、違いはありません。だったら、どうして根本にたち返って王道を行こうとしないのでしょうか」。
【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、是(かく)の若(ごと)く其(そ)れ甚(はなはだ)しきか。曰(いわ)く、殆(ほと)んど焉(これ)より甚(はなはだ)しき有(あ)り。木(き)に縁(よ)りて魚(うお)を求(もと)むるは、魚(うお)を得(え)ずと雖(いえど)も、後(のち)の災(わざわい)無(な)し。若(かくのごと)き為(な)す所(ところ)を以(もっ)て、若(かくのごと)き欲(ほっ)する所(ところ)を求(もと)むるは、心力(しんりょく)を尽(つ)くして之(これ)を為(な)し、後(のち)必(かなら)ず災(わざわ)い有(あ)り。曰(いわ)く、聞(き)くことを得(う)べきか。曰(いわ)く、鄒(すう)(※)人(ひと)と楚(そ)人(ひと)と戦(たたか)わば、則(すなわ)ち王(おう)以(もっ)て孰(いず)れか勝(か)つと為(な)す。曰(いわ)く、楚(そ)人(ひと)勝(か)たん。曰(いわ)く、然(しか)らば則(すなわ)ち小(しょう)は固(もと)より以(もっ)て大(だい)に敵(てき)すべからず。寡(か)は固(もと)より以(もっ)て衆(しゅう)に敵(てき)すべからず。弱(じゃく)は固(もと)より以(もっ)て強(きょう)に敵(てき)すべからず。海内(かいだい)の地(ち)、方(ほう)千里(せんり)なる者(もの)九(きゅう)。斉(せい)集(あつ)めて(※)其(そ)の一(いつ)を有(ゆう)す。一(いつ)を以(もっ)て八(はち)を服(ふく)するは、何(なに)を以(もっ)て鄒(すう)の楚(そ)に敵(てき)するに異(こと)ならんや。蓋(なん)ぞ亦(また)其(そ)の本(もと)に反(かえ)らざる。
(※)鄒……孟子が生まれた小さい国。なお、当時の中国は、戦国の七雄と呼ばれる韓(かん)、魏(ぎ)、斉(せい)、趙(ちょう)、燕(えん)、楚(そ)、秦(しん)が争っていた。本項の後半で孟子が九つの大国と言うのは、『礼記(らいき)』の王制篇にも見られるように、右の七国に、宋(そう)と中山(ちゅうざん)を合わせたものであろう。
(※)集めて……集めて一つにして、千里四方になる。なお、「集」を「惟」とし、「ただ」と読む説もある。
【原文】
王曰、若是其甚與、曰、殆有甚焉、緣木求魚、雖不得魚、無後災、以若所爲、求若所欲、盡心力而爲之、後必有災、曰、可得聞與、曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝、曰、楚人勝、曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊、海内之地、方千里者九、齊集有其一、以一服八、何以異於鄒敵楚哉、蓋亦反其本矣、
7‐10 仁政は良いことばかりを招く
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「今、王が政治を刷新し、それを発令して仁政を施せば、天下中の仕官を希望している者たちは皆、王の朝廷でぜひとも仕事をしたいと望むでしょう。また、天下中の耕作に意欲する農民たちは、皆、王の田畑で耕作したいと望むでしょう。さらに、天下中の商人をして皆、王の国の市場で商いをし、商品を置いておきたいと望み、旅人も皆、王の国の道を通りたいと望むでしょう。そのうえ、天下中の自分の暴君をそれぞれとっちめたいと望んでいる者たちは皆、王のところに来て訴えたいと望むでしょう。このようになれば、天下中の者が皆、王に帰服するのを止めることは。誰にもできないことになります」。
【読み下し文】
今(いま)、王(おう)、政(まつりごと)を発(はっ)し仁(じん)を施(ほどこ)さば、天下(てんか)の仕(つか)うる者(もの)をして、皆(みな)王(おう)の朝(ちょう)に立(た)たんと欲(ほっ)し、耕(たがや)す者(もの)をして皆(みな)王(おう)の野(や)に耕(たがや)さんと欲(ほっ)し、商(しょう)賈(こ)(※)をして皆(みな)王(おう)の市(いち)に蔵(ぞう)せん(※)と欲(ほっ)し、行旅(こうりょ)(※)をして皆(みな)王(おう)の塗(と)に出(い)でんと欲(ほっ)し、天下(てんか)の其(そ)の君(きみ)を疾(や)ましめんと欲(ほっ)する者(もの)(※)をして、皆(みな)王(おう)に赴(おもむ)き愬(うった)えんと欲(ほっ)せしむ。其(そ)れ是(かく)の若(ごと)くんば、孰(たれ)か能(よ)く之(これ)を禦(とど)めん。
(※)商賈……売り歩く者を「商」といい、店を構えて売る者を「賈」といった。
(※)蔵せん……商品を置いておく。しまっておく。なお、『論語』で子貢が、孔子に次のように聞くところがある。「斯(ここ)に美(び)玉(ぎょく)有(あ)り。匵(ひつ)に韞(おさ)めて諸(これ)を蔵(ぞう)せんか。善(ぜん)賈(こ)を求(もと)めて諸(これ)を沽(う)らんか」(子罕第九)。ここに美玉とは孔子を指し、善賈は、名君を指している(拙著『全文完全対照版 論語コンプリート』参照)。
(※)行旅……旅人。
(※)其の君を疾ましめんと欲する者……自分の暴君をとっちめたいと望んでいる者。なお、ここでの「欲」はいらないとし省いて解釈する説もある(佐藤一斎など)。封建制の時代に、自分の暴君をとっちめたいと望むことなど許されてはいけないと考えたためかもしれないが、孟子の主張なら省くことはまずかろう。そもそも孟子は、暴君などはすでに君主ではなくて、ただの「一夫」にすぎないとみるから人民がとっちめたいと思ってもそんな問題ないことになろう(梁恵王(下)第八章参照)。
【原文】
今、王發政施仁、使天下仕者、皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者、皆欲赴愬於王、其若是、孰能禦之、
7‐11 恒産なければ恒心なし
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「私は暗愚で、先生の言われる仁政を行うまでは進むことはできない。願わくは、先生におかれては、この私の志を助けて、はっきりと教えてほしい。私は愚か者だけれども、何とかして一つやってみたいと思う」。そこで孟子は言った。「一定の収入がなくても、志高く、道を守り続けられる者は、学問、修養のできた立派な士だけです。『恒産なければ恒心なし』、つまり一般の民においては、一定の収入がなければ、志も道も守れないのが普通のことです。こうして人に恒心がないと、投げやり、かたより、よこしま、勝手放題など、どんな悪いことでもします。そうしていると罪に陥り、後に刑が科せられることになります。これでは、民を刑罰の網のなかに追い込むようなものです。どうして、仁徳のある人が君主の位についていながら、民を網のなかに追い込むようなことをするのでしょうか。こんなことはすべきでありません」。
【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、吾(わ)れ惛(くら)くして(※)是(ここ)に進(すす)むこと能(あた)わず。願(ねが)わくは夫子(ふうし)(※)吾(わ)が志(こころざし)を輔(たす)け、明(あき)らかに以(もっ)て我(われ)に教(おし)えよ。我(われ)不敏(ふびん)(※)なりと雖(いえど)も、請(こ)う之(これ)を嘗(しょう)試(し)せん。曰(いわ)く、恒産(こうさん)無(な)くして恒心(こうしん)有(あ)る者(もの)(※)は、惟(ただ)士(し)のみ能(よ)くすることを為(な)す。民(たみ)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち恒産(こうさん)無(な)ければ、因(よ)って恒(こう)心(しん)無(な)し。苟(いやしく)も恒(こう)心無(しんな)ければ、放辟邪侈(ほうへきじゃし)(※)、為(な)さざる無(な)きのみ。罪(つみ)に陥(おちい)るに及(およ)んで、然(しか)る後(のち)、従(したが)って之(これ)を刑(けい)す。是(こ)れ民(たみ)を罔(あみ)する(※)なり。焉(いずく)んぞ仁人(じんじん)位(くらい)に在(あ)る有(あ)りて、民(たみ)を罔(あみ)することを而(しか)も為(な)すべけんや。
(※)惛くして……暗愚で。
(※)夫子……先生。
(※)不敏……愚か者。なお、『論語』で顔淵(顔回)が次のように言うところがある。「回(かい)、不敏(ふびん)なりと雖(いえど)も、請(こ)う、斯(こ)の語(ご)を事(こと)とせん」(顔淵第十二)。
(※)恒産無くして恒心有る者……一定の収入がなくても、志高く、道を守り続けられる者。本項は、格言の一つ「恒産なき者は恒心なし」の出典となっている。その意味は通常「一定の職業や財産など、安定した生活手段がない者には、常に持っていて変わらない正しい心、ぐらつかない心がない」とか、「生活が安定しない人には精神の安定がない」(以上『故事ことわざの辞典』小学館)の意味で用いられる。なお、この格言は一般論としては正しいと思うが、歴史の事実を見てみると、中国の恒産ある士と見られた人たちはずっと腐敗してきたし、今はもっとひどい。我が国においても明治維新は下級武士たちが実現し、恒産があった上級武士たちは改革をなす術がなかった(勝海舟談など参照)。とすると、恒産なくしても恒心ある者がどれだけ存在するかが、その国の力を示すものであると思われる。吉田松陰は獄中にあって、本項の孟子の言葉に発奮し、「吾(われ)願(ねが)わくは諸君(しょくん)と志(こころざし)を励(はげ)まし、士道(しどう)を研究(けんきゅう)し、恒心(こうしん)を錬磨(れんま)」することを誓った(『講孟箚記』)。その意味では、本項の孟子の言葉は、教育者、革命家松陰を大きく成長させたものの一つである。
(※)放辟邪侈……「放」は投げやり、「辟」はかたより、「邪」はよこしま、「侈」は勝手放題。
(※)罔する……網のなかに入れる。なお、「罔」は「無」であるとする説もある。この説だと、民を無視すると訳すことになる。
【原文】
王曰、吾惛不能進於是矣、願夫子輔吾志、明以敎我、我雖不敏、請嘗試之、曰、無恆産而有恆心者、惟士爲能、若民、則無恆產、因無恆心、苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已、及陷於罪、然後、從而刑之、是罔民也、焉有仁人在位、罔民而可爲也、
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