第84回
200〜202話
2021.07.22更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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23‐1 人の陥りがちな欠点は、すぐに人の先生になりたがるところである
【現代語訳】
孟子は言った。「人の陥りがちな欠点は(そう大した人物でもないのに)、好んですぐに人の先生となりたがるところである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)の患(うれ)いは、好(この)んで人(ひと)の師(し)(※)と為(な)るに在(あ)り。
(※)人の師……人の先生。指導者。学問の師、学校の師に限らない。広く一般人を教える一般人の意味であろう。この指摘は私自身を見てもよくわかる。厳しい戒めである。
【原文】
孟子曰、人之患、在好爲人師。
24‐1 高弟でも好きな人でも、叱る必要があれば叱る
【現代語訳】
(孟子の弟子の)楽正子が(斉王の寵臣)子敖(王(おう)灌(かん))に随従して、魯から斉にやってきた(魯から斉へ帰途する子敖に魯の大夫である楽正子が随従したのだろう)。楽正子は、そのころ斉にいた孟子に会いにきた。そこで孟子は言った。「(私が嫌っている子敖に随従するような)お前でも、やっぱり私に会いにきたか(何しにきたのだ)。楽正子は孟子の(不快そうな)言葉に驚いて言った。「先生は、どうしてそんなことを言われるのですか」。すると孟子は言った。「お前は斉に来て、何日になるのか」。楽正子は答えた。「数日前です」。孟子は言った。「数日前なら私が皮肉を言うのも当然ではないか(なぜ到着してすぐに会いにこなかったのか)」。それを言われて、楽正子は言い訳をした。「まだ、宿も決まっていませんでしたので、来るのが遅れてしまいました」。すると孟子は言った。「お前も知っていると思うが、宿が決まってから、長者(師)に面会するのが礼なのかな(そんなことはあるまい)」。遂に楽正子は謝った。「私が間違っていました」。
【読み下し文】
楽正子(がくせいし)(※)、子敖(しごう)に従(したが)いて斉(せい)に之(ゆ)く。楽正子(がくせいし)、孟子(もうし)に見(まみ)ゆ。孟子(もうし)曰(いわ)く、子(し)も亦(また)来(きた)りて我(われ)を見(み)るか。曰(いわ)く、先生(せんせい)何(なん)為(す)れぞ此(こ)の言(げん)を出(いだ)すや。曰(いわ)く、子(し)来(き)たること幾日(いくにち)ぞ。曰(いわ)く、昔者(せきしゃ)(※)なり。曰(いわ)く、昔者(せきしゃ)ならば則(すなわ)ち我(わ)が此(こ)の言(げん)を出(いだ)すも、亦(また)宜(むべ)ならずや。曰(いわ)く、舎館(しゃかん)(※)未(いま)だ定(さだ)まらざればなり。曰(いわ)く、子(し)之(これ)を聞(き)けりや。舎館(しゃかん)定(さだ)まりて、然(しか)る後(のち)に長者(ちょうじゃ)に見(まみ)ゆることを求(もと)むるか。曰(いわ)く、克(こく)罪(つみ)有(あ)り。
(※)楽正子……孟子の高弟の一人。名は克。魯の大夫。楽正子が魯の執政であり、孟子のために魯の君に会わせようと努力した話がすでに梁恵王(下)第十六章に出てくる。また孟子が楽正子を好んでいたことは告子(下)第十三章を見てもよくわかる。楽正子が魯の執政に就いたとき、孟子はうれしくて、夜も寝られなかったというのであるから。ただ斉の寵臣である子敖(王灌)がよほど嫌いだったらしくて、その彼に随伴してきたので八つ当たりしている風がある。これも孟子らしい。なお、王灌については公孫丑(下)第六章参照。
(※)昔者……数日前。これに対し、昨日と解するのが通説。
(※)舎館……宿。旅館。
【原文】
樂正子、從於子敖之齊、樂正子、見孟子、孟子曰、子亦來見我乎、曰、先生何爲出此言也、曰、子來幾日矣、曰、昔者、曰、昔者則我出此言也、不亦宜乎、曰、舍館未定、曰、子聞之也、舍館定、然後求見長者乎、曰、克有罪。
25‐1 仕事は食べるためだけにするものではない
【現代語訳】
孟子が(弟子の)楽正子に言った。「お前が、子敖(王驩)に随行して、(魯から斉に)やってきたのは、ただ食べさせてもらうためであろう。お前が、古の聖賢の道を学んでいながら、まさかあの子敖に従うとは、夢にも思わなかったぞ」。
【読み下し文】
孟子(もうし)、楽正子(がくせいし)に謂(い)いて曰(いわ)く、子(し)の子敖(しごう)に従(したが)って来(き)たるは、徒(ただ)に餔啜(ほせつ)(※)するなり。我(われ)意(おも)わざりき、子(し)、古(いにしえ)の道(みち)を学(まな)んで、而(しか)も以(もっ)て餔啜(ほせつ)せんとは。
(※)餔啜……食べさせてもらうこと。通常は「飲食の便宜にあずかる」と訳す。「餔」は食べること。「啜」は飲むことである。しかし、孟子の楽正子に対する叱り方は、前章で見たような八つ当たりの域を超えている。吉田松陰も言うように、楽正子が子敖に従って斉まできたのは、子敖の扶持(ふち)を受けて、臣となったか、その客となったかと思われる(『講孟箚記』)。
【原文】
孟子、謂樂正子曰、子之從於子敖來、徒餔啜也、我不意、子學古之道、而以餔啜也。
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