第20回
48〜49話
2021.04.16更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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5‐3 王者は財貨を民とともに好む
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。宣王は言った。「良い言葉だ」。孟子は言った。「王がもし、この言葉を良いとされるのなら、どうしてそれを実行しないのですか」。王は答えた。「私には一つの悪い性癖があって、それは財貨を好むということである(そう言って孟子の問いから逃れようとした)」。そこで、孟子は言った。「昔、公劉という周の君主も財貨が好きでした。この公劉について『詩経』は次のように述べています。『公劉は穀物を野に積み、倉にためた。干した米(乾飯(ほしいい))を背負い袋や大袋に入れ包んで持たせた。こうして民を安んじて、国家の将来の発展を期待させたのである。さらに、弓矢を十分に張り整え、たてやほこ、さらに斧(おの)やまさかりなどの武器も十分準備して、それから(都を移すために)出発を始めた』とあります。このように、居残る者には十分な穀類があり、行く者のためには袋に入れた食糧があったのです。準備が十分整った上で始めて出発できたのです。王も、もし財貨を好まれるなら、百姓(民)とともに、それを好むようにすれば、王者となるにおいて、何のさしつかえもありません」。
【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、善(よ)いかな言(げん)なや。曰(いわ)く、王(おう)如(も)し之(これ)を善(よ)しとせば、則(すなわ)ち何(なん)為(す)れぞ行(おこ)わざる。王(おう)曰(いわ)く、寡人(かじん)疾(やまい)(※)有(あ)り、寡人(かじん)貨(か)を好(この)む。対(こた)えて曰(いわ)く、昔者(むかし)公劉(こうりゅう)(※)貨(か)を好(この)めり。詩(し)に云(い)う、乃(すなわ)ち積(し)し乃(すなわ)ち倉(そう)す。乃(すなわ)ち餱糧(こうりょう)(※)を裹(つつ)む。橐(たく)(※)に囊(のう)(※)に。戢(おさ)めて(※)用(もっ)て光(おお)いにせん(※)ことを思(おも)う。弓(きゅう)矢(し)斯(ここ)に張(は)り、干(かん)戈(か)(※)・戚揚(せきよう)(※)あり。爰(ここ)に方(はじ)めて行(こう)を啓(ひら)く(※)。故(ゆえ)に居(お)る者(もの)は積倉(しそう)有(あ)り、行(ゆ)く者(もの)は裹糧(かりょう)(※)有(あ)り。然(しか)る後(のち)以(もっ)て爰(ここ)に方(はじ)めて行(こう)を啓(ひら)くべし。王(おう)如(も)し貨(か)を好(この)むも百姓(ひゃくせい)と之(これ)を同(おな)じうせば、王(おう)たるに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん。
(※)疾……性癖。悪い癖。
(※)公劉……周の先祖后稷(こうしょく)の曾孫。詩経では、公劉が、蛮族の襲来を避けて、民の安全を図るために都を移すことにしたときのことを言っている。
(※)餱糧……乾(ほし)飯(いい)。
(※)橐……底のない袋。つまり、両端を結んで背に負う袋。
(※)嚢……底のある袋。大袋。
(※)戢めて……民を安んじて。「戢」を「やわら」ぎて、と読む人場合もある。
(※)光いにせん……国家を将来大きく発展させる。「光」を「ほまれ」あり、と読む人もいる。
(※)干戈……たてとほこ。
(※)戚揚……「戚」は斧、「揚」は、まさかり。
(※)行を啓く……出発すること。
(※)裹糧……袋に入れて包んだ食糧。
【原文】
王曰、善哉言乎、曰、王如善之、則何爲不行、王曰、寡人有疾、寡人好貨、對曰、昔者公劉好貨、詩云、乃積乃倉、乃裹糇糧、于橐于嚢、思戢用光、弓矢斯張、干戈・戚揚、爰方啓行、故居者有積倉、行者有裹糧也、然後可以爰方啓行、王如好貨與百姓同之、於王何有、
5‐4 好色でも王者になれる
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「私にはもう一つ悪い性癖があって、それは色を好むということだ」。孟子は答えて言った。「昔、大王(文王の祖父で、古公亶父のこと)は、やはり色を好んで、その妃を愛された。『詩経』に次のように書かれています。『古公亶父は朝から馬を走らせて、西水の水際に沿っていき、岐山のふもとまで至り、ここで妃の姜氏と二人で居を構えて暮らされた』とあります。大王の妃の愛し方が民にも感化して、民政にもその愛は及んだためか、内においては、夫なきを怨む女もなくなり、外においては、妻なきをなげく男もなくなりました(それほどみんな結婚して楽しい家庭をつくった)。このように、王がもしも色を好んだとしても、民と同じようにするのであれば、王者になることの障害となるものではありません」。
【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、寡人(かじん)疾(やまい)有(あ)り、寡人(かじん)色(いろ)を好(この)む(※)。対(こた)えて曰(いわ)く、昔者(むかし)大王(だいおう)色(いろ)を好(この)み、厥(そ)の妃(ひ)を愛(あい)せり。詩(し)に云(い)う、古公亶父(ここうたんぽ)、来(きた)りて朝(あした)に馬(うま)を走(はし)らせ、西水(せいすい)の滸(ほとり)(※)に率(したが)い、岐下(きか)(※)に至(いた)り、爰(ここ)に姜女(きょうじょ)と、聿(つい)に来(き)たって胥(あい)宇(お)る(※)、と。是(こ)の時(とき)に当(あ)たりて、内(うち)に怨女(えんじょ)(※)無(な)く、外(そと)に曠夫(こうふ)(※)無(な)かりき。王(おう)如(も)し色(いろ)を好(この)むも、百姓(ひゃくせい)と之(これ)と同(おな)じうせば、王(おう)たるに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん。
(※)色を好む……異性を愛することが好きである。異性への関心が強い。宣王の「色を好む」と孟子のそれは、本項の内容を見る限りではズレがあるように思う。孟子は「色を好む」ことを人間の基本としつつ、礼節を守る一夫一妻制を説いているのに対し、宣王の「色を好む」は、多くの女性を愛するのが好きであることを言っているようだ。しかし、孟子はそれをわかった上で、王者になれるには、こうあるべきであり、王は「色を好き」でもなれるのだという自分の論に強引に引き込んでいるようである。なお、『論語』にも色と道徳については次のように述べている箇所がある。「吾(われ)は未(いま)だ徳(とく)を好(この)むこと、色(いろ)を好(この)むが如(ごと)き者(もの)を見(み)ざるなり」(子罕第九)。孔子は、「色を好む」のは人間にとって当然のことだが、同じように徳も大事にせよと述べているようだ。徳をもって「色を好む」をうまくコントロールせよという、この流れをさらに発展させての孟子の主張もあるように見える。
(※)西水の滸……西水の水際。
(※)岐下……岐山のふもと。一説によると、この「岐」と孔子の生地「曲阜」の阜を取り、織田信長が「岐阜」と命名したという。
(※)胥宇る……相居る。居を構えて暮らす。
(※)怨女……夫を得ることができなくて怨む女。
(※)曠夫……妻を得ることができない独り者の男。
【原文】
王曰、寡人有疾、寡人好色、對曰、昔者、大王好色、愛厥妃、詩云、古公亶甫、來朝走馬、率西水滸、至于岐下、爰及姜女、聿來胥宇、當是時也、内無怨女、外無曠夫、王如好色、與百姓同之、於王何有、
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