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第85回

203〜205話

2021.07.23更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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26‐1 親不孝とは何か


【現代語訳】
孟子は言った。「親不孝には大きなものが三つある。そのなかでも一番大きい親不孝は、跡継ぎの子どもがいない(祖先の祭祀をする者がいなくなる)ことだ。聖王の舜が親に告げないで妻をめとったのは、これを避けるためである(親は舜を殺そうとしていたぐらい憎んでいたから、告げても認めなかったと考えたのだろう)。だから後の君子たちは、舜が妻をめとったことについては、『親に告げたも同然のことだ』としているのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、不孝(ふこう)に三(さん)有(あ)り(※)。後(のち)無(な)きを大(だい)なりと為(な)す。舜(しゅん)の告(つ)げずして娶(めと)るは、後(のち)無(な)きが為(ため)なり。君子(くんし)は以(もっ)て猶(な)お告(つ)ぐるがごとしと為(な)す。

(※)不孝に三有り……親不孝の大きなものが三つある。儒教において、何が三つなのかははっきりしない。孟子が述べている跡継ぎがいないというのはその一つである。『論語』で孔子は「子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)は唯(た)だ其(そ)の疾(やまい)を之(これ)憂(うれ)う」としている(為政第二)。つまり、健康であることが一番の親孝行であるとする。吉田松陰は、本章の孟子での言い分を批判する。自身結婚をしなかったためもあるのかもしれない。結婚しなかった理由はわからないが、自分は日本を良くするためにすでに命を捨てているつもりだ。妻をもらうとその決意もにぶるし、妻になる人に迷惑もかける。家の存続では、兄弟がいてその人たちの子孫がいる。広く考えると日本人全体が家族で、跡継ぎのことは心配しなくていい、と考えたのではないか。松陰は、舜のこの行為も認めがたいし、それを弁護する孟子は「聖人(せいじん)に阿(おもね)る、と云(い)うべし」と厳しい(『講孟箚記』)。私も松陰のこの考えに同意する。なお、舜が親不孝かどうかの議論は、万章(上)で詳しく論ぜられている。

【原文】
孟子曰、不孝有三、無後爲大、舜不告而娶、爲無後也、君子以爲猶告也。

 

27‐1 手の舞い足の踏むところを知らず


【現代語訳】
孟子は言った。「仁の実、すなわちその真髄は親に仕えること、つまり孝のことである。義の実、すなわちその真髄は兄によく従うこと、つまり悌のことである。智の実、すなわちその真髄はこの二つの道をよく知って、これから離れないことである。礼の実、すなわちその真髄はこの二つの道をほど良くして、外観も良くすることである。楽の実、すなわちその真髄はこの二つの道を奏楽して楽しむことにある。こうして二つの道を大いに音楽で楽しんでいると、自然にこれを実際に行っていこうという気持ちが内から生じてくる。もうそうなるとこれをやめようなどとは思いもしなくなる。そのように、やめられなくなると、音楽を楽しんでいる人みたいに、いつの間にか、その旋律に合わせて手拍子、足拍子で踊り出すようになる(自然に孝悌を行うようになる)」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、仁(じん)の実(じつ)(※)は、親(おや)に事(つか)うること是(これ)なり。義(ぎ)の実(じつ)は、兄(あに)に従(したが)うこと是(これ)なり。智(ち)の実(じつ)は、斯(こ)の二者(にしゃ)を知(し)って去(さ)らざること是(これ)なり。礼(れい)の実(じつ)は、斯(こ)の二者(にしゃ)を節文(せつぶん)する(※)こと是(これ)なり。楽(がく)の実(じつ)は、斯(こ)の二(に)者(しゃ)を楽(たの)しむ。楽(たの)しめば則(すなわ)ち生(しょう)ず。生(しょう)ずれば則(すなわ)ち悪(いずく)んぞ已(や)むべけんや。悪(いずく)んぞ已(や)むべけんやとならば、則(すなわ)ち足(あし)の之(これ)を蹈(ふ)み、手(て)の之(これ)を舞(ま)う(※)を知(し)らず。

(※)実……真髄。根本になる切実なもの。本項は先に紹介した(離婁(上)第十九章)『論語』の有子が言った「孝弟(こうてい)なる者(もの)は、其(そ)れ仁(じん)の本(もと)たるか」(学而第一)を孟子の仁義論を使いつつ展開させたものとみることができよう。
(※)節文する……ほど良くして、外観も良くする。「節」はものごとを良くすること。「文」はものごとにあやがあるようにすること。外観を良いものにすること。
(※)足の之を蹈み、手の之を舞う……手拍子、足拍子で踊り出す。なお、この一文は語順を替えて一つの言葉となっている。すなわち「手の舞い足の踏むところを知らず」である。意味は、「うれしさにたえられないさま。非常に喜んで有頂天になっているさま。小おどりするさま。欣喜雀躍」(『故事ことわざの辞典』小学館)。

【原文】
孟子曰、仁之實、事親是也、義之實、從兄是也、智之實、知斯二者弗去是也、禮之實、節文斯二者是也、樂之實、樂斯二者、樂則生矣、生則惡可已也、惡可已也、則不知足之蹈、之手之舞之。

 

28‐1 家族と仕事の両輪があってこそ人生は充実する


【現代語訳】
孟子は言った。「天下すべてのものが皆喜んで自分に帰服してきても、そのことだけでは舜はまったくうれしく感じなかった。舜にはそのことが、まるで草やあくたのような価値のないものに思えたのだ。というのも(たとえ天子となっても)親に認められないようであれば、人間として何か欠けているように感じるし、親にやっていることを認められなければ、人の子とはいえないと思っていたからだ。だからこそ、さらに舜は親に仕える道を尽くしていき、遂には頑固な親の瞽瞍も変わり、舜のその行いを心から喜ぶようになったのである。こうなると天下の人々もこの感化を受けた。すなわち、瞽瞍が変わり、心から喜ぶようになると、それを見て、天下の父子間の道徳も良く定まるようになったのである。これを舜の大孝と人々は言ったのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、天下(てんか)大(おお)いに悦(よろこ)んで将(まさ)に己(おのれ)に帰(き)せんとす。天下(てんか)悦(よろこ)んで己(おのれ)に帰(き)するを視(み)ること、猶(な)お草芥(そうかい)(※)のごときなり。惟(ただ)(※)舜(しゅん)を然(しか)りと為(な)す。親(おや)に得(え)られざれば、以(もっ)て人(ひと)と為(な)すべからず。親(おや)に順(したが)われざれば(※)、以(もっ)て子(こ)と為(な)すべからず。舜(しゅん)、親(おや)に事(つか)うるの道(みち)を尽(つ)くして、瞽瞍(こそう)予(よろこ)びを底(いた)せり。瞽瞍(こそう)予(よろこ)びを底(いた)して、天下(てんか)化(か)せり。瞽瞍(こそう)予(よろこ)びを底(いた)して、天下(てんか)の父子(ふし)たる者(もの)定(さだ)まれり。此(これ)を之(これ)大孝(たいこう)と謂(い)う。

(※)草芥……草やあくた。ものを軽く見ることのたとえ。なお、今日でも「ごみやあくたのように」などと言うが、「芥」も「ごみ」の意味であり、同義の語を重ねて、値打ちがないことを強調している。
(※)惟……「舜だけは」と訳するのが一般。確かにそれが素直のようだし、舜を聖人視する本章の趣旨からもそう取るのが当然かもしれない。しかし、何か不自然にも感じる。それは、ここに書かれていることは、一般の人にとっても感じることでもあるからだ。だから私は、天下のものがすべて自分に帰して服するようになっても「そのことだけでは」「というのも」と訳したい。
(※)順われざれば……親に気に入られないようであれば。なお、「順」は「悦」であり、「親に悦ばれなければ」と訳す説もある。

【原文】
孟子曰、天下大悅而將歸己、視天下悅而歸己、猶草芥也、惟舜爲然、不得乎親、不可以爲人、不順乎親、不可以爲子、舜、盡事親之衜、而瞽瞍底豫、瞽瞍底豫、而天下化、瞽瞍底豫、而天下之爲父子者定、此之謂大孝。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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