第64回
154〜155話
2021.06.23更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐1 本当の大丈夫とはどういう人か
【現代語訳】
(いわゆる縦横家の)景春が言った。「公孫衍や張儀というのは、本当の大丈夫、男のなかの男ではありませんか。彼らがひとたび怒ると、諸侯たちはそのことを恐れるし、彼らがじっとしていると天下は平穏落ちつきます(個人の力で天下を動かすのは大丈夫でないでしょうか)」。孟子は言った。「そんなことで何が大丈夫と言えますか。あなたは礼を学んだことがないのですか。礼によると、男子は一人前になって元服(冠礼)すると、父は心がまえを教えるし、女子が嫁入りするとき、母は娘に嫁いでからの心得を教えます。母は娘が出て行くとき、門まで送り、『これからはあちらが自分の家ですよ。必ず夫を敬い、自分を慎み、夫にさからうことがあってはなりませんよ』と言うのです。こうして従順であることが正しい道とするのが婦女子のあり方と教えています(あなたの言う公孫衍や張儀の生き方は、まさにこの婦女子の理想とする生き方です。諸侯たちにこびへつらい、気に入られることばかりを考えているのですから)。仁という広い家に住み、礼という天下の正しい位置に立って事を行い、義という天下の大きな道を堂々と歩く。志を得られ世に用いられるなら、民とともにこの仁、礼、義を実践し、志を得ないときには、自分一人でもこの仁、礼、義を実践するのです。いかなる富貴(お金も地位も)も自分の心をとろかし、変えることなどできず、また貧賤の苦しみで責められても心は揺るがないし、さらにいかなる権威や武力で脅かされても、その志はびくともしないのです。こういう人であってこそ本当の大丈夫というべきなのです」。
【読み下し文】
景春(けいしゅん)(※)曰(いわ)く、公孫衍(こうそんえん)・張儀(ちょうぎ)(※)は、豈(あに)誠(まこと)の大丈夫(だいじょうふ)ならずや。一(ひと)たび怒(いか)りて諸侯(しょこう)懼(おそ)れ、安居(あんきょ)して天下(てんか)熄(や)む。孟子(もうし)曰(いわ)く、是(こ)れ焉(いずく)んぞ大丈夫(だいじょうふ)たることを得(え)んや。子(し)未(いま)だ礼(れい)を学(まな)ばざる也。丈夫(じょうぶ)の冠(かん)するや、父(ちち)之(これ)に命(めい)ず。女子(じょし)の嫁(か)するや、母(はは)之(これ)に命(めい)ず。往(ゆ)きて之(これ)を門(もん)に送(おく)り、之(これ)を戒(いまし)めて曰(いわ)く、往(ゆ)きて女(なんじ)の家(いえ)に之(ゆ)き、必(かなら)ず敬(うやま)い必(かなら)ず戒(いまし)め、夫子(ふうし)に違(たが)うこと無(な)かれ、と。順(じゅん)を以(もっ)て正(せい)と為(な)す者(もの)は、妾婦(しょうふ)の道(みち)(※)なり。天下(てんか)の広居(こうきょ)に居(お)り(※)、天下(てんか)の正(せい)位(い)に立(た)ち、天下(てんか)の大道(たいどう)を行(ゆ)く。志(こころざし)を得(う)れば民(たみ)と之(これ)に由(よ)り、志(こころざし)を得(え)ざれば独(ひと)り其(そ)の道(みち)を行(おこな)う。富貴(ふうき)も淫(いん)すること能(あた)わず(※)、貧賤(ひんせん)も移(うつ)すこと能(あた)わず。威武(いぶ)も屈(くっ)すること能(あた)わず。此(こ)れを之(これ)大丈夫(だいじょうふ)と謂(い)う。
(※)景春……縦横家(合縦連衡を説く人)の一人とされる。
(※)公孫衍・張儀……どちらも縦横家、つまり当時の国際人、外交を売り物にする策士である。諸侯の間に同盟を結ばせたり、戦争を仕掛けたりする。縦横家として有名なのは、蘇秦と張儀であった。蘇秦が「合従(がっしょう)」すなわち対秦列国同盟を進め、張儀は秦を中心とした「連衡(れんこう)」を進めた。ここで景春が公孫衍を出しているのは、蘇秦がすでに死んでいたためであろう。なお、「合従連衡」は熟語として今もよく使われている。意味は、「縦の国々を合せたり、横の国々を連ねたりすること。転じて、はかりごとを巧みにめぐらした外政策」(『故事ことわざの辞典』 小学館)である。 (※)妾婦の道……婦女子のあり方。なお、孔子・孟子の批判として男女差別があったことを主張する人は多い。ただ、現在の価値基準でそのまま孔子、孟子を批判するのはおかしい。また、ここでの孟子は、景春が大丈夫、男のなかの男とは何かという問題で、公孫衍・張儀をほめたのを、彼らは婦女子のようなあり方をしているのであって、大丈夫、男のなかの男ではないとする論のなかで述べているものである。この点も考慮に入れてほしいものである。話は少し脱線するが、渋沢栄一も『論語』を信奉するものの、孔子の男女差別だけはどうかとしている。しかし、その渋沢栄一も現代からすると、いわゆる妾(めかけ)がたくさんいたことを考えると、その価値観は認めがたいものがある。ただ、これは現代の価値判断で渋沢を批判するのであり、当時の価値判断では何ら問題はなかったのである。
(※)天下の広居に居り……仁という広い家に住み。離婁(上)第十章には「仁(じん)は人(ひと)の安宅(あんたく)なり。義(ぎ)は人(ひと)の正路(せいろ)なり」とあり、告子(上)第十一章にも「仁(じん)は人(ひと)の心(こころ)なり。義(ぎ)は人(ひと)の路(みち)なり」とある。
(※)富貴も淫すること能わず……いかなる富貴(お金も地位)も自分の心をとろかし変えることなどできず。なお、吉田松陰は「浩然の気」のところで、「至大至剛」のうちの至剛の説明にこの文章を用いている。すなわち「『至(し)剛(ごう)』とは浩然(こうぜん)の気(き)の模様(もよう)なり。『富貴(ふうき)も淫(いん)すること能(あた)わず、貧(ひん)賤(せん)も移(うつ)す能(あた)わず、威武(いぶ)も屈(くっ)する能(あた)わず』と云(い)う、即(すなわ)ち此(こ)の気(き)なり」とする。また、本項の解説では、「此(こ)の一節(いっせつ)反復(はんぷく)熟味(じゅくみ)すべし。我党(わがとう)平生(へいぜい)の志(こころざ)すところ此(こ)の外事(ほかこと)なし」と、自分の生き方はこれなのだと絶賛している。このほかの論者も、ほぼ同じで、特に「天下の広居に居り」以下の文は古今でも有数の名文と言う人が多い。
【原文】
景春曰、公孫衍・張儀、豈不誠大丈夫哉、一怒而諸侯懼、安居而天下熄、孟子曰、是焉得爲大丈夫乎、子未學禮也、丈夫之冠也、父命之、女子之嫁也、母命之、徃送之門、戒之曰、徃之女家、必敬必戒、無違夫子、以順爲正者、妾婦之衜也、居天下之廣居、立天下之正位、行天下之大衜、得志與民由之、不得志獨行其衜、富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、此之謂大丈夫。
3‐1 君子は君に仕えた
【現代語訳】
周霄が問うて言った。「昔の君子は、皆、君に仕えたのですか(孟子が一向に仕える素振りを見せないのでなぞかけをしている)」。孟子は答えた。「もちろん、仕えたのだ。伝えによると、孔子は三ヵ月も仕える君がないと、うろうろと不安な様子をされていたという。また、仕えるのを辞めて国境を出るときは、必ず礼物を用意して車に載せており、次の君に謁見できる準備をされていたとある。公明儀も、『昔の人は三ヵ月も君に仕えることなくいる人がいたら、見舞いなぐさめた』と言っている」。
【読み下し文】
周霄(しゅうしょう)(※)問(と)うて曰(いわ)く、古(いにしえ)の君子(くんし)は仕(つか)うるか。孟子(もうし)曰(いわ)く、仕(つか)う。伝(でん)に曰(いわ)く、孔子(こうし)は三月(さんげつ)君(きみ)無(な)ければ、則(すなわ)ち皇皇如(こうこうじょ)(※)たり。疆(さかい)を出(い)づれば必(かなら)ず質(し)(※)を載(の)す、と。公明儀(こうめいぎ)曰(いわ)く、古(いにしえ)の人(ひと)は、三月(さんげつ)君(きみ)無(な)ければ則(すなわ)ち弔(ちょう)す、と。
(※)周霄……魏の人。
(※)皇皇如……うろうろ不安な様子。
(※)質……礼物。贄と同じ。なお、『論語』にも、孔子が仕官を求めている(ふさわしい名君を求めている)様子が次のようにある。「子(し)貢(こう)曰(いわ)く、斯(ここ)に美玉(びぎょく)有(あ)り。匱(ひつ)に韞(おさ)めて諸(これ)を蔵(ぞう)せんか。善(ぜん)賈(こ)を求(もと)めて諸(これ)を沽(う)らんか。子(し)曰(いわ)く、之(これ)を沽(う)らんかな、之(これ)を沽(う)らんかな。我(われ)は賈(こ)を待(ま)つ者(もの)なり」(子罕第九)。「賈」とは商人のことであり「善賈」とは、ここでは名君を指している。
【原文】
周霄問曰、古之君子仕乎、孟子曰、仕、傳曰、孔子三月無君、則皇皇如也、出疆必載質、公明儀曰、古之人、三月無君則弔。
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