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第31回

73〜75話

2021.05.07更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐1 四十歳になってからは心を動揺させない


【現代語訳】
公孫丑が問うて言った。「先生がもし斉の卿相(君主を補佐する宰相)の地位に就いて、正しい道を行うとなれば、斉の王を覇者なり王者なりにしようと何ら不思議なことではありません。ただそうなると先生の責任も重くなるでしょうから、心が動揺することにもなるのではないでしょうか」。これに対して孟子は答えて言った。「いいや。私は四十歳になってからは心を動揺させることはなくなった」。公孫丑は言った。「そういうことであれば、先生は昔の勇士孟賁より優れていますね」。すると孟子は言った。「心を動揺させないということは、そう難しいことではない。あの告子でも、私よりも早く心を動揺させないことができているのだ」。

【読み下し文】
公孫丑(こうそんちゅう)問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)斉(せい)の卿相(けいしょう)に加(くわ)わり、道(みち)を行(おこな)うことを得(え)ば、此(これ)に由りて覇王(はおう)たらしむと雖(いえど)も異(あや)しまず。此(かく)の如(ごと)くんば則(すなわ)ち心(こころ)を動(うご)かすや否(いな)や。孟子(もうし)曰(いわ)く、否(いな)。我(われ)四十(しじゅう)にして心(こころ)を動(うご)かさず(※)。曰(いわ)く、是(かく)の若(ごと)くんば則(すなわ)ち夫子(ふうし)孟賁(もうほん)(※)に過(す)ぐること遠(とお)し。曰(いわ)く、是(こ)れ難(かた)からず。告子(こくし)(※)は我(われ)に先(さき)だちて心(こころ)を動(うご)かさず。

(※)心を動かさず……心を動揺させることはない。なお、『論語』では、孔子が、「四十にして惑わず」と言っている(為政第二)。孟子のここでの言葉は、その影響があるように思われる。また、「知者(ちしゃ)は惑(まど)わず。仁者(じんしゃ)は憂(うれ)えず。勇者(ゆうしゃ)は懼(おそ)れず」とも述べる(子罕第九、憲問第十四)。
(※)孟賁……昔の有名な勇士。
(※)告子……孟子の論敵の一人。告子(上下)に見られる告子、その人のことと解されている。

【原文】
公孫丑問曰、夫子加齊之卿相、得行道、焉雖由此霸王不異矣、如此則動心否乎、孟子曰、否、我四十不動心、曰、若是則夫子過孟賁遠矣、曰、是不難、告子先我不動心。

 

2‐2 心を動揺させない方法


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。公孫丑は聞いた。「心を動揺させない修行の方法はありますか」。孟子は答えた。「例えば、北宮黝の勇を養う方法は次の通りだった。白刃(はくじん)が身にせまろうと肌をピクリともさせず、切っ先を眼前に突きつけられても目玉を動かさなかった。また、毛筋一本ほどの侮辱を受けても朝廷、市場の人が多いところでムチに打たれたと同じように考えた。このような屈辱は、どてらのような服で身を包んだ下賤の者からだけでなく、万乗の大国の君からでも受けることは許さなかった。そして万乗の大国の君を刺すことも、どてら服の下賤な者を刺し殺すことと変わらなかった。だから、天下に彼が恐れはばかる諸侯はいなかった。また、悪口でも言われたならば必ず仕返しをしたのである。孟施舎の勇の養い方は、これと違うもので、次のように言っていた。『自分は勝てないようなときでも、勝てる信念で立ち向かう。敵の兵力をはかり、こちらより弱いと見たら進撃し、勝つとわかったら会戦するというのは、大軍を恐れる者である。私だって必ず勝つということはないだろう。しかし、決して恐れることはなく戦うのである』と」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、心(こころ)を動(うご)かさざるに道(みち)有(あ)りや。曰(いわ)く、有(あ)り。北宮黝(ほくきゅうゆう)(※)の勇(ゆう)を養(やしな)うや、膚(はだ)撓(たわ)まず、目(め)逃(まじろ)がず。一毫(いちごう)を以(もっ)て人(ひと)に挫(はずか)しめらるるを思(おも)うこと、之(これ)を市朝(しちょう)(※)に撻(むちう)たるるが若(ごと)し。褐(かつ)實(かん)博(ぱく)(※)にも受(う)けず、亦(また)万(ばん)乗(じょう)の君(きみ)にも受(う)けず。万乗(ばんじょう)の君(きみ)を刺(さ)すを視(み)ること、褐夫(かつふ)を刺(さ)すが若(ごと)し。厳(はばか)る諸侯(しょこう)無(な)し。悪声(あくせい)至(いた)れば、必(かなら)ず之(これ)を反(かえ)す。孟施舎(もうししゃ)(※)の勇(ゆう)を養(やしな)う所(ところ)や、曰(いわ)く、勝(か)たざるを視(み)ること、猶(な)お勝(か)つがごとし。敵(てき)を量(はか)りて而(しか)る後(のち)進(すす)み、勝(か)つことを慮(おもんばか)つて而(しか)る後(のち)会(かい)するは、是(こ)れ三軍(さんぐん)(※)を畏(おそ)るる者(もの)なり。舎(しゃ)豈(あに)能(よ)く必(ひっ)勝(しょう)を為(な)さんや。能(よ)く懼(おそ)るる無(な)きのみ、と

(※)北宮黝……詳しくはわかっていないが、斉の有名な昔の勇者だと思われる。
(※)市朝……市場と朝廷。人の多いところ。
(※)褐實博……どてらのような服で身を包んだ下賤の者。「褐」はあらい毛織りの布。「實博」は広そでのどてらのようなもの。
(※)孟施舎……詳しくはわからないが、斉の昔の有名な勇者だと思われる。
(※)三軍……大軍の意。一軍は約一万二千五百人。天子は六軍を率い、諸侯大国は三軍を小国は二軍ないし一軍を率いたとされる。

【原文】
曰、不動心有道乎、曰、有、北宮黝之養勇也、不膚撓、不目逃、思以一毫挫於人、若撻之於市朝、不受於褐寬博、亦不受於萬乘之君、視刺萬乘之君、若刺褐夫、無嚴諸侯、惡聲至、必反之、孟施舍之所養勇也、曰、視不勝、猶滕也、量敵而後進、慮滕而後會、是畏三軍者也、舍豈能爲必滕哉、能無懼而已矣。

 

2‐3 千万人といえども我ゆかん


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「孟施舎の勇の養い方は、孔子の門人で言うと曾子に似ている。これに対し北宮黝は子夏に似ている。この二人の勇のどちらが優っているかはわからない。しかし、孟施舎のほうが自分を守るにおいては要を得ている(孟施舎のほうは、もし負けたら気も屈することになる)。昔、曾子は弟子の子襄に次のように言っている。『お前は勇を好むか。私はかつて孔子から大勇について聞いたことがある。すなわち自分自身で心に問うて、正しくないとわかったら、褐實博(下賤の者)でも、おそれてしまう。しかし、自分自身で心に問うて正しいとわかったら、たとえ相手が千万人いようとも、私はやりぬくのみである』と。こうしてみると、孟施舎の気を守る勇より、曾子の自らを守る勇のほうが、より一層、要を得ているといえる」。

【読み下し文】
孟施舎(もうししゃ)は曾子(そうし)(※)に似(に)たり。北宮黝(ほくきゅうゆう)は子夏(しか)(※)に似(に)たり。夫(か)の二子(にし)の勇(ゆう)は、未(いま)だ其(そ)の孰(いず)れか賢(まさ)れるを知(し)らず。然(しか)り而(しか)して孟施舎(もうししゃ)は守(まも)り約(やく)なり(※)。昔者(むかし)曾子(そうし)、子襄(しじょう)に謂(い)いて曰(いわ)く、子(し)、勇(ゆう)を好(この)むか。吾(わ)れ嘗(かつ)て大勇(たいゆう)を夫子(ふうし)(※)に聞(き)けり。自(みずか)ら反(はん)して縮(なお)からずんば、褐實博(かつかん(ぱく)と雖(いえど)も、吾(わ)れ惴(おそ)れざらんや。自(みずか)ら反(はん)して縮(なお)ければ(※)、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(わ)れ往(ゆ)かん、と。孟施舎(もうししゃ)の気(き)を守(まも)るは、又(また)曾子(そうし)の守(まも)りの約(やく)なるに如(し)かざるなり。

(※)曾子……孔子の弟子。孔子より四十六歳年少。孔子の孫子思は曾子に学び、孟子は子思の弟子筋すなわち曾子派に学んだとされている。
(※)子夏……孔子の弟子。孔子より四十四歳年少。本項の子夏は子路の誤りであるとするのが、伊藤仁斎である。穂積重遠『新訳孟子』(講談社学術文庫)もこれに同調する。子路は、孔子より九歳年少の弟子たちのなかで一番の兄貴格である。『論語』を読むと北宮黝のような勇を示しているので、仁斎説もうなずける。しかし、前述のように孟子は子路を尊敬すること篤く(先師の曾子が尊敬していたくらいだから)、それからしても、北宮黝に似ているとは言わなかったであろう。やはり、子夏のままでよいと思う。
(※)守り約なり……自分を守るにおいては、要を得ている。「約」は「要」である。なお、「約」は「気」の間違いとし、「気を守るなり」と読み下す説もある。
(※)夫子……目上の人への尊称。ここでは孔子のことを指す。
(※)縮ければ……正しければ。「縮」は直と同じ意。

【原文】
孟施舍似曾子、北宮黝似子夏、夫二子之勇、未知其孰賢、然而孟施舍守約也、昔者曾子謂子襄曰、子、好勇乎、吾嘗聞大勇於夫子矣、自反而不縮、雖褐寬博、吾不惴焉、自反而縮、雖千萬人、吾往矣、孟施舍之守氣、又不如曾子之守約也。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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